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2月9日(土曜日)のABCは、いつもの部屋が取れず、4B の隣の「大会議室2」です。
お間違えないよう、お願いします。
<「老子」から教えられること>を続けます。
『老子』がほんとうに何時、初めて、いまわれわれが手にしているような形の書物になったのか。判りません。
1973年に前漢時代(紀元前2世紀初から紀元1世紀)の貴族のお墓から「老子」を絹地に書き写した写本が見つかり、1993年には楚の時代の竹簡(紀元前4世紀ごろのものか)が見つかり、それまで、ほんとうに長い間『老子』は前漢以降に成立したと信じられてきたのですが(その間2000年!)、この考えは覆されることになりました(現在われわれが書店で手にする『老子』の本は、まだ、ほとんどそのことを活かしていないままの本が多いです)。
それまでは、王弼(おうひつ)という3世紀の魏の国の人が作った『老子註』が、テクストの古さと完成度の2点から、いちばん頼りにできるので、もう一つ、古くから読まれてきた河上公(かじょうこう、漢〔紀元前2世紀から紀元3世紀初〕の人、しかし「註付河上公本」は六朝〔3世紀〜6世紀〕成立と考えられている)の本と合わせて、長い間、『老子』底本(テクスト)の権威でした。われわれも王弼本を底本に読んできました。
もちろん、それらのテクストを批判的に読んでいかなればならないことは言うまでもないのですが、馬王堆前漢墓から出土した、王弼より500年は前のものと推定される帛書(甲本乙本二種)、さらに古い楚墓の竹簡などは、破損部分が大きく読めなくなった部分も多く、テクストの全体像が掴めないくらい不整備で、これを底本にするわけにはいかない。で、それらを「老子」の元の形を尋ねるときの重要参照史料として勉強してきました。こんな勉強のしかたはやっかいなのですが、現状では、そういう読みかたをしていかないと、いろんなところで落とし穴に陥ってしまいそうで、そういう注意深い読みかたを心がけてきたつもりです。そう心がけて読むと、逆にエキサイティングです。
その結果、「大器晩成」は「大器免成」と読むべきだというような発見もありました。(つまり、ほんとうのところ、老子は、「大人物はゆっくりと大成する。優れた作品は時間をかけて完成する」ではなくて、「大器は完成することを免ずる=大人物とかすごい作品などというものは未完成なのだ」と言おうとしていたのだ、と解釈できるのです。)
そんな勉強の成果を踏まえて、次回の2月9日は、31章を読んでみたいと思います。
この章は、24句に分節することが出来ますが、その文体・文章構成は、重複感が強いのです。
じつは、31章は、王弼が註をつけなかった(註がついていない)唯一の章なのですが、そんなこともあって、従来から現代に至るまで、多くの老子研究家が、この章は、のちの写本過程の早い段階で(いうまでもないことですが、王弼自筆本は遺っていません!)王弼の註書きを本文と混同して入れてしまったのだ、それならこの重複は説明がつくと推測し、ではどこが、王弼註でどこが「老子」原文か、いろいろな説をいろいろ述べ立ててきました。王弼註が本文に紛れ込んだことを、物的証拠はなにもないまま、それを前提に、みなさん議論を積み重ねてきたのです。ついこのあいだまで。
じつは、1973年に発見された馬王堆帛書には(甲本乙本ともに)、通行の王弼本とほぼ同じ配列(24句から成る章句構成)になっていたので、この長い期間に亘って繰り返されてきた議論は水泡に帰した、というわけです。
これは、「近代」の知的建造物が、一瞬にして崩壊したような劇的な例ですが、ここから、われわれが「近代」批判を追究するうえでどんな心構えを持つべきか、教えてくれるような気がします。今回はそんなことを考えてみたいと思います。
それから、帛書を読んでいると気になる、たとえば王弼本では「聖人」とあるのが、帛書では「聖」の下の「王」が省かれ、「耳」と「口」を組み合わせただけの文字が書かれています。
「聖」の場合は、どちらでも意味解釈上とんでもない違いは出てこなかったので、いままでこだわってきませんでしたが、31章では、「泣」(王弼本)が「立」(帛書甲本)になっていて、これは、かんたんに「(さんずい)」を略していると言って済ませられない意味の違いが生じてしまいます。
ここいら辺で、いよいよ、漢字の独特の性質である「象形」「指事」「形声」「会意」と「転注」「仮借」(昔から「六書」と言われている漢字の分類法)の役割を改めてじっくり理解しておくときが来たような気がします。
これは、じつは、日本語の運命と深く関わっている漢字の特性で、金曜日に勉強している<無文字文化>、とくにそのなかの<見立て>を考える上で押さえておかなければならないことだ、ということを発見しそうです。
楽しみに!
前回読み進められなかった21、26章が残っていますが、これは、そのあと勉強したいと思っています。
kinoshitan
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