木下長宏のウェブログ

網膜に積もる淡雪のように(まとめサイト:http://kinoshitan.com)

内容報告

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索
 3月11日に奥羽東北関東一帯をとてつもない地震と大津波が襲いました。翌日、新潟長野北部にも大きな地震があり、災害はそれに終らず、福島第一原子力発電所の崩壊へと続き、一連の出来事は、世界中を震撼させています。いま、そのことを頭のなかから外さずに、どんなことも考えられなくなってしまいました。そういうと大袈裟ですが、やはりそういう情況にあってその問題が投げかけていることを、まったく知らんふりしてなにも語ることはできない、いや語ってもいいが、それはすべて試されている、そういう自覚を持たずにはいられないという気がします。「お前の書いていることは、この惨劇に耐えられるのか、この出来事にどういう姿勢をとっていこうとしているのか」という問いです。この問いは、二つの異なった方向から来る問いです。複数の問いが絡みあって問い詰めてくるのです。これにたいして、私はものを書くことしかできない、ものを書いてなにか貢献できることを願っている、と言っているだけではなんにも答えたことにならないのではないか、という思いです。
 〈土曜の午後のABC〉では1月に入ってから、金曜日の夜はミケランジェロを取り上げてきましたが、なにかボクたちのなかにも、311日の予感があったのかもしれないという気がします。というのも、ミケランジェロは、この世の多くの芸術家のなかで、いちばんこの世の大転変にたいして鋭敏だった人だと考えていたからです。

 まさか、こんな大地震と津波が起るとは思っていませんから、そういうつながりへ話をもっていくことは意識してもいなかったのですが、(したがって、そういう表現はしていませんが)、しかし、とくに2月のミケランジェロの2回目のとき、みなさんに配ったボクのメモは、ミケランジェロがこの世で起る大惨事大転変 (カタストロフィ )に直面したときの人間の姿を見据えようとして絵を描き、彫刻を刻んでいたことが、彼の仕事の系譜から浮び上ってくることを伝えようとしていました。当時のフィレンツェ、ローマは、とにかく大転変の時代でした。敵王の軍隊が攻め込んだりすると、臆病風を吹かしていちもくさんフィレンツェから逃げ出すミケランジェロですが、すぐに戻ってきます(最初の逃亡は19歳のとき、フランス王シャルル8世がフィレンツェへ入城してきたというのでヴェネツィアからボローニャへと逃げます。54歳のときには、フィレンツェの政変に捲き込まれヴェネツィアへ逃げ出していますし、81歳になっても、そのときはローマにいましたが、スペイン軍が攻めて来て、ローマ郊外のスポレート山に隠れました)。連れ戻されることもありますが、結局はそういうカタストロフィから眼を逸らすことができなくってみずから戻ってきます。そういう引き裂かれた感情のはざまで、危機のなかの人間の姿を描き切ろうとしたのが、「天地創造」から「最後の審判」、そして「パウロの回心」「ペテロの殉教」といえます。225日は、そういうミケランジェロの心の底の方に蠢いている衝動を、キリスト教の訓えを突き抜け、ギリシァ・ローマ思想と対恃させたところから、彼が感じ取り見透かした「人類の始まりと終りの姿」というふうに整理しました。「終末」と「起源」は、ウロボロスの蛇のように頭と尾がつながっているのかもしれません。この「人類の始まりの姿かたち」というのは、あらゆる危機災害災難に打ちのめされ、洗い流された果てに、なおのこっている「人類」の姿と重なっています。人類の始まりを描く「天地創造」にあっても「ノアの洪水」は大きな位置を占めています。人間(人類)はカタストロフィを前提にしてしかその「起源」を想像することができないのではないか、起源の姿をイメージすることは、終末・破局を考えることと重なる――カタストロフィを経験して、その恐怖を記録し語るのではなく、そういうカタストロフィとは人間にとってなんなのか、その問いが人類はどのようにして誕生し、どこからきてどこへいくのか、そしてどのように終えるのかをそれぞれに考えてみなければならない、その一つの試みがこれだ、──ミケランジェロは、そういう考えかたの大切さを教えてくれていると思います。ミケランジェロの凄さは、そこにこそある、という気がします。

 ミケランジェロの絵や彫刻には、それを観て「あぁ美しいな」とか感嘆の声を発するのとは別の、感動といっていいのか、迫ってくるものがあります。2月25日には、「ミケランジェロ1475―1564――イデアリズム(古典美)とデュアリズム(両性具有美)の相剋」と題して、彼の仕事を89年の生涯をみわたすかたちで眺めてみました。それから二ヶ月、311日から一ヶ月余り、いろんな経験を通過ししたいま、2月25日には少し口ごもりがちだったことが、もうすこしきちんと言えそうになってきた、という気がして、それを「一つのミケランジェロ論(未定稿)」として書き改め、近々HPに掲載したいと考えています。とりいそぎ、報告まで。
 
<5> ミケランジェロの生涯は、いってみれば、法王の権力(その注文)との争闘だった、といってもいい。彼は生涯に9人の法王(全生涯を通すと13人ですが、彫刻や絵画の制作を言いつけ、直接彼の制作に関わっていくのは9人といっていい)、この9人(そのうちとくに7人)との関係は、そのまま、ミケランジェロ自身の時代との関わりを反映しているといいてくらいです。ひとりの人間に、9人の法王が、つぎつぎと、襲ってきた、そんな感じの光景です。
歴代の法王という注文主との争闘のなかで、ミケランジェロは、なにをどう彫り出し、なにを、どう描こうとしたのか(その結果、両性具有像と受難像(ピエタ)が注目される)、を考えるのが、ミケランジェロ考える上でたいせつな問題になってくるように思います。

というような話をして、時間が足らず、自画像についても、ほとんどゆっくり眺めることができませんでした。ので、2月25日(金)は、ふたたび、ミケランジェロと取り組みたいと思います。この五つのポイントについて、光を当てます。
<3> ところで、このシスティーナの天井画『天地創造」、壁画「最後の審判」は、その後これを超える天井画や壁画は誰も描けなかったといいっていいくらい、大作、最高の作品で、短い言葉で語り切れるものではないのですが、一言で、最大の問題点を取り出してみると、それは、女性像が筋骨隆々としており、裁きをするイエスも、伝統的な、痩せこけた髭を蓄えたキリスト像ではなく、筋骨たくましい女性と同じ肉体を露わにしている、ということです。
つまり、ミケランジェロの描く人間は、しばしば、「両性具有」的であるということです。
この問題はとてもたいせつです。こ時代の思想とミケランジェロの思想との深い関わり・争いのなかから読み出してこなければならない、重要な問題が、ここに潜んでるようです。ミケランジェロは、じつに時代と闘った人でした。

<4>さらに、たとえば、「最後の審判」のなかの、聖バルトロメオが左手にもっている生皮を剥がれた人物の顔は、ミケランジェロの自画像だと言われて定説化しています。
しかし、ミケランジェロの自身が、これが自分の顔だ、といった記録は遺っていません。ヴァザーリも言ってはいません。ミケランジェロの自画像、自刻像といわれているものは、ほかにもあるのですが、すべて、後世、そう指摘され、それをいいつたえてきているだけです。
ミケランジェロの自画像について考えるということは、その絵画の画面の物語のなかで、ミケランジェロは自画像を置くことによって、どういう自分についての物語を紡いだか(従来のミケランジェロの自画像についての論稿はたいてい、そのことばっかり云々しています)ではなく、まず、なぜ、ミケランジェロは、後世その作品のなかに自画像を描いた、と指摘されていったのか、を考えなければならないと思います。
(続く)
1月のABCでは、ミケランジェロを取り上げました。自画像の思想史におけるM系の元祖です。
まずは、ボクの作った年譜をみながら、問題点を拾って行ったのですが、それを整理してみます。

<1> まず、大切なことは、ミケランジェロは、「彫刻」の人であったということです。
「絵画は、彫刻に近づけば近づくほど勝れたものになるが、彫刻は絵画に近づくほど劣る」といっています。そして、その彫刻は、有名な逸話─大理石の塊をみて、ここに聖母が隠れているといって、聖母像を彫り上げた─からも判るように、ミケランジェロにとって、彫刻とは、curving 刻み、彫り出すことであって、粘土を盛りつけて造形するmoulding ではなかったということです。

<2> それにもかかわらず、彼は、1508年、33歳のとき、時の法王ユリウス2世の命令で、ヴァティカン宮殿のシスティーナ礼拝堂の天井画を描くことになります。なんども辞退したのですが、ラファエッロ派の陰謀で描かざるをえなくなったと伝えられています。
そして5年がかりで、仕上げたその天井画「天地創造」の凄さは、その後のだれもが認めるところです。
その筆力を見込まれて、それから25年後、1533年、58歳のとき、システィーナ礼拝堂に、こんどは「最後の審判」を描くことになり、これは、中断(1534〜1537)を挟んで、1541年、完成させます。延べ7年(実質4年)がかりの制作でした。
ミケランジェロは、そのあと、1545年、パオリーナ礼拝堂の壁画(「パウロの回心」「ペテロの殉教」)に着手、1550年に完成させたあとは、ついに、大きな壁画のような絵を制作していません。(有名な彫像「ピエタ」4点のうち、3点は壁画の絵筆を執らなくなってからの制作です。それも注文によるのではなく、私的な願望からこれらの「受難」像を彫り刻んでいたことは、ミケランジェロを考えるうえで大切なことのような気がします。
(続く)

今後の予定

2011年に入りました。
「自画像の思想史」も、理論的な整理は、どうやら前回でひとまとめできたように思います。もちろん、何しろ未踏の世界ですから、これからの勉強で新しい考えかたがみつかるかもしれません、いや、きっとみつかることでしょう。そういうときには、また、ご報告するとして、とりあえず、「自画像の思想史」は、今後は、自画像を描いた人たちの具体的な仕事(作家の生きかたと作品の出来映えetc.を眺めて行くこと)を続けて行こうと思います。

それは「自画像散策」とでも呼べばいいでしょうか。

この「自画像散策」を、ことしは、金曜の夜に、つづけます。

そして、土曜の昼は、第五期として、新しいテーマ取り組みたいと思います。(といっても、ボクにできることはかぎられていますが)、ふたたび、岡倉覚三を呼び戻し、彼の主著である The Book of Tea を訳し直し読み直してみようと思うのです。いわゆる『茶の本』です。これまで、じつにたくさんの翻訳がでているのですが、すべて、「岡倉天心」を称揚することという意図が根底に潜んでいて、もっと開放したテクストとして読めないか、とかねてから思っていました。つまり「岡倉研究」の一部として『茶の本』を読むのではなく、The Book of Tea という書物から、どんな「美」と「人間の生きかた」についての問題がみつけられるか、考えられるか─それに挑戦してみようというわけです。偉そうなことをいって、なにがどれだけできるか心もとないですが、ともかく挑戦してみます。

というわけで、ことし(2011年)の<土曜の午後のABC>は、土曜と金曜と、それぞれ異なるテーマで進めていこうとしています。
よろしく。

では、1月28日(金)に!
この日は「自画像散策(「自画像の思想史」第12回)で、ミケランジェロをとりあげる予定です。ヨーロッパの自画像は、D系(デューラー系)、L系(レオナルド系)、M系(ミケランジェロ系)という三つの系譜を辿って行くというのが、去年の最後のABCの話題でした。そこで、そのうちの一つの系の発端にいる「ミケランジェロ」を、もうすこし詳しく考えてみようというわけです。

kinoshita


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事