|
次回6月9日(土)<土曜の午後のABC>は、14:00〜17:00。いつもの波止場会館4Bに戻って、初夏の風と光にそよぐ大桟橋を横目に見ながら、『老子』を読み継いで行こうと思います。
「樸(あらき)」をめぐって、前回問題を残したままの19章と28章も読み直し、『老子』のなかに占める「樸」の意味とその現代に投げかけてくるものを展望しようと考えています。
『老子』最古のテクスト、楚墓竹簡では「絶偽棄慮」とあるのが、馬王堆墓帛書では「絶仁棄義」と変わっていることから、どんなことが考えられるか。
それから、19章で「仁を絶ち義を棄てれば、人びとは孝と慈を回復する」という「慈」に注目して、67章に目を配って行きたいとも思っています。「仁義孝」は儒教の徳目ですが、「慈」はむしろ「老子」のなかで付け足されたようですね。「孝慈」という語は、15章と18章に出てくるだけ。「慈」は67章だけ。「慈」はとても仏教の匂いのする概念です。「慈」と「樸」とどんなふうに関連しあうのか。しないのか。
⭐
新約聖書「ヨハネによる福音書」の冒頭、「始めにロゴスがあった。神はロゴスであった」の中国語版は、「太初有道、道與神同在」と「ロゴス」が「道(タオ)」と訳されていることを教わりました。これは、ちょっとじっくり、考えてみたいですね。
この訳に『老子』が影響していることは明らかだし、また、『老子』の「道(タオ)」が、ギリシャ語の「ロゴス」と相重なる意味をもっているということです。「影響」し合っているのではなく、重なっている。.....
『老子』は、東洋の知恵というより、世界の知と言えそうです。
⭐
こんどの土曜日は、天気は良さそうですから、「樸」「慈」「道(タオ)」「ロゴス」と考え巡らせて疲れた頭を、ジャックカフェのテラスの欅の下で癒しながらワインを囲みたいですね。
では、9日に!
kinoshitan
|