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島津家の玉里庭園が昨年12月初めから工事に入っています。
開園は4月からです。
 
▼駐車場に沢山の石材が並べられています。
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▼石塀を積み直しているようです。
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▼園内の梅が咲きだしました。
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月照と西郷

月照(げっしょう)は、幕末期の尊皇攘夷派の僧侶。名は宗久、忍介、忍鎧、久丸。
 
西郷隆盛と親交があり、西郷が尊敬する島津斉彬が急死したとき、殉死しようとする西郷に対し
止めるように諭しています。
 
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文化10年(1813年)、大坂の町医者の長男として生まれた。文政10年(1827年)、叔父の蔵海の伝手を頼って京都の清水寺成就院に入る。そして天保6年(1835年)、成就院の住職になった。しかし尊皇攘夷に傾倒して京都の公家と関係を持ち、徳川家定の将軍継嗣問題では一橋派に与したため、大老の井伊直弼から危険人物と見なさる。
 
安政5年(1858年)8月から始まった安政の大獄で追われる身となり、西郷と共に京都を脱出して西郷の故郷である薩摩藩に逃れたが、藩では厄介者である月照の保護を拒否し、日向国送りを命じる。これは、薩摩国と日向国の国境で月照を斬り捨てるというものであった。このため、月照も死を覚悟し、義理と人情に厚い西郷は共に錦江湾に入水した。月照は亡くなった。享年46であった。「眉目清秀、威容端厳にして、風采自ずから人の敬信を惹く」と伝えられている。西郷は奇跡的に一命を取り留めている。西郷30歳の事です。
時世の歌は、大君の ためにはなにか 惜しからむ 薩摩の瀬戸に 身は沈むとも
 
▼南洲寺 鹿児島市南林寺にある寺です。
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▼南洲寺にある月照の墓です。
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▼由緒を記した石碑
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▼西郷が蘇生した家 錦江湾の竜ヶ水の海岸にあります。
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戊辰之役戦士顕彰碑

鹿児島市照国神社の隣に「深勝園」と云う名の庭園があります。
ここには島津家、斉彬公、久光公、忠義公の三公の銅像が見守る中、
戊辰之役戦士の顕彰碑も祀られています。
 
↓ 久光公の銅像
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↓ 戊辰之役戦士顕彰碑
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↓ こちらではよく耳にするお名前も刻まれています。
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冬の武家庭園

黎明館(鹿児島城址)の武家庭園に山茶花がさいています。
 
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知覧型二ツ家

知覧の亀甲城跡には当時の住まいが保存されています。
 
南九州の民家は,現在でも南西諸島で見られるように,オモテ・ナカエ・ウマヤ・便所・
風呂場が独立した分棟型が基本でした。
オオテとナカエを連結させた建物として,棟と棟をつなぐ小棟の形状がが知覧独特で
あることから,知覧型二ツ家と呼ばれています。
 ※オモテとは客間でナカエは住居のことです。出入り口も別です。
 
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 ↓ ナカエ(住居の間)
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 ↓ オモテ 客間
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