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コメントの質問に答えるのですが、内容報告の欄を使います。
(ロンさんからの質問に答えるのが遅くなってしまいました。すみません。ちょっと、ほかの用件で、―パリにいるヨシ笈田さんが日本にやってきて、8月から両国「シアター・カイ」で「四谷怪談」に出演する稽古に入ったのですが、この機会に笈田さんの『俳優漂流』を重版したいので、フランス語版や英語版に載ってるピーター・ブルックの序文などその重版に入れる訳づくりをと、五柳書院の小川さんから頼まれてそれをやっていたり、重版といえば、ボクの『岡倉天心』も重版になることになって、初版はもうれつに誤植があったので、それを訂正してもらうやりとりしたり、とか、―いや、こんなのは理由にならない、遅れたいちばんの理由は、ほかでもない、ボクがパソコンが苦手ということにあるようです。光を発する板をにらんでキイを叩いていると、一時間ぐらいで頭が眼の奧のほうから重くなってきて、この頭痛のような重みは数時間ボクを悩まします。で、<…ABC>の報告ブログを作ったときなど、もう一週間くらいパソコンを開きたくない気分―たぶんこれがいちばん遅らしてしまう原因でしょう。いやいや、そんなことをぐちっていてはいけない。ともかく、ゆっくりですが、やりますので、よろしくおねがいします。)
さて、アルベルティの言葉を二つ選んだのはなぜか。これは、われわれにとって、アルベルティは、二つの対立する思想的要素というか局面をもっていると、ボクは思うからです(じつは、その日にもお話したように、二つの言葉を並べて三つめの要素も見えてくるのですが)。
まず、その一つは、「プロタゴラスがいったと思うが、人間はあらゆる事物の定規であり単位である」という言葉。これは、近代の「人間」中心主義思想を作っていくその出発点を用意している言葉で、われわれが「遠近法」(註)と呼んでいる方法(とその思想)の根幹を支える言葉です。人間は、あらゆる事物の定規となり単位である事によって、「遠近法」を獲得でき、その[遠近法」によって「世界」を持ち運びできる「作品」(タブロー、ロマン)に収めることができるようになるのですから。
二つ目は、彼(アルベルティ)は、「絵画」のもっともあるべきありかたは、「historia」だといっていることです。historia が「悲劇詩人や喜劇詩人が見せる手際をちゃんと実現している」ということは、「historia」は、現代の画家たちが追究した、「絵画」以外の諸要素を極力排除する方向と逆のありかたを示しています。叙事詩や演劇、音楽、歌、舞踊などの要素を全部含んでいることこそ大切だという、それこそ「絵画」のあるべき姿だという初期ルネサンス人の考えかたが、そこには横たわっています。
つまり、アルベルティには、近代から現代へと展開し構築されていく思想と方法の基礎の様相がみえると同時に、近現代人が見捨てていき排除していく方向の二面があるという点を納得しておきたいと思ったのです。どっちかの面からだけみて、アルベルティを評価しても片手落ちになるんじゃないか、というのが、ボクのいいたかったことです。
この二つの言葉を並べて、もうひとつ、押さえておきたいことは、「プロタゴラス」とか「historia」とか、アルベルティは、大切な自分の考えを語るのに、ギリシアの哲学者や芸術を参照していることです。「古代」はつねに彼らの規範・理想として君臨していた、といえばそれまでですが、しかし、彼らは、「古代はすばらしかった、もういちど、蘇らせたい」という願いを心の底にもっていたことは確かです。そういう「古代」へのまなざしが、結局、その後の時代へ、相容れない二つの方向を用意している。その様相が、たった二つの言葉から見えてくるのは、なかなか興味深いではありませんか。
註:「遠近法」という日本語は、いっぱい問題を孕んだ誤解に満ちた日本語ですね。そのことをこころえて使いたいです。というよりそれを心得て使わないといけないと思います。
なぜ、われわれの先輩は、perspective を「遠近法」と訳してしまい、「透視図法」という訳語も用意していたにもかかわらず、「遠近法」のほうがわれわれのうちに定着してしまったのでしょうか[そのために,perspective という方法がその底にがっちりと置いている思想―近代ヨーロッパ思想の骨髄とも言っていい思想の核を形成するもの―に気づかないで、その語を日常的に使うことになった。「和魂洋才」というのは、そう言うことかもしれない。たとえば、「写真」ということばもそうです。photography という英語のもとの意味は「光が描くもの」ということですから、「真を写す」ものではない。明治のはじめごろは、江戸時代からの地続きの用語感/観で、「写真」ということばを、「真を写す」(本来の写生)という意味で使い、絵のありかたとして「写真」ということばを使用していました。それがいつのまにか、絵のありかたの概念とは切断してしまった。昭和初期の写真家たちのなかから「光画」ということばを使う動きがでてきたことがありますが、それは写真の一流派(ムーヴメント)を興そうという以上の働きにはならず、pphotography を写真と呼ぶことによって西洋文化の理解のどんな歪みが生じたかという、日本近代批判にまで議論は至らなかった。「写真」という言葉とphotography の概念の落差に気づいていない現/近代の日本語使用者は[写真」というありかたに、ほんとうに「真実が写されている」と信じてきたとも言えます。]
パースペクティヴを「遠近法」と訳して分かったつもりになっている背景はフォトグラフィーを「写真」と理解して要るのと似た、しかし別の思想の動きがあるでしょう。
「遠近」という言葉は古くから使われていて、中国伝来の絵で、画面のなかに遠い風景近い光景をいかに描き出すかには、心をくだいて来ました。だから、文字通りの[遠近法」の思想は東アジアには古くからあったのです。
そこへ、19世紀に入り、ヨーロッパのパースペクティヴの技法が輸入されてきたとき、われわれの先輩は、その文字通りの東アジア伝来の「遠近法」がはるかに及ばない精度で実現されている「西洋技術」を発見した。その驚愕振りは、たとえば、高橋由一の回想の中にも出てきます。お殿様の所に届いたオランダ渡りのエッチングをみて、彼はびっくりします。これは凄い。これこそ「写真」だ、と。
つまり、幕末明治初期の画家たちは、ヨーロッパのパースペクティヴから「真を写す」技術には注目したけれど、「世界を把握する」技術には気づかなかった。アルベルティが書いているように、perspectiveと技術は、眼前にある光景[三次元に拡がる立体的光景]を、一人の人間の視点からとらえようとした、その視覚の「切断面(インターセクション)」を創り出すことにあったのです。そのインターセクションは、視点(眼)と現実の間に立っている平面で、その二次元の平面が三次元の現実をぜんぶつかまえ表現できるということが、perspective の重要な任務でした。アルベルティの絵画論には、「遠近」を描きだすことの重要さなど語っていないのです。しかし、東アジア伝来の絵画思想を背景にした者には、これこそ伝来のわれらの絵画がなそうとしてないえてこなかった「遠近」を表現してくれる技法だ、と思われたのでしょう。
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