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Z=張彦遠(その3)
『歴代名画記』は、「全十巻」から成り立っていますが、その巻号の数えかたは、現代の巻数の立て方の論理とまったく違います。なので、この巻号に従って内容を説明していくのは現代のわれわれにとってはむしろ不都合が生じるといってもいい。そこでボクは、各章の頭に(巻号数を度外視して)、カッコ付きで通しナンバーをつけました。
こうすると、この本は全16章から成り立っていることが判ります。そのうち第(16)章は全体の半分以上を占める分量で、その(16)章のなかの各時代に番号をつけるとバランスよくなります。
最初に目次風に掲げたところでは煩雑になるので控えましたが、ここでは巻四以下巻十までの「歴代能画の人名を叙ぶ」の時代を再掲して、章分けナンバーをつけておきます。
(16)軒轅の時
(17)周
(18)斉
(19)秦
(20)漢
(21)後漢
(22)魏
(23)呉
(24)蜀
(25)晉
(26)宋
(27)南斉
(28)梁
(29)陳
(30)後魏
(31)北斉
(32)後周
(33)隋
(34)唐朝上
(35)唐朝下
つまり、『歴代名画記』は全体で35章から構成されていると考えるのが判り易いといえましょう。
それでもまだ、(3)は(16)以下の目録、目次のような役割を果たしている章で、現代の本の作り方とずいぶん違和があります。中国の人民美術社から出している刊本では、そのへんも合理化して(3)を(16)の前に置いたりと編集しなおしていますが、ボクはこういう現代の感覚からみたら不合理にしか見えない本の構成の仕方に、昔の人の(現代人には伝わり難い、ちょうど大人になってしまった人間には聴こえない高周波の音声が伝える)考えと感覚の働きが隠されていて、それはひょんなきっかけで(プルーストの紅茶のように)、われわれの鈍感さを思い知らされるかもしれないと思い、あまり「現代」の立場から合理化してしまいたくないと考えます。
で、(3)は(3)で置いておきます。
もっとも、日本で刊行されてきた注釈書はすべて、「原本」のスタイル・形式を尊重してきて(3)と(16)以下は離れたまま編集していますから、原本の原形を大切にするという考えは日本の学者たちはよく心得ているようです。
そのあまりなのでしょう、訳文が江戸伝来の読み下しによる和漢混交スタイルを護りすぎていて、現代人に壁を作ってしまう結果になっている。古いものを尊重しようとして現代に自分たちの生きている場から隔たっている結果を招いているわけですが、しかし、そういう枠の中で、この頑固な学者たちはそれなりに現代を生きていると信じた註釈をやっているのですから問題は複雑です。
ちょっと脱線してしまいました。内容概略に進みましょう。
☆
第(1)章は「画の源流を叙ぶ」。
とにかく、『歴代名画記』の中でいちばん有名な章です。絵画の起源と効用について書いているのですが、この「起源」と「効用」を別々の問題としない視点に注目しておきたいと思います。
この章は、あとでボクの新・現代語訳を紹介します。
(2)は、「画の興廃を叙す」。
(1)で絵画の人間世界・政治のありかたにどんなに重要であるかを解いた上で、その絵画は、どんな運命を辿ってきたか――ということは、時代を動かしていった人たちにどのように扱われてきたか、その歴史を略述して行きます。
後半は、張彦遠の父祖張家の所蔵の経緯です。そして、多くの名書画が燃えたり盗まれたりして失くなっていったことと、それでもなお埋もれて名のたたえられていない者もいる、これまでいくつか名画記は書かれているが不充分である。自分が改めて筆を執る理由もそこにあり、とにかく見聞きしてきたところを誌しておこうと結び、年記が入っています。「時に大中元年、丁卯の歳(ひのとうのとし)」。大中元年は西暦に換算すると847年です。
こうして(1)(2)で全体の著述の「序」を呈している形をとります。
(3)では、自分が綴る『歴代名画記』に取り上げる画家の名前を太古から現代まで選んで羅列します。まずは名前だけ並べて、そのコメントは巻四、つまり(16)以降に記述するというやりかたです。
そして、画を能くする画人たちの名を時代順に並べたあと、絵画の本質、優れた絵画が備えておくべき資質について述べるのが(4)「画の六法を論ず」です。
「画の六法」については、すでに謝赫(南斉代の人、479A.D.―502)が『古画品録』の中で言っているところ。張彦遠はそれをさらに深め、顧凱之の例などと比べて展開します。
しかし、張彦遠がここで画の六法を論じたことによって、東洋画、中国画の条件としての「六法」ととくにその神髄としての「気韻生動」が伝統として定着し、その伝統は蜿蜒と生き延びていきます。
その「画の六法」の思想が、どんなふうに変化していったかは、のちほど改めて考えます。
(5)章は「山水、樹石を画くを論ず」です。
「山水画」は、いまは「風景画」と読んでいるわけですが、ここで張彦遠は、山水画が主題になるのは中国の絵画の歴史でもそんなに古くはない(隋の頃からだ)と書き、ほんとうに「山水画」というのが登場するのは、唐の呉道玄(つまり、張の同時代)からだといっています。ということは、「樹石」を描くという問題も同時代の問題であるということです。「山水」「樹石」を描くという問題は、張彦遠にとっては「現代美術」の問題だったのですね。
(6)章。「師資伝授と南北と時代を叙ぶ」。ここでは、絵画を論じるための方法論のためのキイワードとして「師」「資」の「伝授」と「南北」(地域)「時代」という概念が必要大切だと語っています。
「師」はいうまでもなく、ある絵師がどんな先生から習って自分の画風を確立したか、をきちんと見定めることです。
張彦遠は、その「師」弟関係を、画家の「資」質に重点を置いて考えようとしていて、じっさいに師弟関係にあったかどうかが問題なのではなく、その絵に、そしてその画家が絵を描くに当って、どんな先達から技術や思想を学び会得したか(現代風に言えば影響関係ですね)、その関係でみるべきだとしています。
「南北」というのは、黄河流域の北と揚子江以南と考えていいと思うのですが、大陸の「南」と「北」で画風がちがうことを語っています。同時に古居中国では「南北」という言葉が「国土」という意味で使われることもあるようです。
「時代」は、いうまでもなく「歴史」ですね。
こうして、地域(空間・国土)と時代(歴史)の特色をそれぞれに理解しようとしている張彦遠です。(1)章で、「絵画」の起源を考え、(2)で絵画受容の歴史を叙べ、(3)で歴代の画家の名を列挙し、(4)で絵画成立の根本原則(美学)を確認し、(5)で当時の「現代」絵画の位置を測定し、(6)で画家とその作品を論ずるための概念規定をしているわけです。
つまり、この本は、美学と芸術論、美術史を一巻にした本なのです。
その上で、もう一つ大切なことは、彼にとって(というより当時の中国の絵画を論じる人たちにとって)、「絵画の本質を論じる」ということ、そして「絵画の歴史を論じ」「絵画の出来を批判」することは、とりもなおさず「絵画を鑑定する」ことだったということです。
本質論と歴史記述と批評と鑑定が一つに混然としていたこと、これが東洋の古典的絵画論の最大の特徴です。
(つづく)
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