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「花かげの物語」 
  土居 善胤・著・出窓社・平成14年(2002)3月11日・発行・より
 
    土居 善胤(よしたね)氏・略歴・1928年愛媛県生まれ
・福岡相互銀行(現福岡シティ銀行)で
 広報担当・現在は広報室顧問。(出版当時)
 
「花かげの物語」次のような物語です。
 黙契・口にはださないでも、通じる心。
 小さなハプニングから、“花あわれの”の黙契が紡がれました。
 これは福岡市南郊の桜並木の助命にかかわった、
 「花かげのはな守りたち」のちいさな不思議な物語です。
 
・昭和59年(1984)3月10日に、
福岡市南区桧原1丁目の通称・蓮根池の畔の、樹齢50年の9本の内1本、
桜の木が切られました。道路拡張工事のために。
 近所にお住まいの、土居 善胤 氏は3月11日(日)早朝5時すぎに、
 
  花守り 進藤市長殿
 花あわれ せめてはあと二旬 ついの開花を ゆるし給え   
 
と色紙に書かれ、桜の木にくくりつけられたそうです。
 
・その色紙を早朝ジョギングで見られらた、川合 辰雄(九州電力社長)氏が
 広報担当の、大島 淳司氏に「いいことだから、どうにかならないか」と
 話されました。大島氏は翌日、早朝桧原まで行かれて色紙を見られ、 
 西日本新聞社社会部の松永 年生記者に連絡された所、新聞にでたそうです。
 しかし、土居氏が松永記者の名前をわかられたのは2年後、
 川合氏・大島氏の名前をわかられたのは7〜8年後だったそうです。
 
・昭和59年3月23日(金)
 西日本新聞・夕刊記事・社会面トップ見出し、がでたそうです。
 「桜あわれ 最後の開花許し給え」「短歌に託し命乞い」
 「通じた住民の風流市、並木の伐採延期」
 
 ・瀬戸妙子さん(ご近所の方)の歌も夕刊にでたそうです。
  先がけて 花のいのちを乞う君の われもあとにと続きなん
 
・すると、花を惜しむ歌がつぎつぎと色紙や短冊でつるされたそうです。
 
・その中にひっそりと、読み人 香瑞麻(かずま)の一首があったそうです。
 
 桜花はな惜しむ 大和心のうるわしや とわに匂わん花の心は
                              香瑞麻(かずま) 
 
実は、当時の福岡市長の、進藤 一馬 氏の歌であったそうです。
 
・進藤市長は担当者に再検討を促され、
 歌を枝にさげられるよう依頼されたそうです。
福岡市土木局は検討の結果、歩道の中に桜の木を組み入れられ、
新しく2本の若木を植えられたそうです。
 
・たとえ、市長でも、私情はどうにもならないないことが行政にはある。
だから桜の木は切られるかもしれないが、花を愛する歌の心は確かに
受けとめた、という気持ちを託したと。その後、語られています。
 
・作曲家・團 伊久磨 氏は久留米市に見えていて、NHKのローカル
 ニュースを見られて、昭和59年4月27日号のアサヒグラフ
 「パイプのけむり」に桧原桜を取り上げられました。
 團氏のエッセーはリーダーズ・ダイゼェストの昭和60年4月号にのり
 海外版にも転載されたそうです。
 
・平成13年3月29日に、團 伊久磨氏も、桧原桜と対面されたそうです。
 
・岩田屋デパート会長の中牟田 喜一郎氏ほか、
 進藤 一馬氏を敬愛する人たちによって、
菅原神社(菅原道真公を祀る神社・中央区警固2〜6〜15付近)に
進藤 一馬 氏の歌碑が、昭和61年6月に建てられました。
中牟田さんらに、桧原桜の“桜花惜しむ”の歌をすすめられた
進藤さんは、あれは返歌だからと固辞される。
たっての願いにそれではと、歌われた、歌です。
 
世を思い 燃えつくさんと我がいのち 
                たぎりし若き日夢の如くも 
 
この碑に並んで、菅原神社に昭和62年9月、
中牟田 喜一郎(岩田屋デパート会長)氏の歌碑を、
進藤 一馬氏が発起人をされて建てられたそうです。
 
古しえの ゆかりの里に 咲く花の 
                 色香は永久に変わらざりけり
 
・福岡さくら会の、社団法人認可の記念に、
平成6年10月11日、蓮根池の畔に、土居・進藤氏の歌が刻まれた、
歌碑が建てられています。
 
・2000年度からの小学6年生の副読本『みんなの道徳』に
 使いたいと学習研究社から申し出があったそうです。
 他にも話は、まだまだあります。
 
 ・中学時代の友人が桧原桜のことを話しますので、あらためて、桧原桜を
 平成25年3月29日に見にいきました。
 すると、3月31日に近所の郵便局に行きますと、
「花かげの物語」桧原桜回生30年記念・発売のパンフレットが
ありましたので、本が出版されているのを初めて知り、
福岡市総合図書館に予約し、借りまして読みました。
 
・5~6年前から菅原神社の、進藤 一馬・中牟田 喜一郎氏の、
 歌は手帳に写していましたが、
進藤氏・中牟田氏の歌碑は、桧原桜とつながりがあったのですね。
その理由が判りました。なんということでしょう。
 
・菅原道真公は、延喜元年(901)2月1日に京都をでられ、
 博多の津に上陸されて、大宰府に行かれるときに、
 警固(当時は入江であったようです)付近で休まれたらしく、
菅原神社が建てられたそうです。田の宮天満宮と称されていたようです。
 
・平成25年4月2日、再度、菅原神社に行きまして碑の裏側を見ました。
 お2人の歌碑の裏に、たくさんの賛同者の方のお名前があります。
 私がお会いした方のお名前が何人もありました。
 
・私にとりましては不思議なことであります。
桧原桜、来年も見に行き、付近も散策したいですね。
 
                     (花かげの物語から書かせて頂きました)
                     (平成25年4月24日述)
 
 平成26年4月、桧原桜回生30年記念、
 土居 善胤 様 おめでとうございます。

  平成28年6月
  「第42回博多町人文化勲章」 
   博多の地域文化の振興に功績があった団体・個人を顕彰する
    博多町人文化連盟(西島雅幸理事長)は、
  土居 善胤 氏を表彰されています。おめでとうございます。
 

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おはようございます。
初めまして。
拙記事にコメント頂き有難うございました。

桧原桜のことは、ぼんやり知っていましたが
こんなに詳しく書いてあるのを初めて拝見しました。
日本人特有の奥ゆかしさ、それに相反するような情熱
その二つが結晶したかのように桜の木が残ったのですね。
たくさんの方々の努力もあり・・・ですが。

南区に友人が住んでおりますので、
桜の季節に機会があれば見に行きたいと思います。

2013/4/27(土) 午前 6:32 アリス

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こんばんは、始めまして 梅吉です。
桜は日本人のソールフラワーですからね〜
花を守ろうとする小さなきっかけが大きなうねりに
なりましたね。
素晴らしい事だと思います。
桧原桜 行って観たいですね。

2013/4/29(月) 午後 8:15 梅吉

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直接こちらの記事には関係ないことかもしれませんが・・・

古い樹木には不思議な力が宿っていると聞いたことがあります。
桜の花には人の心を揺り動かすなにかがあるのでしょうか。

2013/5/31(金) 午前 7:05 こむ

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4832です。
梅吉さんが書かれてあります、
桜は日本人のソールフラワーですからね〜。
が一番ではないでしょうか。
日本人の心を動かすような気がします。

2013/5/31(金) 午後 1:42 [ kndo4832 ]


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