★月臣くにひとの”サイエンス素人勘定”★

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【【科学と人間】】

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[トレカ]
【賢治&大院君】
 
 
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(印刷用カップリング)
 
【宮澤賢治】
[1896〜1933]
 
詩人・童話作家。岩手の人。法華経に傾倒、農学校教師・農業技師として農民生活向上に尽くすかたわら、東北の自然と生活を題材に、詩や童話を書く。「春と修羅」「風の又三郎」「銀河鉄道の夜」など。
 
------
 
[ほんたうのさいはひ]
 
宮澤賢治が場に出た次のターンまで、両陣の土属性の人物カードの人物力は+1000になる。効果発動後、宮澤賢治はただちに浄土に送られる。
 
人物力:3000pp
 
◇ ◆ ◇
 
【興宣大院君】(Ver.2)
[1820〜1898]
 
王族に生まれるも、不遇な時代を経験した彼は、実子高宗の即位で一躍権力の座に。閔氏との争いで、日清両帝国に介入の隙を与えてしまった。
 
------
 
[人材登用]
 
ゲーム中一回だけ、両陣の予備役の中から人物力3000未満のカードを一枚【人材】として選び、攻撃時にその【人材】の人物力を興宣大院君の人物力に加算できる。
【人材】として使用した人物カードは、攻撃後、もともとの持ち主の予備役に送る。
 
人物力:3000pp

転載元転載元: 世界史トレカ【The Histricai Crystal】

[医学史]
【東洋医学メモリーツリー】
 
昔、売薬・中医学・漢方などに興味をもった時、なんとなく作ったメモリーツリー。
きれいに書き直そうかとも思ったのだが、なかなかこれを超えられるツリーを描く自信がないので、そろそろアップすることにした。
 
戦国時代の中国で、深刻な伝染病への対処として編成された「傷寒論(伝、張仲景/著)」をひとつの契機(結節点)として、中国・日本それぞれの進化・融合を重ねてきた中医学・漢方は、西洋医学に欠ける『患者個人だけでなく、その家族の体質・容態にまで光を当てる大局的な視点』を持っている。
 
元来人間とは、大自然の中から生まれ、大自然の流れと共に生きているものなのだ。
 
 
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↑↑↑唐の玄奘のインド訪問から、中国東北部の金(きん)や、モンゴル帝国による巨大な支配やシルクロードを通した西洋・イスラム文物の流入による広大な知識・技術の集積熟成の流れは、鎌倉・室町時代の日本にも伝えられ、特に「足利学校」での講義によって「日本の漢方」として独自の発展を重ねてゆく。
 
安土・桃山の時代には、西洋人によって高度な日本の文明の様子が海外に伝えられ、鎖国が布(シ)かれた江戸時代にも、オランダを通じて世界じゅうに日本の情報は伝えられ続け、漂流者の大黒屋光太夫が、ロシアで日本の学者の名(桂川甫周)に接する、というような「グローバル的現象」まで起こるほどだった。
 
 
↓↓↓上図右上の部分を切り取って、再編成したモノ。
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【予防医学】よぼう‐いがく
病気の原因の除去および発病前の予防を目的とする医学の一分野。
治療医学に対していう。→予防医療

【予防医療】よぼう‐いりょう
予防医学に基づいて行われる予防接種、保健指導などの医療行為・医療サービス。
 
【予後】よ‐ご
1 病気・手術などの経過または終末について、医学的に予測すること。
2 病気の治癒後の経過。「―を大切にする」

【未病】み‐びょう
東洋医学において、検査を受けても異常が見つからず病気と診断されないが、健康ともいえない状態。放置すると病気になるだろうと予測される状態をいう場合が多い。

【公衆衛生】こうしゅう‐えいせい 
地域社会の人々の健康の保持・増進をはかり、疾病を予防するため、公私の保健機関や諸組織によって行われる衛生活動。母子保健・学校保健・老人保健・環境衛生・生活習慣病対策・感染症予防など。
 
 
◇ ◆ ◇
 
[オマケ]
(検索して面白かったWebページより、部分引用)
 
 ツュンベリーは江戸を離れる日、学業修了の証としてオランダ語で書いた紙を渡した。
 
 二人の喜ぶ様は、ツュンベリーが目にしてきたどんな喜びよりも大きく、誇り高いものであった。
 
 
 閉ざされた極東の国で花開いた師弟の友情は途切れることなく、ツュンベリーが本国に帰国した後も文通の形で続いた。
 200年以上も前に日本・スウェーデン間で文通が行われていたとは凄い。
 
 
 彼らの縁はさらに続く。
 
 帰国したツュンベリーは「日本植物誌」という本を書き、その序文に桂川甫周と中川淳庵の名前を記した。
 
 その本をロシアの植物学者ラックスマンが読み、漂流してロシアに滞在していた大黒屋光太夫に伝えた。
 
 光太夫が日本に帰国して幕府の尋問を受けたとき、ロシアでも有名な学者として甫周の名を告げ、その場に同席していた甫周自身が驚くという場面もあった。
 
 甫周の名は世界をぐるっと一周して来たのだ。
『カール・ペーテル・ツュンベリー』(甘木氏のWebページより。)
 
 
いつの時代も、「医者」という職業は『純粋な善意』から生まれるものなのだな、と思えてしまうのである。
【七五三の由来】
医療技術の発展・普及とともに変化する神道行事
(Wikipediaより抜粋)
 
 
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●近世までの日本は、現在の開発途上国と同様の状況(栄養不足・健康への知識不足・貧困など)が原因で乳幼児が成人するまでの生存率はきわめて低く、七五三の祝いは乳幼児の生存を祝う節目として公家・武家から広く町人へと定着していった。
 
 男児が女児よりも早く祝うのは後継者としての意味合いもあるが、医療技術が発達する現代までは女児よりも男児の生存率が低かったためである。
 
 また、三歳=言葉、五歳=知恵、七歳=歯を神から授かる事を感謝とする地方や、三歳、五歳、七歳は子供の厄として、七五三を一種の厄祓としている地方もある。
 
●近代以前は疫病や栄養失調による乳幼児死亡率が高く、数えで七歳くらいまではまだ人としての生命が定まらない「あの世とこの世の境いに位置する存在」とされ、「いつでも神様の元へ帰りうる」魂と考えられた。
 
 そのため、一定の成長が確認できるまで は、人別帳にも記載せずに留め置かれ、七歳になって初めて正式に氏子として地域コミュニティへ迎え入れられた。
 
 また、胎児・乳幼児期に早世した子供は、境い目に出て来ていた命がまた神様の元に帰っただけで、ある程度の年数を生きた人間とは異なり現世へのしがらみが少なく速やかに再び次の姿に生まれ変わると考えられていて、転生の妨げにならぬよう、墓を建てたりする通常の人間の死亡時より扱いが簡素な独特の水子供養がなされた。
 

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