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網膜に積もる淡雪のように(まとめサイト:http://kinoshitan.com)

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第一回 A=アルベルティ(5月28日) 要旨

「人間萬事塞翁馬」(『淮南子』)は、古代中国・戦国時代(紀元前3世紀)の本に出てくる言葉ですが、現代のわれわれは、これを「ニンゲン バンジ サイオウガウマ」と読んでしまいます。やはりこれは、「ジンカン バンジ…」と読まないといけないのですが、明治の中頃から「人間」という漢字を「にんげん」と読むようになっていきました。
「ジンカン」から「にんげん」へという課程のなかに、「近代」の問題が潜んでいます。明治7年に発行された字典にはまだ「ジンカン」としか読ませていないのに、明治24年に出る『言海』は「にんげん」という音を当てています。「人間」を「にんげん」と発語することによって、日本語生活者は、ヨーロッパの言語で使われている human being という概念を掌中にしたのですが[そこになお孕んでいる問題―「にんげん」と発語してもなお、「世の中」と「ひと」の区別を曖昧にしたまま使っていることから観察できる問題―について、28日にはちょっと触れましたが、この要約では省略します]、このhuman beingとしての「人間」概念が浮上してくるのが、ルネサンスと呼ばれる時代です。

<1>
アルベルティ( Leon Battista Alberti, 1404-72 )は、このルネッサンスの初期を生きた人で、一般に遠近法を理論化した人として知られています。彼の生涯の跡を辿ってみますと、

1404 ジェノヴァに生まれる。
1327−1428 アルベルティ家はフィレンツェから追放
1421 パドヴァからボローニャへ(法律を勉強)
1431 ローマ教皇庁書記
1434 教皇エウゲニウス?に従いフィレンツェ入り
1435 『絵画論』ラテン語版
1436 『絵画論』トスカナ語版
1443以降?『彫刻論』
1446−51 パラッツォ・ルッチェライ正面(フィレンツェ)設計
1448−70 サンタ・マリア・ノヴェラ聖堂正面・側面(リミニ)
1452 『建築論』(1443−45,47−52,出版は1485)
1453頃   サント・ステファノ・ロトンド聖堂改修指導(ローマ)
1459−   サン・セバスティアーノ聖堂(マントーヴァ)
1467    ルッチェライ家小礼拝堂(フィレンツェ)
1468 『デ・イルアルキア』[道徳・文化論]
1471−2 サンタンドレア聖堂、設計(マントーヴァ)

『絵画論』を書いた後、建築の設計をいくつかやっていて、時間の流れからみると、『絵画論』は建築の仕事の出発点になっている。これは、逆の眼でみると、彼の絵画論は、建築の視点から論じられているということです。
もう一つ別の謂いかたをすると、アルベルティのみならず、当時のヨーロッパの人たちは、絵画・レリーフ・彫刻・建築(建物の構造と装飾)は一体のものとして考えていた、ということです。
古く辿れば、東アジアでも、画と建物は一体でした。しかし、「画」を理論化していこうという動きが起こってきたとき、東アジアでは、「書画同源」論のような考えが力を持ち、絵と書を一体として考える思想が組織化され定着したのに対し、ヨーロッパの方では、絵画の可能性を建築−彫刻に求め、そこから絵画の理論化が進められていったというわけです。

<2>
アルベルティの『絵画論』について、その内容を28日にはいろいろ紹介しましたが、ここ[要約]では、そのなかから、現代のわれわれが問題にしてみると面白いのではないかというポイントを拾っておきます。


まず、遠近法[一点透視図法]といわれるもののみかたとらえかたによる「絵画」の理論を用意したこと。(お配りした図2−1にあるように)対象の立体的な像[三次元に展開する自然/世界]を「視覚ピラミッド」が作る切断面[インターセクション][平面]に represent (描写・再現)するのです。ブルネレスキはこれをじっさいにフィレンツエェ洗礼堂を描いた板に小さい穴を空け、その絵を映した鏡を穴から覗くとその平面の絵の像が立体的に見えるという実験をやってみせました[28日にはこれを手作りの装置(?)でご披露しましたが]。
この切断面=平面に世界を描く[再現する]ことができるという方法によって、絵画のありかたは、「壁画」から「タブロー」へと移行したのです。タブロー、 tableau は、こんにちのわれわれは「額縁に入った絵」という意味で使います。 tableau という単語は、本来は、「板」「札」「表」[名簿]とかいった意味を持っています。現在でもフランス語なんかではそういう意味で使います。「額縁に入った絵」「板」「札」「表」という言葉に共通しているものがあります。―それは「持ち運びができること」ということです。つまり、遠近法の発明によって「絵画」は「持ち運び出来る」ものになったのです。そして、その「絵画」は「人間」が「世界」を一つの平面に封じ込めた「像」であるのです。ここにきて、「人間」の自由になる、持ち運び可能な「作品」の中に「世界」=神の産物が閉じ籠められたのです。(註1)
遠近法というのは、単に絵を描く方法のことではなく、近代という時代の物のみかた、とらえかた―すくなくともそのみかた、とらえかたの底辺を保証する方法となるのです。
文学の領域にも同じ現象が起こっています。
アルベルティから一世紀後の人でジョルジオ・ヴァザーリという人がいて、レオナルドやミケランジェロなどイタリアの画家、彫刻家、建築家の伝記を書いた人がいます(1850年初版出版)。そこで、ヴァザーリが、アルベルティとグーテンベルクとを並べています[引用略]。
アルベルティの遠近法によって世界の像[イメージ]が持ち運びできるものになったように、物語・小説も印刷され本となって持ち運びできるものになったというわけです。
フランス語 roman (ロマン)、イタリア語で romanzo (ロマンゾ)というのは、日本語に訳すと「小説」というより「長篇小説」にしたほうがいいのですが、短篇中篇物とちがうという点で、もうちょっと深い意味を隠し持っています。「タブロー」と「ロマン」、「デッサン、ドローイング」と「短篇中篇小説」は、それぞれちょうど対応する概念ですね。それまで騎士道物語のようなものであったロマンが、印刷機械の普及につれて長篇小説へと変貌する。それまで、写本のように、手で写し取っていた本は、教会の所属物で、おいそれと持ち運びは利かない[壁画と比喩的に相似です]。それが、グーテンベルクの発明によって本屋へ行けば誰でも手に入れることができるようになる。そのとき、その誰にでも手に入れることができる「本」には、「一人」の「作者」が[一点透視図法でとらえた絵のように]「世界」の「全体像」を描き出してみせてくれるのです。ロマンは、騎士道物語のような単なる英雄の活躍するお話ではなく、一人の「人間」[作者=天才]によって、この世の、人々を動かし動かされている「世界」の姿が、作者によって発見されたその体系[からくり]の秘密とその様相が描かれているのです。
こうして、「ロマン」は、近代の文学の主役となっていきます。「タブロー」が絵画の領域の主人となっていくように。
《以下次号》

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