木下長宏のウェブログ

網膜に積もる淡雪のように(まとめサイト:http://kinoshitan.com)

全体表示

[ リスト ]

1月のABCでは、ミケランジェロを取り上げました。自画像の思想史におけるM系の元祖です。
まずは、ボクの作った年譜をみながら、問題点を拾って行ったのですが、それを整理してみます。

<1> まず、大切なことは、ミケランジェロは、「彫刻」の人であったということです。
「絵画は、彫刻に近づけば近づくほど勝れたものになるが、彫刻は絵画に近づくほど劣る」といっています。そして、その彫刻は、有名な逸話─大理石の塊をみて、ここに聖母が隠れているといって、聖母像を彫り上げた─からも判るように、ミケランジェロにとって、彫刻とは、curving 刻み、彫り出すことであって、粘土を盛りつけて造形するmoulding ではなかったということです。

<2> それにもかかわらず、彼は、1508年、33歳のとき、時の法王ユリウス2世の命令で、ヴァティカン宮殿のシスティーナ礼拝堂の天井画を描くことになります。なんども辞退したのですが、ラファエッロ派の陰謀で描かざるをえなくなったと伝えられています。
そして5年がかりで、仕上げたその天井画「天地創造」の凄さは、その後のだれもが認めるところです。
その筆力を見込まれて、それから25年後、1533年、58歳のとき、システィーナ礼拝堂に、こんどは「最後の審判」を描くことになり、これは、中断(1534〜1537)を挟んで、1541年、完成させます。延べ7年(実質4年)がかりの制作でした。
ミケランジェロは、そのあと、1545年、パオリーナ礼拝堂の壁画(「パウロの回心」「ペテロの殉教」)に着手、1550年に完成させたあとは、ついに、大きな壁画のような絵を制作していません。(有名な彫像「ピエタ」4点のうち、3点は壁画の絵筆を執らなくなってからの制作です。それも注文によるのではなく、私的な願望からこれらの「受難」像を彫り刻んでいたことは、ミケランジェロを考えるうえで大切なことのような気がします。
(続く)

閉じる コメント(1)

顔アイコン

ミケランジェロのことを書いたらこちらが紹介されましたので来てみました。ミケランジェロのことを教えていただいて感謝です。

2013/6/6(木) 午前 7:54 [ 裏のグミの木 ]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

CMで話題のふるさと納税サイトさとふる
毎日お礼品ランキング更新中!
2019年のふるさと納税は≪12/31まで≫
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事