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宮澤賢治「春と修羅」を読む
12月17日(土)のABCは、宮澤賢治の『春と修羅』から、その冒頭の数篇を読みました。 そのとき、とくに心がけていたことは、この詩が「宮澤賢治」の作であるからといって、既成の「宮澤賢治」像を借りてきて、賢治は、どういう情況でその詩句を選んだかとか、なぜ賢治はこういう言葉を選び、その詩を作るためにどういう(個人的)背景があったかとなどは出来る限り詮索しない、作品をただ「紙と鉱質インクのつらなり」から読んで、そこからなにが汲みとれるかを考えてみようとしました。
お配りした詩のコピーは、作者が〈詩〉の形としていちばんこのようにしたいと思っただろう形を再現すべく、文庫版の全集を切り貼りして再編集新構成してみました。
印刷され製本されると、一頁の分量と型が決まってしまい、それに従って頁を繰って読んでいくと、つい、印刷された文字のつらなりが表面上に提出している〈意味〉を追いかけることにかまけがちになります。〈詩〉という言語による表現は、それだけで片付けては可哀そうです。
そういうことをいつも頭のなかに駆け廻らせながら、言葉を繰り、作者がいちばん作り上げたかった形、それを読み出してみようというのが12月17日の課題でした。 さて、その「序」は、〈書かれた詩〉というものが〈世界〉というひろがりのなかでどんな位置をもつか、〈自己〉対〈世界〉の関係をどんなふうに告げることができるのかを、〈詩〉という形式を借りて、それを借りることによって、〈詩〉のありようということを、他の散文表現では語り切れない思いを響かせることに賭けつつ、綴っていることを確認しました。
〈詩〉という形式を借りることによって、他の方法ではできない表出を試みるということ、これは作者自身もどこまで気付いていたかはわからないけれど、これこそ日本語表現の伝統を最も奥深くから継承してみせた方法なのです。
いにしへの日本語生活者は、〈歌〉で議論をしました。彼らの思想(近代の言葉でいえば哲学のようなもの)を、彼らは〈歌〉で語ったのです。西行は、そういう伝統の頂点にいた人です。
西行は一般に花と月を詠った放浪歌人として語られていますが、それは歌(和歌・短歌)というものは、心情を謡い上げなければいけない、小理屈を述べる手段ではないという「歌」にたいする近代概念が出来て行く過程で用意されていった「西行」像です。しかし、西行は、月や花をただ美しいとかはかないとか謡っていたのではありません。当時の人びとは、最も高度な言語表現手段として、漢文、漢詩と和歌しか所有していなかった時代に生きていました。西行は、そこで和歌を選んで、院政という時代と制度、そこに生きる人びとの考えかたへの批判(「批判」などという言葉自体とても「近代」ですが、ともかく、現代ではそういう言葉で言い換えるしかない言語行為です)の手段としていたのです。彼の批判の言語をじっくりと読み出すことこそ、西行を読むことの最も大事な仕事だと思い、いずれはじっくり取り組んでみるつもりです。(ここではじめの心構えをちょっと逸脱して一言、─この「春と修羅」の書かれた大正11、12年という時期、「詩」というものはことごとく「抒情詩」でなければならない、理屈を言うのは散文の仕事であり、論理家がその手助けをする、詩に論理を語らせる必要はお門違いも甚だしいと信じられていた時代に、「春と修羅」の作者はなぜこんな詩を作ろうとしたのかを考えてみるのは、賢治神話の上塗りごっこではない、「宮澤賢治」像への問いとなるような気がします−−。賢治はきっと日蓮などの文章を読み込んで、知らない間にその伝統を身につけたのでしょうか。) ともかく、『春と修羅』の序は、なににもまして、詩【うた】という形式で理論を叙述しているそういう詩であることを味読しようとしました。(各フレーズを追った味読は、いずれ詳しく文章化したいのですが、ここではとりあえず「報告」のみ。)
『春と修羅』の詩集では、その「序」のあと、「春と修羅」というタイトルを与えられた詩群が続きます(「春と修羅」の次は「真空溶媒」です)。12月17日はその「春と修羅」の詩篇を順番にじっくりと読んでいきました。 ここでは結論だけを誌しておきます。それは、とくに「春と修羅」や「丘の眩惑」といった作品に顕著に奥深く読みとれることですが、作者宮澤賢治の詩は、一つの〈詩〉という場面のなかで、〈絵画的な〉、色彩と線描による交響と、〈音楽的な〉、もちろん印刷された作品なので直接音声は聴えてきませんが、無音の音声がその詩の文字を読む者の頭脳に響き渡り、思わず声を出して朗読したくなる、そんな〈音楽的〉な構図から編成されているということです。〈絵画〉という経【たていと】と〈音楽〉という緯【よこいと】によって綯【な】いまぜられた〈言葉〉の織物です。
思わず朗読したくなる韻律の源流を探っていくと、まず、お経が、この詩を綴る作者の心の(頭脳の)底に流れているのに気づきます。そして、そのお経や声明(しょうみょう)へ交響するように西洋の音楽が重なってきています。「春と修羅」の詩篇の〈音楽〉は、お経をベースにした西洋楽曲の構成から産まれているといえばいいでしょうか。それが、決して無理矢理のかけつぎやパッチワークでなく、みごとに織り合わされて、一つの詩篇と成り、読む者の心に浸み入るだけでなく、心を揺り動かしていきます。そういう韻律を産み出して行く秘密は、彼の詩篇が、つねに複数の〈自己〉の声を交差させ、交響させて一篇の〈詩〉に織り込んでいるところにあります。こういうふうに〈自己〉を分裂させ(まさにこれが「修羅」のありようです!)、〈自分〉の背後にある存在を感じ取り、その声を書きとり(これは〈自己〉を分裂させることによって聴こえてくる声です。「お経」と「西洋音楽」は、それぞれ分裂対立していき、それが「作者」のなかで統御されて一篇の「詩」になります。作者は、〈自分〉で詩を綴りながら、〈自分〉のなかへ入ってくるいくつもの〈声〉を聴いています。彼の詩篇の( )で括られた部分は、作者の外【そと】から、とくに背後からの声の言語化された姿です)、それに耳を傾けつつ、分裂した自己の統御を求めていく、それをひたむきに求めていき−−そのひたむきさが一つの韻律を産む─そういう多層な深さを持った作品であることを確認し合いました。
たんに一つのメッセージを語りかけている詩では決してありません。その〈詩〉を読むことによって、人間と世界の関係の複雑な成り立ち、その深層へと一緒に歩んでいける、そういう作品であることを知っておこうと思いました。
複数の声部が交響し合う詩篇として、これをオラトリオにしてみては、という形式的実験をちょっとやりましたが、だからといって、そういう楽曲形式でみんなでいっしょに謡いましょう、というのはしたくないと思います。むしろ大切なのは、これらの詩篇がオラトリオとして読めることを知って、それをそれぞれの頭のなかで聴く、その想像力こそが求められるからです。
〈絵画〉的な要素としては、「丘の眩惑」のなかで比喩に使われているように、浮世絵が詩の絵画感性の底辺を作っているようです。当時『白樺』などが伝えていた西洋絵画の印象もそこへ投入されています。この詩を作るずっと前、ゴッホの糸杉の絵(「星月夜」のドローイング複製)を見て謡った「ゴオホサイプレスの歌」は、作者の内部で発酵し、ZYPRESSEN(糸杉)という未知の樹木の形象を言語化させ、それを「くろぐろと光素【エーテル】を吸う」「春のいちれつ」のような形と色彩をもったイメージに織り上げていきます。そこで、注目すべきなのは、そういう〈絵画〉の色彩を、あたかもその顔料の物質構成へと還元させようとするかのように、化学用語に置き換え、色彩の原質へ還元させることによって、詩に謡われ描写されている情景を、たんに眼の前にあり、目に映っている「風景」ではなく、そういう現象をそこに創り出している「心象」の映像として読みとらせるように作られていることです。いわば、色彩がその色彩の原素へ還元されることによって、描かれた情景が、その現在へ至るまでの長い歴史を隠しもった現象として目前に在ることを感じとりたい、というのが、作者の狙いであり願いであったでしょう。 そんなことを、いっしょうけんめい読み合ってみようとした午後でした。そうして、2011年の〈土曜の午後のABC〉は終りました。今年はいろいろ、たいへんなことがありました。まだ、それが片付いてはいませんが、そんな経験も、来る年のために活かしていけることをいのるばかりです。みなさん、よいお正月をお迎えください。来年もよろしく。来年は1月14日(土)、27日(金)です。 kinoshita
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