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「けにごし」(牽牛子)朝顔のこと。
うちつけに濃しとや花の色をみむおく白露の染むるばかりを(矢田部名實)
これは「仮」と「真」の現実性を逆転させる平安知識人の心を見事に謡った和歌だと思います。さきの「をばな」や、凡河内躬恒の一首「月夜にはそれとも見えす梅の花香をたつねてそ知るへかりける」と同じように理論を和歌で表出しています。「をばな」に比べてれレヴェルの高い和歌です。
「うちつけに」というのは「ふとみると」というような意味です。
ふとみると、あの朝顔の花の色はなんと濃い花をしていることよと、誰しも思う。でも、本当は、花の上にのった白露が(「おく白露の」)染め出しているだけなんだ。
19世紀ヨーロッパの印象派の画家たちは、色彩は物に当たる光が決定するのだと考えて絵をつくりましたが、平安の人は花にのった白露が花の色を染めているという理論で、世界をみようとしていたのです。
「そうび(薔薇)」薔薇のこと
われは今朝(けさ)初(うひ)にぞ見つる花の色をあだなるものといふべかりけり(紀貫之)
私は今朝はじめてこの花の色をみたぞ、この花の色はなんとあだなることよ(色っぽくて嫌みだなあ)。
朝顔のように季語(秋)になるほど慣れ親しんだ花ではない。薔薇の花を、貫之は初めて見たといっています。唐国か朝鮮から渡ってきたのかもしれません。そういう濃厚な異国の情緒を、貫之はこの花から嗅ぎ取って謡っています。
こんなふうに、文字の清濁の区別をなくし、ことば自体がもっている意味を文字のあらわれかたから隠し、それも、完全に隠すのではない、仄めかしながら隠していく、そんなことばの使いかたが、仮名の連綿体の思想的根拠となっていることがみえてきました。(もっとも、平安の人は、ボクが一生懸命いっている「思想的根拠」なんて言葉は、聴いたら笑うだけでしょうけれど。…でも、現代のわれわれには、そんなふうにして追いつめて行くことしかできない、そんなふうに追いつめなければ、ほかに方法がないわけです。ただ、笑われるだろうということを心得ておくことは大切でしょう。
「異時同図法(継時同図法)」は、日本では「楷(真)」「行」「草」の書体を表現方法として借りながら展開していたのが、別系統の書体として「仮名の連綿体」が生まれるとその表現方法を借りるスタイルを成就させました(一般に、それを最も「日本的」といわれています)。絵画の表現方法と和歌や書の表出思想は深く相互に関連し合っていたのです。
「異時同図法」は<時間>の経過を絵にする一つの方法です、つまり<時間>をいかに<空間化>するかの一つの工夫でした。それを当時の絵師たちは(絵師たちは同時に書をものし和歌を詠みましたから)、歌人たちが巧みに隠し仄めかす手法を絵に生かしてみようとしたのは当然の成り行きです。
こうして「仮名の連綿体」は「書」の世界にとどまらず、当時の人びとの生きかたの(方法の)スタイルとなっていきます。
仏教寺院の伽藍配置や、伽藍の内部の荘厳の仕方にも、そのことが現れています。東寺の講堂の仏像の配置と平等院鳳凰堂の内部の飾りかたを比べてみると、東寺が中国伝来の曼荼羅を原型に左右対称の生前とした、各仏像の役割単位を崩さない配置を保っているのに対して、鳳凰堂は阿弥陀本尊を中心にしながら、扉や壁に西方浄土世界を再現させ、飛天の配置だけでみても、役割の単位を保たせるような配置ではありません。
庭や住居の構造にもそれ(仮名の連綿体)が方法として忍ばされています。寝殿造りと、仏教寺院の伽藍配置とを比べてみるとよく判ります。
補遺:
日本には、ヨーロッパの「異時同図法」でみたような、<時><時間>の問題を哲学体系を備えた論理的な言葉によって表明された思想は実りませんでした。「往生要集」(源信著 寛和1〔985〕年)や「方丈記」(鴨長明著 建暦2〔1212〕)、「徒然草」(吉田兼好著 鎌倉末期)など、あるいは「源氏物語」といった作品から<時>について叙述する言葉を探し出して再編する以外に方法はありません。補遺として、日本の今回扱った「捨身飼虎図」から「伴大納言絵巻」の時代に、その思想背景を用意した中国から、いくつか<時>をちりばめた語句を拾って、東アジアでは古来<時>をどのように見ていたかをメモしておこうと思います。題して「古代中国の<時>」。
? 時不可失 (ときをうしなうべからず)―春秋時代「書経」からの一節です。
? 時不再来 (ときはふたたびきたらず)―同じく春秋時代、「國語」から。
? 時不利兮騅不逝 (とき、りにあらず、すいはゆかず)―前漢、「史記」の「項羽本紀」の一節。追いつめられた項羽の吐いた言葉として有名です。「騅(スイ)」というのは項羽の愛馬の名前。<時>はもう自分の方を向いてくれない(利をもたらしてくれない)、愛馬の「騅」も前へ進もうとしない、と嘆いています。
? 及時當勉勵歳月不待人 (ときにおよんでまさにべんれいすべし さいげつはひとをまたず)―陶淵明の詩の一節。
?から?まで、古代の中国では、<時>は「時世」の意で使われていますが、その「時世」の「時」は、みずから生命を持ちみずから判断行動するような存在としてみられていることが、こんな例から読みとれます。ヨーロッパの「神」の役を古代中国の「時」は引き受けています。
? 感時花濺涙恨別鳥驚心 (ときにかんじて はなにもなみだをそそぎ わかれをうらんでは とりにもこころをおどろかす)
?から?に比べて(陶淵明で4世紀)これは杜甫、8世紀の詩人の言葉です。有名な「国破れて山河あり…」で始まる詩の一節です。ここでは「時」が「時代」という意味で使われていて、?から?に比べて客観的な態度で「時」を見ています。8世紀になって、東アジアにもこういう見かたが育ってきたということでしょうか。
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