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【今日は”星空たん”と *☆*´艸`*☆*】
星空たん@hoshizoratan
【ヘルクレス座】12の試練とは簡単に言えば
①人食獅子の討伐 ②九頭大蛇の討伐 ③金色鹿の捕獲 ④大猪の捕獲 ⑤家畜小屋の掃除 ⑥怪鳥の討伐 ⑦雄牛の捕獲 ⑧人食馬の捕獲 ⑨アマゾン女王の帯取り ⑩怪物の飼う牛の捕獲 ⑪竜の守護する黄金林檎の奪取 ⑫地獄の番犬ケルベロスの捕獲 月臣くにひと【世界史トレカ】@seizen_seiaku @hoshizoratan 『⑤家畜小屋の掃除』…^皿^; 星空たん@hoshizoratan
@seizen_seiaku 字面は簡単そうに見えるけど、実際は30年間掃除されずに使われてきた王家所有のでかい小屋を一日で掃除したのよ? 月臣くにひと【世界史トレカ】@seizen_seiaku
@hoshizoratan 『②九頭大蛇の討伐』なんかはヤマタノオロチそっくりだし、『暴れ川を治める強い君主』てゆーイメージですよね´艸` 星空たん@hoshizoratan
@seizen_seiaku 世界三大宗教がほぼ同時に現れたのは神様が実際に下界へ降臨したからとか言うし、もしかしたらヤマタノオロチもいたのかもしれないわね 月臣くにひと【世界史トレカ】@seizen_seiaku
@hoshizoratan 歴史の類型や自然の法則を大づかみに捉える「口承神話」から、文字で正確に残す「有史時代」へ…。歴史・科学の表現方法も、大きく変わっていったのかもしれない…。 |
天文
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【アストロラーベ】
(astrolabe)
【アストロラーベ】
(astrolabe) ●アラビアやヨーロッパで中世に多用された天文観測器機。星座早見盤のルーツともいわれ、古代ギリシアの天文学者ヒッパルコスが発明したとされる。 ●円環上に刻まれた目盛りによって、二星間の角距離や星の高度などを測る。天体運行を予測する計算尺や、航海・測量の器機として利用することもできる。 ●18世紀、六分儀の発明によって、その役割を終えた。 日本では1618(元和4)年、池田好運が「元和航海記」において紹介した。 ◇ ◆ ◇ [科学の利器]カードの効果 天体の位置関係を把握し、現在地や季節 の移り変わりを確かめる科学の利器。 海軍軍人・船員などの人物カード1枚と、 艦船カード1枚が場に出ているときにアストロ ラーベカードを使うと、敵の攻撃を−1000できる。 |
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[天文史]
【ティコ‐ブラーエ】
天動説と地動説の狭間
1572年、ティコ・ブラーエ、カシオペヤ座に出現した超新星を発見。
ティコ‐ブラーエ【Tycho Brahe】[1546〜1601]
デンマークの天文学者。初め哲学・法律学を修め、のち天文学を学び、1572年新星を発見。観測所を設置して多数の肉眼による観測データを集積。ケプラーはこれをもとに天文学を発展させた。 ◇ ◆ ◇ ティコ‐ブラーエ【Tycho Brahe】(1546―1601)
デンマークの天文学者。望遠鏡出現以前の最大の観測者。南デンマークのクヌドストラップのヘルシングボル城主の長男に生まれ、政治家修業のため1559年コペンハーゲン大学に入学、62年ライプツィヒ大学法科へ転学。 以後71年父の死去までドイツ諸大学に遊学。その間天体観測に興味をもち、60年部分日食、63年木星と土星との会合、66年皆既月食を観察。72年カシオペヤ座超新星(ティコの星)を発見、その光度変化を継続観測するに及んで、恒星界の活動性に感動し、翌年著作『新星』によって天文学者としての名声を高めた。
74年国王フリードリヒ2世の命でコペンハーゲン大学で講演し、宇宙の壮美性、天文学の実用性、占星術の信頼性を強調した。
76年王室費により、ティコのためにベーン島にウラニボル天文台が設立され、ティコは測角両脚器(脚長1.6メートル)、方位四分儀(経緯儀原型)、壁面四分儀(半径3メートル、子午儀原型)などを考案設置し、当代随一の豪壮精微を誇るこの天文台を主宰した。
ティコの天文台建設の目的は、器械の大型化による測定値の精密化、観測の常務制による変動の継続追究にあった。もとより望遠鏡発明以前の観測には精度の限界があったが、ティコのそれは肉眼の分解能一分角に達していた。
その成果として、月の運動の不等(中心差、出差、二均差、年差)、月の視半径、黄道傾斜、大気差の影響、彗星(すいせい)の視差などの数値を更新した。
しかしその技能の及ばない現象があった。それはコペルニクスが示唆した恒星の年周視差(最大値0.76秒角)であって、ティコはこれを検出できなかったばかりに、88年地動説と天動説との折衷説(太陽は諸惑星を従えつつ、地球の周囲を公転)を主張した。この失敗は機能の吟味をせず、自力を過信したことによる。
1588年国王の死後、性来の一徹さが宮廷の儀礼になじまず、96年新王クリスティアン4世のもとで年金差し止め、資財没収されてドイツに亡命した。皇帝ルードルフ2世は彼を宮廷数学官に任じ、プラハ郊外のペナテク城を観測所として与えた。
1600年、同じ追放の身の数学教師ケプラーの請願を受け、勅許庇護(ひご)のもとで師弟の共同研究が始まり、新天文学への貴重な結び目となった。しかしそれも1年半にすぎず、ティコは病没した。
彼が亡命の際帯出した約20年間にわたる火星の追跡観測記録は、その視位置と視光度の豊富な記録により、彼の最大の業績となり、これがケプラーの手によって整理研究され、「惑星公転の三法則」発見の基礎資料となった。
[ 執筆者:島村福太郎 ]
[ 日本大百科全書(小学館) ]
◇ ◆ ◇
(Wikipedia)
ティコ‐ブラーエ【Tycho Brahe】(1546年12月14日 - 1601年10月24日)は、デンマークの天文学者。膨大な天体観測記録を残し、ケプラーの法則を生む基礎を作った。
[生涯]
デンマークの貴族の出身に生まれる。生まれたときの姓名はTyge Ottesen Brahe。
ロストック大学に学ぶ。1572年、カシオペヤ座に超新星(SN 1572:通称「ティコの新星」)を発見し、肉眼で確認できなくなるまでの14ヶ月間観察を続け、記録を残した。
その才能を認めたデンマーク王フレゼリク2世の支援を受け、ベーン島にウラニボリ天文台、ステルネボリ天文台を建設し大量かつ精密な観測記録を残した。
フレゼリク2世が没すると、1599年には、神聖ローマ帝国皇帝ルドルフ2世の皇室付帝国数学官に迎えられ、プラハに移住した。
ティコ・ブラーエは、1577年に出現した彗星についても多くの観測結果を残し、その現象が月よりも遠方で起きていることを証明した。
この彗星の観測結果と、さきの新星の発見は、『月より遠方ではいかなる変化も起きない』と考える天動説を覆す重要な証拠ともなった。
彼の残した膨大な天体の観測結果は、望遠鏡が使用される以前の肉眼による天体観測としては、最高の精度を誇るものであった。
ただし彼自身は、地動説が正しければ当然観測されるであろう年周視差が観測できなかった事から、地動説には否定的な立場をとり、「太陽は地球の周りを公転し、その太陽の周りを惑星が公転している」という「修正天動説」を提唱した。
本人は自身の観測記録をまとめる前に病死したが、弟子であり共同研究者でもあったヨハネス・ケプラーがその記録を解析し、ケプラーの法則を発見した。
◇ ◆ ◇
[Simple English Wiki]
Tycho Brahe, born as Tyge Ottesen Brahe, (lived December 14 1546 – October 24 1601), was an astronomer from Denmark who built a big observatory called Uraniborg on a place called Hven in Denmark. He discovered that the universe besides the solar system was always changing. Johannes Kepler was his helper.
[中文]
第谷·布拉赫(Tycho Brahe,1546年12月14日−1601年10月24日),丹麥貴族,天文學家兼占星術士和煉金術士。他最著名的助手是克卜勒。 [粤語(えつご=広東語)]
第谷(Tycho Brahe,出世時叫 Tyge Ottesen Brahe),1546年12月12號—1601年10月24號,係個丹麥貴族,做過一套又廣又詳細嘅天文同行星觀測(開普勒(Kepler)後來用佢嘅數來導出佢嘅三條行星運動律),又搞過鍊金術。佢來自Scania,而家係瑞典嘅一部份。
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【アストロラーベ】 (astrolabe) ●アラビアやヨーロッパで中世に多用された天文観測器機。星座早見盤のルーツともいわれ、古代ギリシアの天文学者ヒッパルコスが発明したとされる。 ●円環上に刻まれた目盛りによって、二星間の角距離や星の高度などを測る。天体運行を予測する計算尺や、航海・測量の器機として利用することもできる。 ●18世紀、六分儀の発明によって、その役割を終えた。 日本では1618(元和4)年、池田好運が「元和航海記」において紹介した。 ◇ ◆ ◇ [科学の利器]カードの効果 天体の位置関係を把握し、現在地や季節 の移り変わりを確かめる科学の利器。 海軍軍人・船員などの人物カード1枚と、 艦船カード1枚が場に出ているときにアストロ ラーベカードを使うと、敵の攻撃を−1000できる。
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