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蕪村(その3)のあとにいただいた「竹の屋」さんの「コメント」をヒドク照れながら読みました。
ボクは、とてもとても、「ボクの思索」なんていうのもどこか気恥ずかしいし、「幾星霜を重ねた」なんて、とんでもない。そんな立派なものではありません。それはボクがいちばんよく心得ているつもりです。まだまだだめだなぁと自分を叱りつつ、そうこうするうちに定年になってしまって、なさけなくくなります。
ただ、いま自分が考えているようなことはこれでいいのか、どこに問題があるか、みんなと共有しているつもりでいることも、どうしてそういうふうに共有しえているのか、を本を読んだりものを書きつつ、考え問い直していくことを止めてはいけないと思っているばかりです。いちばん信じていないのは自分だといってもいいかもしれない。その意味で、ボクは、日々変っていきます。変っていかねばと思っています。
<土曜の午後のABC>でのボクの話もそんな過程の実況報告です。語ること(そしてあとの報告のために)書くことによってボク自身変っていっている(そのつど自分の愚かさ未熟さを思い知らされている)ことは、まだ三回やったばかりですが、痛切に感じています。
この三回、語り書くことによってボク自身がみつけたことは大きいといま申しましたが、それは、この三回はかなりの部分、いままで大学で学生諸君に語り、本や刊行物に書いたりしなかったこと、まだ書けなかったようなことを語れたということでもあります。
が、第四回は、D=大乗寺がテーマで、これはいままで喋り書いたことをくりかえすところが多いと自覚しています。それを語らないと<大乗寺>が語れないからでもあります。もちろん、あらためて語ることで、いままで見つけられなかったことを発見できることも確かですが。
そんな自覚が強いので、第四回は、参加費をもらわないことにしました。
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