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<土曜の午後のABC>第一期を9月9日に終えましたが、報告の原稿、ここにようやく<Z>の第一回をお送りします。怠けていたわけではないのですが、9月10月となにやら忙しく、遅れてしまいました。informationも「残暑お見舞い申し上げます」のままになっていたのには、汗顔の至りです。
第二期を始めるまでの10月11月は、BankARTのスクールで「美術批評入門」の講座をやっていますが、<Z>の報告は極力はやめに仕上げて、ほんとの意味で「第一期を無事完了しました!」と申し上げたいです。
さて、ともかく<Z>の(その1)をアップしましたので、<Z>の集まりがあった直後、久世さんからもらっていたメールを掲載します。
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『歴代名画記』の「画の源流を叙ぶ」の部分は読んだつもりでいたので
すが、まだ読みが足りなかった、と反省いたしました。
ところでやはり、最も面白いのは「作品のない美術史」という点である
と思います。
(日本の場合には『本朝画史』や『古画備考』もそうですね)
明治以降は基本的にそこから「作品にもとづいた美術史」へと向ってい
くわけですが、少なくとも戦前の間は二つの価値観の間を行きつ戻りつ
しているのがまた興味深いと思います。
ご存知のように岡倉自身も「六朝画家の史伝に存するものすこぶる多し。
しかれども漢代と同じく、その画伝わらざるをもって、またその事蹟を
述ぶるの要なし」とする一方、「中に最も有名なるものは、顧、陸、張、
呉と称するものにて、呉は呉道玄にして唐代にいたりて支那美術を大成
す。(略)これらはその画なしといえども、唐代に直接の関係を有する
ものなれば略伝を述べん」と言っています。
『国華』の記事も、たびたび「伝承はあるが作品のない画家」と「作品
はあるが伝承のない画家」との間でゆらいでいます。
そして、1920年代に漢代の漆画や遼代の壁画が発掘されるようになると、
逆に今まで文献だけで現存しないと思っていた古代の絵画が見られるか
もしれないということに期待を寄せるようになります。
このように見ると、西洋人による最初の中国絵画目録(Chinese Painting:
Leading Masters and Principles, 1956)を作成したオズヴァルド・シレン
がその序文で、宋代までは疑わしい現存物よりも書かれたものの方が重要だ
と述べているのは興味深いことだと思います。
余談になりますが中国絵画に多い模写や所蔵印なども、制作史を重視す
る立場から言えば厄介な(あるいは真贋鑑定だけが問題となる)もので
すが、受容史を考える上では非常に興味深い。
しかしそれが可能になるにはまだかなり長い時間を有するような気もし
ます。
長くなりました。
それでは少し先になりますが、第二期も楽しみにしております。
ご自愛専一に。
久世 夏奈子
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ボクの<Z>の報告の、とくに(その1)を補強してくれる力強い発言です。
(模写と所蔵印の話は、『歴代名画記』のなかにでてきます。そのことについては、いずれ紹介することになるでしょう。)
kinoshita
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