木下長宏のウェブログ

網膜に積もる淡雪のように(まとめサイト:http://kinoshitan.com)

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蕪村(その3)のあとにいただいた「竹の屋」さんの「コメント」をヒドク照れながら読みました。
ボクは、とてもとても、「ボクの思索」なんていうのもどこか気恥ずかしいし、「幾星霜を重ねた」なんて、とんでもない。そんな立派なものではありません。それはボクがいちばんよく心得ているつもりです。まだまだだめだなぁと自分を叱りつつ、そうこうするうちに定年になってしまって、なさけなくくなります。
ただ、いま自分が考えているようなことはこれでいいのか、どこに問題があるか、みんなと共有しているつもりでいることも、どうしてそういうふうに共有しえているのか、を本を読んだりものを書きつつ、考え問い直していくことを止めてはいけないと思っているばかりです。いちばん信じていないのは自分だといってもいいかもしれない。その意味で、ボクは、日々変っていきます。変っていかねばと思っています。
<土曜の午後のABC>でのボクの話もそんな過程の実況報告です。語ること(そしてあとの報告のために)書くことによってボク自身変っていっている(そのつど自分の愚かさ未熟さを思い知らされている)ことは、まだ三回やったばかりですが、痛切に感じています。

この三回、語り書くことによってボク自身がみつけたことは大きいといま申しましたが、それは、この三回はかなりの部分、いままで大学で学生諸君に語り、本や刊行物に書いたりしなかったこと、まだ書けなかったようなことを語れたということでもあります。
が、第四回は、D=大乗寺がテーマで、これはいままで喋り書いたことをくりかえすところが多いと自覚しています。それを語らないと<大乗寺>が語れないからでもあります。もちろん、あらためて語ることで、いままで見つけられなかったことを発見できることも確かですが。

そんな自覚が強いので、第四回は、参加費をもらわないことにしました。

屈原 その3

屈原―その3(つづきのつづき)

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植物が占めている位置の大きさに思い当たったとき、ボクは、三木成夫さんの本を思い浮べました。表現の古代性と人間の営みにおける植物系機能とは、呼応し合っているのではないか、と。
三木さんは、たとえば『ヒトのからだ―生物史的考察』(うぶすな書房、1997.もともとは『原色現代科学大事典6―人間』学研、1968.の一つの章として書かれたのを、三木さんが亡くなった後うぶすな書房から一冊の本として出版されました)に、ヒトの器官を植物系器官と動物系器官に分け、動物系器官は感覚、神経、運動といった働きを担い、植物系器官は呼吸、消化、循環、排出といった栄養摂取と生殖の働きを司るという相違があることを教えてくれています。
植物系器官は、解剖学的に動物系器官に被われていて、その様子が見えにくい、そして動物系器官は、動物ごとに著しく形態を異にしているが、植物系器官は、栄養・生殖を共通の仕事にしてその違いが少ないといっています。
さらにボクが教えられたのは、進化というのは、動物系器官が植物系器官を支配していくプロセスだといっていることです。これを人間の観念の働きにひきつけて考えれば、<生><生命の働き>の中心を、心臓から脳へと移動していったのが人類の歴史だといえるということです。
<生>の中心が心臓から脳へ移行していくのが「進化」だということ、そういう進化を人類はいやおうなく経過してここ(現在)にあるということは、「進化」の過程を経て、人間は自分の問題を考える視点の重点を、<心情>から<精神>へと移動させていったといういいかたと対応させることができます。
    ☆

6月25日は、『詩経』の詩から二篇コピーしてまいりましたが、そのどちらにも「岡にのぼる」という表現の語句がありました。じつは、意図的にその表現があるのを選んだのですが。この「岡にのぼる」という詩句は、どちらの詩でも、<植物>と交感することと一種ふかい関わりのなかで「岡にのぼって」いることに気づいておきたいと思います。
蕪村の「愁いつつ岡にのぼれば花いばら」の句は、この『詩経』の「巻耳」や「載馳」を本歌として作った句だと思います。
蕪村は、前回ご紹介した「句を作ることは、専ら不用意を尊ぶ」という言葉の入っている『春泥句集』の序で、召波に俳諧に上達するのにはどうすればいいかと質問されて、漢詩を読めと答えていました。漢詩と俳諧ではちがいが大きいという再質問に、意外と近いのだと画論を引用して言っています。その「近さ」を、蕪村は、それとなく、こんな句で実践証明していたといっていい。
句の極意は不用意を尊ぶところにあるというようないいかたは、<脳>よりも<心臓>に考えかたの中心を置いた発想です。蕪村の植物への独特の思いは、やはり中国古代の詩を読んで身につけたのかもしれない。


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最後に、ボクは西方ヨーロッパの古代の文学ホメロスの叙事詩のことを考え、インドの『マハーバーラタ』を考え、東アジア古代の文学芸術といろいろ比較したかったのですが、これは今後の課題ということにして終わらざるをえませんでした。
ただ、ホメロスという名前を出して、ひとつだけ見ておきたいことがあります、作者の名前ということです。ホメロスと屈原と、二人の作者の名前と、「イリアス」「オデュッセイア」「離騒」を並べて、はっきり見えてくることは、「離騒」は最初から「屈原」という人物の作だといわれてきたこと。それに対して、ホメロスは「イリアス」「オデュッセイア」という叙事詩の厳密な意味での作者ではない、吟唱されてきた物語を集大成した人だとはやくから考えられてきたことです。人物像としては、ホメロスのほうが、具体的で、はやくにホメロス像といわれる肖像彫刻もあるのに対して、屈原はとても伝説的です。屈原は、作者としてはっきり名付けられているが、一人の人格を持った存在としては稀薄だということです。
つまり、「屈原」は<名>なのです。ちょうど、焼物の清水六兵衛が世襲であるように、その名を継いだ人はその<名>にふさわしい<人>になるように、<名を継ぐ>[これが後に「家を継ぐ」思想として確立していきます。[名」「家」はおなじ思想の根をもっているのが東アジアの<名>における思想的特質です]ことのできる<名>なのです。もちろん、屈原の場合は、投身して、家系は絶えましたが、その<名>は継がれ『楚辞』が編集されます。
[名」が[家」を表す世襲制は江戸期に確立しますが、名の意識あるいは慣習は、おそらく東アジアに古くから育っていたものでしょう。ホメロスと屈原を並べてみることからそんなことが、推測できます。飛鳥時代の止利(鳥)仏師も、おそらく個人の名前というより、そういう工人の集まりの棟梁の名であり、その工房の棟梁が止利を名乗っていたと考えることができます。
「イリアス」「オデュッセイア」と「離騒」は文字化されるのは、だいたい同じころ(200BC頃)だといわれています。しかし、「イリアス」「オデュッセイア」にはその前に数百年の口承の時代があり、その意味ではテクストのどこまでがホメロスのものか、もう判らない。しかし、ホメロスという個人の人格の存在感は確かなのです。「離騒」は屈原が書いたと当初からいわれながら、その当初からそれを作った集団(共同体)の代表名の性格が与えられているのです。「離騒」を草した根拠もない、ただその作者だと伝えられていること、一方、漢書などで「屈原賦二十五篇」などと『楚辞』の作全部を屈原の作にしていたのも、当時の人にとって個としての作者は誰かなどということに意識は働いていなかったことがうかがわれます。
新約聖書のマタイ伝は、冒頭から「アブラハムの子、ダビデの子、イエス・キリストの系図」が掲げられ、マリアがイエスを産んだところまで、蜿蜒と名前がつづきます。「イリアス」では、系譜ではないのですが、戦争をする両軍の将軍兵士や軍船が一覧表のように数え上げられます。その名前は、一人ひとり、同じ名を名乗っていても違う存在として数えられる。屈原や止利の名前は、そういう数えられかたからはみ出しています。
西ヨーロッパと東アジアとのあいだには、この<名>に対するような根源的な態度の相違があります。と同時に、表現の古代性と呼んでいいありかたに関して深く共通したところもあるのです。

    ☆

第一回のアルベルティ、第二回の蕪村と、この二人の場合、それぞれの名前の下にその人の人生がありました。そして、それぞれの思想や行動を検討しながら、それぞれの生きかたということについても思いをいたすことができました。「できました」といいかたは変で、そういうふうに彼らの<生きかた>へ思いを馳せる面白さがあったといったほうがいいでしょうか。彼は(彼女は)、その問題をどう考えたかという問いの立てかたをして、芸術のありかたや、思想のありかたを考える醍醐味を与えられるのです。しかし、屈原の場合、そういう面白さはみつけることができないといっていい。屈原という人物像からわれわれの掌に載せられるのは、陳腐なものです。仕えていた主に篤い思いを寄せていたのに捨てられ絶望のあまり河に身を投げた忠臣。「屈原」という<名>が呼び起こしてくれるものに、それ以上のものはない。たぶん『楚辞』のうちの屈原が書いたものはどれかがさらに実証されたとしても、このことは変らないでしょう。<名前>がその人の<生きかた><存在>を呼び出してこない―そういう名前のありかたがわれわれを導いてくれるところは、逆に、<古代的なもの>とはなにかへの問いだといえます。われわれの裡にあって、その活動に深く関与しているにもかかわらず、われわれの意志(意識的操作)の埒外にあるかのように布置している器官は、古代の人の名前のように、その人の個的な生きかたを体現してない。それは、それを大切な器官/機能だと認識しながら、そこに<生>の中心は置かない扱いをされているそんな存在です。
それぞれの裡に、名前があって名付けようのないもの―それが<古代的なもの>ということができる。その後の人類の歴史は、人間がコントロールできるものばかりに関心を注いできました。<名づける>ということはその対象を<知る>ことに等しいと思いなすようになっていきました。<知る>ということは、そのものを自分のものにすることでもありました。人間を個として見、その<個>を<人間>を単位とした尺度で測ってきたのも、その<個>の人生=生きかたにつねに興味をそそいできたのも、個別化することによって、その<名づけ>ができたからです。
<名指す>ということは、なにかを表現するということです。名前と実体との関係が、植物系の(器官の)視点からみるときと動物系の視点からみるときとで大きく異なることを、われわれは、屈原や『詩経』を読むことから学びます。古代から近代への移行[ここでは、とりあえずは、東アジアにおけるとことわっておきましょう]というのは、すでになんども語ってきたように、植物系の視点から動物系への移行と並行しているようです。そのこと学ぶことによって、われわれの[現代を生きるという場面にあって]<名づける>ことと<名づけられる>もの[かつては「対象」とか「実体」とか呼んでいたもの]との関係性をどのようにとっていくべきか。「屈原」を読むことから、あたらしい眼でこの問題に直面することができるのではないでしょうか。

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