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表面=外面というのは、外向きの世界、いいかえれば対他者に向けた公の場面、どんなにくずれ乱れても、その面を保持することは決して棄てない。それは現実重視、<現実>を大切に、中心にした生きかた・思想です。中国には、この思想が綿々と続いています。
そういう中国(唐・漢)から知の技術を学び、信仰のありかたも、その唐・漢式に変えた日本列島の人びとですが、そんななかで、唐・漢をただ真似ているだけで終わらない考え方生きかたが芽生え、育っていきます。その生成過程で、ある逆転、思想の転換が起こります。そういう転換は、いろんな歴史の場面に見られるのですが、10世紀の日本列島・京のみやこで興り育っていった転換は、その後の「日本」の文化に大きな役割を演じる重要な出来事となりました。というのも、その後の「日本」の知識人が、この平安京での出来事を、正にこれぞ「日本」=「やまと」国有文化だと、いいつづけてきたせいもあります。その平安王朝文化は最も「日本的」、「日本」固有の伝統文化と考えられ信じられるようになったか、という問題は、また別の機会に考えるしかありませんが、ここではその転換の結果だけをみておきます。
その転換が招いたものは、まずなによりも「現実」と「非現実」の価値の転換です。「現実」すなわち「この世」だけがすべてではないよ、という考えです。当時、大きな力をもってきた天台仏教浄土信仰の影響はもちろん大きいです。そんななかで、この人の世は、かりそめのものだ、という思いがとても大きく抜き難いものになっていきます。(もっとも、ここでこうして議論している「現実」とか「非現実」とか、そんな言葉を使って当時の人がものごとを考えていたわけではないのですが、当時の人の考えかた感じかたに近づくために、われわれは、そんな用語を用いるほかないのです。当時の人と、同じように呼吸し、感じ振舞うことは、とうていできません。そんなとき、そのどうしても置かれている隔たりをどうしたら少しでも小さくできるか、を工夫するためには、いろんな方法を試してみる必要があります。ただ、古い文化を知るためには古いいものの中から現在(いま)に通じるなにかを引き出せばいいのだ、とばかりになにもかも、現在(いま)の考えを基準に処理するのはやめなければならない。それは、古い時代の人に対する現代人の傲慢です。だからといって、その反対に徹して古い時代のことを考えるのに現代の概念/言語をいっさい使わないとするのは〔じっさいそれは不可能だけれど〕、欺瞞です。われわれの限界につねに気を配りつつ、対象にできるだけ近づくにはどうしたらいいか、を考え考え言葉を選んでいくしかないと思い、まずは「現実」とか「非現実」という言葉を使いました。)
「現実」と「非現実」という現代のわれわれが対比して理解する「現実」感覚ではなく、当時の人びとの<現実>は、われわれが想像する「非現実」(=「仮」)も含んでいるのです。「この世」は「仮初め」だと考えているとき、「この世」ではない「あの世」は、いまこうして息をしている「この世」ではない、別の「この世」、あるいは「この世」にはみえていないけどすぐ「この世」のどこかに隠れている「世」なのです。
紀貫之の「古今和歌集」には序文が二つあります。一つは漢文で書かれていてこれを彼らは「真名序(マナジョ)」と呼びました。そしてかなで書いたほうを「仮名序(カナジョ)」と呼びました。漢文の序のほうが「真」ですが、これは漢文が「真」、つまり「正」で、かなは「仮」ということです。この「仮」は、「真―行―草」よりさらに「草」というより、「真―行―草」の価値序列の別にある体(タイ)という思いでつけられています。漢文の「真―行―草」は、あくまでも「真」を規範根拠に(起源・歴史的な意味の始まりではなく、型のありかたとしての起源・元)とする書体の序列で、「仮」はそういう「真」の体系とは別の体として名付けたのです。いや、じつはそこいらへんはかなり曖昧に、というか二重化多重化したまま使われていたようです。「真」は、「真・行・草」の規範として、「唐・漢」文化の代表名であり、一方、文字を書く書体の一類型としての呼び名でもありつづけます。古今集の「序」は、前者の例とすれば、後者の例を一つ「源氏物語」から挙げておきます。「葵」の巻に「草にも真名にもさまざまめずらしきさまに書きまぜ給へり」とあり、この「真名」は「楷書」という意味で使われています。この「二重化」して「曖昧」に使われていたことも「真」と「仮」の関係意識のありかたにとって重要なところです。ところで、この「かな(仮名)」を「女手」と当時の人は呼びましたが、これは「男」対「女」という組合せ・対概念を喩とした書体のありかたの名付けかたで、とても象徴的です。じっさいに女の人が書くというより、「女」の立場が可能にし、そういう「立場」に立ったとき実践できるような体(スタイル)のことです。「男手」と「女手」と呼んだとき(絵にも「男絵」、「女絵」という呼びかた・区別がありました)、その「男」が「真(真名)」で、「女」が「仮(仮名)」となる。そういう「真」対「仮」の関係にある「仮」(かりそめ)です。
こうして、「真」「行」「草」の書体の型の序列が、書体だけでなく当時の知識人の生きかた、表現の方法の価値づける言葉(概念)として使われるようになりました。「仮(仮名)」「女(女手・女絵)」という言葉は、そういう価値づけから誕生したのです。ですから、「女手」の文字といい、「女絵」といって、それをじっさいに使い、書をものし、絵を描いたのは、多くは当時の男性でした。もちろん女の人も清少納言や紫式部のように活躍しましたが、彼女たちは「女手」や「女絵」の実践かとして活躍したわけではありません。清少納言や紫式部が登場する前から、女の人たちは和歌をたくさん作っていることは万葉集をちょっと開けば明らかですし、そんなふうに絵を描いていた人もいたでしょう。と同時に「男」対「女」が「真」対「仮」の対立の相似関係概念として使われたことからも判るように、「この世」にあって、「女」は「仮」と喩えられるような位相にあったことも確かです。
つづく
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