木下長宏のウェブログ

網膜に積もる淡雪のように(まとめサイト:http://kinoshitan.com)

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白と紫のフーガ ──中西夏之新作展に寄せる──

画廊のなかに満ちている柔らかな陽光を水に変えているのは、中西夏之のタブロォである。
灰色のようなキャンヴァスを舞台に、白い絵具の点と線がつくる波紋の舞踏がおもむろにゆるやかに始まっている。

灰色をした地の色は、通奏低音となって、白い絵具の旋律に付き添っている。そこへ、紫色の絵具が、副旋律を奏でながら浮び出てくる。白い絵具は、しかし、いつも主旋律を奏でるパートを演じているわけではない。副旋律と聴いていた音がいつのまにか主旋律をなぞっているのだ。

それどころか、この白と紫のゆるやかな舞踏を眺めていると、(いや、舞踏楽曲を聴いていると、というべきか、─どっちでもいい、中西夏之のタブロォにあっては、眺めていることは聴いていることであり、耳を澄まさないでキャンヴァスを観ないわけにはいかない)、通奏低音のはずだった地の色が、知らないまに近づいてきて、白と紫の奏でる線と点の旋律を遠くに押しやり、主旋律かのごとき歌声を響かせてさえいる。じっとそっと耳をそばだてていないとすぐに消えていきそうな声。中西夏之のキャンヴァスでは、主旋律と副旋律と通奏低音が、ときどきそうっと役割を入れ替えながら、主題を変奏させ、増幅させ、縮小させ、前へ出たり後へ引いたり、水に波紋が伝わるように、隣の旋律に受け渡し、受け返す。

色彩というにはあまりにつつましい白と紫が、そろそろと響き合いつつ、隣の旋律(群)を産み出していく。ゆるやかさとつつましさにおいて最もミニマムな色彩の舞踏。舞うという動きが音色に変わる絵画。

画廊には大小10を超えるタブロォが、壁に、あるいはイーゼルに載せて並んでいて、それぞれのタブロォの旋律をすこしづつ変奏させ、輻輳する旋律(群)がそこに拡がり、いつのまにか、この画廊のなかにいる<私>は、白と紫のフーガが漂う水槽を泳ぐ魚になる。

(いや、中西夏之風にいえば、画廊という海を漂う小舟なのか。)

画廊のなかに満ちている光は、画廊のそとから入ってきていると思っていたが、それぞれのタブロォから生まれていることに気づくのは、そのときだ。


─中西夏之氏の最新作展は、自由が丘の「gallery21yo-j」で、
7月8日まで(その間の、木・金・土・日)開かれている──
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金曜日は「美術史散歩」という大雑把なテーマをかかげていますが、4月からは、ボクが、集英社創立85周年企画『コレクション 戦争×文学』全20巻 という文学全集の各巻に連載している「戦争×絵画」を紹介しています。前回、5月25日は、「女性たちの戦争」「戦時下の青春」、そして「満洲の光と影」の三巻をとりあげました。ぜひとも掲載したかった絵で、遺族(著作権継承者)から断られた作品なんかも、紹介しつつ、それぞれのテーマから読めてくる問題を語り合えたらと思った次第です。

時代の圧力のかかっている状況下で、どんなことができるのか、そういう時代が過ぎ去ったあと、どんなふうに、それまでの自分の行動とこれからの行動を処していけばいいのか、─現代は、圧力はないようにみえるけれども、逆に、眼にはよく見えない蜘蛛の巣のような規制の網が、われわれの思考に絡んでいることにも、気づかせてくれます。

全集で連載しているのは、1000字に充たないちいさなエッセイで、口絵は各巻8ページか4ページという制約のもと、しかし、これまで「戦争と美術」というテーマで見落とされてきた世界・思想の姿へ眼を向けるべく頑張っています。4月にご紹介したベトナムの近代漆絵の意義についての紹介もそうでした。いずれとりあげる、ホスロ・ハッサンザデという現代のイランの画家のことも、ほとんど日本では知られていません。そんな作品も紹介しています。

今回は、柳瀬正夢の作品で、どこでもとりあげられていない一点を「満洲の光と影」の巻で、ミス満洲のポスターと対比させる形で紹介しました。ミス満洲にさせられた日本人の少女と現地の少女を見比べてみるところから、虚構の楽土「満洲」の姿が読めてきます。

その柳瀬正夢の「満洲の少女」の絵は、洲之内徹氏旧蔵のひとつだった作品(鉛筆デッサン)ですが、宮城県立美術館の洲之内コレクションには入りませんでした。署名も裏書きもありません(洲之内さんも『気まぐれ美術館』でとりあげてくれませんでしたし)。じつはこれは、柳瀬正夢が1942年満洲旅行をしたときに撮った現地の少女の写真があって、それからスケッチしたものだということが証明できます(写真は1995年武蔵野美術大学での展覧会『柳瀬正夢 疾走するグラフィズム』の図録に収録されています)。とても味わいのある絵で、こうして、紹介できてよかったと思います。

たまたま、この柳瀬正夢の絵のことをお話した日が、この5月25日の<土曜の午後のABC>。67年前、新宿駅で空襲に遭遇し死んでいった柳瀬の命日だったのも、なんだか不思議なきもちにさせられました。

次回は、6月9日(土)14:00〜 〈二つの「銀河鉄道の夜」〉へもうすこし深入りしていきたいと考えています。
なお、この日は、ABCが終ったら、いつものJack  Cafe ではなく、中華街の「菜香」で食事会といきたいと考えています。みなさん、ぜひ。(ひごろは、足が遠のいている方も。)
kinoshita





反省!

しばらく、ブログの更新を怠けていました、反省!

前回(4月27日)から、金曜日の夜は、集英社の創立85周年記念企画『コレクション 戦争×文学』全20巻に、毎号掲載(連載)している「戦争×絵画」を、紹介するとりくみを始めました。

前回は、ちょうど5月に配本される「オキナワ 終わらぬ戦争」の見本が届いたので、その最新刊と、「ベトナム戦争」の、二冊をとりあげることにしました。

オキナワの巻の「戦争×絵画」は「「戦争」に晒されつづける島で」というタイトル。ベトナムの巻には、「畑を耕すように描く」というタイトルで、ボクは小文を寄せています。ほんとうに短い(限られたスペースでの)文章なので、それを書くために考えたことなど、巻頭の口絵を飾る作品を決定する(した)理由なども説明しながら、話しました。

オキナワの島が戦場になったときの経験、その後の米軍基地のもとでの島の人びとの理不尽な生活を、鮮やかに描き切った作品をみつけるのは、とても、むつかしい。経験があまりにもなまなましくって、「絵」という表現体に昇華できていない、という感じが強く伝わってきます。一つの「出来事」が「絵」になるまで、その「出来事」が「絵画」へと成熟するには、その人の内部で、その「出来事」が「絵画」という表現体へ産まれるための「熟成」の時間が大切なのです(もちろんこれはストップウオッチで計れる「時間」ではありません)。そのことのたいせつさを、この巻の口絵のための作品を探しながら、つくづく考えさせられた、そんな話をしました。

ベトナムの巻では、反対に、銃をかたわらに絵を描いてきた作品がいろいろみつかります。くわしくは、また、べつの機会に議論したいですが、なぜ、ベトナムの人びとはあんなふうに絵を描き続けたのだろうか、と考えることは、現代の欺瞞的な「民主主義社会」をどう生きるかを問いかけるうえで、いろいろ、刺激的です。ここでは、あの日語った「結論」ふうの考えだけを、とりあえず載っけておきます。それは、彼らにとっては、「絵を描く」という行為が「畑を耕す」という営みとほとんどおなじ価値をもつ、そんな生きかたをしていたということです。そこには、「漆絵」の果している役割がとてもおおきい。その描きかた・制作の仕方は、まさに、ながいつらい戦争を戦い抜いたのと同質の「生きかた」なのです。というより、ながい、フランスとアメリカとの戦争を戦い抜いた「強さ」はそこにあったのか、という感動と出会います。でも、ただ、感動しているだけでは、いけません。この「生きかた」を、現代のボクたち(ボク自身)のそれとひきあわせ、ボクたちの生きかたを考えていかなければなりません。

ベトナムの近代絵画を考えていくと、やはり、「絵画」の根源の問題へ、誘われていくというわけです。

とりあえずは、これで、前回の報告とします。
kinoshita



今後の予定

吉本隆明さんの逝去の知らせを聞いて思わず書いた文章を、「内容報告」に載っけるつもりでいてまちがえて「information 」のほうに入れてしまったので、こちらで、informationをやっておきます。

今後の予定です。

2月3月と不規則な日程にしましたが、4月以降は、8月の夏休みをはさんで、11月まで、出来るかぎり、<第2土曜+第4金曜>のペースを守っていくつもりです。(何か急に変更せざるを得ないことがあったときには、すぐにこのブログとHPで報告します。)

とりあえず、
4月は、14日(土)14:00〜17:00 + 27日(金)19:00〜21:00
です。
場所は、波止場会館、4階4B。

12 月17日(土)は…

宮澤賢治「春と修羅」を読む

 1217日(土)のABCは、宮澤賢治の『春と修羅』から、その冒頭の数篇を読みました。

 そのとき、とくに心がけていたことは、この詩が「宮澤賢治」の作であるからといって、既成の「宮澤賢治」像を借りてきて、賢治は、どういう情況でその詩句を選んだかとか、なぜ賢治はこういう言葉を選び、その詩を作るためにどういう(個人的)背景があったかとなどは出来る限り詮索しない、作品をただ「紙と鉱質インクのつらなり」から読んで、そこからなにが汲みとれるかを考えてみようとしました。
 お配りした詩のコピーは、作者が〈詩〉の形としていちばんこのようにしたいと思っただろう形を再現すべく、文庫版の全集を切り貼りして再編集新構成してみました。
 印刷され製本されると、一頁の分量と型が決まってしまい、それに従って頁を繰って読んでいくと、つい、印刷された文字のつらなりが表面上に提出している〈意味〉を追いかけることにかまけがちになります。〈詩〉という言語による表現は、それだけで片付けては可哀そうです。

 そういうことをいつも頭のなかに駆け廻らせながら、言葉を繰り、作者がいちばん作り上げたかった形、それを読み出してみようというのが1217日の課題でした。

 
 さて、その「序」は、〈書かれた詩〉というものが〈世界〉というひろがりのなかでどんな位置をもつか、〈自己〉対〈世界〉の関係をどんなふうに告げることができるのかを、〈詩〉という形式を借りて、それを借りることによって、〈詩〉のありようということを、他の散文表現では語り切れない思いを響かせることに賭けつつ、綴っていることを確認しました。
〈詩〉という形式を借りることによって、他の方法ではできない表出を試みるということ、これは作者自身もどこまで気付いていたかはわからないけれど、これこそ日本語表現の伝統を最も奥深くから継承してみせた方法なのです。
 いにしへの日本語生活者は、〈歌〉で議論をしました。彼らの思想(近代の言葉でいえば哲学のようなもの)を、彼らは〈歌〉で語ったのです。西行は、そういう伝統の頂点にいた人です。

 西行は一般に花と月を詠った放浪歌人として語られていますが、それは歌(和歌・短歌)というものは、心情を謡い上げなければいけない、小理屈を述べる手段ではないという「歌」にたいする近代概念が出来て行く過程で用意されていった「西行」像です。しかし、西行は、月や花をただ美しいとかはかないとか謡っていたのではありません。当時の人びとは、最も高度な言語表現手段として、漢文、漢詩と和歌しか所有していなかった時代に生きていました。西行は、そこで和歌を選んで、院政という時代と制度、そこに生きる人びとの考えかたへの批判(「批判」などという言葉自体とても「近代」ですが、ともかく、現代ではそういう言葉で言い換えるしかない言語行為です)の手段としていたのです。彼の批判の言語をじっくりと読み出すことこそ、西行を読むことの最も大事な仕事だと思い、いずれはじっくり取り組んでみるつもりです。(ここではじめの心構えをちょっと逸脱して一言、─この「春と修羅」の書かれた大正1112年という時期、「詩」というものはことごとく「抒情詩」でなければならない、理屈を言うのは散文の仕事であり、論理家がその手助けをする、詩に論理を語らせる必要はお門違いも甚だしいと信じられていた時代に、「春と修羅」の作者はなぜこんな詩を作ろうとしたのかを考えてみるのは、賢治神話の上塗りごっこではない、「宮澤賢治」像への問いとなるような気がします−−。賢治はきっと日蓮などの文章を読み込んで、知らない間にその伝統を身につけたのでしょうか。)

 ともかく、『春と修羅』の序は、なににもまして、詩【うた】という形式で理論を叙述しているそういう詩であることを味読しようとしました。(各フレーズを追った味読は、いずれ詳しく文章化したいのですが、ここではとりあえず「報告」のみ。)
 

『春と修羅』の詩集では、その「序」のあと、「春と修羅」というタイトルを与えられた詩群が続きます(「春と修羅」の次は「真空溶媒」です)。1217日はその「春と修羅」の詩篇を順番にじっくりと読んでいきました。

 ここでは結論だけを誌しておきます。それは、とくに「春と修羅」や「丘の眩惑」といった作品に顕著に奥深く読みとれることですが、作者宮澤賢治の詩は、一つの〈詩〉という場面のなかで、〈絵画的な〉、色彩と線描による交響と、〈音楽的な〉、もちろん印刷された作品なので直接音声は聴えてきませんが、無音の音声がその詩の文字を読む者の頭脳に響き渡り、思わず声を出して朗読したくなる、そんな〈音楽的〉な構図から編成されているということです。〈絵画〉という経【たていと】と〈音楽〉という緯【よこいと】によって綯【な】いまぜられた〈言葉〉の織物です。
 思わず朗読したくなる韻律の源流を探っていくと、まず、お経が、この詩を綴る作者の心の(頭脳の)底に流れているのに気づきます。そして、そのお経や声明(しょうみょう)へ交響するように西洋の音楽が重なってきています。「春と修羅」の詩篇の〈音楽〉は、お経をベースにした西洋楽曲の構成から産まれているといえばいいでしょうか。それが、決して無理矢理のかけつぎやパッチワークでなく、みごとに織り合わされて、一つの詩篇と成り、読む者の心に浸み入るだけでなく、心を揺り動かしていきます。そういう韻律を産み出して行く秘密は、彼の詩篇が、つねに複数の〈自己〉の声を交差させ、交響させて一篇の〈詩〉に織り込んでいるところにあります。こういうふうに〈自己〉を分裂させ(まさにこれが「修羅」のありようです!)、〈自分〉の背後にある存在を感じ取り、その声を書きとり(これは〈自己〉を分裂させることによって聴こえてくる声です。「お経」と「西洋音楽」は、それぞれ分裂対立していき、それが「作者」のなかで統御されて一篇の「詩」になります。作者は、〈自分〉で詩を綴りながら、〈自分〉のなかへ入ってくるいくつもの〈声〉を聴いています。彼の詩篇の( )で括られた部分は、作者の外【そと】から、とくに背後からの声の言語化された姿です)、それに耳を傾けつつ、分裂した自己の統御を求めていく、それをひたむきに求めていき−−そのひたむきさが一つの韻律を産む─そういう多層な深さを持った作品であることを確認し合いました。
 たんに一つのメッセージを語りかけている詩では決してありません。その〈詩〉を読むことによって、人間と世界の関係の複雑な成り立ち、その深層へと一緒に歩んでいける、そういう作品であることを知っておこうと思いました。
 複数の声部が交響し合う詩篇として、これをオラトリオにしてみては、という形式的実験をちょっとやりましたが、だからといって、そういう楽曲形式でみんなでいっしょに謡いましょう、というのはしたくないと思います。むしろ大切なのは、これらの詩篇がオラトリオとして読めることを知って、それをそれぞれの頭のなかで聴く、その想像力こそが求められるからです。

〈絵画〉的な要素としては、「丘の眩惑」のなかで比喩に使われているように、浮世絵が詩の絵画感性の底辺を作っているようです。当時『白樺』などが伝えていた西洋絵画の印象もそこへ投入されています。この詩を作るずっと前、ゴッホの糸杉の絵(「星月夜」のドローイング複製)を見て謡った「ゴオホサイプレスの歌」は、作者の内部で発酵し、ZYPRESSEN(糸杉)という未知の樹木の形象を言語化させ、それを「くろぐろと光素【エーテル】を吸う」「春のいちれつ」のような形と色彩をもったイメージに織り上げていきます。そこで、注目すべきなのは、そういう〈絵画〉の色彩を、あたかもその顔料の物質構成へと還元させようとするかのように、化学用語に置き換え、色彩の原質へ還元させることによって、詩に謡われ描写されている情景を、たんに眼の前にあり、目に映っている「風景」ではなく、そういう現象をそこに創り出している「心象」の映像として読みとらせるように作られていることです。いわば、色彩がその色彩の原素へ還元されることによって、描かれた情景が、その現在へ至るまでの長い歴史を隠しもった現象として目前に在ることを感じとりたい、というのが、作者の狙いであり願いであったでしょう。

 

 そんなことを、いっしょうけんめい読み合ってみようとした午後でした。そうして、2011年の〈土曜の午後のABC〉は終りました。今年はいろいろ、たいへんなことがありました。まだ、それが片付いてはいませんが、そんな経験も、来る年のために活かしていけることをいのるばかりです。みなさん、よいお正月をお迎えください。来年もよろしく。来年は1月14日(土)、27日(金)です。

                                     kinoshita
 
           

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