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【1853年(嘉永6年)黒船来航】 アメリカのペリー、 ロシアのプチャーチンなどが 開港を求め相次いで来日。 *ペリー 久里浜に上陸。 *プチャーチン 長崎来航。 ※列強の度々の来航に対する 沿岸防備や、飢饉による財政難、 指導者の無策による乱費などにより、 幕府をはじめ、多くの藩が財政難に 喘いでいた。 1836年以来、三閉伊通り(野田・宮古・大槌などの各都市)で度々起こった一連の一揆。 ●ラクスマン事件での松前警護以来財政難に苦しむ南部藩は、領民に度重 なる重税を課していた。 領民は何度も強訴を行ったがその度に藩から裏切られ、処刑者が出た。 最終手段として領民たちの採った策は「隣国仙台藩(伊達領)への越訴(おっそ)」。 事の成り行きを知る仙台藩は、南部藩との折衝の末、領民の47箇条にわたる願文の ほとんどを受け入れさせ、一揆は終結した。 ※死を賭して訴えに出たということは、死ぬよりも辛い仕打ちを受けていた、ということだ。 |
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三閉伊通りは、岩手県のけっこう広い地域だ。
2008/2/23(土) 午後 6:27
三閉伊一揆は、この僕の村から2回の一一揆とも指導者がでています。村にはそれを伝える郷土資料館まであり、三閉伊一揆のあらじが切り絵によって、放映され再現されています。
むしろ旗に「小○」={困る}とう旗をたてて一揆を成功に導いたのは、字を書けないものの怒りだったのでしょう。
2008/3/26(水) 午後 8:25
●きんちゃんさん、はじめまして。
御訪問&コメント、有難うございます。
個人的な調べ物等にかまけて、すっかり御挨拶が遅れてしまいました。
スミマセンm(_ _)m
●「三閉伊一揆」のことは、みなもと太郎著「風雲児たち-幕末編-4巻」で知りました。
岩手県は、月臣にとっては、「風雲児たち」と「宮沢賢治」、また、職場の同僚の出身地、ということで、なんとなくつながりがありました。
漫画「風雲児たち」には、高野長英・大槻玄沢などが登場し、
彼らを始めとする多くの人物が蘭学の黎明にかかわり、幕末を迎える行きさつが描かれています。
2008/3/31(月) 午後 2:18
●日本の歴史は、大和朝廷の時代から、かなり東北の人々を犠牲にしてきたところがあると思います。
明治に入ってからも、戊辰戦争で朝敵とされ、尾去沢銅山事件では井上馨の策で銅山を奪われています。
参照[月臣のHTMLサイト]
http://www.h3.dion.ne.jp/~kodama-g/htm/12-1115-2222.htm
一方では後藤新平などが、貢士として世に出て、日本の歴史を動かしていったりしています。
戦時中も、貧しい農漁村の若者が兵士として出征して命を落としたり、
口減らしのために女児を工場や遊郭に売ったり、赤ん坊を間引きしたり、ということがあったと聞いています。
●月臣の歴史への興味の対象として、岩手県は一定の重みを持っており、歴史を学ぶことは即、現在の日常生活での振舞い方や、将来を考える指針になります。
2008/3/31(月) 午後 2:19
[田野畑村のWebサイト]
http://www.vill.tanohata.iwate.jp/tanohata/contents/f_530/f_10/index_html
※三閉伊一揆の記事があります。
きんちゃんさんのコメントにある「切り絵」とはコレのことでしょうか。
2008/3/31(月) 午後 2:31
くにひとさん。サイトを拝見しました。かなり幕末から明治維新あたりの歴史に興味がおありのようですね。こんなに調べているとは・。僕も歴史には興味があまりないのですが、日本のこの時期はとてもドラマテイックですよね。大きく日本が変貌した時期にあたりますからねーー。
僕は岩手の田野畑村に住んでいます。なので、三閉一揆のことはみんなしっていますね。岩手県にはたくさんの偉人がおります。
2008/4/1(火) 午前 9:23
歴史を紐解くことは、「温故知新」=古きを訪ね新しきを知る。ということわざのように、たしかに将来の指針になりますよね。
よく調べてくれました。「切り絵」とはこのことです。この切り絵は僕が公務員だった時に、田野畑村の小学校の教頭先生で来られていた人にお願いして、作成してもらったもです。全部で50枚ぐらいあり、まあ一揆の紙芝居みたいに、資料館でスライドを上映しています。
三閉一揆はご存じのとうり、とても規模の大きな一揆でした。まあ、そのくらい庶民の暮らしも苦しかったのでしょう。今でも、ヤマセとか外海に面している海なので、とても自然が厳しい環境にあるところです。しかし、第一次産業しか基幹となる産業もなく、それでもここで生きてる人はいます。
ブログでいつになるかわかりませんけど、「三閉一揆」のことを書庫を作って取り上げてもいいかなあ。なんて思っています。
2008/4/1(火) 午前 9:39
★きんさん、コメントありがとうございます。
●幕末から明治維新あたりは、歴史好きなら結構調べてる人が多くて、
話題も豊富なのですが、その後の時代になると、
より現代に近づいているにもかかわらず、知らないことだらけです。
●特に、「大正デモクラシー」などは、「政党政治の爛熟期」であり、
現代日本の政治腐敗に似た現象が多く起こったそうです。
更に、当時の軍人は、政治に大きな発言力を持つことができ、
「軍部主導による改革」という旗印はとても人気があったらしい。
大正デモクラシーの時代は、
江戸時代から明治時代にかけての日本の労苦の結実であり、
第二次大戦後には、マッカーサーがこの時代を一つのモデルとして
占領政策を進めたという話も聞きます。
2008/4/2(水) 午前 10:59
●異国船の来航とも連動して起こった「三閉伊一揆」は、
当時の南部藩とそこに暮らす人々の生活を象徴すると共に、
ロシアvsトルコの争いに英仏が加わって世界大戦となった
「クリミア戦争の余波」と見ることもできます。
クリミア戦争の戦場が我々の住むアジアにまで拡大した中で、
切迫する欧米列強と太平の眠りから覚めつつあった日本とが
本格的に接触し始めている時に起こった出来事でした。
●「三閉伊一揆」という一つの事件から、様々な歴史現象や人物を
「イモヅル式」に手繰り寄せることができ、そういった様々なことを
知ってゆく中で、この事件が、当時の岩手県だけの事件でなく、
やがて確実に現代の私たちの「ナマの生活」に直結してゆくのでは
ないかと思います。
もしきんさんが「三閉伊一揆」について、「地元ならではの視点」で
研究されれば、その成果は日本の他の地域に住む人々だけでなく、
歴史に興味のある世界中の人々に「目に見えない財産」を与えることに
なるかもしれません。
2008/4/2(水) 午前 11:03
セクシー花巻の地元も上閉伊郡(今の遠野市)です。山間部です。くにひとさまのお話の通り当時の南部藩は辺境であったからこそ、世界の影響を受けていました。
一揆の農民が越訴をしたのも、天道「幕府の政策をただす」ためであり、だから勝利したとても稀な一揆です。田舎だから、辺境だから国際情勢の影響をもっとも受けていたともいえましょう。
ペリーの来航に際しても、南部藩が浦賀に隠密を派遣して情報を集めていた資料も最近見つけられています。
2009/5/23(土) 午前 9:20
●セクシー花巻さん、お久しぶりです。
本日は、月臣のブログへのコメント、ありがとうございます。
●民衆の怒りが危機的なまでに鬱積し、「仕事のできる人間」が民衆の将来を考えて行動を計画すれば、「無血革命」というものも可能なのかもしれません。
この記事の関連事項を改めて読み直してみて、再び感動しました。
2009/5/23(土) 午後 7:25
●現在の私たちの生活も、相当にストレスの多いものではありますが、まだまだ「革命」というほどの事態ではないように思えます。
最近、自己の生活を改善しつつ、「税金」や「年金」の仕組みや意義について興味を持っています。
月臣は、貧乏な生活の中で毎月1万4000円あまりの年金の納付を要求されています。これがもし7000円や8000円ならばもっと協力しやすいのですが・・・。
一方で、上下水道・橋梁・米価安定・保健衛生などの行政の様子を見ると、「なかなか税金の払い甲斐があるな」とも思います。
●仕事をし、周囲の人々の仕事の仕方に接し、協力してことにあたり、その体験を小説やブログに生かすことで、月臣自身も少しずつ人間性に磨きがかかっているのかもしれないと思うと、とても楽しみな気持ちになります。
2009/5/23(土) 午後 7:25
★セクシー花巻さんの記事へのTBを追加しました。
●時代・地域・宗教などの差はあれ、人間同士の葛藤の形には「類型」があるように思えます。
三閉伊一揆の記事から、現在の世界の地域紛争の成り立ちや予測なども考えることができるように思います。
2009/5/23(土) 午後 7:35
東日本大震災から、間もなく2年がたとうとしています。
受難にあって、「平凡こそが掛け替えのない価値」だと思い知りました。
「東北人は粘り強い」と外の人はよく言葉にして言うが、同じ生身の人間なのです。
被災者の私たちは、特別にそうは強くできているわけではないのです。
2013/1/2(水) 午前 6:02
「阿武隈村」の独立を荒唐無稽と切って捨てることは簡単だが、東北の位置付けを変えずして、どんな復興策も未来を照らし出すことはないはずです。
三尺玉に込めるべき火薬、それは「独立自尊」そのものであると思うのです。
この、「一銭五厘の旗」で思い出しました。
そういえば、黒船が襲来した幕末の頃。
丁度、3.11の津波被災地と場所が重なるが・・。
「三閉伊一揆」という、国内でも大規模な「百姓一揆」が勃発した。
これは、田野畑村の歴史民俗資料館に行けば、詳しくわかる。
ウィキでも掲載されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E9%96%89%E4%BC%8A%E4%B8%80%E6%8F%86
南部藩の悪政、増税に生活できなくなった。百姓、漁師、木こりなど多くの、三陸沿岸から立ち上がった。
2013/1/2(水) 午前 6:03
指導者の義民は、この田野畑村から出ている。
弥五兵衛。太助。であり。2回に分けて、その陣頭指揮を獲った。
盛岡強訴の際に農民たちは、「小○」 を旗印にした昇り旗を建てて行進した。
この「小○」とは「困る」の意味があり、農民の窮状を訴える記号とされた。
田野畑村民俗資料館には、三閉伊一揆の資料、再現模型が展示してあり、一揆を物語にしたマルチスライドを見ることができる。
http://www.vill.tanohata.iwate.jp/04kanko/cat70/
この義民を輩出した、田野畑村。
「小○」の旗でも立てて、国会に乗り込む夢が・・・。
初夢だったらなあ・・。と思った。
2013/1/2(水) 午前 6:03
★みさご丸さん、あけまして、おめでとうございますm(_ _)m
●震災以来、進まない復興や、汚染された郷土などについて、思い悩み、また、新たな活動を試みられていることと思います。
●東京に住み、先達の築き上げた富をいたずらに浪費するだけの月臣の立場では、東北の人々の現在の心境を、的確に実感することは必ずしも容易ではないかもしれませんが、歴史を読みかじり、日々の生活に苦心する日本人の一人として、みさご丸さんのブログや活動には、学ぶべきところが大きいと感じています。
●以前にもお話したかもしれませんが、日本という国は、歴史的な長さで東北をはじめとする地方を犠牲にし続けているかもしれないと思います。
[ 【池永理架】@【世界史トレカ】 ]
2013/1/4(金) 午後 4:32
●国家は民の安寧のために、外交と福祉のバランスを執るべきもの。
そうであるべき国家が、地方の人々から「犠牲になった人々の苦しみを知ってほしい」と、独立運動を起こされるようでは、「いかに中央のことばかりしか考えていないか」を露呈するようなものだと思います。
●月臣自身も、知らずのうちに「東京の人間の当たり前の生活」に慣れ過ぎてしまっているのかもしれません。
●春まではまだ日にちがありますが、お体をこわされぬよう、活動を続けられることをお祈り申し上げますm(_ _)m
2013/1/4(金) 午後 4:34