この世に日本酒と焼酎と、そして愛がある限り…

大好きな、日本酒と焼酎について語ります!時にニャンコ&サッカー&音楽など…腹の立つときは愚痴ります!(笑)

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今から私が生きる道 ケータイ投稿記事

僕がいきる道、大好きなドラマのひとつです。

余命一年を宣告された進学校の男性教師が、残された一年を悔いないようにと必死に生きる物語です。

今日再放送で、久しぶりに見ました。

泣けますね…。


進学校ゆえに、親に束縛されることが多い生徒たちの姿も描かれていて

私の場合は、やりたいように生きなさい。と言われて育ててもらいました。
今となっては感謝だなぁ…なんて思ったりしました。


そんな両親も今は病気で、母は痴呆になってしまったので
もう料理もろくにできず、私はもう、母の料理は食べられないんだな…

母の作るお味噌汁が大好きだったけど、あのお味噌汁も、もう食べられないんだな…

なんて事まで思ってしまい

ポロポロ涙がこぼれました…


そんな母が、喜ぶことをしてあげられるかなぁ…

父を安心させてあげられるかなぁ…


私が、このドラマの主人公二人のように、
例え長い未来がないと分かっていても一緒になったように

幸せと思える結婚ができれば、両親を笑わせてあげられるのかなぁ。


そんなことを思いました。


もし私には人よりも余命が限られていたとして、

今まで生きていた年数よりも

残された年…又は月かもしれないとして


最期の時、それを長かったなぁ。充実していたなぁ。

と思えるだろうか。


今まで生きてきた年数よりも、終わりを宣告された後のことを、素晴らしかったと思えるだろうか。


いや、思えるようにならなければならないのだ。


今から私が生きる道。


全く悔いなく、全く間違いなく、なんて無理でしょう。


でも今から私が生きる道は、


決まっています。



自分も周りも、笑顔でいられる日々であるように


諦めないことです。

涙が止まりません ケータイ投稿記事

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お久しぶりの更新です。

朝からテレビは高倉健さんの追悼ばかりで、涙なしでは見られません…。

何でかなぁ…健さんの大全盛期は知らないし、そんなに沢山作品を観たわけではないのに、悲しくて仕方ない。
物心ついた時から、存在してくれていた日本人の鑑のような人でした。


東映の会長が『支柱を失った。残念と言うよりも恐ろしい日が来てしまった。』とコメント。
その表現に、とても納得です。


高倉健さんが居ると言うことは、映画界にとっても、日本人にとっても、誇りだったように思います。
大スターとか大御所とか言われる人はいっぱいいるけど、偉そうだったり、天狗になったり、異性や金問題等で噂になる人も少なくない。
健さんのそんな話は聞いたことない。
みんなの憧れ、真の国民的大スターであり、国民のために高倉健であり続けてくれました。
感謝です。ただただ感謝の一言です。


高倉健とクリント・イーストウッドは死ぬわけがないと思ってた。

何て言ってた人もいました。
その気持ちもすごくよく分かります。

誰にでも最期は訪れる…当たり前なんだけど考えたくはなかった、悲しい現実を突きつけられましたね。


健さん、あなたには色々教えてもらいました。
本当にありがとうございましたm(__)m

天国では、もうすでに色んな方とお会いしてるかな?
私にとってはブラックレインが、一番印象的です。
優作さんとも会ったのかな。
名優、名監督もたくさんいらっしゃいますね。
天国では、超傑作映画ができそうですね。
ご無沙汰しております。
 
みなさまお元気ですか?
 
私はブログを書く暇も気力もないくらい元気です。(笑)
 
まぁ正直申しますと、最近このブログがある意味もよくわからなくなってきたのですが…(笑)
 
 
伝えたいことはたくさんあるため、その時の為に残しておくとします。
 
気まぐれフーテン寅子でございますが
 
長ーい目で見守っていただけたら幸いでございます。
 
あ、純粋に私を心配して下さってる方のみ、で結構です。(笑)
 
 
それでは、また。
 
今日も明日も明後日も
 
美味しいお酒を飲みますよ〜!

国酒を伝え続けます! ケータイ投稿記事

某百貨店の酒売場を退職してから、この3月でちょうど5年が経ちました。


いやぁ…早いなぁ…。
色々あったなぁ…。


あのまま百貨店に勤めていれば、高いお給料ではないにしても、安定した収入はありました。


でも会社という組織に属することが嫌になったのと、ここではもうこれ以上学ぶことはない、自分で何かを企画しやり遂げられる可能性もない、と感じ


ただ漠然と、飲食店や酒蔵のサポート業ができれば良いな〜なんて思って、特に当てがあるわけでもないのに辞めてしまいました。


さて、これでこの先暮らしていけるのか?という不安がとてもありましたが、


とりあえずは旅に出たくて、2週間くらい九州を一人旅しました。


色んな酒蔵を巡り、色んなお酒を飲んで、改めて酒に携わる仕事がしたい、

ちゃんと自分の意思で、好きな酒のサポートをしたい、と思ったものでした。


間にちょこちょこと、酒とは無関係の短期のバイトをやったりはしましたが


まずは秋田の酒蔵のお手伝いを始めるようになって


平行して地酒専門の立ち飲み屋で働いていました。



ただただひたすら、信頼だけは失わないように
国酒(日本酒・焼酎)を広められるように、

それだけを思ってやって来ました。


気がつけば、いくつもの酒蔵から販売依頼やプロモーションのお仕事を定期的に頂けるようになっていて


飲食店も何度もクビや閉店などの災難に見舞われながらも


友人に、次はうちの店で一緒にやらないか、と声を掛けてもらえて

念願だった自分自身での酒の仕入れや、酒の会を任せてもらえるようになり


現在に至っています。



今まで何をやっても中途半端で、最後までやり遂げられたことがなく


シンガーソングライター時代も、結局は自分を貫ききれずに、
もうレコード会社とは縁を切りたくて辞めてしまいました。



オーディションを受けまくり、ようやく合格して掴んだ夢。

あんなに大きな夢だったのに、せっかくCDを出せたのに、頑張りきれなかった。



夢を見続けるには、あまりに汚く、厳しい現実でした。



諦めた自分、音楽に対して情熱を無くした自分が情けなく、哀しかった…

壁を越えられず、夢を失った自分の存在価値が分からなくなってしまいました。



そんなとき、出会ったのが酒造りでした。


酒造りに、曲作りと通じるものを感じました。


どんなに苦しくても、つくり続けなきゃならない。



身と心を削り、産み出すものはまるで自分の子供のようであり

造り手の魂が込められた芸術品。


そう思いました。

音楽も同じです。



国酒は日本の伝統であり宝だと、感じました。


音楽ではやり遂げられなかったけど、酒の世界では頑張りたい、国の宝を守らねば、伝えなければ。
今度こそ、それを貫きたい!



そう思いました。




不思議です。


何となく面接を受けた百貨店で、たまたま酒売場に配属されて


とりあえず酒の知識つけなきゃな、と勉強を始めた、そこから私の第2の人生が切り開かれました。


酒の魅力に引き込まれていきました。


生涯やり遂げられると思えるものに、まさかここで出会えるとは思っていませんでした。


収入が少なく、生活が苦しい時もあり、
また普通に安定した職に就こうかと思った事もありましたが

どうしても酒と携わりたかった。

国酒プロモーターを、貫きたかった。


今も私は、酒を極められたとは全く思ってはなく、だけども百貨店を辞めてから、やりたいと思ったことは、どんどん実現できています。

それで今はだいぶ収入も安定してきて、何とか暮らせています。



有り難いです。


収入という点では百貨店を辞めたことは失敗だったかな…

と思ったことはあっても、仕事の点では後悔したことは全くありません。


辞めて良かった。

今どんどん可能性が広がっているのが実感できています。
あのまま百貨店にいては、やりたいことを何もできていませんでした。




フリーランスで大した実力もない、こんな私を雇っていただけることに、感謝しかありません。


自信などないのです。
至らないところばかりで、まだまだ勉強も足りないし



ただ信頼と誇りだけは無くさぬよう努めてるので

今私は、胸を張って仕事できています。



シンガー時代には、精神的に辛い毎日で下ばかり向いていたのに


今は楽しんで仕事ができています。



いつまで続けられるかは分からないけど


体が続く限り、情熱が有る限り


やり続けたいです。


国酒プロモーターであり続けたいです。



きっとやり遂げたと思う日も来なければ、ゴールもないのでしょう。



それで良いんです。
それが人生なんですよね。


今はただ、大好きな国酒達に囲まれ、自分の好きに自由に、仕事をしていきたいです。



どうぞこれからもよろしくお願いしますm(__)m



この人になら仕事を任せられる、この人の選んだ酒なら間違いない!

そう思ってもらえる国酒プロモーターであり続けられるよう、頑張ります!

あの日を忘れない

あの日から3年が経ちました。
横浜在住の私でさえも、今までに経験したことのない大きく長い揺れと
その後しばらく続いた混乱の日々は、辛くて苦しかった。

今思い出しても、信じられません。
交通機関が麻痺し、計画停電が実施され
街から明かりが消え、食卓からいつもの食材が減り、仕事も減り
テレビでは延々と津波の映像…。
 
たった1日で、たった数分の地震で、日本が変わってしまった。
現実に起きたことだけども、現実だったとは思えません。
しかし思い出すたびに、涙が溢れそうになり
私なんかより、ずっと苦しい思いをされた方がたくさんいる。
そう思う度に紛れもない現実なのだと、思い知らされるのです。
 
震災から1年後に福島を訪ねた時のこと…
とある商業施設に、ある人の思いが、綴られていました。
 
 
 
時間が経つことで、風化していくことが怖い。と、被災された方々は言います。
 
私は忘れません。
絶対に忘れません。
 
この人の言葉が、私の心に血を通わせ続けてくれているから
私は絶対に忘れません。
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何かしてあげなくちゃとか、私に一体何ができるか、とか
難しい事を考えるのはやめました。
 
一人じゃないよ、そう言ってあげたいです。
 
一人じゃないんだな…って感じられるだけで
どれだけ心強いか…
 
私はこの3年間で、知ることができたと思っています。

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