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1月11日(金)は、土曜の午後に来られない方のために、と作った時間だったのに、年末の移り気で、その日だけの、テーマを用意してしまいました。
題して≪日本最古の恋物語≫。
12月の土曜に話した「日本語文字出現以前のことば」の問題から、考えておきたい問題として浮上してきたもので、「叙事(天皇の系譜を綴る)」と「物語(恋の行方)」と「歌謡」の三つの記述が混成して一つの<文章>となり(さらに、いくつかの別レヴェルの記述が挿入され)、その構成は6個の層から成ることを確かめて、初期の日本語の<記述文章>が持っている<多層構造>の意味をみつめると、そこに、<文字化される以前の言葉>がもっていた<言葉の響き>(韻律)が、遠く聞こえてこないか。そんなことを考えたかったのです。
現代芸術が、求め続けているものも、こんな<文字化以前>の、文字(眼にみえる形と化した意味・情感)となって消えた・隠れてしまった「なにものか」を探ることだといっていいのです。
金曜日にお配りしたテクスト(資料・レジュメ)は16枚にもなりました。原文と同時にボクの私訳をお配りして、軽太子や軽大郎女の歌なんかも、現代語に訳して(それ自体詩歌でありえる現代語訳を試み)みなさんにご披露しました。ボクは、現在流布している古典文学全集の類でされている解釈の、とくに歌(歌謡)をまったく散文読み下し風に現代語化しているのは、とてもまずいことだと、ずうっと思ってきました。そこには、すべては散文化すれば「解る」という「近代合理主義思想」が根を張っています。この思想が、植物園の花や木の名前をすべてカタカナで表記させてもいるのです。植物の名前をカタカナで表記することは、これ自体「自然破壊」です。「自然と共生する」などというのは今おおはやりですが、それは、文字や言語のレヴェルでは、まだまだはるかに遠い話だなと思います。言語のレヴェルで行っている「自然破壊」に気づかない限り、「自然と共生」する思想は危機に立たされ続けるのではないでしょうか。
現在われわれが使っている言葉の世界のなかで、どのくらい「自然破壊」をわれわれは平然とやっているか、じっくり考え直してみなければいけないのではないか。歌(歌謡)を散文に置き換えたときに喪ってしまう大きなおおきなものがある(あった)ことをもっとみつめ、なんとかそれを少しでも取り戻さねば、と思うのです。
ま、くわしい報告は、いずれHP(土曜の午後のABC)で。
さて、次回は、
2月23日(土)14:00〜 と29日(金)19:00〜 です。
「西行について」は、その日から始まる展覧会が出光美術館であるので、これはみなさんみていただいてから話をしたほうがいいので、3月(15・28日)からに変更しました。
2月は、<美の始まり>のシリーズのとりあえずのしめくくりとして、「ギリシァ美術」について考えたいと準備中です。
いちばん、寒い季節に入りました。
みなさん、風邪などには、じゅうぶん気を付けて!
kinoshita
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小学生の子供が「ゴッホの画集」欲しいと言います。
聞くと、線と色がひとつになっているのが気にいっているんだそうです。
誕生日に画集と、
木下先生の本をやっと古書店で見つけ、「ゴッホ」(ブロンズ社)の本をプレゼントしたら夢中で見て、読んでいます。
2008/1/22(火) 午後 5:44 [ iro*rus**1jp ]
うれしいお子さんがいて、ボクは幸せです。ブロンズ新社の本が簡単に手に入るといいのにね。また、ゴッホのことで、質問とかあったら、遠慮なくボクにいってください。kinoshita
2008/1/26(土) 午前 11:10 [ kn_*e*hien ]
「ゴッホ自画像の告白」(二玄社)の自画像を、
子供はよくもまあ飽きないなとおもうほど
繰りかえし眺めています。
写真よりも絵画のほうが心動かすのはなぜか、
子供に聞かれたしても、デフォルメということはわかるのですが
うまく伝わるようには言えません。
2008/3/21(金) 午前 10:00 [ 親 ]