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白と紫のフーガ ──中西夏之新作展に寄せる──
画廊のなかに満ちている柔らかな陽光を水に変えているのは、中西夏之のタブロォである。 灰色のようなキャンヴァスを舞台に、白い絵具の点と線がつくる波紋の舞踏がおもむろにゆるやかに始まっている。 灰色をした地の色は、通奏低音となって、白い絵具の旋律に付き添っている。そこへ、紫色の絵具が、副旋律を奏でながら浮び出てくる。白い絵具は、しかし、いつも主旋律を奏でるパートを演じているわけではない。副旋律と聴いていた音がいつのまにか主旋律をなぞっているのだ。 それどころか、この白と紫のゆるやかな舞踏を眺めていると、(いや、舞踏楽曲を聴いていると、というべきか、─どっちでもいい、中西夏之のタブロォにあっては、眺めていることは聴いていることであり、耳を澄まさないでキャンヴァスを観ないわけにはいかない)、通奏低音のはずだった地の色が、知らないまに近づいてきて、白と紫の奏でる線と点の旋律を遠くに押しやり、主旋律かのごとき歌声を響かせてさえいる。じっとそっと耳をそばだてていないとすぐに消えていきそうな声。中西夏之のキャンヴァスでは、主旋律と副旋律と通奏低音が、ときどきそうっと役割を入れ替えながら、主題を変奏させ、増幅させ、縮小させ、前へ出たり後へ引いたり、水に波紋が伝わるように、隣の旋律に受け渡し、受け返す。 色彩というにはあまりにつつましい白と紫が、そろそろと響き合いつつ、隣の旋律(群)を産み出していく。ゆるやかさとつつましさにおいて最もミニマムな色彩の舞踏。舞うという動きが音色に変わる絵画。 画廊には大小10を超えるタブロォが、壁に、あるいはイーゼルに載せて並んでいて、それぞれのタブロォの旋律をすこしづつ変奏させ、輻輳する旋律(群)がそこに拡がり、いつのまにか、この画廊のなかにいる<私>は、白と紫のフーガが漂う水槽を泳ぐ魚になる。 (いや、中西夏之風にいえば、画廊という海を漂う小舟なのか。) 画廊のなかに満ちている光は、画廊のそとから入ってきていると思っていたが、それぞれのタブロォから生まれていることに気づくのは、そのときだ。 ─中西夏之氏の最新作展は、自由が丘の「gallery21yo-j」で、 7月8日まで(その間の、木・金・土・日)開かれている── |

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