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《言葉》
L.B.アルベルティ;
「プロタゴラウスがいったと思うが、人間はあらゆる事物の定規であり単位である。」
「historia(物語る絵)には、悲劇詩人や喜劇詩人が語るときみせる手際がちゃんと実現されている。」
蕪村;
「句を得ることは専ら不用意を尊ぶ。」
ちょっと遅れましたが、これからは、(第一期は人物中心のリストですので)毎回、採り上げる人物の<言葉>を選びプレゼントすることにしました。「present」という語は「贈り物をする」という意味と「提示する」という意味もあります。ここではその両方の意味をこめて使っています。つまり、その人物について、ボクが語るエッセンスを見せてくれ、その人物に関する問題をこれからみなさんが考えて下さる入口にもなるようなものとしての<言葉>を、その日集まって下さったみなさんにプレセントしたいというわけであります。
第一回のときにこういうことは考えついておけばよかったのですが、で、今回はAのアルベルティとBの蕪村と二人の<言葉>を提示しました。なぜその言葉を選んだか等のお喋りはブログでは繰り返しません。報告をよんでいただくと、納得してもらえることを期待します。
なお、このブログにはコメント欄があって、みなさんのご意見を投稿していただくことができます。一回の掲載可能文字数が5000字なので、報告は、第一回でも8000字近くなり二回に分けたくらいですから、、みなさんのことばを載せる余裕がない。そこで、「集まりで話したことの報告」とは別に、コメント歓迎の欄を作ります。ぜひ、ここへご意見お寄せください。トラックバックでご意見いただいたのもあり、それはそれでありがたくかつ楽しいです。そういうのもどうか、よろしく。
ということで、これからは、<言葉>や<お知らせ>などを掲載する枠をみなさんのコメントで埋めていただけたら…と願います。
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現代の美術作品といわれるものが、あまり心に響いてこないのはなだろうと考えたとき、蕪村の「不用意」という言葉の新鮮さ、鮮烈さがとても印象にのこりました。 ところで、蕪村は南宗画、北宗画のうえに、マンガちっくな俳画も描いていたのですが、彼のなかでは画法が分裂していることに混乱していなかったんでしょうか。「ほんとうの自分はどこになる」なんてことは考えなかったんでしょうか。もうひとつ。アルベルティの「言葉」がふたつ挙げてあるのは何故ですか?
2005/6/14(火) 午後 1:26 [ 白犬ロン ]
えーっと、木下長宏です。ご質問の件ですが、「本当の自分は…」と混乱しなかったかというのは、今日投稿しました要旨でお答え出来ているかと思うのですが。いかがでしょうか。まだ、はっきりしないようでしたら、突っ込んでください。 それから、アルベルティは、なぜ二種類の<言葉>を選んだか、これは、大事な質問ですので、あらためて投稿します。
2005/6/15(水) 午後 11:05 [ kn_*e*hien ]