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			<title>木下長宏のウェブログ</title>
			<description>木下長宏によるインフォメーションなどのためのウェブログ。
まとめサイトは＜http://kinoshitan.com/＞</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/kn_lechien</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>木下長宏のウェブログ</title>
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			<description>木下長宏によるインフォメーションなどのためのウェブログ。
まとめサイトは＜http://kinoshitan.com/＞</description>
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		<item>
			<title>このウェブログは、8月31日をもって閉鎖されます。</title>
			<description>　　　　　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　YAHOOのブログは終りますが、＜土曜の午後のABC＞は、もちろん続けます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　今後のABCの報告等は、ホームページ &lt;a HREF=&quot;http://kinoshitan.com&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;http://kinoshitan.com&lt;/a&gt; でご覧下さい。&lt;br /&gt;
　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　木下長宏&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/kn_lechien/65779052.html</link>
			<pubDate>Sat, 31 Aug 2019 14:11:52 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>次回の＜土曜の午後のABC＞は、９月7日（土）14:00～17:00波止場会館４Bです。</title>
			<description>次回９月7日(土)のABCは、波止場会館４B です。&lt;br /&gt;
14:00～17:00。&lt;br /&gt;
＜老子と創世記とミケランジェロ＞という通しテーマで、なんかいか、話してみようと企んでいます。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『老子』はいっぱんに処世の書として読まれてきたのですが、じつは、中国最古の＜天地創生＞を語る書でもあります。そして、その＜天地創生＞説と最も対照的なのが、旧約聖書の「創世記」に書かれている＜天地創造＞物語だと思います。&lt;br /&gt;
（こういう比較をする場合、日本人はすぐ、古事記や日本書記を持ち出してきますが、記紀の天地開闢物語は、８世紀の産物。そして、内容は『老子』［紀元前７～5世紀までには書かれていた］の書き換えである『淮南子』［前２世紀成立］や三国時代の産物『三五歴記』の孫引きと列島土着の伝承からなるものです。その意味でも、まずは『老子』と同じ頃に成立した『創世記』を比べてみるのは大事な手続きのように思われます。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
われわれは、『老子』は、何年かかけて読んできましたが、『創世記』は読んでいませんので、東西の天地創生論を考えるには『創世記』を少しは詳しく読んでおくべきだと思い、とりくんでみようかと企てた次第。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そのさい、われわれに親しいミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井画に『創世記』を読む導き手になってもらうと、『創世記』がより興味深く理解できはしまいか。ーーというわけで、＜老子と創世記とミケランジェロ＞ということになった次第です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、このブログは、まもなく閉鎖となります。そのあとは、ホームページに集中していきますので、よろしく。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
kinoshitan</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/kn_lechien/65778873.html</link>
			<pubDate>Fri, 30 Aug 2019 23:08:57 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>次の＜土曜の午後のABC＞は、7月26日（金）19:00~21:00波止場会館３Cです。</title>
			<description>次の7月26日（金）19:00~波止場会館３CのABCは、＜ゴッホの終着駅ーあるいは、オーヴェルへの旅＞と題して、先日訪ねてきたオーヴェル・シュル・オワーズで考えたことを、紙芝居風に仕立てて、ご披露する予定です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ゴッホは、オーヴェルにわずか二ヶ月（70日）しかいなかったのですが、そこが終焉の地になりました。そこで猛然と絵を描き、描きに描いたその密度は、オランダ時代、パリ、アルル、サン＝レミ、どの時代に比べても、濃い、なにか絵を描くということを圧縮して生きた70日という感じで（画風もどの時代にもない世界にむかっています）、オーヴェル時代を眺めるだけで分厚いゴッホ論が書けそうな、そんな「時代」（と呼ぶには短すぎるが濃密な70日）なのです。そんなことは、以前からわきまえていたのですが、こんど、ゴッホの最後の70日を生きたちょうど同じ時期ー６月に、ゴッホの70分の１の時間をオーヴェルで過ごしてきて、あらためて考えさせられた体験をしてきました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
それを、みなさんにお伝えするのに、どう言う方法がいいか、いろいろ考えたのですが、今回は、そのとき撮ってきた写真を披露しながら、関連する作品の複製といっしょに、紙芝居形式で語ってみようと思いついた次第です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
パワーポイントにするのが、いま風なのですが。飴玉をしゃぶりながら、聴いて（見て）いただくのには、紙芝居のほうが...と。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「オーヴェル」というと、ゴッホはなぜ自殺したのか、いやほんとうに自殺だったのか、といったことばかりが話題にとりあげられますが、26日にはそんなことには話頭は向けません。彼の、オーヴェルで描いた「絵」を考えるための話題を用意します。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
kinoshitan</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/kn_lechien/65771556.html</link>
			<pubDate>Tue, 23 Jul 2019 20:03:12 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>報告</title>
			<description>「ABCの部屋」に坂本恭子さんからいただいた通信をアップしたので読んでください。&lt;br /&gt;
児玉靖枝さんは、現代の画家のなかでもボクたちがとくに注目尊敬している画家のひとりです。坂本さんの文章を読んでいただくと、ABCで考えている問題とも共鳴する画家であることが納得してもらえるだろうと掲載の許可をもらいました。児玉さんの仕事に興味を持っている人がひとりでも多くなるように。群馬館林美術館にもぜひ足を運んでください。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ABCで勉強していることが、＜現代の仕事＝生きかた＞と響き合っていくことは、いつも願っていることです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
なお、ボクは、&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
7月20日(土)は、神奈川新聞社８F 、14:00～、『茶の本』に書かれている琴の名手「伯牙」を手がかりに「芸術」とはなにかを考える話をします（岡倉天心市民研究会主催）。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
7月26日(金)は、＜土曜の午後のABC&amp;gt; 波止場会館３C、19:00～21:00で、パリ報告の第二弾「オーヴェルとヴァン・ゴッホ」の話をしようと準備しています。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そのあとは９月７日(土)まで、夏休みです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
kinoshitan</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/kn_lechien/65770156.html</link>
			<pubDate>Wed, 17 Jul 2019 11:34:35 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>坂本恭子さんからいただいた文章を掲載します。</title>
			<description>記憶と無文字と児玉靖枝さんの絵　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
先日も、楽しい時間をありがとうございました。「記憶」をめぐる『茶の本』の一節と、プルーストとの「コレスポンド」のお話が、〈無文字文化〉につながっていくような気がしたのですが、「あ、」と一瞬、本当にふっと頭をよぎった感触だったので、教室ではまとめきれず、またもメールで失礼いたします。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
〈無文字文化〉から〈文字文化〉への移行は、「記憶」ではなく「記録」を重視する文化・社会への変化、とも言い替えられるように思いました。そう考えると、縄の結び目を繰りながら伝承をよみがえらせる、アイヌや南米（でしたでしょうか）の風習は、「記憶（無文字）」と「記録（文字）」が、境をあやふやにして重なっている、そんな文化の様態に位置づけられます。彼らにとっては、「記憶」と「記録」を分かつ必要などなかったのではないでしょうか。琵琶法師が歌う『平家物語』も、「記憶」と「記録」の双方で成り立っていたはずです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
口承や謠は、語られ、歌われるたびごとに、歌い手の感情と聴き手の感情が響き合い、ゆらいでいきます。つまり、口承や謠は、さまざまな「記憶」が重ねられ、それゆえに生じる変化を、身の内に抱きしめていることになる。そういう文化の様態に生きる人びとは、確固として動かし難い「記録」ではなく、「記憶」の厚い堆積に支えられ、ゆらぎをもった認識こそを、「史実」あるいは「リアルなもの」と考えていたのかもしれません。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日常の小さなものに目を向ける『茶の本』と、紅茶とマドレーヌというふとしたものから、とめどなく記憶がほどかれていくプルーストの小説のコレスポンドは、人間にとって「リアルである」とはどういうことかを問い、ささやかで儚い「リアルなもの」にもとづく芸術や美の在り方を、私たち考えさせてくれるように思います。どちらも「文字」で書かれた書物だけれども、人間の文化の古層にある〈無文字〉の精神は、「文字」を使っているか否かで測れるものではない、そのことを示す一例として、先生のコレスポンドのお話がさらに広がっていくようでした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
あの日は児玉靖枝さんが参加されていたグループ展「伊庭靖子 児玉靖枝 袴田京太朗 ― 悪魔的な」（MA2 Gallery）の最終日で、駆け足でしたが、そちらを拝見してから〈土曜の午後のABC〉に伺わせていただきました。3人の制作の共通の傾向というより、展示されていた作品たちの、それこそコレスポンダンスだったのかもしれませんが、「絵画（あるいは彫刻）は “見えなくする”ことができるものなのだ」という想いが、会場を回っているあいだに、私のなかでどんどん強まっていきました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
視覚（のみ）で享受すると思われがちな絵画の魅力は、「見えるようにしている」点で評価されることが圧倒的に多いように思います。「見えるようにする」対象が、眼には見えないもの（たとえば「精神性」といった言葉で片づけられるもの）であれば、なお凄いとされます。でも、絵画は、「見えないようにする」ことにも、みずからの可能性を賭けてきたのではないか。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
昨年から、児玉さんは「Asyl」と題したシリーズを展開していて、紫や黄や青のみ（厳密には単色とは言えませんが）で木を描いたり、梢の下が蔭に沈んで茫洋としているような風景を描いています。その、蔭に沈んだ部分をもつ新作の前を横切っていったとき、私の歩みに合わせて、真っ暗に思えた蔭のなかに、ふっと枝葉が浮かんで、そして消えていきました。絵具の質感の違いや、塗り重ねのテクスチュアがもたらす、本当にかすかな視覚。その絵を横から眺めると、窓からの光の反射で絵柄がほとんど見えなくなり、部分的な輪郭だけが浮き上がってきます。真夏の強烈な陽光にさらされて眼が狂わされてしまう、そんな視覚の記憶がよみがえりました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
私たちが現実に前にしている世界は、本当は、「見えるもの」よりずっと多くの「見えないもの」でできています。見えないようにされた何かが、ここに潜んでいる――。そういう予感あるいは疑念は、見たい、触れたいという欲望へと私たちを導くと同時に、「見えていた」と思っていたものに対して、一気に不安を催させもします。それこそ、悪魔のように。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
あとで読んだ3人の往復書簡における袴田氏の説明では、「悪魔的な」という展覧会のテーマはまったく別の意識から持ち上がったようですが、あの会場をめぐりながら、私は、「見えなくされた」ものを秘める絵画や彫刻のリアリティが、どれほど悪魔的か（児玉さんのタイトルを引けば、それは「Asyl（聖域）」にも変わるわけですが）、そういう畏れに似た感覚にとり憑かれていました。一度描いた画面を塗りつぶして、そこから掘り起こすようにしてイメージを結んでいく児玉さんの制作の方法（その痕跡を示すキャンバスの側面）が、どれほど「見えないもの」の魔的な力を湛えていたのか、そのことに、あらためて気づかされる時間でもありました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ギャラリーの上階から降ってきて、1階の入口のほぼ正面に掛けられていた児玉さんの紫の「Asyl」をもう一度みつめたとき、ガラス越しに外光がうっすらと射し込んで、絵が光に満たされました。絵そのものが発光していると思えるくらい、まばゆい姿でした。パール材がふんだんに使われていたことだけが原因ではないと思います。色を極端に削いだ樹木の絵、まさに「見えなくさせる」ことを孕んだ絵は、絵具でもっとも定着しがたく、人の視覚がもっとも捉えにくいはずの、実体のない光のきらめきを、絵画という物体として顕現させているようでした。その光に目をくらませたまま、恵比寿駅までの道を急ぎ、〈ABC〉で先生のお話をうかがったあの日は、〈無文字文化〉の片鱗と、「見えなくする」ことを抱えた作品たちの記憶が、どこかで共鳴・照応しているのを感じつづけている、そんな一日でした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
追記．&lt;br /&gt;
「それは幾度となく螺旋的に訪れる、感覚が未分化なまま揺籠に揺られているような心地の良い場所、何度となくそこに近づきながら留まることは許されない場所なのです。／裏返せばそこは断崖絶壁のような険しい場所で、まだ見ぬ向こうへ踏み出さねばならない場所でもあります。」と、昨年刊行された作品集に児玉さんは記しています。ひとつの制作の極点は、作家にとって、ぬくもりに包まれた安全地帯であると同時に、これ以上の展開を阻む崖ともなる。その表裏一体の危険を見落とさない厳しい感性と、見えない先に踏み出すことを自身に課しつづける、作家たる者の強い意志。それらが読み手をも貫いてくるようで、私はこの一節がとても好きです。児玉さんがふたたび「まだ見ぬ向こうへ踏み出」した「Asyl」の手触りが消えてしまわぬうちに、群馬のグループ展* も訪れなければ！と思っています。　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　坂本恭子　　&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　&lt;br /&gt;
*「みつめる　見ることの不思議と向き合う作家たち」（9月16日まで、群馬県立館林美術館）</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/kn_lechien/65770151.html</link>
			<pubDate>Wed, 17 Jul 2019 10:57:09 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>７月20日（土）『茶の本』の話をします。場所は神奈川新聞社（関内）８Fです。</title>
			<description>７月20日(土)、14時から、神奈川新聞社（神奈川メディアセンター内）８F にて、岡倉天心市民研究会主催の研究会で、＜『茶の本』を読む＞をテーマに話をします。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
『茶の本』のなかの、「伯牙」に焦点を絞って、「伯牙論に読む芸術論」を考えてみたいという予定です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
自分で言ってちゃ世話ないのですが、いままでの『茶の本』論「や岡倉」論では拓けなかった議論の世界にみなさんをお連れします！&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
神奈川新聞社は、JR関内駅、東急みなとみらい線「馬車道」「日本大通」駅から徒歩５分です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
kinoshitan</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/kn_lechien/65769098.html</link>
			<pubDate>Sat, 13 Jul 2019 12:55:07 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>2019 ４28岡倉天心市民研究会で語った＜『茶の本』と老子＞　まとめ　その１</title>
			<description>「『茶の本』と老子」　その１&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　　　　　（2019.4.20 「岡倉天心市民研究会」で喋った『茶の本』論のまとめです。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
								　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　木下　長宏&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
何年か前に『茶の本』を訳して、『新訳茶の本』と題して出版しました。いささか自負もしています。というのも、あまりにも今までの『茶の本』の翻訳が、不勉強で、岡倉覚三が亡くなって皆が「岡倉天心」と呼ぶようになってからのイメージに引きずられて訳しているからです。これまで十何冊かの日本語訳が出ていますけど、誰もやらなくて、誰かがやらなければいけなかったことがあります。その一つは、岡倉が中国の花の文献を詐蓮峅屐廚箸いΔ箸海蹐念僂靴討い觸佚気任后きょう初版本を持ってきましたが、そこには岡倉の註で“Pingtze,”by Yuenchunlang.とあります。今までの訳者は、岩波文庫から始まってたくさんの方が訳されているのですが、それを「不詳」としてしまっている。岩波文庫版を訳された村岡博さんは岡倉覚三の弟の英語学者由三郎の弟子筋の人で、最初に『茶の本』完訳を企てられた開拓者だから、まずはこの英文図書を日本語で誰にも読めるようにする使命があるから「不明」としておいてもいいでしょうが、その後の訳者たちもそれに倣って、皆さんこぞって「不詳」としてきた。なかには、こんな註は「天心」を考える上で無用だとばかり、完全無視している訳者もいっらしゃる。ボクもこれはよほど見つけ難い文献で、原典が探せないのだろうか、と思っていました。&lt;br /&gt;
ところが、ボクがやっている私塾「土曜の午後のABC」で改めてThe Book of Teaを訳読しようということになって読み進めていったのですが、ちょうど私塾に来ていた東京大学の大学院生で日本文学を研究している台湾の留学生に、このPingtzeという英語綴りからどのような漢字がイメージできるか聞いてみたのです。そうすれば、『大漢和』とか『佩文韻府』とかを調べたら何か手掛かりが出てくるだろうと思ったのですが、彼女は即座に「これは『瓶史』です。著者は袁宏道、Yuen chun lang」とすぐ答えをくれました。長年「不明」だったところをいともかんたんに解明できたのは留学生のおかげであって、ボクもえらそうにできないのです。ただ、それまでの訳者はそういうふうにさえ、努力してこの註を解き明かそうとすることに関心を持たなかったことが大問題と思うのです。先輩が判からない、と言ったら、これは分からないものなのだ、ということでずるずると訳してきてしまった岡倉研究者は怠慢以外のなにものでもない、と叱りたくなります。&lt;br /&gt;
もう一つ。ぼくが最初にボストンを訪問したのが1973年です。岡倉は、ロンドンの古物商で働いていた冨田幸次郎さんをボストンに呼び寄せたのですが、その冨田さんがまだ健在でボストンの郊外におられ、紹介してもらったら、すごく歓迎されました。冨田さんの行きつけの中華料理店に連れて行ってもらったり、ご自宅にお茶に招かれたりして、いろいろなお話を聞かせていただきました。そこで聞いた一つが、ボストン美術館でボランティアで働く御婦人たちの集まりがあって、そこで、The Book of Teaの一部をお話したらしい。冨田さんが修復担当の助手としてボストンに来たときはもうThe Book of Teaは出ていたわけです。そのThe Book of Teaを出す頃に助手をしていたマクレーンさんによると、岡倉は講演が終わると下書きをポンとゴミ箱に捨てていた。マクレーンがそれを拾って、しわを伸ばして残しておいた、というのです。冨田さんが見た話ではないのだけれど、近くにいた人たちの話だから、そういうお話は大事に扱いたいと思います。&lt;br /&gt;
それと、第犠呂離織ぅ肇襦The Cup of Humanity ですが、これはThe Cup of Humanitea の駄洒落として訳したこと。なぜか、これまでの訳者はそうか解釈してきませんでした。これは、単なる言葉遊びというより、The Book of Tea 全体のメッセージを読み解く鍵になる言葉だと思います。&lt;br /&gt;
ボクの『新訳茶の本』の刊行は2013年で、明石書房が明石選書というシリーズを作って月に何冊か出さなければならない。そのためちょっと急がされて十分な校正が出来ませんでした。今日持ってきましたこの本に、ボクはこれだけ訂正の付箋を貼っておりますが、その誤植をどうしても知りたいという人は、おっしゃってください。もちろん、付箋抜きでも読めますし、訂正すべき箇所を探しながら読んでいただくのも、楽しい読書になるかもしれません。&lt;br /&gt;
前回は、岡倉の人生・活動を３期に分けて「序」「破」「急」としました。『茶の本』はこの「急」の段階の仕事ですが、その後、彼はまだ５年間存命していて、この間にも考えかたを変えていきます。&lt;br /&gt;
その考えを変えていっている間に、岡倉のことを理解していく上でとても重要なことがあった。岡倉はその思想を結局熟すことなく死んでしまった。50歳とまだ若いですから、まだ熟し切らない「序」「破」「急」の「急」の頂点で死んでしまったという気がしています。そういう高みにいこうとするときに書いている。これからその波に乗ろうとする直前の段階で書いているのがThe Book of Teaです。その後、著書はありません。ちょっとまとまったもので言いますと「白狐The White Fox」と『国宝帖』です。『国宝帖』は、「没後の岡倉」の翻弄されていく運命を象徴しているようなところがあります。中川忠順という岡倉の忠実な弟子がいますが、じつはこの人はとても食わせ者、とボクは思っています。この人が岡倉没後の全集の英文関係を全部整理して行きます。「日本美術史」も整理するのですが、かなり勝手な判断でもとの原稿を切り刻んでいます。岡倉は彼を信頼していたのですが、岡倉の死後ひどい裏切りかたをしていきます。岡倉がボストンで考えていたことを全く考慮しないで、「天心」神話形成に貢献していくのです。「日本美術史」などは平凡社で岡倉の全集を出すまでは、中川忠順編集版が岡倉の「日本美術史」の定番として流通していました。『国宝帖』は、岡倉と中国思想、とくに老子との関連についての岡倉最晩年の思想を教えてくれる貴重な仕事の一つです。筑波大学の林みち子さんの報告によると旧全集収録の『国宝帖』では、岡倉の老子関係の記述がごっそりカットされているということです。それをカットしたのは中川忠順なのです。とにかく「天心」として岡倉覚三を祀り上げた人々の言説は、息子も弟も横山大観も、みんな見直していく必要があります。&lt;br /&gt;
岡倉の中に流れているものの中で一番大事なのは『老子』だと、前回申しあげましたが、その「老子」が『茶の本』の中でどんなふうに活かされているか、ということを今日のお話のテーマにしたいと思います。&lt;br /&gt;
　原題は“The Book of Tea”で現在は『茶の本』で通っています。岡倉覚三によって英文で書かれ、1906年にロンドンとニューヨークで出版されました。今日その初版本を持って参りましたが、扉を開くと、まずはThe Book of Teaとあります。この時代の本はそうなのですが、すごく手触りが良い、クロス装です。大げさなクロスではなく、タイトルは金箔押しです。造本は軽くて、開いても戻りません。今の本は開きっ放しにするとすぐ戻ってしまいます。この本は古本で買いましたから、所有していた人の蔵書票が扉の裏に張り付けてあります。原題の下にBY　OKAKURA-KAKUZOとあって、さらにその下に3行に並べて、一番上がG.P.PUTNAM’S SONS、二行目にLONDON AND NEWYORK、その下に１９０６とあります。ところが扉の裏にはCOPYWRITE 1906 by FOX DUFIELD ＆ CANPANYともあります。別に初版本と言われているものがあって、平凡社の岡倉天心全集ではそっちを使ったのですが、そこではFOX DUFFIELD&amp;COMPNYとなっていました。これはアメリカの出版事情の歴史とか細かいことを調べていくとわかるのでしょうが、多分フォックス・ダフィールドという出版社がニューヨークにあって著作権はダフィールド社に属し、出版販売はプットナムがすることになった、ということのようではないか。プットナムはプットナムとその息子の合資会社で、ロンドンとニューヨークに店があったのではないか、と思っています。&lt;br /&gt;
歴史というのは、複数の原因から一つの出来事が起きて、それを解明して真実は一つということで落着するかもしれないが、解明する人たちにとっては一つの事実として限定できないのですね。別な見方から調べていくと必ず別の事実が浮かび上がる。これが事実だと思っていても、またそこに隠れていた事実が浮かんでくる。だから歴史を書く時気をつけないといけないのは、いまわれわれが持っている史料ではこれが事実と考えられる、と受け止め記述することです。そういう態度で歴史を書き考えないといけないと思っています。こんな小さな本の出版一つでも、出版元はどちらなのか、決めかねます。が、それは『茶の本』というテクストを読む上でそんなに重要なことではないだろうとも思っております。『茶の本』に関して言えば、ともかく1906年にロンドンとニューヨークの出版社から出たということさえ押さえておけばいいことだろうと思います。&lt;br /&gt;
ボクの興味はどういう経緯でその本が出版されたかという事実の探索以上に、この『茶の本』がどんな内容で、岡倉が何を言いたくて、この本をどういうふうに書いたか―ということです。&lt;br /&gt;
 　『茶の本』の本文は７章から成り、The Ideals of The East(『東洋の理想』)１９０３年刊のように他の人の序文や著者紹介は一切ない。目次と本文だけです。これは注目しておいていいことで、前回お話しましたが、『東洋の理想』ではインド思想研究家のニヴェディタさん (本名・マーガレット・E・ノーブル＝英国人女性) が序文を付けて、それにより『東洋の理想』は一種の思想的色付けをさせられた、というのがボクの考えです。そういう意味では無垢な岡倉が書いただけの文章ではない本に作られた本です。またThe Awakening of Japan 1904は『日本の目覚め』とか『日本の覚醒』と訳されていますが、こちらはニューヨークのCentury(センチュリー)社から出版され、Publishers’ Preface〔出版社による序〕が巻頭に付けられ、岡倉はどういう人か紹介しています。日本人でとても東洋の美術に精通した鑑識家で英語がとても達者な人、としています。&lt;br /&gt;
『茶の本』では、1904 年にセントルイス万博で講演したり、ボストン暮らしも三年目に入り、そういう著者紹介が一切必要なくなった、ということでしょう。&lt;br /&gt;
この本が出来るまでに、いろいろな経緯があったようです。富田さんからうかがったように、最初は美術館に奉仕するご婦人たちに話したものでしょう。それから当時の雑誌に日本や中国の紹介をしているのがあまりにもでたらめなので、岡倉が怒って「ぼくが代わりに書きましょう」と書いたのが詐呂｢花｣の元になったようです。その後、第１章The Cup of Humanity〔人間主義茶の一碗〕と第２章The Schools of Tea〔茶の諸流派〕も雑誌に載りました。これが美術館で話したあと岡倉が捨てた原稿を拾ったマクリーンがセンチュリー社に渡し、雑誌に載せられたと考えていいでしょう。センチュリー社という出版社はかつてリチャード・W・ギルダーという人が編集長で、そのギルダーと岡倉は古い知り合いでした。岡倉が23歳の時、最初に欧米旅行に行った時にアメリカでとても親切にしてもらった人です。&lt;br /&gt;
『茶の本』の初版本は全７章に分かれていて、その初版の目次には、各章ごとに数行の要約が載っています。これは編集者が付けたものでしょう。ここでは、再掲いたしません。&lt;br /&gt;
 犠The Cup of Humanityの「ty」は、「tea（茶）」の音にかぶせた言葉遊び、駄洒落だとさきほどもうしました。岡倉は多分この講演をする時、茶のカップを手にしながら、ご婦人たちを笑わせたのでしょう。でもこの「&amp;#8211;ty」を「tea」と掛けているのは大事な岡倉の狙いどころで、後ほど説明します。翻訳するならこの洒落を何とか訳さないと岡倉の真意が伝わらない。そこはかなり考えました。十何種類考えた挙句、｢人間主義茶の一碗｣としました。でもまだ満足していません。「一杯の人間主義茶」のほうがいいかな、と最近は考えています。もっと面白い訳がないか、ぜひ皆さん考えていただきたい。Ｈumani&amp;#8211;teaとしたよき、ウーロン茶や焙じ茶と同じように受け止められるどんな日本語があるか、いろいろ考えるだけで楽しくなります。&lt;br /&gt;
Humani-teaなどと言葉遊びを楽しみながら、地球上で西洋と東洋はいかに理解し合わない歴史を辿ってきたか、と語り出し、敵意を煽ったり誤解を応酬するのは16世紀以降だが、同時にその時期にteaは、東から西へ伝わっていて、東でも西でも人々を慰め喜ばせてきた、茶こそ東西相互理解の妙薬と言える―と話を進めます。現代の『茶の本』を語る人は、ここで躓いてますね。東西の対立と融和は、本当に言いたいことを始めるための前座噺のようなものです。犠呂任禄个世靴鳩襪咾某┐譴討い襪世韻任后２倉は、外交官になるつもりはなかったし、文化使節という自覚も持っていませんでした。なによりも芸術を愛する人だった。その「芸術」を愛することを、この地球上でどう全うすればいいか、これが、彼が一生を賭けた課題であったし、『茶の本』でも、その問いが貫かれているのは、少し丁寧に読んでいけば気づくはずです。「茶」を愛し合うことで東西の調和を図りましょうなどと唱えているのではなくて、茶という東でも西でも誰もが楽しんでいる飲み物には、人間的に生きることはどうしたら実現できるか、真に人間的な芸術となにかを考えさせてくれるなにかがある、ということを、岡倉は語りたいのです。&lt;br /&gt;
蕎The Schools of Teaは、「茶の流派」とか「茶の学派」とか訳しています。中国大陸で誕生した「茶の歴史」が語られます。「茶の歴史」とは、「喫み方」の歴史です。団茶、粉茶、煎茶と展開していく、それぞれの喫み方が、時代精神のようなものを裡に隠して日本にもたらされていることを語ろうとしています。岡倉は、陸羽の『茶経』に力を入れて語っていますが、この『茶経』は、まさに老子の思想を糧に成立した書物です。それを伏線にして、珪話磴竜覆瀛儀式化されていく背景に、禅という仏教と道教が大きな働きをしていること。老子の思想を簡潔にリライトしてみせる章です。&lt;br /&gt;
珪蓮Taoism and ZennismのTaoismもZennismも岡倉の造語で、｢道教と禅｣と訳していいでしょう。Zennismを禅教と訳している人もいますが、「禅」という言葉が普及していなかったころなので、岡倉はZennismと分かりやすく造語にしたもので、今なら”zen”で通じます。現代の禅はまた違う意味でも使われていて、クールで格好良く落着いているというようなニュアンスで使われています。だから、現代ではまた、zenは多義的で、仏教の一流派の禅とクールな「ゼン」を区別しなければなりませんね。&lt;br /&gt;
絃The Tea&amp;#8211;Roomは｢茶室｣です。簡素さと質素さを極限まで空間化した場でこそ、「美」の行為が実現できる、そんな営みの器としての建物が茶室の理想なのだ、と語る岡倉の思考の軸に、のちにお話します『老子』11章の「無Vacuum」の一節が活かされています。&lt;br /&gt;
江Art Appreciationは「芸術鑑賞」と訳しましたが、フランス語版では“Du sens de l’art”と訳しており、｢芸術の意味について｣という意味です。フランス語の訳者が本文を読んでこの章全体をとらえた、いい訳だと思います。岡倉はArt Appreciationというタイトルをつけておいて、話し出していって芸術とは何か、という問いを深めていった章です。『茶の本』というのはそのように、初めからきちっと構成を作って書いていったというより、話をしつつインスピレーションが湧いて、次に飛んでいく、というようにして作り上げられた本で、そのような展開をボクたちも楽しみたいと思います。そういうノリのある文体です。「芸術の意味」を考えるのに「芸術鑑賞」というタイトルを建てたのは、「芸術」という出来事は「鑑賞」という行為がまっとうされてこそ完結する、この鑑賞がほんとうはいちばん難業だ、ということを岡倉は言おうとしていたからだ、と読めます。&lt;br /&gt;
詐蓮Flowers「花」です。これも複数形です。先にも申し上げましたが、「花」を一章独立してさせています。ひょっとしたら彼は『花』というタイトルで、『花の本』The Book of Flowersを書く可能性があったかもしれない。最初「花」の本を書くイメージが生まれ、最後にやっぱり「茶」、に変えようとしたのではないか、と思います。これはボストンでガードナー夫人といった人たちと茶会をやったり、ラファージやビゲローと話していて、「茶」が持つ芸術的意義の大きさ、芸術だけでない宗教の域にも及び、一種の東洋哲学を実践している営みを改めて認識し、「花」も大事だが「茶」で語ろう、「茶」を語れば「花」の問題も語り切れると考え『茶の本』にした、第讃呂呂泙気砲修譴鮗汰している、と考えることができるからです。それほど、この本のなかで「花」は大きな位置を占めています。ですから、ひょっとしたら『花の本』になっていたのが『茶の本』になった、という言い方をしてもいいかもしれないと思うのです。そう読むとこの本にさらに近づける気がします。次の章で、利休が切腹するところを語って『茶の本』の最後の幕が降りますが、この利休の死と詐呂虜痢秬語咫笋禄鼎覆辰討い泙后Ｍ戮蓮∈硫屬散るように自死を遂げるのです。&lt;br /&gt;
最終章の讃呂Tea Masters「茶の宗匠たち」と「宗匠」を複数形にしながら利休一人が主人公の章です。「利休」という一人の名前にすべての偉大な茶人たちが奉仕しているという感じです。&lt;br /&gt;
つぎに、『茶の本』を構成するいくつかの要素を見ていきましょう。&lt;br /&gt;
 まず「文体」です。全体にちょっと気取った洒落っ気のある、語り文体になっていて、厳粛な文章ではありません。&lt;br /&gt;
『茶の本』はこうして７章で構成されています。一般に、本というものは文章が書物という形に収められ、その文章は、内容、構成、などの要素から成り立っています。また、文章にはいろいろな「文体」がありまして、その文体がその本を特徴づけています。その本のために著者が選んだ文体で、何かの話題主題を読者に伝えようとしているわけです。&lt;br /&gt;
構成要素のもう一つは「素材」、つまりその本が展開する話題のことです。そういう話題を拾いながらその本独自の文体で語っていって、文章が出来てきます。この本では「茶」にまつわる歴史と哲学とでもいうべきものが「素材」として選ばれています。&lt;br /&gt;
その「文章」は、何かを伝えたいという「目標」を持っています。そうして何かを語っていくことによって、大抵の著者は、いい本の場合、もう一つの隠した主題をそこへ忍び込ませていきます。或いは、著者もひょっとしたら気付いていないかもしれないのですが、大抵の著者は気付いていると思いますが。表向きの文章で語っていることの奥に、もっとこんなことが言いたかったというのが忍びこんでいます。&lt;br /&gt;
その時、何か言いたいことを、こうしたら言えるだろう、ということ。何か言いたいと思っても、書かれた文章は思いの通りの言葉になってくれているとは限りません。そこで著者は、さらにいい言い方はないかと言葉を探します。そのとき、もう一つの「隠れた主題」が忍び込んでくるのです。その「隠れた主題」こそ、きょうのテーマでもあります。その主題とは、人間性humanityの追究と芸術artとは何か――この二つを考えることです。「主題」追究は、書くことの「目標」でもあります。今までの岡倉の研究者はこのhumanityに注目しませんでした。なぜかというと、やはり岡倉が亡くなった後「天心」に祀り上げられたことに関連してきます。戦中の「大アジア主義者」の像と戦後、その延長線で「美の使者」に変えていこうという思惑が、戦後も現代も支配しています。評論家の竹内好さんは「岡倉は危険な思想家だ」と言いましたが、それは、岡倉は「大アジア主義者」というのを虚像だと見抜けなかったからそう言った、「アジアは一つ」という発言が「天心」の中心思想でというのを疑いもしなかったからで、1906年代では、まだそこまで見抜く人は出てこなかったのですね。それで岡倉に興味を持つ人は、これまで誰もが、ボクもその一人だったのですが、岡倉がアジアのことをどう考えているか、とてもやっかいな問題として扱ってきた。解ったような解らないような解釈をして済ましてきた。「アジア主義者岡倉天心」の像が無意識の裡に脳裏に棲み着いてしまっていたからなのですね。「アジア主義者」に重点が行くと、アメリカへ行って学んだことが岡倉の中でどれだけ重要であったか、アメリカ・ボストンで岡倉がすごく勉強したことということについてはあまり関心を持たなくなってしまいます。その結果、『茶の本』の中におけるhumanityの意義の大きさに注目しないで済ましてきたことにもなったのだろうと思います。それが、これまでの「岡倉研究」の実情と言っていいでしょう。&lt;br /&gt;
岡倉がアメリカに行ってからの仕事を見ますと、『茶の本』を書く前、セントルイスの万国博覧会で「絵画の近代性について」という講演をしています。これなどを読みますと、岡倉はアメリカに行って、humanityという言葉の重要さに気づき、セントルイスの講演ではhumanityという言葉を頻繁に使っております。おそらくアメリカに行って、humanity「人間主義」、「人間を生かすこと」の大事さを岡倉は知るのです。岡倉は、ボストンで働くようになって、視座（世界を視る基点）を「アジア＝日本」から「人類＝人間」へシフトし始めたのです。ボストンのような環境にいれば、それは当然で、岡倉にとっていいことだったと思います。humanityを生かし切ることこそ芸術の使命でもあるし、人間が生きていくことの使命でもあるし、歴史を考えることの使命でもある、というのがセントルイスの講演の底に流れているメッセージです。岡倉はボストンで暮らすようになってhumanityに目覚めた、と言い換えてもいい。それ以前はこの言葉をそんなには使ってはいません。”The Ideals of the East”と”The Book of Tea” の決定的な違いのキィワードは、humanityです。&lt;br /&gt;
そのhumanityはこの世界を生きていく限りとても大切なことだ、humanityを生かせなければ人間ではない、humanityという花を何とかして咲かせ、活かせる世界を作るにはどうしたらいいのだろうか、というのが、彼の１０年間に及ぶアメリカの生活に隠された課題であったと思います。それと、彼がずっと携わってきた芸術artとは何かというテーマ、この両方を追究しようとしたのが、10年間のボストン生活であり、そのボストン生活に促されて生まれたのが『茶の本』です。humanityとtea、そういう意味ではThe Cup of Humanity〔人間主義茶の一碗〕は単なる駄洒落ではなく、高いところを見つめた洒落であったわけです。美術館で女性たちの前で、彼がThe Cup of Humanityと言った時、女性たちがくすくすと笑ったりしたら、“しめた成功だ”と思っただろうし、何よりhumanityの大切さをそんなふうに伝えたかったのだと思います。『茶の本』の中でもhumanityという言葉が何回も出てくるのです。　　&lt;br /&gt;
どうも「大アジア主義者」の亡霊の影は今も大きいようです。偉そうに言ってますが、ボク自身もミネルヴァ書房の『岡倉天心』を書いた頃から、ようやく「大アジア主義者」の亡霊から距離を置くことができるようになりました。それが2005年ですから、ボクは1973年から岡倉をやっていますので30年間その亡霊から抜けられなかったということです。&lt;br /&gt;
humanityをどう生かすかということと、芸術とは何か、ということはどこかで一致させなければいけない、という岡倉の追究がこの本を作らせたという感じがしています。『茶の本』の隠された主題はここにあります。&lt;br /&gt;
（その２　に続く）</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/kn_lechien/65767227.html</link>
			<pubDate>Fri, 05 Jul 2019 14:42:12 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>2019 ４28岡倉天心市民研究会で語った＜『茶の本』と老子＞　まとめ</title>
			<description>「『茶の本』と老子」　その２&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
（2019.4.20 「岡倉天心市民研究会」で喋った『茶の本』論のまとめです。）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
								　&lt;br /&gt;
ここまでのところを、もう一度確認します。「文体」はちょっと気取った洒落っ気のある、語り文体。その気になって読むとそういうユーモアが読めてくる。「大アジア主義者」岡倉天心大生生の文章だと思って読むと、そういうところも読めなくなってしまいます。巻頭からThe Cup of Humanity／teaで始める岡倉です。&lt;br /&gt;
「素材」は「茶」の歴史と思想であって、それは道教の展開と並行しています。「目標」は「茶」の歴史と哲学を考えることによって、「人間」とは何か、「芸術」とは何かを解明する書にすることです。「主題」は人間性humanityの追究と芸術artとは何か。言い変えると「ヒューマニズム」という西欧概念を生かすために、東洋の芸術を例に、「老子」から学んだ方法論で追究することです。ヒューマニズムというのは岡倉にとってはアメリカに行って、そこのインテリの人たちと付き合っていく中で発見した、とても大事な考えだったのです。特に当時のボストニアンというのはエマーソンにしてもソローにしてもヒューマニズムが底にあって、既成のキリスト教から離れた信仰生活を始めようとするわけですから。そのヒューマニズムを生かすためには、東洋人である自身は東洋の芸術哲学を活用してその問題を解明したい、そうすると今まで勉強してきた「老子」がすごく役に立つことをここで改めて見つけたのでした。「老子」から学んだ方法論でそれを追究していくわけです。&lt;br /&gt;
『茶の本』の隠された主題である「ヒューマニズムの追究」と「芸術とは何か」の問いを、「老子」から学んだ方法論で探っていく時に何が指標になるか、それを『茶の本』の「キィワード」として挙げてみます。三つあります。　嵒坿袷汗Imperfect」◆崛蠡仞Relativity」「無Vacuum」です。&lt;br /&gt;
「相対性」はそんなにたくさんは出てきませんが、決定的なところでこの言葉を使っています。「無」を岡倉はvacuumと訳しました。これもちょっと駄洒落っぽいですが、的を射ている感じがします。岡倉がこれを出版した時には「老子」の英訳は出ていたはずですが、老子の研究家は大抵「無」をnothingと訳しています。そこを岡倉はvacuumと訳したのです。「老子」を読みこんでいるからこそ出てきた訳だと思います。第絃呂任蓮崔禺次廚里海箸The Abode of Vacancyと呼んでいますが、vacancy と vacuum は微妙に使い分けているようです。&lt;br /&gt;
 「不完全性」「相対性」「無」はすべて「老子」を読みこんで身につけた概念です。&lt;br /&gt;
もう一つ、『茶の本』の「底流」として流れている思想があります。岡倉がこの本を書いていくのに励ましてくれたものとして、日本と中国との奥深い関係へです。日本は中国からたくさんのことを学んできて日本列島に日本独自の文化を作った。中国とは切っても切り離せない、切ってはいけない関係がある。岡倉はこの思いをいつも大事にしてきました。ボストン美術館で岡倉は中国日本部長になるよう何度も求められますが、日本で仕事があるからと断わり続け、亡くなる２年前の1910年に断わり切れず部長に就きます。部長職は責任が重くなりますが、一方かなり自分で自由に出来る地位に就いたことでもあります。もしも彼が本当に「大アジア主義者」で「国粋主義者」で、亡くなった後誰からも「天心」と呼ばれ、自分の息子からも「天心」と言われていたような、そういう「岡倉天心」であったなら、日本の美しさを国粋的に紹介しようとして、できるだけ中国との関係を裂いていこうとしていたでしょう。1900年岡倉が退いて、というより追放されて、出来上がった明治政府公認の「日本美術史」は、岡倉が意図していた中国との関係は一切排除して、万世一系の日本の天皇の恩恵のもとに繰り広げられる「日本美術史」を作っています。パリ万博で参加国に配られた豪華版『稿本日本美術史』がそれです。国粋主義の機運はむしろ岡倉を排除したところで進められていたのです。もしも岡倉がそんなふうに日本から中国を断ち切って、日本の独自性を強調したいのなら、部長職に就くことを求められた際、中国日本部を「日本」と「中国」に分けましょう、と提言できたはずです。彼は分けなかった。その思想はThe Ideals of the East、「日本美術史論」「泰東巧藝術史」などに一目瞭然です。日本と中国を一緒にして考えたかったのです。それで最後には、中国日本部長を引き受け、そこから中国日本部の仕事を充実させていきます。自身で中国に買い付けに行ったり、弟子に行かせたりもしています。そして最後にはアジアを観る美術館にするため、ボストン美術館には、中国日本部のほかにインドを加える必要があると考え、若手インド人研究者クーマラスワミを招き、クーマラスワミは岡倉の没後、美術館職員になりインド部を作り、独立させています。&lt;br /&gt;
岡倉は、中国日本部は一つで独立させ、インドは別にしようとしていたようです。実際そうなったのですが、そういうあり方を考えたということは、ものの考え方の骨格がそうだったからなのです。そのくらい、岡倉は日本のことを考える時は中国が大事だということを、東京美術学校で日本美術史を講義した若いころから言っております。東京美術学校の講義を「日本美術史」と名付けたのも岡倉没後なのですね。岡倉は「日本美術史」とは呼んでおりません。学生のノートには「東洋美術史」とメモしたのもあります。もっとも、美術学校で講義するころから構想していた博物館で作る美術史には「日本美術史」というタイトルをつけてますから、決して「日本美術史」という呼称を否定していたわけではないのですが、先ほど挙げた日本美術院時代に第一章だけ発表した「日本美術史論」や「泰東巧藝史」、晩年の『国宝帖』を見ても判るように、「日本」の背景にある「中国」を決して忘れてはいけないと考えていたのでした。こうして、若いころから一貫して興味を持ち続けた日本と中国の深い関係が底にあって、『茶の本』を書いているのです。これもとても大事なことです。&lt;br /&gt;
もう一つは執筆上の「姿勢」です。これは「老子」を読んでいく上で学んでいった思想で、抽象への渇望です。ものごとを抽象的につかまえていくことの大事さ、同時に抽象的につかまえた時の面白さ。それを岡倉はよく知っていました。抽象的にいろいろな出来事をびしっと言える言葉が見つけることができたら結構興奮するのです。哲学というのはそういう仕事であって、抽象への渇望です。「老子」はそれを一番端的に実現している本で、前回お話したように『老子』には一切固有名詞が出てきません。中国の古典の中で唯一抽象的といっていい。抽象的ということは応用が利くことであって、岡倉はその応用をしていくのです。これは物事を考えていく上で誰もがやっているのですが、岡倉はそれを『老子』から学んで『茶の本』に活かしております。&lt;br /&gt;
そして最後に指摘しておきたいのは、『茶の本』が「到達」したところです。「茶」を作って飲むという人間生活の中で日常的な「小さな」営みが、「芸術」という人類史を覆う「大きな」行為の本質、「芸術」のあり方を示唆している―そういうことを書きたかったのです。「小さな」人間の出来事の何かが、さまざまな「大きな」世界で現われている行為や出来事よりも大事なのだ、と岡倉は『茶の本』の中で何度も言っています。&lt;br /&gt;
「目標」と「到達」点は違うのですね。目標は「茶」の歴史と哲学を考えることによって「人間」とは何か、「芸術」とは何かを解明しようとするところにありました。それを解明していって、この本一冊を書き上げようとすると、向こうに見えてきたのは、「茶」という人間生活における非常に「小さな」日常的な営み、その「茶」を飲むということが、「芸術」という人間生活の中の神聖な人類史を覆う大きな行為をサジェストしている。このことが言えたら、いや、言えるぞ、と彼自身気がついたところでこの本は終わっているのです。利休のエピソードで最後が終えているのは、そういう含みがあると思います。&lt;br /&gt;
以上ざっと『茶の本』の紹介をしました。ちょっとのどが渇いたのでCup of Teaです。(笑)&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
さて、ここから『老子』から学んだ三つのキィワードが岡倉の中でどう生きているか考えていきましょう。『老子』と『茶の本』」というテーマのまとめでもあります。&lt;br /&gt;
	Imperfect不完全性　これを岡倉は「茶」を定義するために使っています。&lt;br /&gt;
「なによりも「不完全」さを崇拝し、人生という不可能に満ちた世界の中で、なにかを成し遂げようとする心優しい試み」（犠蓮愎渓磴遼棔p13）。それが「茶」だと言っています。もう一つは「茶」を実践させる「茶室」の章で、&lt;br /&gt;
「真の美は、ただ、「不完全」を心のなかで完全にする人間によってのみ見出される」（絃p66）。&lt;br /&gt;
この二つの「不完全」という言葉は、それ以前の岡倉の本では出てきません。『茶の本』を書こうとしていろいろ考えていく過程で熟した語句です。『老子』からいくつも取り上げることができるのですが、ここでは三つ取り上げます。ちょっと漢文の勉強になって恐縮ですが…。&lt;br /&gt;
41章　　　明徳若昧　進道若退　…広徳若不足　…大方無隅　大器晩成　大音希声&lt;br /&gt;
・読み下し　めいとくはくらきがごとく　タオをすすむはしりぞくがごとし　…こうとくはたらざるがごとく　…たいほうにすみなし　たいきはばんせい　だいおんはきせい&lt;br /&gt;
・現代語訳　優れた徳は暗く見え、タオに従って進んでいると後退しているように見え、…大きな徳はなにか足らないように見え、…狂いのない四角形には角がない、大きな器の人間はゆっくりと形成され、大きな音はかすかな声で聞き取り難い&lt;br /&gt;
こうやって逆説で展開していくわけです。二つ目の「進道若退」で大抵の本は「進道」&lt;br /&gt;
「みちを進む」と訓読していますけど、ここは中国の原音を使って「タオ」にしたほうが&lt;br /&gt;
いいと思います。「道＝みち」と理解すると、「道＝タオ」を狭く受け取ることになります。&lt;br /&gt;
「大器晩成」は皆さんご承知のように、子どものころはどうしようもない輩でも大人にな&lt;br /&gt;
って立派な人物になる、という意味で知られ、人口に膾炙してきました。ところが、1973&lt;br /&gt;
年に中国の前漢の墓から紀元前200年か300年ごろに書かれたという『老子』のテキスト&lt;br /&gt;
が出てきまして、そこには「大器免成」と書かれていました。古いテキストが全部で3種&lt;br /&gt;
類くらい出てきたのですが、どれも「大器免成」、或いはそれに近いもので、昔は「大器免&lt;br /&gt;
成」と言われていたのが、中国ではある時から「大器晩成」に変わったのです。漢のころ&lt;br /&gt;
には「大器晩成」になっていたようですが、発掘の結果『老子』は、最初は「大器免成」&lt;br /&gt;
と言っていたことがはっきりしました。「免」は「免がれている」という意味ですから、立&lt;br /&gt;
派な器は完成することから免れる、つまり「大器というものは未完成である」ということ&lt;br /&gt;
になります。「晩成」よりずっと積極的に「未完成」と言っているわけです。&lt;br /&gt;
　もちろん岡倉はこれが発掘されたことを知らないのですが、これを知ったら膝を叩いた&lt;br /&gt;
かもしれない。実際、彼は「大器晩成」の一句を「免成」に近い意味の解釈していました。&lt;br /&gt;
新史料が発掘される前にそれを予知していたかのような『老子』読みだと思います。&lt;br /&gt;
中国では「晩」と「免」は音が一緒で、日偏があるかないかの違いですが、古い人は音&lt;br /&gt;
が一緒だと意味が一緒ということにして借字で略して書く場合がありました。岡倉の予&lt;br /&gt;
言的な理解を元にして読むと「不完全」の意味が一層深まると思います。&lt;br /&gt;
45章の冒頭ではこの「大器免成」をもっとはっきり言っています。&lt;br /&gt;
45章　　　大成若?夐　其用不弊　大盈若沖　其用不窮　…大巧若拙　大辨若訥…&lt;br /&gt;
・読み下し　たいせいはかけるがごとく　そのようはへいせず　たいえいはむなしきがごときも　そのようはきわまらず　…たいこうはせつなるがごとく　たいべんはとつなるごとし…&lt;br /&gt;
・現代語訳　立派にできあがったものはどこか欠けているように見えるが、使っても壊れるものではない、十分に充実していれば空っぽのように見え、しかし使っても使っても尽きることがない。…本当に上手にものごとを処理する人は拙く見え、本物の雄弁は訥弁のように聞える&lt;br /&gt;
この冒頭の「大成若欠」は「大器免成」と同じことを言っています。「老子」はこのように同じことを何度も何度も繰り返して言い替えながら一つの考えを展開していきます。小さな本なのですが同じことを何度も言っています。立派に出来上ったものはどこか欠けているように見える。岡倉の「不完全」という言葉は、こういうところからサジェストされていると思います。「不完全」つまり欠けてはいるが、「不完全」であることによってこそ、使っても使っても壊れるものではなくなるのだ、というのです。「弊」は直訳すれば「くたばる」ですが、ここでは「壊れる」と呼んでいいでしょう。「未完成」は空っぽのように見えるけれど、使っても使っても尽きることがない。こういう逆説を現実的に解釈する人は「老子は神秘主義者だ」と片付けますけど、逆説で語る、逆説でしか語れない奥に何を言おうとしているか、それを読みたいと思います。岡倉はそれを読んだ一人だと思います。&lt;br /&gt;
29章　　　物或行或随　或歔或吹　或強或?魂…&lt;br /&gt;
・読み下し　ものあるいはゆきあるいはしたがう　あるいはきょしあるいはすいす、あるいはきょうあるいはえい…&lt;br /&gt;
・現代語訳　万物―世界のすべての現象―は、先に行っているつもりのものが、しんがりになっていることもある。なにかを熱しようとすると逆に冷ましてしまうことになり、強くなろうとすると弱くなってしまう…&lt;br /&gt;
「歔」は熱い息をゆっくり吐き、「吹」は冷たい息を吸うというのがもとの意味です。何か&lt;br /&gt;
を熱しようとして暖かい息をかけるとかえって冷ましてしまうことになり、強くなろうと&lt;br /&gt;
すると弱くなってしまう。こういうことは現実にも経験できることではないでしょうか。&lt;br /&gt;
こういう『老子』の本は当時、和綴じで一冊になっていましたから、彼は、いつも懐に&lt;br /&gt;
入れていた。釣りに行った時も魚が食っているのを忘れて読んでいた。そういう岡倉の姿を考えると楽しいです。『老子』の言葉をオウム返しに唱え読むのではなく、咀嚼して「不完全」という言葉を自分のものにしていったのです。&lt;br /&gt;
	Relativity相対性　この言葉は直接「老子」には出てこない。近代の言葉です。「老子」&lt;br /&gt;
を読みながら岡倉が「相対性」という言葉を考え出した、ということです。珪呂暴个討ます。以下、エッセンスだけ引用しました。&lt;br /&gt;
「「道」(タオ)…その「絶対的な」ありかたは「相対的」なのです」珪(p41)&lt;br /&gt;
前に出てきた、「或いは行き或いは従う」という言い方がまさにそうです。自分が先頭を引っ張っているつもりが、じつはそれは、みんなに押しだされていたからだ、ということでしょうか。&lt;br /&gt;
「禅は、道教と同様、「相対性」を崇拝します」珪(p49)&lt;br /&gt;
「一つの問いをするとき、その主題の性質によって、言葉の使いかたを変えているからです」珪蓮p40）&lt;br /&gt;
これも道教と禅のところで言っているのですが、｢老子｣は一つの問いをする時、その主題の性質、意味によって言葉の使い方を変えて表現します。何度も何度も繰り返し言うと先ほど言ったのはそのことです。ここでは禅がそういうことをするのだ、と言っていますが、禅は道教から育っているし、道教は「老子」から来ています。ですから「老子」から学んでそう言っているということです。禅も道教と同様に「相対性」を崇拝します。この三つの文章を支えたものは「老子」の次の40章です。&lt;br /&gt;
40章　　　反者道之動　弱者道之用…&lt;br /&gt;
・読み下し　はんはタオのどう、じゃくはタオのよう…&lt;br /&gt;
・現代語訳　反の動きはタオの方法であり、弱いところこそタオの用いるところ&lt;br /&gt;
逆に言うと「反」の動きを持たない単純なまっすぐの動きはタオの取る方法ではないし、ただただ強ければいいというのもタオは取らない、と言うことです。&lt;br /&gt;
この「反」について、岡倉はRevertingと訳しています。ヨーロッパの大抵の『老子』の専門家はreturnと訳しています。｢やるなぁ、岡倉｣、ボクにはそういう感じがします。Returnの意味は玉突きのように、ポンと打つと戻ってくる、時間の経過があります。revertはある方向に向かっているとき、同時に反対を向いている、裏返っている動きある、そういう時間の経過を含まない動きを指しています。僭越ながらボクが『老子』の「反」を訳すならcounterとしたいと思います。ボクシングのカウンターパンチで、こっちが出したにとき向こうが同時に出している。そういう同時に起る反応で、音楽で言えばカウンターポイント、対位法のようなあり方。一つのメロディーに反対のメロディーを入れていって一つの曲が出来てくる。「順」の動きと「反」の動きがほとんど同時にあって一つの世界の動きが出来てくる、という考えを老子はしていると読みたいです。&lt;br /&gt;
中国の書の世界では、筆を手に執って「一」を書くとき、左から右へと筆を動かす、そのとき必ず反対の左への動きをその腕に込めながら右へもっていくことが大切だ。そうするといい字が書けると教えています。中国の書の教科書に書いてある書の極意です。中国の人は老子の「反」の意味を心得て、特に芸術に携わる人は「反」の試みをrevertとかcounterという意味でとらえていたのですね。岡倉は　中国の文献をいろいろ読んでそれを心得ていたのでしょう。岡倉だけではなく、そういう人がいた、そういう考えが中国の伝統としてあったということを学び、ボクも「反」の重要さを知ったのです。&lt;br /&gt;
「反」というのは、一つの出来事が起っているとき、こっちに向かっている動きの中には反対の動きが隠れて働いているということを言っているので、これは、あるものが行って返ってくると動きと解釈するより、ずっと意味が深くなります。それを岡倉は知っていて、Revertingと訳したのだと思います。そういう理解が、岡倉に「絶対的なのは、相対的なのです」と言わせているのです。&lt;br /&gt;
岡倉は「老子」を読んでいるときは日本語で考えていると思いますが、『茶の本』を語るときは英語ですから、そのときはもう一つ言葉を転換しなければいけない。日本語で理解していたのを、さらに英語で理解しなければいけない。いかに達者な英語人でも中国語を英語にする時は、どうしたらいいかなと考えると思います。岡倉はかえって英語にしてしまうことによって、絶対的なあり方は相対的でもある、という名文句を考え出したのだろうと思います。日本語だけで考えていたら、こういう言い方はできなかったかもしれません。『茶の本』を英語で書いたから、そういうことも出来た、という気がします。&lt;br /&gt;
25章　　　有物混成　先天地生　寂兮寥兮　独立不改　周行而不殆　可以為天下母　吾不其知　字之日道　強為之名日大　大日逝　逝日遠　遠日反　故道大…&lt;br /&gt;
・読み下し　ものありこんせいす　てんちにさきだちてしょうじ　せきたりりょうたり　どくりつしてかわらず　しゅうこうしてつかれず　もっててんかのははたるべし　われそのなをしらず　これをあざなしてタオという　しいてこれになをなさばだいという　だいをせいといい　せいはえんといい　えんははんという　ゆえにタオはだいなり…&lt;br /&gt;
・現代語訳　混濁したものがあった、それは天地に先立って存在するものであった。静かで音もなくがらんとして、ただ一人変化するわけでもなく、疲れもしないで、ただただ巡っている。それは天下の母―この世を産み出す大元（おおもと）と言っていいものである。それにはどんな名前がふさわしいのか誰にも解らない。とりあえずの名として｢道｣(タオ)と呼んでおく、他に敢えて名付けるとするなら｢大｣か。「大」は「逝」である。｢逝｣は｢遠｣である。「遠」は「反」である。だから「タオ」は「大」である。&lt;br /&gt;
　ここで老子がやっているのは、「タオ」と言っただけでは分かりにくいから、別に言い換&lt;br /&gt;
えてみよう、そうするとそれは「大」と言ってもいいだろうか。先ほど41、45章で「大」&lt;br /&gt;
が出てきましたが、この「大」は、そういう意味で使われていたのだと読むことができま&lt;br /&gt;
すね。「大器」というのは「道（タオ）」のようなと、「タオ」にふさわしい「器」です。&lt;br /&gt;
　本文に戻って、「道（タオ）」を言い換えると「大」。「大」と言い変えてどうもじゅうぶ&lt;br /&gt;
んでないなら「逝」としよう。逝(ゆ)く、遠くへ行くという意味である。それなら「遠」と&lt;br /&gt;
言い換えてもいい。「遠」は「反」でもある。だからタオは「大」なのだ、と展開します。&lt;br /&gt;
ちょっと狐にだまされたような論理展開ですが、『老子』はそう書いている。それを岡倉は&lt;br /&gt;
一生懸命に理解しようと愛読、暗唱したのです。そしてこの25章を『茶の本』のなかで丸々&lt;br /&gt;
英訳しています。&lt;br /&gt;
There is a thing which is all-containing, which was born before the existence of &lt;br /&gt;
Heaven and Earth. How solitary！It stands alone and changes not. It revolves&lt;br /&gt;
without danger to itself and is the mother of the universe. I do not know its name and &lt;br /&gt;
so call it the Path. With reluctance I call it Infinite. Infinity is the Fleeting, the &lt;br /&gt;
Fleeting is the Vanishing, the Vanishing is the Reverting.”&lt;br /&gt;
岡倉の英訳と先にボクが『老子』原文から訳した現代日本語との違いを検討するのは面白いのですが、ここでは止めておきます。とにかく、岡倉はこういう『老子』の文章を読みながら世界、宇宙のあり方は相対的なものなのだ、人間の考え方、生き方も相対的なものと考えていかなければならないのだということを身に付けていったようです。&lt;br /&gt;
	無Vacuum、先ほども申しましたが、岡倉は老子の「無」をvacuumと訳しました。まず岡倉の『老子』からの引用をみてみましょう。&lt;br /&gt;
「彼(老子)は言っています。無のなかにのみ真の本質が存在する、と」珪(p46)&lt;br /&gt;
これは間違いなく『老子』11章からの引用です。この章は長いのですが、エッセンスだけ引きます。&lt;br /&gt;
11章　　　?穴埴以為器　当其無有器之用…有之以為利　無之以為用&lt;br /&gt;
・読み下し　つちをこねてもってうつわとなす　そのむにあたりてうつわのようあり　…ゆうのもってりをなすは　むのもってようをなすゆえなり&lt;br /&gt;
・現代語訳　器は土をこねて作るが、その器が器の機能を発揮するのは、その何もないところである。…形あるものが便利に使われるのは、そこにある無が働いているからである&lt;br /&gt;
想像してください。茶碗を作り、焼き上げると、ぽっこり穴があいて何もないところが&lt;br /&gt;
ある。その何もないところこそ、茶碗の用=働きをしているのだ、車輪が回って車を走らせるのは車軸と轂（こしき）の間に無があるからだ、家には窓があって、扉があって、中が無だから人が住める。まさにその無＝空が用を果たすのだ、というわけです。形のあるものが便利に使われるのは、存在しているものが無を持っていて、それが働いているから、逆に言うと、無を抱えていない有は役に立たない、と言おうとしています。そう岡倉は読んで、釣りの舟に乗って「うーん」と唸ったりしながら、その考えを身に付けていって、『茶の本』の中で、無vacuumの中にこそ真の存在がある、という理解に至ります。nothingの中に真の存在がある、などと言うと、分かったような感じで分かりにくい。Vacuumは直訳すると真空ですが、こちらの方がちょっと具体的なイメージが出てくる。岡倉はいい言葉を見つけたと思います。&lt;br /&gt;
岡倉はここにあげたように「不完全性」「相対性」「無」というキィワードを『老子』か&lt;br /&gt;
ら引用しています。引用と言っても、現代の学者がよくやる、読んだものをそのまま直接引用する安易な方法ではなくて、偉い人が言っているから、こうだよ、というのではなく、『老子』のテキストを吟味して、「茶」のことを語るに際して、人間的とは何か、芸術とは何かを念頭に自分の言葉に書き換えていきました。そこのところを皆さん、ぜひ注目していただきたい、と思います。口移しで『老子』を引用していない、ということです。これはとても大切なことだと思います。われわれも学ばねばならない方法です。そんなふうに岡倉は『老子』を読んでいました。&lt;br /&gt;
彼は『老子』を一生懸命、読んで読んで、ほとんど暗記するくらい読んだかもしれない。&lt;br /&gt;
それを自身の考え方に活かしてきました。彼がボストンに行って見つけた大事な概念であるhumanity、人間的であることを、そういう「老子」の考え方を咀嚼して活かそうとしたのがこの『茶の本』という気がします。そういうふうに読んでいくと、『茶の本』が持っているメッセージを深く読めてくるのでないでしょうか。ちょうど岡倉が「茶」や「芸術」のことを考える時に『老子』から言葉を見つけてきたように、『茶の本』から私たちが何かを見つけることができる。&lt;br /&gt;
　そうして読んでいって、確かに言えることは『茶の本』を書きつつ岡倉覚三が最も伝えたかったこと、それは、人間の存在というものは儚いものだ、大きな宇宙や自然界のなかではほんのちっぽけなものだ。ちっぽけで弱いものだ。しかしそこには、必ず大きなものが隠れている。それを見つけ慈しみたい。それを成し遂げられるのが「芸術」だ、儚く弱いものに永遠が棲む。利休は「美」の側に立ち、敗北者として死を選ぶ、その死も桜の散りゆく姿も、「美」がいかに儚く、しかしその儚さのなかにしか「美」は生きていないことを教えている。それを知ることが、最も人間的な生き方なのだ、ということではないでしょうか。&lt;br /&gt;
　江呂稜豌(はくが)の逸話も、それを語ろうとするものだと思います。&lt;br /&gt;
伯牙の逸話が隠している芸術論を、ボクは『新訳茶の本』で解説していますが、今読むと恥ずかしいです。あの段階では読み切れなかったものがまだ隠れているようです。翻訳が出たあとすぐに書き直したメモはこの手持ちの本に挟んであるのですが、それでもまだ満足できない。まだ解き切れていない気がします。今回お話する時にあらためて考えたこともあります。それはいつかの機会にしたいと思います。ここでひと言だけ言っておきますと、作者が作品を作るためには素材を使う。その素材と作者との間から作品が作られていく。さらにその作品を見る人がいる。作者と素材と鑑賞する人の三角形が作る関係の中で芸術作品は完成するのだ、そのどれが欠けても「芸術」は成立しない、そしてその三角形は儚い存在である。そういうこの世にあってはちっぽけなものに「美」が宿っているのを見つけなければならないということを言おうとしているようです。&lt;br /&gt;
その三角形は、岡倉が言っている「真の美はただ不完全を心のなかで完成する人間によってのみ見出される」（絃蓮砲箸いΩ斥佞閥舛あっています。『茶の本』のほんとうの主題は、こういう芸術論を展開することだったと思います。そういう読みこみ方をもっと丁寧にしてみたい、と思います。今日はこのくらいにします。ありがとうございました。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/kn_lechien/65767225.html</link>
			<pubDate>Fri, 05 Jul 2019 14:36:52 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>次回の＜土曜の午後のABC＞は、７月６日（土）14:00～17:00波止場会館３Cです。</title>
			<description>&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-90-96/kn_lechien/folder/405510/24/65766324/img_0?1561970716&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-90-96/kn_lechien/folder/405510/24/65766324/img_1?1561970716&quot; width=&quot;560&quot;&gt;&lt;br /&gt;
次回７月６日のABCは、波止場会館３C です。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
パリで、岡倉覚三の『茶の本』の話をしてきました。&lt;br /&gt;
なかなか良い手応えがあり、次回７月６日の土曜日は、その報告を中心にした勉強会にしたいと思います。&lt;br /&gt;
フランスで『茶の本』と岡倉覚三を喋るということで、いくつか工夫をしたのが、逆にボク自身の考えかたを開いてくれたような気がするのです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
そして、講演のあと、オーヴェル・シュル・オワーズを訪ねたのですが、ここで、思いがけない収穫があり、翌々日、ボーブール（ポンピドゥセンター）を訪ねたら、「先史時代」という大展覧会をやっていて、これは＜無文字文化＞を考えているわれわれに格好の材料と示唆を提供してくれる（くれそう）な展覧会だったり、短い旅でしたが、いっぱい収穫がありました。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
逐次、考えを煮詰めて、報告して行きたいと思いますが、まずは、フランス語で喋った『茶の本』の報告です。&lt;br /&gt;
あそこで話したこと、やりとりしたことを、もういちど日本語に戻してみると、また、見つけ直すことがありそうです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
オーヴェルの話は「オーヴェルの麦畑」とでもタイトルをつけようか。ともかくここに掲載した写真から始まります（お楽しみに！）&lt;br /&gt;
なお、プロフィールの載っけた写真も、オーヴェル・シュル・オワーズの麦畑です（ボクが麦畑の中に隠れて首を出しています。巫山戯！）&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
では、６日に。kinoshitan</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/kn_lechien/65766324.html</link>
			<pubDate>Mon, 01 Jul 2019 17:45:16 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		<item>
			<title>次回の＜土曜の午後のABC＞は、6月8日（土）14:00～17:00波止場会館３Cです。</title>
			<description>次回6月8日（土）のABC、14:00～17:00は、波止場会館３Cです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「縄を結ぶ」と言葉が『老子』の80章にあって、かねてからこの「縄を結ぶ」という行為が＜無文字文化＞のなかで重要な意味を持つと考えてきたので、ここらへんで、この「結縄」（これを＜文字文化＞の人間は「結縄文字」などと呼んで「文字」のカテゴリーに入れて解説していますが）の最も古い例を求めて、『易』（『易經』）を探ってみることにします。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
「縄を結ぶ」という行為のこともさることながら、『老子』がいかに『易』から学んでいることが多いかも発見できて、たのしいです。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ではでは、8日に。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
kinoshitan&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
追記：すでに早くから申し上げておりましたが、6月の金曜日は、パリで、『茶の本』の話をして参りますので、&lt;br /&gt;
ABCはお休みさせていただきます。よろしく。&lt;br /&gt;
&lt;a HREF=&quot;https://www.ffjs.org/projets/article/conference-okakura-kakuzo-et-le-livre-du-the-par-m-nagahiro-kinoshita&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;https://www.ffjs.org/projets/article/conference-okakura-kakuzo-et-le-livre-du-the-par-m-nagahiro-kinoshita&lt;/a&gt; &lt;br /&gt;
７月の土曜日のABCに「パリで喋った『茶の本』のこと」について報告できれば、と思っています。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/kn_lechien/65757521.html</link>
			<pubDate>Wed, 05 Jun 2019 11:13:53 +0900</pubDate>
			<category>練習用</category>
		</item>
		</channel>
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