2015年最後の集まりを、陶淵明を読んで締め括りたいと思います。
陶淵明を、ボクはどういうわけか、ごくごく若いころから、折に触れて読んできました。別に彼を研究しようとかいった野心があるわけでもなく(彼の詩にそういうところがあるのだと思います)、心に隙間風が吹いたときなどに、ふと取り出して作品集を開くのでした。30歳ころからそんな習慣ができましたから、もう半世紀近く付き合って来たということになります。いつも開くのは、岩波書店の『中国詩人選集』の一冊で、これは選集なのですが、それでボクには充分なのでした。(新書判の大きさで、当時漱石全集などもこの判型で出ておりましたが、函入り、クロス装。ちょっと荒い布地の手触りもよく、軽くって持ちやすいし、鞄の隅や、ポケットにすっと納まり、読むときも開いたところが、そのまま静かに開いて撥ね戻ったりしません。昔はそんないい本がいっぱいありました。)ほかに、もう一冊。これはとっても古い、おそらく中国の版本を江戸時代に修理して作られた帙入りの三冊本。古い古い木版刷の版本で、半ばボロボロになったものを丁寧に修復しています。これを長い間大事に持っています、古本屋にも売らずに。よほどのことがないかぎりこれを開くことはないのですが、宝物のように大事にしてきました。
そんな陶淵明なのですが、『自画像の思想史』を書き上げ手放した段階で、ふっと気がついたことがあります。意外なところで、自画像の思想史を考えて行く上で、陶淵明にお世話になっていたのだ、ということです。<思想>というのは、じっくり読んでいると、知らない間にいろんなものから栄養をもらっているのだと、つくづく思ったのでした。
で、2015年の締め括りは、そんな陶淵明への感謝の意を籠めて、みなさんにも陶淵明に親しんでもらいたいという願いも籠めて、彼の詩を、少しご紹介したいと思った次第です。
当日は、陶淵明の作品のなかから、とくに、ボクが『自画像の思想史』を考える上で大きなヒントをもらったことをあとから知った「形影神」の詩と、陶淵明といえば、誰もがまず思い出す「桃花源記」を選びました。このうちの「形影神」はボクの愛読の岩波『中国詩人選集』版と岩波文庫の『陶淵明全集』版を比べて読んでみることにしました。
そこで、とても面白いことに気がついたのです。漢詩の原文に添えてある、江戸時代伝来の訓読で表記すると、この二つの本の訳が奇妙な程同じ日本語になり、その横に付けてある現代語訳では、両者はそれぞれ独自の日本語で展開します。なぜ、江戸伝来の訓読読み下しをすると、こんなに画一的な日本語になってしまい(それぞれ独自の個性と教養背景をお持ちの研究者がです!)、現代日本語にするとちがいが出るのか。これは、なかなかおおきな問題です。
「桃花源記」は、作品を鑑賞しながら、この詩のテーマの一つが、「難民」であることを提起してみました。
詳しい議論の内容は、ちかいうちに、原稿化したいと思っていますが、以上、とりいそぎのご報告です。(2015.12.20)
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