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先週の土曜日、アンゲロプロス監督の「エレニ」を観に行ってきました。ボクはアン
ゲロプロスとヴィクトル・エリセ(とタルコフスキー)はみんな観てきたので、「エ
レニ」も行きたいと思っていたのですが、このところ映画館へ行く時間がみつけられ
ないでいました。で、やっと、行ってきました。3時間、最後は、老いた母エレニの
絶叫で終わる。しばらく席から立ち上がる力がでてきませんでした。ボクのなかの生
ぬるさ甘さをしたたかに鞭打たれた思いでした。あらためて、がんばります。
第三回は、屈原。中国古代、戦国時代の人。紀元前343から277年まで生きた(
異説あり)と伝えられています。楚(そ)という国の重臣で、王の信任篤かったのに、
讒言で追放され、そのときの憂いを詩にしたのが「離騒」という一篇。『楚辞』のな
かの代表作です。
日本では、横山大観が、岡倉覚三が帝国博物館理事と東京美術学校校長を辞めさせら
れたとき、岡倉先生を屈原に擬して描いた作品が知られていて、ついその姿が思い浮
びます。
今回は、「離騒」の詩を読み、芸術における<古代的なもの>とはなにか、を考えた
いと思います。「離騒」は中国南方の古代詩ですが、北方には「詩経」がありました。
その「詩経」ともくらべ、また、ずうと西、ギリシャのホメロスの叙事詩との共通点
や相違点、できれば、同じころ、時間幅ははるかに大きいけれど、インド大陸で語り
継がれてきた『マハーバーラタ』についても考えたいけど、さて、そこまで時間があ
るか。
場所はいつもと同じ、中区役所の西隣り、古いビルの二階。2時からです。
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