木下長宏のウェブログ

網膜に積もる淡雪のように(まとめサイト:http://kinoshitan.com)

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上海へ行ってきました。
新しく開設された美術館<藝倉美術館>で「ミケランジェロ」について話をしてきたのですが、講演題目は「混沌を生きる芸術家ミケランジェロ」。
ボクが中国で知られている訳ではないし、レオナルドならともかく、ミケランジェロがテーマでは大して人も集まらないだろうなと思っていたのですが、100席近く用意されていた椅子は満員。それも20代30代の若い人がほとんど。女性が半分以上でびっくりしました。
皆さん熱心に聴いて下さり、終わった後の質問も次から次と、司会者がもう時間ですから、と打ち切る始末。そのあともボクの机の前に質問する人が集まって来るのでした。
そして、驚いたのは、若者達の質問が、ミケランジェロへの興味というより、「ミケランジェロ」とそのミケランジェロを語ったボクの考えかたから、自分たちの生きかたへの指針と裏付けを見つけたいという、つまり、「先生のおっしゃった○○○ということは、△△△ということと理解していいのでしょうか」といった質問内容が圧倒的だったことです。
上海の若者たちが、自分たちのそれぞれの生きかたを求めて、一生懸命考えている姿に打たれて、ボクも時間オーヴァーなんか気にしないで熱心に語り返しました。(何しろ、通訳を通してだから、倍の時間がかかる!)。
日本ではこんなふうに「自分」の生きかたを問答しあう若者は、本当に少なくなってしまった。なにか、見えない権威に身を委ねて、自分で生きることを放棄しているように見える若者がすっかり多くなってしまっている。
上海の若者たちが、巨大権力社会のなかで、自分自身の生きかたを求めて果敢に考え試している姿と出会って、胸を搏たれ考え込んでしまったのでした。
笈田ヨシさん演出の「蝶々夫人」を昨日、池袋の東京芸術劇場で観ました。
素晴らしい「蝶々夫人」でした。

これまで、おそらく世界中で何百回何千回と演じられてきた「蝶々夫人」のなかで(それをもちろん全部ボクは観たわけではありませんが)この笈田ヨシ演出「蝶々夫人」は、それらの頂点に立つ作品になるだろうというのが、観終わった後の強い感想です。

これまでの「蝶々夫人」は、なんと言っても、20世紀初頭のヨーロッパ人の異国趣味(ジャポニズム)を主題と材料にした歌劇として、受け取られ演じられてきました。逆にいうと、「ヨーロッパ近代のエキゾチシズム」を上演するという枠組=足枷から脱け切れることはなく、その代表的作品としてこそ意義があると考えられてきたのが「蝶々夫人」でした。

しかし、笈田ヨシの「蝶々夫人」は、そんな「異国趣味」の足場を完璧に取り払って、テーマを、西洋文化を憧れ尊敬し続ける「日本人」の感性と思想のあり方を問う−ーいいかえれば、「近代現代日本」の思想と感性の根源的な問題を問う作品に、鮮やかに仕上げていたのです。

アメリカの海軍士官と結婚しようとしキリスト教に改宗までした、没落貴族の娘・芸者蝶々さんを支え励ましているのは、封建社会と貧困に呪縛された「日本」を豊かな自由社会へ解放させる夢である。その夢が、ピンカートンとの結婚で実現すると信じ続け、アメリカへ帰ったピンカートンを待ち続ける。この蝶々さんの心性は、現代でもなお生き続けている「日本人」のアメリカ(欧米)文明崇拝を映し出しています。この圧倒的な文化的優位性を笠に着て蝶々さんと結婚ごっこをするピンカートンは、やはり、現在も生き続けている、アメリカ、ヨーロッパの日本や東アジアに対する心性の奥底に滞留している傾向の代表者です。

「笈田版蝶々夫人」は、まずこの奥深い「近代」の問題へ、われわれを連れて行くのです(一幕から二幕へ)。二幕三場で、「笈田版蝶々夫人」は、ピンカートンがアメリカへ帰って結婚したピンカートン夫人と問答する場面を(初演以降プッチーニが削除していた情景)を復活させ(その意味では「笈田版蝶々夫人」は「原蝶々夫人」の再演です)、蝶々夫人の絶望を多義的な問答のなかへ投げ込んで幕を降ろします。つまり、ピンカートンに捨てられ、一粒種をピンカートン夫妻に取られて絶望のあまり、家宝の匕首で「腹切り」をするという伝統的な「蝶々夫人の最後」ではなく、息子を夫妻に渡すしか選択肢のなくなった蝶々夫人は、自死するしかなかったのか(アメリカに代表される欧米文化に自国の文化と自分自身の解放を夢見ていたことの虚偽に気づいたとき、どう自分を処置するか、自殺という清算方法しかないのかーー伝統的な「蝶々夫人」解釈は、それしかないとし、その未解決性は単に蝶々夫人の特殊な個人的な悲劇、あるいは幕末明治の時代の特殊な対外関係下にある「日本」の時代情況のもとでの物語として楽しませるように上演されてきました)。「笈田版蝶々夫人」は舞台設定を昭和初期に仮構し、蝶々夫人の生きかたをそういう特殊な物語に収束させない「近代」と「現代」の普遍的な問題へ投げ返そうとしているのです。

「笈田版蝶々夫人」の結末は、蝶々夫人が匕首を掌に握りしめたところで幕を降ろします。
彼女は、自死を選んだのか、それとも......、この劇自体は答を出していません。答は、このオペラを観終わった一人ひとりの胸のなかで探し続けるしかない。

その一人ひとりのわれわれは、蝶々夫人が選んだ(かも知れない)もう一つの生きかたーー「生き残ること」の末裔です。そして、蝶々さんが夢見て果たせなかった、「アメリカ」「西洋」文化がもたらした社会を享受しています。考えかたや言葉遣い、食べ物、住まいの仕方、衣服なども、すっかり「アメリカ」「ヨーロッパ」のスタイルです。こんなに欧米スタイルを身につけたのに、「自由」だけは獲得できていません。蝶々夫人のほんとうの悲劇は、彼女が立ち竦んだ地点へ、どうやって戻ればいいのか、もう戻れないとしたらどうしたらいいのかという問いへ、否応なく連れて行かれるところにあるのかもしれません。観る者も、演じる者も、一瞬、問いの只中に立ち竦むとき、パッと舞台は終りを暗示します。終りは始まりだ。
この終りかたが、「笈田版蝶々夫人」の新しさと魅力を象徴しています。

魅力という点では、「オペラ」とはいえ、出演する歌手が、みなさん「歌手」だからねと許されてきた下手な演技者ではなかったところにもあります。眼を楽しませる演技と工夫されたミニマムな舞台装置、歌わない人(ダンサーたち)による舞台作り、ときめ細かい演出も強調しておかなければなりません。

もちろん、歌い手さんたちの歌唱力も、とてもよかったし、オーケストラも合唱団も、文句なしの演奏を聴かせてくれていました。

プッチーニの優雅なメロディーを存分に歌わせて、しかし、冗漫にならないテンポの速さで、劇全体を包み引き締め、笈田版「蝶々夫人」は、この作品を旧来の「歌劇」ではなく、新しい「悲劇」に仕立て上げていたのです。

(「笈田版蝶々夫人」の日本公演は昨日が最後だったのですが、ボクがもっと早く観ることができて、この感想をもっと早くに多くの人に伝えられて、少しでも多くの人に観てもらえれば良かったのにと、それがほんとうに残念です。)

kinoshitan

2016年の読書より、

この一年の読書より
 
2016年も、いろんな本を読んだ。いただいた本も多いし、ウェブの通販でもずいぶん買った。
ときどきは、書店へ出かけて、手にとってぺらぺら眺めてみるのは、やめられない。通販では、内容予測がほぼ確定している本しか注文しないが、店頭では、思いがけない本をみつけたり、それを買って帰って読んで、いろいろ教えられたり、新しい楽しみと出会ったりする。
 
たくさん読んだこの一年の読書のなかから、記録しておきたい出来事が二つある。
 
もう何ヶ月か前の話だが、京都のSURE という出版社から一冊の本が送られて来た。封筒に「著者代」とあった。封を開いてみると、鶴見(俊輔)さんの『敗北力』だった。
 
著者が出版社に依頼して送って下さる本に「著者代送」と記してあることはよくあるが、その場合、著者は存命中なのがふつうである。当然どなたかの最新のご活躍の一端を送ってくださったのだろうと、いつものように封を切った。ところが、そこから出て来たのは、すでに亡くなられた鶴見さんの著書だった。鶴見さんが冥界から送ってくださったような気がして、その本を開く手が少し震えた。
 
いまも、その「著者代」と書かれた封筒を捨てられないでいる。
 
同時に届いたもう一通の手紙が、鶴見さんの奥さんからの手紙で、ボクの近著『自画像の思想史』を読んで、その感想を綴ってくださっていた。
 
ボクは鶴見さんがご存命のあいだは、本を出すと送ってきたが、こんかいの『自画像の思想史』は、亡くなられてしまったので、送らないでいた。奥さんは、新聞に載った書評を読んで、この本を注文され、読了されたのだった。少女時代のご記憶を呼び起す本だったと誌されていた。「あとがき」に、ボクがこの本は鶴見さんに捧げたいが、鶴見さんはもういない、というようなことを書いたのを(わざわざご自分で購入された本のなかに)見つけて、奥さんはやはりなにか不思議な出会いを感じられたようだった。
 
「著者代」は、奥さんの指示だったことにちがいない。(奥さんは、鶴見さんの遺著が出たので別便で送りますとは手紙のどこにも記しておられなかった。だから、奥さんの指示だったにちがいないというのは、ボクの推測にすぎない。いくつかの不思議なそして幸せな巡り合わせが、ボクのまわりに一瞬渦巻いたのだ。)このお手紙もボクの宝物となるだろう。
 
そういえば、ボクは、数年前に鶴見さんからいただいた一つの葉書を、本棚に立てかけて飾っている(201157日の日付。それから半年後鶴見さんは倒れられ、この葉書はボクにとって最後の便りになった)。そこには、《あたたかくなって、赤ん坊を町で見るようになりました。いやおうなしに、私のいない日本を考えます。》と記されている。
 
鶴見さんはこの地上にいなくなったが、鶴見さんの遺した言葉は、ボクたちに投げかけ続けられている。
 
 
『自画像の思想史』を責了したころだった。長い仕事を手放した奇妙な解放感を抱いて、本屋さんへ出かけた。新刊の文庫の棚をあれこれ眺めていると、『ひとはなぜ戦争をするのか』というアインシュタインとフロイトの往復書簡が文庫になって再刊されているのを見つけ、ペラペラとページを繰ってみた。と、―「知識人」こそ、大衆操作による暗示にかかり、致命的な行動に走りやすいのです。なぜでしょうか。彼らは現実を、生の現実を、自分の目と自分の耳で捉えないからです。紙の上の文字、それを頼りに複雑に練り上げられた現実を安直に捉えようとするのです―というアインシュタインの言葉に出会い、これは捨て置けないと、購って帰り、一息に読んだ。
 
この文庫には、現代日本の脳学者と精神分析医のお二人が解説をつけている。脳学者のは、解説というにはひどすぎる。アインシュタインもフロイトももう古い、いまはITの時代だからと、自説を振り回すだけで、アインシュタインとフロイトから自分がどんなメッセージを受け取ったかも語っていないし、受け取るべきかを読者に告げようともしていない(ひとはなぜ戦争をするのか、本気で心配なぞまったくしていない人の文章だ)。もう一つの解説、精神分析医学者のほうは、もう少していねいに、アインシュタインとフロイト(とくにフロイト)の言葉に寄り添い、二人の言おうとしていることを伝えようとしている。
 
それにしても、驚き、同時に悲しくなったのは、二人の解説者が、どちらも、《知識人は紙の上の文字を頼りにして、複雑に練り上げられた現実を安直に捉えようとする》というアインシュタインの言葉に、留意していないことだった。お二人は、この言葉になにも感じなかったのか。
 
この言葉は、二人の解説者にとっても、もちろんボク自身にも、そして日本の、いや現代の世界中の知識人に突きつけられた警告ではないか。この言葉を前にして、ボクたちは、身を糾し、心を洗い直さねばならない。その言葉に撃たれて、思わずボクはこの文庫本を買って帰ったのだし、この言葉を巡って、あらためて自分(たち)を見つめ直す機会を作りたいし、作り直さねばならないと思う。われわれが、どのくらい、《紙の上に書かれた文字(情報)だけを頼りに、この複雑な現実を安直に整理して解ったつもりになっているか》、生きている一瞬一瞬ごとに、振り返らなければならない。
 
この言葉を、絶えず、頭のなかの出発点に置いて、アインシュタインとフロイトの84年前の言葉を読めば、そのひとつひとつが、新鮮な姿でわれわれの前に現れてくるのではないか。そういう解説を読みたいと思う。これは、ボク自身が書くしかないか、と苦笑いする一方、現代の日本の知識人の傲慢さと鈍感さに、考えこんでしまったものだった。(忘れず付け加えておこう。ボク自身も、そんな鈍感さと傲慢さを無意識の裡にいつも振り回しているにちがいなく、出来るかぎりそれに気づかねばならないと戒めていることを。この心構えは、鶴見さんの《自分がいなくなった後の日本を憂えている》という遺言を、ボクたちがどう受け止めていくか、と繋がっている。
                                   (2016 12 28)

漱石の「文展と藝術」を読んだあと、席をジャックカフェに移し、みなさん
に祝っていただきました。
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写っているケーキは、ジャックカフェのスタッフが作ってくれた特製のタルトです。
ジャックカフェのみなさん、いつもありがとう。
それから、勉強中には、かつての学生からの心づくしいっぱいの誕生祝いクッキーが届いたり。
みなさん、ありがとう。
 

2015年最後の集まりを、陶淵明を読んで締め括りたいと思います。

 

陶淵明を、ボクはどういうわけか、ごくごく若いころから、折に触れて読んできました。別に彼を研究しようとかいった野心があるわけでもなく(彼の詩にそういうところがあるのだと思います)、心に隙間風が吹いたときなどに、ふと取り出して作品集を開くのでした。30歳ころからそんな習慣ができましたから、もう半世紀近く付き合って来たということになります。いつも開くのは、岩波書店の『中国詩人選集』の一冊で、これは選集なのですが、それでボクには充分なのでした。(新書判の大きさで、当時漱石全集などもこの判型で出ておりましたが、函入り、クロス装。ちょっと荒い布地の手触りもよく、軽くって持ちやすいし、鞄の隅や、ポケットにすっと納まり、読むときも開いたところが、そのまま静かに開いて撥ね戻ったりしません。昔はそんないい本がいっぱいありました。)ほかに、もう一冊。これはとっても古い、おそらく中国の版本を江戸時代に修理して作られた帙入りの三冊本。古い古い木版刷の版本で、半ばボロボロになったものを丁寧に修復しています。これを長い間大事に持っています、古本屋にも売らずに。よほどのことがないかぎりこれを開くことはないのですが、宝物のように大事にしてきました。

 

そんな陶淵明なのですが、『自画像の思想史』を書き上げ手放した段階で、ふっと気がついたことがあります。意外なところで、自画像の思想史を考えて行く上で、陶淵明にお世話になっていたのだ、ということです。<思想>というのは、じっくり読んでいると、知らない間にいろんなものから栄養をもらっているのだと、つくづく思ったのでした。

 

で、2015年の締め括りは、そんな陶淵明への感謝の意を籠めて、みなさんにも陶淵明に親しんでもらいたいという願いも籠めて、彼の詩を、少しご紹介したいと思った次第です。


当日は、陶淵明の作品のなかから、とくに、ボクが『自画像の思想史』を考える上で大きなヒントをもらったことをあとから知った「形影神」の詩と、陶淵明といえば、誰もがまず思い出す「桃花源記」を選びました。このうちの「形影神」はボクの愛読の岩波『中国詩人選集』版と岩波文庫の『陶淵明全集』版を比べて読んでみることにしました。


そこで、とても面白いことに気がついたのです。漢詩の原文に添えてある、江戸時代伝来の訓読で表記すると、この二つの本の訳が奇妙な程同じ日本語になり、その横に付けてある現代語訳では、両者はそれぞれ独自の日本語で展開します。なぜ、江戸伝来の訓読読み下しをすると、こんなに画一的な日本語になってしまい(それぞれ独自の個性と教養背景をお持ちの研究者がです!)、現代日本語にするとちがいが出るのか。これは、なかなかおおきな問題です。


「桃花源記」は、作品を鑑賞しながら、この詩のテーマの一つが、「難民」であることを提起してみました。


詳しい議論の内容は、ちかいうちに、原稿化したいと思っていますが、以上、とりいそぎのご報告です。(2015.12.20)

 

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