木下長宏のウェブログ

網膜に積もる淡雪のように(まとめサイト:http://kinoshitan.com)

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日本海地域特有の[この地域の人は、「弁当忘れても傘を忘れるな」というそうですが]大雨に迎えられ、また大雨に送られる旅でしたが、その間、9月3日の夜と4日の朝昼、それぞれに、大乗寺の<空間>を体験し、ほかのどこへ行っても得ることのできない<喜び>[それを<美の至福>などと呼ぶととたんに嘘になる、<発見>といえば確かに発見だが、そういう言葉で括りきれない経験、とりあえずは<喜び>と呼んでおきましょう]を持って帰途についたのでした。

もういまやこういう体験を与えてくれるところは大乗寺にしかない[ようなので](註)、しかも、それが恣意的複製計画によって、その貴重にして稀有な機会も風前の灯火となっているのだから、横浜から5時間半を超える長い旅で、どっと疲れて帰ってきても、またすぐ行きたくなります。

もう大乗寺の現実はあと一年ばかりだと知らないときから、ときどきはあそこを訪ね、心を洗われ美のありかたについて諭され教えられてきたボクとしては、これからもこのままであってほしいと願うばかりですが、大乗寺の複製計画はいやおうなく非情に進行しているようです。

(註)最近の美術史研究はデータが緻密且豊富になって、パソコンを睨んでいるだけで論文が書けるようになりました。一昔前、ボクが学生だったころは大先生がある貴重な作品の写真を持っていてそれを他人には[弟子にも!]見せない、とても悔しい思いをさせられたものですが、いまやそんな話は笑い話にしかならないくらいになってしまいました。しかし、データ画面で肉眼でも見えないような部分を精密に観察できても、大乗寺の客殿にいてカンじる[このカンには「感」と「観」と両方の字を当てたい]ところのものは見えないでしょう。「芸術」作品といわれるものは、その作品の隅々まで明るみに晒せば、よく見え味わえるというものではない。ということも、大乗寺の客殿に坐って、蛍光灯の灯りを消してもらったとき、教えられます。作品というものは、生理的に<よく見えない>状態のとき、むしろ<凄く><観じさせる>ところがあり、美術史というのも、そういう観/感じとりかたを記述しなければいけないと思います。
      
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現在は、二階の鴨の間や猿の間も追加拝観料を出すと中へ入れるので、階下の客殿同様仕切りが置かれて、日常の生活の場としての雰囲気が閉め出されてしまいましたが[それでも、われわれは、他に拝観者がいないのをいいことに、仕切りを外し、猿の絵全体に囲まれるように屏風も畳んでもらい、部屋に寝そべってさえいたのですが]、以前は、部屋の真ん中に大きい座卓[冬はこたつ]が置いてあって、ボクは、昼間の通常拝観時は、そこへ上がりこませてもらって、読書をしたり、物思いにふけったり、原稿を書いたりした[ついこの4月にきたときもそこで『「名文」に学ぶ表現作法』の最終校正をした]のでした。

この蘆雪の描いた猿の絵襖の部屋は、客殿の二階という寺院建築としては異質な、いいかえれば、寺院の宗教的な活動枠の外にある部屋で、猿の襖をわざわざ背にして、猿たちの叫びや騒めきの気配を背後に感じながら、自分の世界に入りこむのは、これは、やはり得難い楽しい時間なのでした。

孔雀の間や郭子儀、ハゲ山の間では、机を置いて茶を飲んだりお菓子を頬張ったり寝そべったりというのはちょっとやれない[副住職の山岨さんの話では、かつてはハゲ山の間で寝泊まりしたり、鴨の間ですきやきをかこんだひともいるとのことですが]、或る宗教的な厳粛さから外れた自由さが、この二階にはあるからでしょう[そういえば、猿の間で副住職の奥さん手作りの昼食をいただいたこともありました]

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いずれにしても、この大乗寺という経験は、わざわざそこへ足を運ばなければ出会えない<美><深い体験>というものがある[あった]ことを如実に教えてくれます。<美>や<真理>は、この身をこちらからあそこ[彼方]へ運ばなければ出会えないという行動の様式です。昔は誰もがその行動の様式を納得していたはずです。

美術館の制度は、いつの間にか、この行動様式を無意味化し無力化していったのです。この無力化現象は<美術館の起源>と無縁です。美術館が生まれた当初は、やはり、美術館[ミュゼ、ミュージアム]として解放される建物へ、人びとは、わざわざその美術館が所蔵する<美>[宝物]を観に出かけたのです。

美術館が他の美術館や寺院の所蔵品を借り出して展示する「企画展」が慣行になって、いっきょにわれわれの意識と行動のなかから、「わざわざあそこへ観に行く」様式が無化していきます。わざわざ飛行機に乗って多大の時間とお金を費して行かなくても、上野でエジプトのピラミッドの至宝が、ルーヴルのモナリザが見られるというわけです。同様に、奈良の法隆寺の仏像が上野の博物館に、お寺という場から切り離されて所蔵展示され、いつの間にかお寺という場にあることの意味を剥奪された姿で、仏像を一個の芸術作品として「鑑賞」するという慣わしが定着してしまいました。

こうしてわれわれ現代人は、わざわざあそこへ出かけなければ決して味わえないものなんてないと思うようにすらなってきました。

わざわざそこへ出かけるのは「観光」という方法で実践できる行動に限定され、そこ[「観光」という行動場面]では<美>や<芸術>は消費可能な他の観光品と同列化できるものだけに限定され、本物の<美>や<芸術>は美術館という場面で機能を発揮する対象と設定されるようになったといいかえてもいいでしょう。

いまや、日本列島に存在する諸寺院は「観光」の対象であって、その寺が所蔵する「国宝」や「重文」の美術品は、その「観光」の行動範囲内では観ることはできない。「観光」コースに用意されているのは、「国宝」「重文」の襖や仏像の複製品なのです。

そして、本物は美術館や博物館に預けるか特別の収蔵庫を作ってそこに保管されます。本来、その仏像や襖や屏風が占めていた場から剥ぎ取られた状態で保管され展示されていくのです。美術館が「わざわざそこへ出かけなければ観られない」美との出会いかたを無化していったのと呼応して、寺院のほうも、その美術館の管理・展示の方法を真似るようになりました。<美術館>という制度がヨーロッパで始まったころは、一部の人間の独占物だった芸術品をみんなに開放するために考え出されたのでしたが、いまでは、みんなに開放させないために美術館という制度が機能しているという事態になってしまいました。

お寺が美術館の方法を真似て私蔵する仏像や襖や屏風を収蔵庫に保管するのは、まちがいなく「美術館」という制度が<美>を保管展示するのにいちばんいいと、誰もが信じているところから始まったのでしょう。

観光化されているお寺ならどれを例にとってもいいのですが、たとえば京都の六波羅蜜寺へ行ってみてください。本堂の外にいかにもあとから[そんなに古くないころ]付け足したような渡り廊下づたいに小さな宝物館があり、その中にあの空也上人像をはじめ運慶や湛慶の坐像が雑然と並べられていて、それをヴォランティアの案内人が丸暗記した解説文口調で喋り続けている。空也像が収められているガラスケースはあまりにも粗末で、思わず暗然として溜息がでる。もともと置かれてあるべき場所[そこでは信心深い人びとがこの像の前で一心に念仏を唱えることを許す場に安置され、それにふさわしい荘厳がなされていたはず]からははるかに遠く、ただ仏像という一美術品の露わな姿で、それもただ人の手にさえ触れなければいい、そして火事にでもなればすぐ持ち出す保証さえできていればいいという「保護」の仕方。もう、上人像を訪れた人の眼や心を歓ばせることなどこれっぽっちも考慮していない惨めな展示のされかたです。こういうふうにして、展示保管していいのだ、という考えかたが、近代の日本の文化行政のなかで、その為政担当者の意識に巣食っていって、ここにきたのでしょう。

法隆寺や東大寺や大徳寺やなど、豊かで大きな寺は、こういう保管展示の装置をもっと見映えよくしつらえていますが、その<装置>に対する思想は六波羅蜜寺と同じです。いまや、寺院は美術館化し、美術館はますます教会化していく―こんなウロボロス状の機制が文化情況を隠然と支配しているのが現状なのでしょう。

大乗寺にいると、こんなことにも思いはめぐって、茫然としてしまいます。

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それはともかく、大乗寺へ行ったみなさん、感想や意見をコメント欄に投稿してください。
絵襖の世界に浸りつつ、あるいは宿へもどって風呂のなかや布団の上で、就寝前の酒をかこむ座で、いろいろ感想など飛び交わし会いましたが[ボクのこの報告にすでにそんなみなさんとのそれぞれの会話からの引用が秘かに鏤めてあります、無断引用お許し下さい!]、<大乗寺>という体験が抱える課題をもっともっとみんなに伝え共有していきたいと思いますので。

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