木下長宏のウェブログ

網膜に積もる淡雪のように(まとめサイト:http://kinoshitan.com)

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暑い酷い夏でした。
まだ、暑さは続いていますが、ABCは、始めます!

次回は、9月8日(土)14:00〜7:00 波止場会館3Cです。
3階の奥、3Cです。いつもと違う、新しい部屋ですから、お間違えなきよう!

ひきつづき<老子>です。
今回は、まだ、読んだことのなかった79章をまず取り上げ、そこから、63、74、73、75と進んでいこうと思っています。すべて、初めて読む章です。

こうして、未踏の章を拾って読んでいると、急に、いちばん始めに読んだ第1章「道可道非常道、名可名非常名...」を読み直してみたくなってきました。いろいろ<読み>の蓄積をして、以前読んだ章を読み直して見ることは、「老子」を読む上でとても大切なこと、とくに第1章は、われわれが最初に「老子」なるものに接したテクストであり、かつ、後から振り返っても最上級に難解な章です。8日の土曜日には、もし時間があれば、あらためて、第1章を読んでみましょう!

ともかく、暑いです、みなさん、くれぐれも、体調には気を配ってください。

kinoshitan

次回7月27日(金)の<土曜の午後のABC>は、19:00〜21:00まで、波止場会館3Cです。3Cは新しく用意された部屋です。どんな部屋か楽しみです。

日本美術史を<無文字文化>から読み解く試みを続けていますが、今回は「縄文土器・土偶」に焦点を当てて見ます。<無文字文化>の分厚い営みのなかから<見立て>や<真行草の三体>思想が育まれたこと、その思想の息づいている様を「シアトル烏屏風」や等伯の「松林図屏風」、北斎の仕事などを例に観察してきましたが、そういう<見立て>や<三体>の母胎となった<無文字文化>の働きを縄文土器や土偶のなかに見つけてみたいというのが今回の目論見です。

縄文土器や土偶が、外形を見てもらうために作られたのではないことは確かなので、なんとかして、想像力を駆使して、その隠されたメッセージ、大昔の人びとの情感と意思の波動を、そこに読み取ってみたい。その果敢なる(!)試みです。

みなさんが「縄文」をご覧になるときに、いい刺激になることを願っています。

酷暑に加えて台風までやってきそうです。
お大事に。

kinoshitan

7月7日(土)14:00〜17:00のABCは、いつもの波止場会館4Bです。

<「老子」から教えられること>。
今回は、いままで、読んだことのない、通行テクストの最後の章、つまり81章を取り上げてみたいと思います。

そこに出てくる「天之道(タオ)」とういう言葉に注目して、「ヨハネによる福音書」の冒頭「はじめにことばがあった」の「ことば」(原文ギリシャ語では「ロゴスlogos」英訳「the Word」)が、中国語の新約聖書では「道(タオ)」(「太初有道」)と訳されていることなどに想いを馳せながら、「天之道」「人之道」に纏わる章として、77章、それから連想して、「国を治める」(60、80章)、「人を治める」(59章)など、訪ねて行ってみようという計画です。

猛烈に暑い毎日、お元気で!

kinoshitan

次回6月22日(金)の<土曜の午後のABC>は、いつもと同じ波止場会館4Bです。19:00〜21:00。
<見開き日本美術史>として、今回は、シアトル美術館所蔵の「烏図屏風」を取り上げてみたいと思います。

作者不明、制作時期は江戸初期と言われています。
どこかの殿様のコレクションから出て来たのでしょう。その由来も判らない。ニューヨークの山中商店から、アメリカのコレクターが購入したのが1934年。以来、シアトル美術館に収まっています。

ちょっと、すごい作品です。そのすごさをどのくらい語れるか、自信がないので、のびのびにしてましたが、一度この辺で、そのすごさを追いかけておきたい、それで鬱陶しい梅雨の重さが晴れるとは行かないにしても、少し気分良く過ごせるようになるかもしれない。

ま、そんな願いを込めて、向かい合ってみましょう。

ミケランジェロ展がはじまったので、あの「ダヴィデ/アポロ」像についても語りたいのですが、それはまた別の機会に。

kinoshitan

次回6月9日(土)<土曜の午後のABC>は、14:00〜17:00。いつもの波止場会館4Bに戻って、初夏の風と光にそよぐ大桟橋を横目に見ながら、『老子』を読み継いで行こうと思います。

「樸(あらき)」をめぐって、前回問題を残したままの19章と28章も読み直し、『老子』のなかに占める「樸」の意味とその現代に投げかけてくるものを展望しようと考えています。

『老子』最古のテクスト、楚墓竹簡では「絶偽棄慮」とあるのが、馬王堆墓帛書では「絶仁棄義」と変わっていることから、どんなことが考えられるか。

それから、19章で「仁を絶ち義を棄てれば、人びとは孝と慈を回復する」という「慈」に注目して、67章に目を配って行きたいとも思っています。「仁義孝」は儒教の徳目ですが、「慈」はむしろ「老子」のなかで付け足されたようですね。「孝慈」という語は、15章と18章に出てくるだけ。「慈」は67章だけ。「慈」はとても仏教の匂いのする概念です。「慈」と「樸」とどんなふうに関連しあうのか。しないのか。

                      ⭐
新約聖書「ヨハネによる福音書」の冒頭、「始めにロゴスがあった。神はロゴスであった」の中国語版は、「太初有道、道與神同在」と「ロゴス」が「道(タオ)」と訳されていることを教わりました。これは、ちょっとじっくり、考えてみたいですね。
この訳に『老子』が影響していることは明らかだし、また、『老子』の「道(タオ)」が、ギリシャ語の「ロゴス」と相重なる意味をもっているということです。「影響」し合っているのではなく、重なっている。.....

『老子』は、東洋の知恵というより、世界の知と言えそうです。
                     ⭐
こんどの土曜日は、天気は良さそうですから、「樸」「慈」「道(タオ)」「ロゴス」と考え巡らせて疲れた頭を、ジャックカフェのテラスの欅の下で癒しながらワインを囲みたいですね。

では、9日に!
kinoshitan


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