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学生の頃、横浜から来ていて車に乗っているリッチなヤツがいて
ヤツと数人と東北旅行に行く話になり 多分その中の誰か1人が都合悪くなって? じゃ、代わりにお前どうだい?的な参加だった気がする 違うかな? まいいけど そんな時の領収書 岩手県上閉伊郡大槌町浪坂 あの津波でどうなったのか、気になっていたが、ここは高台だった気がする 小岩井農場に立ち寄ったとき 当時、そこいらでは食べることのできなかったレア・チーズケーキが美味しかった アーチェリーとかも楽しんだ 夜に飲みに出たのか、コーヒーでも飲みに入ったのか、スナック 高速道路利用料金 ガソリン給油、ツバメ石油 通行料、今もあるのかな わんこそばを食べた? 囲炉裏端で、串焼きの何かを食べた? 椀子そばも食ったハズだが、領収書は見当たらない 当時のガソリンも高かった 佐野ってどこだろう 盛岡でガソリンの給油 以上かな これは、東北旅行とは別? 何だろう これも、関係無さそう、白山っていうから石川県? 登山列車でも乗ったのか? 訳の分からないレシートもあるけど 押し入れを処分していたら、思わず出てきた、懐かしいゴミでした . |
ほこらの原点
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まーどうでもいい話題ばかり
23歳の終わりに結婚して 富山市内のアパートに住んでいた頃 27歳で子供が二人になると、 さすがに共働きと、子育てを二人で維持することが困難になった かといって、ひとりのお給料じゃ食えない その頃、父親が退職することだから 村の実家を改築して住もうという話になり 子供を村の近所の方に見てもらう段取りで、アパートを出た 改築(ほぼ新築)にあたり ほこらは全体的な造りを、カミさんは台所周辺の造りをと分担作業で 素人ながら間取り図を書いた その時の原物、1階 2階は狭いけど、子供部屋2、書斎1、応接間1、タンス部屋1、居間1で考えた 当時、ほこらの妹や祖母もいて、9人家族だったから最低限の部屋数が必要だった 色分けで各場所にコンセントやら、換気扇やら、スイッチやら 台所には、カミさんの意見が盛りだくさん 3面のシステムキッチン、シンクも3カ所を備えた あれから26年、家のローンが終わってホッとしてから数年 今度は、お風呂場をリフォームする時が来た お盆の前頃から、新しい部屋に移った思い出がある 広間にも、沢山の親戚が集まっていた 仏間や座敷、その横に小間(お坊さんの部屋)を古い家の間取りで確保 そして昔からの広間の横に新たに廊下を通した まぁ、これでしょうがないと 広間から座敷を開ければ 40人程の宴会なら楽にできる広さだが その頃の沢山の親戚も随分と亡くなって 叔父さんや叔母さんが、たまに顔を出すだけ スペースがあると、ガラクタばかり溜まることがよく分かった |
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結婚を決めて、もう山(北アルプス)に行くことはないのだ
もう俺の山人生が終わったんだと…、そう思った23歳の後半 (23の夜は、尾崎豊さんの15の夜をマネして) 独身最後の山行きで(正確な年代がはっきりしないが) ひとり剱岳に登った際の計画だろう 捨てる紙くずと思ったのか 真ん中にカメラ類、24コマカラーフィルム2本 12徳ナイフ、地図など、きったない字で書いている 酒は書いてある、でも○がついてないので、現地調達したのかな 一ノ越(山荘)で田口と落ち合うと書いてある ここからは、Facebookネタでアップしましたが さらに2年前になるのか 薬師岳や高天原まで行ったときのスタンプ その裏面に登山計画書 というか、こっちが表で裏面にスタンプを押した ところが、スゴの辺りで単独行の方(モリタさん、当時、早稲田大学理工学部の学生だった)と出合い、そのままいっしょに高天原まで行って、槍を最後に新穂高に下りたみたいだ。 2ページ目 待夢里(タイムリー)のマッチは、この時のものだったのか 当時の地図 池の平はきれいなままだけど、立山辺りはズタズタです。 この頃は、まだ穂高縦走を考えていたからか 岐阜の登山届け等も 当時に持ち歩いていた、12徳 数えたら11機能しかない? 当時から12徳ナイフって言ってたから、まだ何か隠れているのかな カマが錆びたみたいだったので 地図とともに処分した後だから、もう分かりません (思い出しました、栓抜きの横にノコギリがあるのですが、たたんだままです。) これで、古いものネタが尽きてしまいました |
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何の意味もなく
捨てずにいただけ 何処かにも、こんな物を持っている人がいるかも つらつらと、中を見る センダ君にもらった入場券で、見に行った「ふきのとう」 いつのアンケート? ささやかな、学生生活だった 記憶にないけど、泉谷しげるの学園コンサートにも行ったらしい 若いなぁ 柄にもなく、12月12日 頼まれて、いやとは言えなかったこともあるだろう 関係者はノルマが有ったからね 覚えていないが12月15日 11月21日だったのか 知り合いの名前も、先輩の名前もある 高校の頃から同級生だった彼の名前も お店の名前も、懐かしい 当時、蔓延していたねずみ講 被害者が加害者になるという図式 言い出しっぺの、一番悪いヤツを取り締まれなかった時代 以上です 昔すぎて、懐かしいエピソードなど思い出せません 追加です 卒業の前に、山口県の吉永君のサングラスが欲しくて、是非にと譲ってもらったものです。 実は、耳にかける所をしょっちゅう曲げていたら、折れてしまい使えなくなりました。 その後、両目の結膜炎で視力も落ちたから、メガネ生活に変わったけれど 今まで、捨てれずにいました。 こんなブログ、見てないと思うけど、山口の吉永君、捨ててもいいかな? もう一つ追加(2月12日) 健康のしおりが何故かこんだけ ゴミのような記事ですいませんでした |






