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網膜に積もる淡雪のように(まとめサイト:http://kinoshitan.com)

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尹東柱(その5)

Y=尹東柱(その5)
 そのほか、金柔政訳と他の六篇とちがうところ、まず主語を「ぼく」としているところですね。これはハングルの「ナ」が、英語の「I」と一緒で、主体によって日本語では「私」にも訳せ、「俺」にも訳せるわけで、尹東柱ならやはり「ぼく」ではないか、というわけです。
 ほんとうは全文全語句をこうやって点検すると、それはそれで面白いのですが、ここではもう一つだけ、他の6人の方の訳とちがう日本語を紹介して終わりましょう。
 三行目の「一枚の葉」です。「葉あい」(伊吹・委員会・金時鐘)「葉群れ」(森田)、「葉かげ」(宇治郷)、「木の葉」(上野)とここはさまざまです。原語「イップセ」はたとえば0・ヘンリーの短編小説「最後の一葉」の訳にも使われているように「葉一枚」という意味なのでそれを金柔政の訳では生かそうとしています。
 あまり、小さい言い回しにこだわりすぎないで、作品をゆったりとじっくりと味わいたいのですが、この「序」はいろんな運命を辿っており、そこに〈詩〉の運命と、日本語のありかたが人間の生きかたに通じているような問題を感じるのでこだわってみました。
 この「序」の詩は、〈死ぬ日まで天(そら)をあおぎ/一点の恥もないことを・・・〉と始まり、この一行で多くのこの詩を読む者を打ちのめすのですが、それはこの一行がきわめて道徳的な人間の生きかたの根源をみつめたメッセージによっているからです。
 地上にすっくと立ち、天=空、神様が坐す空の上を見上げ、自分の生涯と生きかたに思いを馳せ、その自分がこの世になくなる遙かな時を見つめています。つまり、そのときの詩人の眼差しは、ただ頭上の空を見上げているだけでなくて、神のいると思われる眼に見えない彼方を、自分の死ぬときという、これも見定めることのできない時の遠い彼方へ眼を向けている。自分の死ぬ時は予測できない遠い日のこととも思っているが、案外明日にでも不意に訪れる近い出来事かもしれない。その揺れる不確かさと詩句の多義性が響きあっています。この多義的なイメージが、この詩の一行を人々の心へ迫らせていることはたしかです。
 「恥」というのは、きわめて倫理的な言葉ですが、これも、たとえば別の「道」という語で尹東柱が〈石垣を探り泪(なみだ)してふと/見上げれば天(そら)は恥ずかしいほどに青いのです〉と謡うように、非常に内面的な恥じらいの感情でもあります。
 尹東柱が使っている「恥」の用例を全部拾い集めて比較してみるというようなことは興味あり且つ大切な作業ですが、それは別の機会に譲りまして、ともかくこの「道」という詩篇の例と引き比べ、尹東柱の感じている「恥」の、その内面的な意味合いをこの「序」の詩でも汲みとっておくことは大切か、と指摘するにとどめましょう。
 この最初の一行の響きは、ただ一人のちっぽけな存在が全身で受けている人類の歴史総体の摂理というか運命(ここは「さだめ」とルビをうちたい)のようなものへの戦いといったらいいでしょうか。
 そのとき「星」と「風」は特別な意味を帯びてきます。
 つまり、「星」は自分のいる現在(いま)をはるかに超えた歴史の姿を象徴し、「風」はいま自分という存在を感じさせるものです。〈一枚の葉にそよぐ風にも/ぼくは心痛めた〉とあるように、風は、そのたった一ひらの葉を、いま、揺らしていることによって、詩人の心を打つ、そういうあっというまに過ぎ去っていく「現在」の象徴です。
 ですから、最後の一行は、〈歴史〉としての「星」が、〈現在〉としての「風」にそっと触れている、そんな感動を言葉にしています。そして、そのときていねいに読んでおきたいのは、尹東柱が〈星が風に触れている〉と謡っていることです。つまり、主体としての〈人間〉の側の〈現在〉が〈歴史〉へ手を伸ばすのでなく、〈歴史〉が(〈歴史〉の象徴としての「天」上の「星」が)、〈現在〉へそっと触れようとしているというのです。〈歴史〉の方から〈人間〉=(私)=〈現在〉へ近づいてくるものを感受するというのは、その逆とちがって、とても貴重なことだし、困難なことでもある、それを願いのように、尹東柱は謡ったのです。
 尹東柱がこのちがいをどこまでしっかりと把握してこの詩を書いたかは判りませんが、少なくともわれわれがそう読みとれるように書いた、その直観がすばらしいと思うのです。
 尹東柱の詩について、語りたいことは、これからだという気がします。東京で書いた「やすやすと書けた詩」は、ABCではじっくり読みましたが、ここでは省略して、今回はこの辺で終っておきます。
 最後に、金柔政が今回のために彼女のノートを整理してまとめてくれた「尹東柱詩抄」の抜粋を(その6)に掲載します。「天と風と星と詩」全篇のほか、年譜に出てくる初期の詩篇。それと東京で書いた詩で、〈ABC〉で読んだ一篇「やすやすと書けた詩」。
 韓国では東柱が縦書きにしていた詩も、横書きで出版されるようになりました。このブログでもブログなるが故に、そんな現在の韓国の出版光景を反映した横組みでお送りします。また、ブログなるが故に、ルビは( )に括って、その語のあとに載せましたが、傍点などは省略せざるを得ませんでした。(つづく)


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