木下長宏のウェブログ

網膜に積もる淡雪のように(まとめサイト:http://kinoshitan.com)

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尹東柱(その7)

「やすやすと書けた詩」

窓の外に夜の雨がささやき
六畳部屋は他人の国、

詩人とは悲しい天命だと知りつつも
一行の詩を書いてみようか、

汗の匂いと愛の匂いふんわりと香る
送られてきた学費封筒を受けとり

大学ノートをはさんで
老いた教授の講義を聴きに行く。

思い返せば幼いころの友達
ひとり、ふたりと、みんな失くし

ぼくは何を望み
ぼくはただ独りで沈殿(しず)んでいくのだろうか?

人生は生きるのがむずかしいというのに
詩がこんなにもやすやすと書けることは
恥ずかしいことだ。

六畳部屋は他人の国、
窓の外で夜の雨がささやくけれど、

灯りを燈して暗闇を少し追いやり、
時代のように来る朝を待つ最後のぼく、

ぼくはぼくに小さな手をさしのべ
涙と慰安でにぎる最初の握手。
 (一九四二、六、三)

「空想」

空想??
ぼくの心の塔
ぼくは黙ってこの塔を積み上げている
名誉と虚栄の天空に
崩れることも知らずに
一段二段と高く積み上げる

無限なるぼくの空想??
それはぼくの心の海
ぼくは両腕を広げ
ぼくの海で
自由に泳ぐ
黄金知慾の水平線に向い。
 (『祟實活泉』一九三五年十月号)

「ひよこ」 尹童柱

「ぴょ、ぴょ、ぴょ、
母ちゃん おっぱい ちょうだい」
これはひよこの声。

「コケ、コケ、コケ、 
わかった ちょっと まって」
これは母ちゃんどりの声

少ししてから
ひよこたちは
おっぱいをたべようとしてか
母ちゃんのむねの中へ みんなはいりました。
 (『カトリック少年』一九三六年十一月号)

「ほうき」 尹童柱

こーうしてあーして切ったらチョゴリになって
こーんなふうに切ったら大きな銃になるんだ。
  お姉ちゃんとぼくと
  はさみで紙切れかじっていたら
  母さんがほうき持って
  お姉ちゃん一発、ぼく一発
  おしりをたたいた
  部屋が散かっていると言って???。

  ちがう、ちがう
  そのほうきめが
  部屋を掃きたくないから
  そうしたんだ、そうなんだ
悔しくて押入れの中に隠したら
次の日の朝、ほうきがなくなったと
母さんが大騒ぎです。
(『カトリック少年』一九三六年十二月号)

「しょうべんたれの地図」 尹童柱

洗濯ひもにかかっている
 ふとんに描いた地図は
ゆうべぼくの弟
 しょうべんかけて描いた地図

夢で行ってみた母ちゃんのいる
 星の国の地図かな?
出稼ぎに行った父ちゃんのいる
 満州の地の地図かな?
 (『カトリック少年』一九三七年一月号)

「なにを食べてくらす」 尹童柱

海辺に住む人

魚とって食べてくらして

山谷に住む人

じゃがいも焼いて食べてくらして

星の国の人

なにを食べてくらすのかな。
 (『カトリック少年』一九三七年三月号)

「うそ」 尹童舟

トン、トン、トン、
ちょっと門を開けてください
一晩泊めてもらいましょう。
夜は深くとても寒いのに
そこ、だれだろう?
門を開けてあげてみたら
黒すけのしっぽが
うそをついてたもの。
コケッココ、コケッココ、
鶏が卵産んだよ
カンナニ! はやく取っていきなさい。
カンナニが走って行ってみたら
卵ってどこだい
あの雌鶏めが
真昼に真っ赤な
うそをついてたもの。
(『カトリック少年』一九三七年十月号)

「弟の印象画」

赤い額にひんやりとした月が立ちこみ
弟の顔は悲しい絵だ。

歩みをとめ
そっと幼い手を握りながら
『大きくなったら何になりたいの』
『人になるよ』
弟の哀しい、本当に哀しい答えだ。

しずかに握った手を放し
弟の顔をもう一度のぞいて見る。

ひんやりとした月が赤い額ににじみ
弟の顔は悲しい絵だ。
 (『朝鮮日報』一九三八年一〇月十七日)


「遺言」

広――い部屋に
遺言は、音のない口走り
――海に真珠採りに行ったという息子
   海女と愛をささやいているという長男
   今夜こそ帰ってくるんじゃないか外をのぞいて
   みなさい――
          
一生寂しかった父の運命、閉ざされる眼に悲しみがにじむ。

村はずれの一軒家で犬が吠え
皓々とした月が障子に流れる夜。
 (『朝鮮日報』一九三九年二月六日)

尹東柱(その6)

「尹東柱詩抄」(金柔政訳 2006)

『天(そら)と風と星と詩』

死ぬ日まで天(そら)を仰ぎ
一点の恥もないことを、
一枚の葉にそよぐ風にも
ぼくは心を痛めた。
星をうたう心で
すべての死んでゆくものを愛さなくちゃ
そしてぼくに与えられた道を
歩んでいかねば。

今夜も星が風にそっと触れてゐる。
 (一九四一、十一、二〇)


自画像

山の緑を巡り田圃のそば人里離れた井戸を独り尋ねてはそっと覗いてみます。

井戸の中には月が明るく雲が流れ天(そら)が広がり青い風が吹いて秋があります。

そして一人の男がいます。
なぜがその男が憎くなり帰っていきます。

帰りながらふとその男が哀れになります。引き返して覗いてみると男はそのままいます。

またその男が憎くなり帰っていきます。 帰りながらふとその男が恋しくなります。

井戸の中には月が明るく雲が流れ天(そら)が広がり青い風が吹いて秋があり追憶のように男がいます。
 (一九三九、九)

少年

あちこちでもみじのような悲しい秋がぽたぽた落ちる。もみじの抜け落ちた所々春を整えておいて梢に天(そら)が広がっている。じっと天(そら)をのぞいて見ると青い絵具がにじむ。両手で温い頬をさすってみると手の平にも青い絵具がにじみ出る。もう一度手の平をのぞいて見る。手相には清らかな川が流れ、清らかな川が流れ、川底には愛のように悲しい顔???美しい順伊(スニ)の顔が浮かぶ。少年は恍惚と目を閉じてみる。それでも清らかな川は流れ愛のように悲しい顔???美しい順伊の顔は浮かぶ。
(一九三九)
雪降る地図

順伊が去ると言っていた朝、言葉を失った心に牡丹雪が舞い、悲しいような窓の外、はるか広がる地図の上を覆う。
部屋の中を見渡してもだれもいない。壁と天井が白い。部屋の中まで雪が舞っているのだろうか。本当にきみは失われた歴史のようにひらひらと行ってしまうのか。
きみが去る前に言っておきたい言葉があったのに手紙を書いてもきみの行く場所を知らず、どこの街、どこの村、どこの屋根の下、きみはぼくの心の中だけに残っているのか。きみの小さな足跡を雪が降り続け覆い隠し、ついていくこともできない。雪が解けたら残された足跡ごとに花が咲くだろうから花と花の間で足跡を探して行けば一年、十二ヶ月、いつもいつもぼくの心には雪が舞うだろう。 
(一九四一、三、一二)

帰ってくる夜

世の中から帰ってくるように今、ぼくの狭い部屋に帰ってきて明かりをつけます。明かりをつけておくのはあまりにも疲れることです。それは昼の延長である故???

今窓を開け、空気を換え入れようと、そっと外を見渡しても、部屋の中のように暗く、まるでこの世の中みたいで、雨に濡れ帰ってきた道がそのまま雨の中で濡れております。

一日の鬱憤を洗い流せなくて、そっと目を閉じれば心の中に流れゆく音、今、思想がりんごのようにひとりでに熟れてゆくのであります。 
(一九四一、六)

病院

杏の木陰に顔を隠し、病院の裏庭に横たわって、若い女が白い洋服の下に白い脚をのぞかせながら日光浴をしている。日が暮れても胸を痛めているというこの女を訪れる者、一羽の蝶々すらいない。悲しくもない杏の小枝には風さえもない。

ぼくも知らない痛みを長い間耐え忍んだけれど始めてここを訪れた。だけどぼくの老いた医者は若者の病を知らない。ぼくには病がないと言う。この過度の試練、この過度の疲労、ぼくは怒ってはいけない。

女はその場から立ち上がり襟を直して、花壇から金盞花を一束摘み、胸に挿し病室の中へ消えていく。ぼくはその女の健康が???いや、ぼくの健康も早く回復することを願いながら、彼女の横たわったところに横たわってみる。 
(一九四〇、一二)

新しい道

川を渡り森へ
峠を越え村へ

昨日も行き今日も行く
ぼくの道 新しい道

たんぽぽが咲き カササギが飛び
若い娘が通り 風がそよぎ

ぼくの道はいつも新しい道
今日も…… 明日も……

川を渡り森へ
峠を越え村へ  
(一九三八、五、十)


看板のない街

停車場のフラットホームに
降りてきたとき誰もいなく、

みんなお客さまたち、
お客さまのような人々ばかり

家々に看板がなく
家を探し回る心配がなく

赤く
青く
燃え立つ文字もなく

角々
慈愛なる古い
灯りを燈しておき、

手首を握れば
みな、やさしい人々
みな、やさしい人々

春、夏、秋、冬、
順々に廻ってゆき、 
(一九四一)

太初の朝

春の朝でもなく
夏、秋、冬、
そんな日の朝でもない朝に

赤い赤い花が咲いた、
陽の光が青いのに、

その前日の夜に
その前日の夜に
すべてがととのえられた。

愛は蛇とともに
毒は幼い花とともに

また太初の朝

まっ白に雪が積もって
電信柱がひゅうひゅうとなき
神様のお言葉が聞こえてくる。

何の啓示だろう。
はやく
春がきたら
罪を犯し
眼が
開き

イヴが出産する苦労を果たせたら
無花果の葉っぱで恥部(はずかしいところ)をかくし

ぼくは額に汗を流そう。  
(一九四一、五、三一)


夜明けが来るまで

皆死んでゆく人々に
黒い服を着せなさい。

皆生きてゆく人々に
白い服を着せなさい。

そして一つのベッドに
並べて寝かせなさい

皆泣くならば
乳をあたえなさい

いまに夜明けが来れば
らっぱの音が聞こえてくるでしょう。
(一九四一、五)

恐ろしい時間

そこ、ぼくを呼ぶのは誰です、

柏(カラン)※葉が緑(あお)くなってくる木陰だけど、
ぼくはまだここに呼吸が残っています。

一度も手をあげてみることができなかったぼくを
手をあげ指し示す天(そら)もないぼくを

どこにぼくのこの身を置く天(そら)があって
ぼくを呼ぶのですか。

仕事を終えぼくの死ぬ日の朝には  
悲しくもない枯(カラン)葉が散るだろうに……

ぼくを呼ばないで下さい。  
(一九四一、二、七)

十字架

追いかけてきた陽の光なのに
今教会堂の尖端
十字架にかかりました。

尖塔があんなにも高いのに
どうやって登ってゆけるでしょう。

鐘の音も聞こえてこないのに
口笛でも吹きながらぶらぶらしてから、

苦しんだ男、
幸福なイエス・キリストへ
のように
十字架が許諾(ゆる)されるならば

首を垂れ
花のように咲き出す血を
たそがれゆく天(そら)の下に
静かに流しましょう。  
(一九四一、五、三一)

風が吹いて

風がどこから吹いてきて
どこへ吹かれていくのだろう、

風が吹くけれど
ぼくの苦しみには理由がない。

ぼくの苦しみには理由がないのだろうか、

たった一人の女を愛したこともない。
時代を悲しんだこともない。

風が絶えず吹くけれど
ぼくの足が磐石の上に立つ。

川が絶えず流れるけれど
ぼくの足が丘の上に立つ。
(一九四一、六、二)
 
悲しい民族

白い手ぬぐいが黒い髪をまとい
白いゴム靴※が荒れた足にかかる。

白いチョゴリとチマ※が悲しい体をおおい
白い紐が細い腰をきゅっと締める
 (一九三八、九)


目を瞑って行く

太陽を思慕う子どもたちよ
星を愛する子どもたちよ

夜が深いけれど
目を瞑って行きなさい。

持ち合わせの種を
まきながら行きなさい。

足もとに石が蹴られたら
瞑った目をぱっと開けなさい。
(一九四一、五、三一)

もうひとつの故郷

故郷に帰ってきた日の夜
ぼくの白骨がついてきて同じ部屋に寝ころんだ。

暗い部屋は宇宙へ通じ  
天(そら)からか音のように風が吹いている。

闇の中でやさしく風化作用する
白骨をのぞき込みながら
涙するのはぼくが泣いているのか
白骨が泣いているのか
美しい魂が泣いているのか

志操の高い犬は
夜を徹して闇に吠える。

闇に吠える犬は 
ぼくを追い出しているのだろう。

行こう行こう 
追われる人のように行こう
白骨に知られないよう
美しいもうひとつの故郷へ行こう。
 (一九四一、九)



失くしてしまいました。
何をどこで失くしたのかわからず
両手がポケットを探り
道へ出かけていきます。

石と石と石が果てしなく続き
道は石垣をはさんで続いています。

垣は鉄門をしっかりと閉め
道の上に長い影を落とし

道は朝から宵へ
宵から朝へと通りました。

石垣を探り泪してふと
見上げれば天(そら)は恥しいほど青いのです。
草の一株もないこの道を歩くのは
垣の彼方にぼくが残っている故で、

ぼくが生きるのは、ただ、
失くしたものを探している故です。
(一九四一、九、三一)

星かぞえる夜

季節が過ぎてゆく天(そら)には
秋でいっぱいに溢れています。

ぼくは何の心配もなく
秋の中の星たちを全部かぞえられそうです。

胸の中ひとつふたつと刻まれる星を
まだ全部かぞえられないのは
すぐに朝がくるからで、
明日の夜が残っているからで、
まだぼくの青春が尽きていないからです。

星ひとつに 追憶と
星ひとつに 愛と
星ひとつに 寂しさと
星ひとつに 憧憬と
星ひとつに 詩と
星ひとつに お母さん(オモニ)、お母さん(オモニ)、

お母さま(オモニム)、ぼくは星ひとつに美しい言葉をひとつずつ呼びかけてみます。小学校のとき机を一緒にした子供たちの名と、佩(ペ)、鏡(キョン)、玉(オク)、こんな異国の少女たちの名と、今はもうみどり児の母になった少女(おなご)たちの名と、貧しい隣人たちの名と、鳩、子犬、ウサギ、らば、鹿、「フランシス・ジャム」、「ライナー・マリーア・リルケ」 こんな詩人の名を呼んでみます。

このひとたちはあまりにも遠くにいます。
星がはるか遠いように、

お母さま(オモニム)、
そしてあなたは遠く北間島(フッカント)におられます。

ぼくは何か恋しくて
このたくさんの星明りが降り注ぐ丘の上に
ぼくの名前を書いてみて、
土でおおってしまいました。

夜を明かして鳴く虫は
恥しい名を悲しんでいるからです。
(一九四一、十一、五)?
だけど冬が過ぎ ぼくの星にも春がくれば
墓の上に青い芝草が萌えるように
ぼくの名前が埋もれた丘の上にも
誇らしく草が生い茂るでしょう。

尹東柱(その5)

Y=尹東柱(その5)
 そのほか、金柔政訳と他の六篇とちがうところ、まず主語を「ぼく」としているところですね。これはハングルの「ナ」が、英語の「I」と一緒で、主体によって日本語では「私」にも訳せ、「俺」にも訳せるわけで、尹東柱ならやはり「ぼく」ではないか、というわけです。
 ほんとうは全文全語句をこうやって点検すると、それはそれで面白いのですが、ここではもう一つだけ、他の6人の方の訳とちがう日本語を紹介して終わりましょう。
 三行目の「一枚の葉」です。「葉あい」(伊吹・委員会・金時鐘)「葉群れ」(森田)、「葉かげ」(宇治郷)、「木の葉」(上野)とここはさまざまです。原語「イップセ」はたとえば0・ヘンリーの短編小説「最後の一葉」の訳にも使われているように「葉一枚」という意味なのでそれを金柔政の訳では生かそうとしています。
 あまり、小さい言い回しにこだわりすぎないで、作品をゆったりとじっくりと味わいたいのですが、この「序」はいろんな運命を辿っており、そこに〈詩〉の運命と、日本語のありかたが人間の生きかたに通じているような問題を感じるのでこだわってみました。
 この「序」の詩は、〈死ぬ日まで天(そら)をあおぎ/一点の恥もないことを・・・〉と始まり、この一行で多くのこの詩を読む者を打ちのめすのですが、それはこの一行がきわめて道徳的な人間の生きかたの根源をみつめたメッセージによっているからです。
 地上にすっくと立ち、天=空、神様が坐す空の上を見上げ、自分の生涯と生きかたに思いを馳せ、その自分がこの世になくなる遙かな時を見つめています。つまり、そのときの詩人の眼差しは、ただ頭上の空を見上げているだけでなくて、神のいると思われる眼に見えない彼方を、自分の死ぬときという、これも見定めることのできない時の遠い彼方へ眼を向けている。自分の死ぬ時は予測できない遠い日のこととも思っているが、案外明日にでも不意に訪れる近い出来事かもしれない。その揺れる不確かさと詩句の多義性が響きあっています。この多義的なイメージが、この詩の一行を人々の心へ迫らせていることはたしかです。
 「恥」というのは、きわめて倫理的な言葉ですが、これも、たとえば別の「道」という語で尹東柱が〈石垣を探り泪(なみだ)してふと/見上げれば天(そら)は恥ずかしいほどに青いのです〉と謡うように、非常に内面的な恥じらいの感情でもあります。
 尹東柱が使っている「恥」の用例を全部拾い集めて比較してみるというようなことは興味あり且つ大切な作業ですが、それは別の機会に譲りまして、ともかくこの「道」という詩篇の例と引き比べ、尹東柱の感じている「恥」の、その内面的な意味合いをこの「序」の詩でも汲みとっておくことは大切か、と指摘するにとどめましょう。
 この最初の一行の響きは、ただ一人のちっぽけな存在が全身で受けている人類の歴史総体の摂理というか運命(ここは「さだめ」とルビをうちたい)のようなものへの戦いといったらいいでしょうか。
 そのとき「星」と「風」は特別な意味を帯びてきます。
 つまり、「星」は自分のいる現在(いま)をはるかに超えた歴史の姿を象徴し、「風」はいま自分という存在を感じさせるものです。〈一枚の葉にそよぐ風にも/ぼくは心痛めた〉とあるように、風は、そのたった一ひらの葉を、いま、揺らしていることによって、詩人の心を打つ、そういうあっというまに過ぎ去っていく「現在」の象徴です。
 ですから、最後の一行は、〈歴史〉としての「星」が、〈現在〉としての「風」にそっと触れている、そんな感動を言葉にしています。そして、そのときていねいに読んでおきたいのは、尹東柱が〈星が風に触れている〉と謡っていることです。つまり、主体としての〈人間〉の側の〈現在〉が〈歴史〉へ手を伸ばすのでなく、〈歴史〉が(〈歴史〉の象徴としての「天」上の「星」が)、〈現在〉へそっと触れようとしているというのです。〈歴史〉の方から〈人間〉=(私)=〈現在〉へ近づいてくるものを感受するというのは、その逆とちがって、とても貴重なことだし、困難なことでもある、それを願いのように、尹東柱は謡ったのです。
 尹東柱がこのちがいをどこまでしっかりと把握してこの詩を書いたかは判りませんが、少なくともわれわれがそう読みとれるように書いた、その直観がすばらしいと思うのです。
 尹東柱の詩について、語りたいことは、これからだという気がします。東京で書いた「やすやすと書けた詩」は、ABCではじっくり読みましたが、ここでは省略して、今回はこの辺で終っておきます。
 最後に、金柔政が今回のために彼女のノートを整理してまとめてくれた「尹東柱詩抄」の抜粋を(その6)に掲載します。「天と風と星と詩」全篇のほか、年譜に出てくる初期の詩篇。それと東京で書いた詩で、〈ABC〉で読んだ一篇「やすやすと書けた詩」。
 韓国では東柱が縦書きにしていた詩も、横書きで出版されるようになりました。このブログでもブログなるが故に、そんな現在の韓国の出版光景を反映した横組みでお送りします。また、ブログなるが故に、ルビは( )に括って、その語のあとに載せましたが、傍点などは省略せざるを得ませんでした。(つづく)

尹東柱(その4)

尹東柱(その4)
 「序」の詩の日本語訳で最もやっかいな問題があるのは最後の一行、伊吹郷訳で「今宵も星が風に吹き晒される」となっているところです。比較するために、他の伊吹以降の6人の方々の訳を(先に引用していますので重複しますが)以下にご紹介します。

死ぬ日まで空を仰ぎ
一点の恥辱(はじ)なきことを、
葉あいにそよぐ風にも
わたしは心痛んだ。
星をうたう心で
生きとし生けるものをいとおしまねば
そしてわたしに与えられた道を
歩みゆかねば。

今宵も星が風に吹き晒される。
            (伊吹郷訳)1984


死ぬ日まで天を仰ぎ
一点の恥もないことを
葉群れにそよぐ風にも
私は心を痛めた。
星をうたう心で
すべての死んでいくものを愛さねば
そして私に与えられた道を
歩んでいかねば。

今宵も星が風にこすられる。
          (森田進訳)1995、2005


死ぬ日まで天を仰ぎ
一点の恥なきことを、
葉かげにそよぐ風にも
わたしは心苦しんだ。
星をうたう心で
すべて死にいくものを愛さなくては
そして わたしに与えられた道を
歩みゆかねば。

今夜もまた 星が風に吹きさらされる。
          (宇治郷毅訳)1995


息絶える日まで天(そら)を仰ぎ
一点の恥の無きことを、
木の葉にそよぐ風にも
私は心痛めた。
星を詠う心で
全ての死に行くものを愛さねば
そして私に与えられた道を
歩み行かねばならない。

今夜も星が風に擦れている。
          (上野 潤訳)1998


死ぬ日まで 天(そら)を仰ぎ
一点の恥ずることなきを、
葉あいを 縫いそよぐ風にも
わたしは 心痛めた。
星を うたう心で
すべて 死にゆくものたちを愛(いとお)しまねば
そして わたしに与えられた道を
歩みゆかねば。

今宵も 星が 風に???むせび泣く。
          (尹東柱詩碑建立委員会訳)1997


死ぬ日まで天を仰ぎ
一点の恥じ入ることもないことを
葉あいにおきる風にすら
私は思いわずらった。
星を歌う心で
すべての絶え入るものをいとおしまねば
そして私に与えられた道を
歩いていかねば。

今夜も星が 風にかすれて泣いている。
          (金時鐘訳)2004

 議論をこの最終行に限って各訳を比べてみましょう。「今宵」(伊吹、森田、委員会)と「今夜」(宇治郷、上野、金時鐘)のちがいは、議論するほどのことでもないでしょう。

(1)「吹き晒される」伊吹訳、宇治郷訳
(2)「こすられる」森田訳
(3)「擦れている」上野訳
(4)「――――むせび泣く」委員会訳

 一つの原語がこんなにいろんな日本語になるのです。それ自体この語のすばらしさを証明している(一つの言葉でじつに多様な輻輳したイメージとメッセージを伝えている)のですが、この元の言葉は、仮名にしてみると「スチウンダ」と書けるでしょう。その原形は「スチダ」で原意は、
1.すれすれに通り過ぎる。かすれる。触れる。擦(こす)れる。たとえば、枯葉の擦れる音。そこから「袖が振れる」という意味も帯び、仏教で「縁がある」という意味で使われるそうです。次に、
2.かすめる(銃弾が耳元を「かすめる」)。よぎる(考えが「よぎる」など)
という意味もあります。
 森田訳はその意味でいちばんすなおな訳だと評価できます。ただ、「スチウンダ」ということばの持っている多様性を、「こすれる」という日本語は持っていないので、原詩の輻輳した響きが伝えられないという問題がのこります。
 上野訳も同様で、日本語だけを読んでどんなイメージが作れるのか読者は迷ってしまいます。「迷わせる」のと「多義的」とは決定的にちがいます。
 伊吹訳、宇治郷訳の「吹き晒される」「吹きさらされる」は、森田訳の方法と逆の方向から日本語にしようとした成果といえます。つまり、この詩の作者、尹東柱という人とその生涯などのことをあらかじめ頭に入れて、そういう詩人にふさわしい意味を、この多義的な一語から掘り出そうとして選んだ日本語といえます。伊吹さんは一貫してそういう訳をしていて、それが「生きとし生けるもの」という誤訳にまで踏みはずしてしまったのですが、宇治郷氏はもう少し冷静にこの詩を読みながら、尹東柱の気持ちを汲みとろうとして「吹きさらされる」を選んだのでしょう。
 でも、ボクにはやっぱり、この日本語訳は尹東柱の「悲劇性」を少し誇張しすぎるような気がします。
あと二つの訳、委員会の「――――むせび泣く」は、意訳というより、原詩にないダッシュまで入れて、原意からはずれすぎているどころか、思い入れたっぷりの自分好みの訳で満足しているというふうです。でも、こんなふうに訳したいという人たちがいる(尹東柱にについてそんなふうな気持ちと考えで向き合っている人たちが、こうして一冊の本になるくらいいる)ということは忘れてはいけないことでしょう。
 金時鐘は在日歴のとても長い詩人で、その厳しい生きかたをボクは尊敬しつづけていますが、「今宵も星が 風にかすれて泣いている」は、ちょっとオーヴァーランかなと思います。「風と星がかすれる」という表現へ、金時鐘さんが「かすれる(スチウンダ)」という語にご自身のイメージをかぶせられた気配があります。たしかに「ウンダ」という語だけだと「泣く」と意味があることも働いているでしょう。
 ボクは、ハングルは出来ない、ただ尹東柱を読むために少し勉強しただけで(ボルヘスを読みたいためにスペイン語をやったようなこともありました)、ボクの横国時代の最後の学生(大学院生)の一人、金柔政にいろいろ教えてもらってこんなことを書いています。
 それと、韓国語の勉強に関してはもう一人、王信英さんというソウルの大学で日本語と日本文学を教えておられる方が、10年前、こちらに来ておられたとき、いろいろ議論したり教えてもらったことも忘れずに記しておかねばなりません。王さんは、尹東柱の研究家でもあり、尹家にのこる東柱の手稿を全部整理してその写真版を刊行されています(日本の留学が終わったあと)。
 この本はすごく役に立ちます。というのも、尹東柱の詩は方言が強く、ちょっと間違いではと思う表現を(わざとそうしていると思うけれど子供っぽい表現や、明東地方の方言、今となっては古くなった言い回しなど)しており、手稿をみると、そういうところを、鉛筆で直してあります。それが明らかに尹東柱とはちがう手です。たぶん、刊行に当って、手を入れた人がいたのでしょう。
 その他人の手で直された方が出版物には掲載されてきたので、〈生の〉尹東柱を知りたいと思うとき、この写真版は欠かせません。王さんからこれを送ってもらって、ボクももういちど尹東柱の詩と向き直すことができました。
 そんなこんなで王さんとは、とくにこの最後の一行について議論し、教えてもらったことを思い出します。その後、横国大でも尹東柱について話をして、金柔政が修論でとり上げることになって、そこでも議論しました。その金柔政の訳をつぎに掲げておきましょう。

死ぬ日まで天(そら)を仰ぎ
一点の恥のないことを、
一枚の葉にそよぐ風にも
ぼくは心を痛めた。
星をうたう心で
すべての死んでゆくものを愛さなくちゃ
そしてぼくに与えられた道を
歩んでいかねば。

今夜も星が風にそっと触れてゐる。
          (金柔政2006)

 これは、日本語訳最新版でもあるし、そこにいたるまでにボクもいろいろ口を出しているので、ともかくはこれを決定訳としたいのですが、みなさんいかがですか。「今夜も星が風にそっと触れてゐる」ところに旧仮名遣いの「ゐ」を使ってみたところにお気づきでしょうか、「愛さなくっちゃ」というような口語を使ったのも、原文にある口語風の表現を尊重してみたのです。一方で、たとえば「スチンダ」(「スチダ」の現在形)を「スチウンダ」としており、この「ウンダ」はちょっと古語風の響きがあるのです。
 こういったことを金柔政はいろいろ考慮してこんな訳にしています。この「ゐ」が気にかかるかもしれませんが、さっと読むときはいがいと気にならないし、全体の調子を壊さないので、ボクはこれはいいじゃないかと思っているのです。(つづく)

尹東柱(その3)

尹東柱(その3)
 「序」詩を当日配布した資料では、ハングルの原詩と、六種類の現在手に入る日本語訳を並べてみました。ブログではハングルは載せられませんので、ともかく日本語訳の問題点を拾う形で順次紹介していきたいと思います。
 まずとりあげるべきは、本邦初訳の伊吹郷訳(1984)。

 死ぬ日まで空を仰ぎ
 一点の恥辱(はじ)なきことを、
 葉あいにそよぐ風にも
 わたしは心痛んだ。
 星をうたう心で
 生きとし生けるものをいとおしまねば
 そしてわたしに与えられた道を
 歩みゆかねば

 今宵も星が空に吹きさらされる。

 まず「空」とやっているところですね。誤訳とまでは言いませんが、他の5人の訳者、つまりその後の訳者はみんな「天」を選んでいるということだけは指摘しておきましょう。つまり、その後の訳者はおそらく尹東柱の詩の文脈から考えて、「空」という日本語で訳してしまう物足らなさに気づいているということでしょうか。
 次の「恥辱(はじ)」もそうですが、伊吹訳は総体に日本語に対する思いこみというか、自分好みの偏り、いいかえれば批判性の欠如が出過ぎているようで、尹東柱の原文は「プックロミ」=「恥かしさ」で、わざわざ「恥辱(ちじょく)」という硬い漢語を選んでそれに「はじ」というルビを打たなきゃ意味が汲みとれない詩句ではありません。
 訳者が自分の好みで日本語を選んで尹東柱の原詩に押しつけたとしかいいようがなく、その結果、原文の平易な言葉遣いから生まれてくるやさしい詩の姿がいかにも、ものものしくなっています。そのものものしさが始めにあって、結びの一句、「今宵も星が風に吹き晒される」の「吹き晒され」(これも問題の多い議論すべき訳)と呼応しています。
 その意味では日本語の詩としてそれなりの統一感とメッセージを持った訳となっているといえます。しかし、尹東柱のもとの詩からは、離れてしまいました。茨城のり子さんが、この伊吹訳詩を引用して尹東柱をたたえていましたが、茨城さんは原詩との比較を怠ったのでしょう。
 この伊吹訳で、一番の問題点は、六行目の「生きとし生けるものをいとおしまねば」です。原文は「すべての死んでいくもの(物事)を愛さなくっちゃ」(原文は「愛さなければ」というよりもっと日常的な用語のニュアンス)です。
 「生きとし生けるものを」に「死んでいくもの」も含んでいるから別に問題にするほどのことはなかろう(A)という訳者側の反論があるかもしれません。それに「生きとし生けるものを・・・」という句はなかなか響きもいいし、心に沁みこむじゃないか(B)という声も聞こえそうです。
 (A)の意見は開き直り以外にはないので、問題外ですね。尹東柱はここでは「生きようと願って精一杯がんばって、もの〔人間も動物も植物もいや石も川も、というべきか〕を愛しまねば」と思ってここの一句を書いたのではない、過ぎ去って逝ってしまったもの〔物事〕への哀惜をこめて「すべて死んでいくものを愛さなくっちゃ」と書き付けたのです。
 伊吹訳のこの部分が誤訳であることは、尹東柱を研究している人たちのあいだではもう定説になっていて、その後の訳者は同じ撤を踏みません。みんな「死に行く」か「死んで行く」としています。(「すべての絶え入るものを・・・」と一寸気取った訳をしている人も一人いましたが、金時鐘訳。)
 なぜ、伊吹氏は「すべて死んで行く者を」としか読めない部分を「生きとし生けるものを」と訳したのか、これについて考えておく必要があります。
 それが(B)の意見にもとづいているからです。そこでなぜこの「生きとし生けるもの」という語句が響きよく心に沁み込むのか、を問題にしなければなりません。その議論は、ボクはすでに『死ぬ日まで天を仰ぎ・・・』(日本基督教出版局)でも京都造形大通信教育部教科書『文芸論』ででもやっているので、また繰り返すことになりますが、この「生きとし生けるもの」という一句はじつに一千年ものあいだ「日本人」に愛されてきた一句だからです。
 これは、「古今和歌集」の「序」(かな序)に紀貫之が書いていたのです。日本の詩の起源を語るものとして、「生きとし生けるもの、いずれか歌を読まざりける」というところ、それが後世口ずさまれつづけて、われわれ日本語の詩を愛する人びとの心と脳の襞に沁みこんだ言葉となっていったのです。
 伊吹氏はきっとここは「生きとし生けるもの」だ、となにげなくまるでインスピレーションに打たれたようにこの一句を選んで「すでに死んで行く者に」に代えたのでしょう。それが陥し穴でした。
 尹東柱は圧倒的に暴力的に押しつけてくる日本語の強制にひそやかに抵抗して、自分たちの民族の言葉で詩を書こうとしていたのです。もちろん、東柱は日本語を愛していたと思います。日本語の抒情詩やフランス近代詩の日本語訳、哲学書などいっしょうけんめい読んでいました。
 しかし、そうして日本語を愛し、日本語から学びながら、その日本語が母国の言葉を踏みにじっていくのを護ろう、それだけは誰にもさせまいとハングルで詩を書いていたはずです。
 そんな一句を、そしてその一句にこめたまごころを、日本人が日本語生活者である故の身勝手さから踏みにじっているのが、この「生きとし生けるもの」なのです〔訳者は無意識の裡にそうやっています。だからこそ恐いし、より罪深くさえあるのです〕。
 1987年でしたか、かつて尹東柱が学んだ同志社大学の構内に尹東柱の碑が建てられました。その碑に選ばれたのが、この「序」だった。それは当然といえます。なによりもまず、尹東柱といえばこの「序」詩です。
 しかし、その文面は伊吹訳だったのですから、ちょっと首を傾げたものです。というのも、その「尹東柱詩碑建立委員会」が記念に本を出していて、そのなかでは「生きとし生けるもの」を批判した別訳を載せているからです。それを紹介しておきましょう。

 死ぬ日まで 天(そら)を仰ぎ
 一点の恥ずることなきを、
 葉あいを 縫いそよぐ風にも
 わたしは 心痛めた。
 星を うたう心で
 すべて 死んでゆくものたちを愛(いとお)しまねば
 そして わたしに与えられた道を
 歩みゆかねば。

 今宵も 星が 風に????むせび泣く。

 必要以上に語と語のあいだに空白(アキ)を置いているのも気になりますが、せっかく「生きとし生けるもの」ではなく「すべて死んでゆくものたち」としたのはよかったと思いつつ、最後の「むせび泣く」に来て、あっと驚いてしまいました。この最後の一行をどう訳すか、これこそこの詩の訳の作業の最大の難関です。
 その議論に入る前に、「生きとし生ける」がいまだに使われている恥ずかしいというか、情けない例を、もう一つ指摘しておくべきかと思います。ごくごく最近ボクも知った話で、「Y」のテーマとして7月22日に尹東柱の話をしていたときにはボクも知らなかったニュースです。京都造形芸術大学(かつての京都芸術短期大学)のあの高原校舎に尹東柱の碑が建ったというのです。
 その建物のことを書いて尹東柱を偲んだボクとしては、かつて働いて給料をもらっていた大学が、その尹東柱との縁を記念する碑を建てるのか、と、そこまでの話なら喜んで終わらせたかったのですが、詳しい内容を知って驚いた、というかまったく情けなくなってしまいました。
 というのは、その碑に選ばれた詩がまたもや「序」で、しかも伊吹訳だったのです。その大学の通信教育部の教科書にボクがあの日本語の誤り(とそ罪深さ、尹東柱自身に対する背信)を書いているのに、通信教育で勉強した人たちから疑問も反論も出ないのも情けない(ボクはなんのために、誰のためにあの教科書を書いたのだろうって腕を組んで悲しくさえなりました)。
 それに、碑を建てた人たちが、尹東柱のことをこれほども勉強しないで、ただ碑さえ建てたらいいとお祭り騒ぎをやっているのは、ほんとに情けない限りです。その選んだ詩がわりと近くにある同志社の碑と同じ誤訳の詩であることは、同じのを選んでいるというだけでもまるで尹東柱の詩はこれしかない、これしか知らない、というようで恥ずかしいし、さらにそうしてわざわざ選んだのが誤訳で、尹東柱自身の気持ちを逆なでする日本語なのですから。「一点の恥もないことを」という詩を挙げて恥を晒しているとしかいいようのない。滑稽ですらあります。
 これが現代の日本の知的現状なのでしょうか。(つづく)

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