木下長宏のウェブログ

網膜に積もる淡雪のように(まとめサイト:http://kinoshitan.com)

「ABC」の部屋

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旧友宇治郷毅さんが、「同志社大学校友会神奈川支部」のweblog に「木下長宏」を紹介する長文のエッセイを寄稿してくれました。エッセイというより論文に近い力の入った文章で、こんなふうに書いてもらうと面映ゆく恥ずかしいのですが、ボク自身忘れていたことも拾い上げてもらっており、ABC のみなさんにも「木下」を知っていただく良い資料になると思い。宇治郷氏の許可をもらって、この一万字を超える「木下長宏」論を「ABCの部屋」に飾ることにしました。
長文ですので、5部に分けて掲載します。

宇治郷毅氏は、彼も本文で紹介してくれているように、ボクが同志社大学に入った一年生のときからの旧友、それ以来ずうっと、親しく、長さで言えばいちばん長く、それぞれ遠くにいて別の仕事をしてきましたから、そんなにしょっちゅう会うわけではありませんが、年に一、二度は会っていた、友達中の友達の一人です。

宇治郷氏は、同志社大の英文科に入学したのですが、考えるところあって政治学科に転入、修士論文は「孫文の政治思想の研究」だったと記憶しています。修士を終えると、国会図書館に就職し、国会図書館副館長を務めて退職、すぐに母校同志社大学に招かれて社会学部教育文化科の教授に就任、先年定年退職した、という経歴の持ち主です。


国会図書館勤務中から、「歴史」のなかに埋もれた人びとの隠れた貴重な痕跡を掘り出す作業に心を傾け、尹東柱に関しては、母校に足痕を遺す不幸な詩人として、早くに資料発掘に取り組んでいました。ボクがまっさきに尹東柱の名前を教えてもらったのは、もちろん宇治郷くんからで、その後、一般に知られるようになるまで、早くから、ボクたちの間では「親しい」詩人でした。
もう一人の同志社時代の旧友森田進氏と協力して「尹東柱」の本(正式署名は『死ぬ日まで天を仰ぎーキリスト者詩人・尹東柱』日本基督教団出版局)を出したことを、彼は「楽しい思いで」として回想してくれていますが、宇治郷氏には『詩人尹東柱への旅』2002、緑影書房という著書もあります。この本には副題がついていて「私の韓国・朝鮮研究ノート」で、尹東柱をめぐっての資料調査から、韓国図書館史、在日韓国・朝鮮人史研究、同志社に学んだ朝鮮人学生などについての章もある、韓国・朝鮮と日本近代の問題に関心を寄せる者には、かけがえのない一冊です。

また、宇治郷氏は、旧植民地期朝鮮図書館史、旧植民地期台湾図書館史研究の権威でもあり、『石坂荘作 日本統治期台湾における地方私学教育の精華』2013、昂洋書房という著書も出版してます。台湾基隆に住み着いた一商人石坂荘作が私材を投じて現地の庶民教育に貢献していった記録で、たんに歴史に埋もれた人を発掘するというところにとどまらず(それだけでも大きな仕事ですが)、植民地に住むことになった宗主国の一私人(これは決して自分の意思で選んだのではなく、時代の流れのなかで否応無く選ばざるを得なかったことが多い)の生きかたを考える、そういう意味で「現代」へ問題を投げ掛けてくる本です。

そんな、地味な歴史の仕事をコツコツを積み重ねてきた宇治郷毅氏が認めてくれた、ボク自身忘れていたことを、史料をさがして裏付けて書くという彼の本領の発揮された文章です。版を改めて五回に分けて掲載します。

(補)宇治郷氏とはほんとうに長い付き合いなのですが、今度この文章を読ませてもらって、はっと気がついたことがあります。彼の従事していた仕事ととの関わりからでしょう、ボクが「現代芸術」という場でやってきたことはほとんど彼に語っていなかったということです。ボクは、美術史、芸術思想史の勉強のかたわら、現実の芸術活動に無関心であってはならないと思い、多くの作家さんの仕事に言及し、批評を書いたり、紹介文を書いたり、企画書をつくったり、時には、乞われるままに「作家」になって作品を展示したり(ざっと思い起こすだけで4回くらい)、(それらはすべてボクの「芸術思想史」を考えるために役立ってくれると信じ)しかし、これらの資料はほとんど残していない、という始末。このことを宇治郷氏に伝えたら、(これは、簡単に裏付け資料は集められないこともあるのでしょう)「そんなこともやっていたのか、今回は木下の芸術活動については触れないでおこう」ということでした。ちょっと、このことも、付記しておきます。

昨年末のgallery21yo-jの池内晶子さんの新作展、私も行ってまいりました。数年前に池内さんを知ってから、すっかりファンになって作品を追いかけてきましたが、今回は、戸惑いにちかい不思議な感覚に捕らわれました。あの場で見たもの、考えたことは、どれだけ反芻しても整理しきれないのですが、「2018年年頭のご挨拶」への返信にかえて、感想を送らせていただきます。

 池内さんの今回の作品の前に立ったとき、最初にやってきたのは、なにかを「うつす」というのはこういうことなんだ、という感覚でした。床に広がる絹糸の渦が、上に吊られた糸の姿を映しているみたいだと思ったのです。つづいて、そんな錯覚に近い感覚はそのまま逆転して、上に吊られた糸の渦が、床上にあらわれた円形を映して広がっているように感じられてきました。かたや右巻きに、かたや左巻きに逆回転しつつ、「Z」の字に似た捩れを描きながら、双方向に糸が流れ、遷っていく。静かにたたずむ二つの赤い塊のあいだに、私は確かに、そんな動きを見つめていました。
上下の相反は、糸の回転の方向にとどまりません。垂直軸をもつ構造と、水平面に展開する構造。空に浮く円と、床に密着する円。ぴんと張られた糸の硬質な広がりと、ふんわり落とされた糸のやわらかな広がり。上部で空白の円がかたどられる、その真下で、もっとも糸が密集している。互いが互いの陰画であるかのように、一方に欠けているものを受けとめ、埋めていくかのように、映しあい、遷りあう。反撥しながらも引きあわずにはいられない分身とも、反転・対称を内包する鏡像とも呼びうる二つの円は、「うつす」ということの本質を私に示すと同時に、「天」と「地」の関係をも想起させるものでした。天の姿をうつすように地が広がり、地で為される営みを孕んで天が広がる。天のめぐみを受けて地はそだち、地で育まれたものが天に還っていく。対立と相互補完を抱きしめて在る世界の様相を「かたち」にしようとするならば、池内さんの作品はまさに、そのひとつの実践ではないだろうか。
広大な宇宙のうごめきとして作品を見据えたとき、小さな、ささやかなものたち――自然の生命から人の手で紡がれ染められた一本一本の糸、鑑賞者の動きを受けて揺らめきはじめる細い細い糸、その細い糸に施された一つひとつの小さな結び目、糸を結ぶ指のわずかな動き、長い時間をかけて繰返された「結び」の堆積、糸巻のクセのままに旋回し渦を描いて重なる糸、巻きグセをもった糸を重力にゆだねて落とし、回り歩きながら拡げていく営為――こそが、世界・宇宙をつくりあげているさまを、目の当たりにしているように思えてきます。身体が小さくなって、宙空と大地にひろがる赤い糸のあいだに潜り込み、その真ん中に立っている気がしてきたり、はるか頭上と足の下の底ふかくに、視覚ではとらえきれない天と地が、響きのように延びひろがっていくのを感じるようでもありました。そして、そんな茫漠とした天地のイメージに攫われても、艶やかな絹糸に付された結び目の粒つぶが、あるいは、円の縁からぽろっと顔を出している、縒りのほどけた糸の終端が、「人」の営みとそのつつましさを思い出させ、いま生きている世界に私を連れ戻してくれる。この往還は、「小さな個々の生命が宇宙の大きな動きと交歓しようとしているとでも言えばいいのか」という先生の評と、かさなっているかもしれません。
 その結果、なのでしょうけれども(こういう感覚は、ほとんどいっせいに私に押し寄せてきたので、論理的に順序立てることはできないのですが)、ああ、池内さんのこれまでの作品の下にも、私はいつも、いま床に広がっているこの渦を見つめ、感じていたんだなあ、という、不思議な感覚に捕らわれました。一方で、私はどこかで、この床上の渦がふたたび、「作品」から姿を消していくことを期待してもいる。二つのかたちが上下になって映しあい、遷りあう構造を内に秘め、観る者に感得させつつも、実体としては姿をみせない、そんな地点に、池内さんの制作はたどり着けるのではないかと、勝手なことを考えていました。池内さん自身が、自分の制作が根源的に抱えもっている「なにか」を再確認した(しようとした)作品、そんなふうに感じたと言い換えられるかもしれません。今回の池内さんの作品に、戸惑いのようなものを覚えたと記しましたが、それは、ぱっと湧きおこった「うつしている」という感触のことだけではなく、赤い糸たちが、これまでにないくらい太く濃く、もったりとして見えたからです。先生の言葉を借りるなら、彼女の作品から放たれる「微妙な緊張感」がどこか欠けているようにも思えて、一瞬、ひるんでしまった。けれどもこの戸惑いは、作家が一歩を踏み出していると直感したときの、震えでもありました。
 アーティストにとって、自分の思考や実践のなまなましい過程は、できることなら他者には見せたくないものだと思います。それでも、どうしても、他者が観る場に移さなければ、決して獲得できない「なにものか」がある。自分の制作、できあがった作品に、尽きせぬ不足を感じていたとしても、ジャコメッティも、セザンヌも、モネも、作品を見せることは断念しなかった。「つくる」こと、あるいは「見せる」ことの無力にどれほど直面しても、両者の引力のあいだにこそ「作品」が立ち上がり、存在しうることを、彼らは見落とさなかったのだと思います。「不足」をかかえながら、自分の制作の根っこに繰返し立ち戻り、もう一度そこから出発し、そうして生まれた作品を他者に見せていく。池内さんの新作は、完成度を高めた作品というよりも、そんな「豊饒な不足」に満ちていました。ひとつの制作が、それ以前には目に見えるかたちで示してこなかった「なにものか」を、過去の作品群のうちにまで、「見つけた」「見つめていた」と観る者に確信させるつよさを、今回の池内さんの作品はもっていました。
 池内さんの作品を観るたびに、空気を彫っているみたいだと感じていました。糸がかたどる空白の円の縁で、空気がむくっとせり上がり、重力とともにその穴になだれ落ちていくのを見ているようでした。塗り残した部分が図になっていく水墨画のように、糸そのものを見ているのか、糸と糸の隙間にある空気を見ているのか、判らなくなることさえあります。決められた、動かしがたい空間に糸を設置するのではなく、一粒ひとつぶ結ばれていった「時」を溜めこむ、か細くやわらかな糸という材をもって、そこに在る空気を削り、その帰結として新しい空間が生成してくる。だから、池内さんの作品はつねに、私にとって「インスタレーション」ではなく、「彫刻」の新しい可能性を示すものでした。今回の作品で、「空気を彫る」ということは、ギャラリーの室内を満たす空気にとどまらず、その背後につらなり、うごめいている天地の関係、宇宙の相に手をのばしているのだと、彫刻のさらなる可能性に、やはり身体が震えました。

 先生は、池内さんの作品に、「編む>結ぶ」を見つめていらっしゃいます。池内さんの作品を「空気の彫刻」とするなら、糸という素材にまつわる人間の根源的で普遍的な行為、「結ぶ」「編む」(「結ぶ」の前に「縒る」も加えられるでしょうか)は、ABCの「日本美術史序説」で「日本美術史を貫く三つの思想以前の行動、思想を育てる身体的反応」として挙げていらした、「覗く」「握る」「削る」に比して考えることができるかもしれません。池内さんが覗いている、「見えない世界」を手繰りよせるヒントが、ここにもこぼれている。まだまだ考えなければなりませんが、先生の展評から、そんな手応えを感じました。

「近代の"あわい"─木下長宏の思想が寄り添う芸術達─」

                        椋本 輔(情報学研究者・木下ゼミ卒業生)

 私塾「土曜の午後のABC」や大学、著作といった場を通して、木下長宏が向き合い論じて来た、芸術・芸術家達。その対象の幅広さは、権威の言葉や概念に基づく分類に縛られた=安住した見方からは、雑多な「詰め合わせ」のように映るかも知れない。
 木下は『美を生きるための26章─芸術思想史の試み─』のA〜Zまでのセレクションに代表されるように、「〈美〉や〈芸術〉にかかわる営み=人間の〈弱さ〉や〈忘れ去ったもの〉の美しさやかけがえのなさを思い起こさせてくれるもの」を人類の歴史からあまねく見つけて、自由に結び合わせる。(思索の広がり・深まりと共にアップデートを重ね、『自画像の思想史』に現時点での最新版が収録されている「〈自己=人間〉と〈他者=世界=宇宙・自然・環境・社会〉との関係から見た世界史的な〈知〉〈芸術知〉の構図」は、その全体の見取り図と言えるだろう。1
 また、木下の〈芸術()を思想の問題として考える取り組み=芸術思想史〉は、幅広い対象を包摂するだけなく、複数の対象を結んで具体的な課題・問題を考えるための土台となっている。ここではその一つである「〈近代〉という問題」について、木下がまなざすものを「近代の"あわい"」と名付けて、論じてみたい。
 
 〈近代〉とは、われわれの日常的な言葉の感覚ではおそらく「〈今=現代〉の少し前」くらいのニュアンスを表す単なる時間的な区分だろう。しかし、木下の芸術思想史における議論に沿えば、それは
《〈世界=他者〉に対して〈人間=自己〉が独立した主体意識となり、その主体からの(遠近法に象徴される)合理的・科学的な見方によって、世界の全てを〈捉えている=解釈している〉時代》
《また、その見方によって世界から見出したルールに基づき、〈人間同士の関係性=社会〉も合理的な〈近代社会〉として〈かたちづくられている=システムが成立している〉時代》
を表す言葉になる。(時代を問わず、個々の芸術や思想の内にそうした〈近代的〉な意識が含まれることも有る。)
 同時に、木下の議論の中にも《近代においては「美術館」が、社会にとって/人間にとって「教会」の代替となっている》といった指摘が有るように、合理的な見方を徹底するのと釣り合いを取るように、〈近代〉〈近代社会〉には不合理な部分も潜在的に、あるいは制度としても遺って存在している。また、情報学・メディア論の観点において〈近代〉を象徴している「マスメディア=複製(通信放送)技術を基盤とするメディア」により、〈ヒーロー・スター〉や〈ドラマ〉が共有されることで、さまざまな「神話化」が起きる。(木下が長年考え続けている二人、ヴァン・ゴッホを巡る「〈芸術家〉化」や、岡倉覚三(天心)の思想「アジアは一つ」を巡る受容・言説の歴史が正にそれである。)そうした「〈近代〉の不合理な部分」は〈ポスト近代=現代〉を生きているわれわれにも、〈近代〉以前の神話や宗教などと同じように深く、場合によっては不合理さが意識されないことでむしろ熱狂的に、世界の捉え方そのものに影響を与えている。
 芸術・芸術家から「〈近代〉という問題」を考える際にも木下は、それぞれの対象を与えられた時代区分としての「前近代」「近代」「ポスト近代(現代)」に分類することで、対象として安定させる道を取らない。むしろ「〈近代〉が出来上がって行く時」に、疑問を持って立ち止まり考えられたこと、その結果生まれた作品に目を向ける。個々の作品や生き方からも「〈近代〉がかたちづくられる境目="あわい"」に立って揺れ動く不安定な部分を見つけて、意義を見出して行く。
 
 例えば、2017年の「ABC」において、特にじっくりと取り上げられた対象の一つである、画家の松本竣介。太平洋戦争開戦の直前に、芸術・芸術家も戦争をする近代国家への貢献や奉仕を求められた時代の空気の中で、座談会「國防國家と美術─畫家は何をなすべきか─」19411月)での議論に異議を唱えた投稿文「生きてゐる畫家」(同年4月)や、敗戦直後に芸術家の組合的な連帯を唱えた冊子「全日本美術家に諮る」19461月)/投稿文「全日本美術家組合の提唱」19463月)で知られ、聴力を失ってなお闘った「反戦抵抗の画家」という近代的な「神話化」をされて語られることも多い。
 しかし、木下は松本竣介について考える上で、また別の投稿文「芸術家の良心」194510『朝日新聞』に投稿、採用されずにも着目する。「國防國家と美術」から一転して敗戦後に、藤田嗣治や鶴田吾郎といった積極的に「戦争画」を描いた画家達への批判と反論の応酬に対しての、松本竣介の意見表明である。「生きてゐる畫家」では(権力に強いられる形での)芸術・芸術家の軍国主義への奉仕に異を唱えた松本竣介だが、ここでは一方的に「戦争協力画家」達を批難する側には立たない。
“戦争画は非芸術的だと言ふことは勿論あり得ないのだから、体験もあり、資料も豊かであらう貴方達は、続けて戦争画を描かれたらいいではないか。(中略)勿論権力の後だてや、ジャーナリズムの賞賛を単純に得られることはあるまいし、時流も歓迎してはくれまい、しかし、さうした中で描き続け優れた作品を完成したならば、心ある者は貴方達に脱帽するであらうが。”(※2
 《そこに本当に〈美〉を見出したならば、描き続ければ良いではないか》という指摘は、新たな権威の言葉を借りた軍国主義批判よりも遥かに鋭い切っ先を喉元に突き付けるような凄みがある。戦後の松本竣介は、むしろいずれの側にも有る自己正当化や偽りをまなざしている。
 「全日本美術家連盟の提唱」に描かれている水平的な連帯=本来の素朴な社会主義を思わせるあり方も含めて、松本竣介が遺したものや生き方は、戦後間もなく夭逝したからこそ無垢で混じり気が無く、ぶれていない面がある。だが、それらと同時に「芸術家の良心」に表れているのは、「立ち止まって考えている」からこその混じり気="あわい"の部分である。
 
 また、木下の議論において松本竣介と結ばれる存在が、美学者の中井正一である。中井正一は、当時の〈西洋〉の新しい哲学・美学を深く体得して日本〈東洋〉の対象も捉えようとした世代(深田康算や九鬼周造)に学び、自らも「委員会の論理」1936年)や晩年の『美学入門』1951年)など、人間の日々の営みの中に有る美しさを捉えるための「新しい美学」に取り組み続けた。
 一方で1937年に、中心メンバーであった左翼的文化雑誌『美・批評』や『世界文化』の活動が治安維持法違反として検挙され、しかし思想を「転向」したことで刑は免れた。戦後はまた、疎開先の尾道で館長になった図書館を舞台に地方文化運動(いわば「私塾」)を通して幅広い人びと=市民に美学を語る民主主義的な試みをし、県知事選挙にも社会党の公認候補として出馬・落選し、最後は民主国家の政治を〈知〉の営みの面で支える機関=国立国会図書館の立ち上げに初代副館長として深く関わった。その生涯から、元々「抵抗の人」「転向の人」としてその両義性が論じられて来た人物である。
 しかし、木下はただの「詰め合わせ」としての両義性や、「抵抗」→「(実は密かな抵抗としての)転向」→「抵抗」という〈ドラマ〉、あるいは「実は本当に転向していて抵抗はしていなかった」といった真贋論争には意義を見出さない。
“そして、あるとき、「抵抗の人中井正一」の魅力が薄れてしまった原因は、中井正一を「抵抗」の人とまず考えてしまっているところにあるのではないか、と気がついた。”(※3 P.213
 「転向」の後、太平洋戦争の最中にいわば「転向の証明」として書かれた懸賞論文「我等が信念」1942年)や、京都新聞に無署名で連載されたコラム「橋頭堡」19441945年)について、木下は次のように捉えて行く。
“しかし、表向き、あられもない恭順の身振りを見せるこの文体から、いま、戦後半世紀を超えた時点で、そこに幽かな抵抗の匂いを嗅ぎとって、どんな意味があるのだろうか。そんな微かな抵抗を見つけて、戦時下の日本に抵抗の歴史があったことを認めておこうとすること、そこにこそ、近代[現代]日本の知識人の哀しい弱さがあるのではないか。むしろ、それを問いつめることこそ、戦時下における日本人の抵抗問題の課題ではないだろうか。”(※3 P.174
“そして、彼らの受難を一つの歴史としてわれわれが振り返ったとき、彼がその困難な情況のもとで残した言説からも、いまわれわれに有効な抵抗の方法として学べるもの、高度資本主義制の下、幾重にも張りめぐらされた不可視の管理の網のなかで自立と自由を求めようとする方法論へ示唆し伝授するものは、彼らの無垢な生き方以外、なにもない。ヨーロッパの先駆的な活動を紹介されてわれわれも彼らにならって頑張ろう、などというのはうんざりですらある。抵抗の方法として、彼らはほかになにを語り遺してくれているか。”(※3 P.213
“要するに、「抵抗」を成立させる条件すら、中井正一たちはじゅうぶんに備えていなかったのではないか。”(※3 P.214
“そのように中井正一の抵抗のありかたを考え直してみたとき、わたしには、中井正一の「抵抗」ぶりよりもその「転向」ぶりの方が、ずっと意味深く、教えられることも多く、その時代の彼の苦悩を文章から読みとってみようとすることの方がはるかに魅力的にさえ思えてきた。”(※3 P.216
“戦時下の時代は、暗く、不自由な、言いたいことにも口をつぐんでいなければならない時代と受けとめられるのが常である。だが、この閉ざされた時代に、おそらく不自由だったからこそ、人びとは、内面への深まりを遂げることができた。”(※3 P.252
“中井正一は、戦中に転向して、そのときに表明した日本の美についての考え方は、戦後もそのまま引きずって行く、ということである。”(※3 P.237
 これらの木下の言葉は、松本竣介の「芸術家の良心」と重なるような鋭さ・凄みを持って中井正一に向き合っている。「抵抗したか」「転向したか」を問うのではなく、「転向」の真贋/程度を問うのでもなく、その間ずっと《〈人間〉〈集団としての人間〉と〈芸術〉の関係》を考え続けた過程全体に目を向けることによって「転向」の価値転換を図り、中井正一が「転向の人」であるからこその意義を見出している。
 
「抵抗」と「転向」の"あわい"へと向けられる木下のまなざしは、

「〈表面=表れ・表現〉が "変わっている"ように見えて、
 
〈内面=思想〉は"変わっていない"」こと

「〈表面=表れ・表現〉が "変わっていない"ように見えて、
 
〈内面=思想〉は"変わっている"」こと

の両方を、見つめているのではないだろうか。(同時にまた、マーシャル・マクルーハンのメディア論に「メディアはメッセージ」というテーゼが有るように、〈表れ・表現〉は意識されずに〈思想〉をかたちづくる。それゆえ、木下は「思想を言葉に表す際のメディア=文章表現」についても論じ続けている。4
 
 木下の〈まなざし=思想〉は「〈近代〉という問題」に対して、ミシェル・フーコーの思想「〈人間〉という概念を疑うこと」に深く共感している。しかし、それをまた新たな権威=正しい見方として振りかざすのではなく、常に具体的な芸術・芸術家=表現と人間に向き合うことで、「〈近代〉という問題をのり超えて克服する、〈近代〉の枠組みによらない方法」を探求している。
 木下長宏の〈芸術思想〉は、〈近代〉や〈人間〉を厳しく疑うと同時に、「近代の"あわい"」を見つめることで「抵抗」と「転向」の"あわい"──人間の〈強さ〉と〈弱さ〉の"あわい"に寄り添っている。


1:木下長宏『美を生きるための26章─芸術思想史の試み─』,みすず書房,2009
        
木下『自画像の思想史』,五柳書院,2016年(「〈自己=人間〉と〜の構図P.34

2:松本竣介「芸術家の良心」,2017526日「土曜の午後のABC」レジュメ
3:木下『増補・中井正一 : 新しい「美学」の試み』,平凡社,2002

4:木下『大学生のためのレポート・小論文の書き方』,明石書店,2000
        
木下『「名文」に学ぶ表現作法』,明石書店,2005

 


広島から、ABCにやって来る森脇孝介くんから、こんな手紙をもらいました。皆さんにも読んでもらいたいと、ご本人の了解を得て、ここに掲載します(kinoshitan)
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