建築家小林英治のエッセイ

事情があり3週間ほど別府に帰っていました。

エッセイ

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(2)からのつづきで、これで終わりです

ある日のことである。私はいつものようにカウンターに座り食事をして、ふと視線を感じ目を上げたら、カウンターの中の片隅から女性がじっとこちらの方を見続けている。私は何となく食べづらくなり、見つめるのを止めてくれないものかと願ったものだが、彼女と以心伝心という訳にはいかず、冷や汗を掻きながらの食事になった。次の日も次の日もそんなことが続いたのには辟易してしまったが、それとなくこちらも観察して見ると、客が席を立った時でも後片付けに行くでもなく、有難うございましたと頭を下げるのでもなく、ただじっと自分の持ち場から動かずにこちらの方を見ているだけであった。他の人は忙しくしているのだからもっと働いたらどうかとよっぽど注意してあげたくなったりもしたが、そんな訳にもいかず、そんなことが続いたある日のことである。いつものように彼女は客が入ってきても帰って行っても動ぜずに一方向のみを見ていたが、そんな彼女に「今日は早くからだったから疲れたでしょう」と寄って来ては、「ちょっと休んだらどうか」と店員の何人かがやさしく声をかけていた。それを聞いた私はびっくりし、そうか彼女は身障者か知的障害者にもかかわらず、あれはけなげにも一生懸命に仕事をしている姿だったのかと、初めて理解した。そう言えば私のほうを見ていた目が、何となく私を通り過ぎて背後を見ているような、そんな遠くを見ているような目だったかもしれないと、納得がいったが、それとは知らずに私は自分の考えたことに恥じ入り、冷や汗がどっと出てきた。

私が彼女に対して思っていたことを誰に話した訳でもないが、この時ほど穴があったら入りたいと思ったことはない。今までも知らず知らずのうちに何度か同じことをしでかしていたかもしれないと思うと、ただただやり切れなさだけが残った。

長い間、お読み頂きありがとうございました。
とにかく、この文章は自分の恥部を晒す様で恥ずかしかったです。
よろしかったら、コメントをお願いします。

(1)からのつづき
料理を作ることは、意外と頭を使うもののようだ。冷蔵庫の中にある物から美味しい料理を作り、さらに温かい物を温かいうちに食べる側に提供するという主婦の仕事は、簡単だと思っていた訳ではないが如何に難しいかということが分かった。難しいだけに、やって見れば面白く奥が深いものである。だが私はコックではなく、建築家なのだから仕事もしなければならない。朝遅くに起きて、昼食の献立を考えて買い出しに行き、作り始めるとちょうどお昼時に出来上がる。その昼食も終え、しばらく仕事をしていて3時の休憩の頃になると、今度は夕食を何にしようかなと考え始め、日も暮れ始めるとあのスーパーは7時に閉まるからとそわそわしだし、そそくさと仕事も放り出して買い出しに行く。後始末やら少しのんびりしていると9時近くなり、ようやく仕事に熱中できる時間が持てるようになる。
一日のほんの数時間だけが、私の頭の中に建築があり、残りの時間全てが料理になるという期間が三ヶ月ぐらいは続いたであろうか。これではとても仕事にならず、以来たまに好きなステーキを焼くぐらいしか料理は作っていない。すると又また嫌な外食に頼らなければならず、これが何とも嫌なことではあったが仕方がなく、しかし5〜6年も続けておれば、あんなに嫌な物でも今ではあまり感じなくなってしまった。毎日が中華屋・そば屋・とんかつ屋とその他2〜3の料理屋とをぐるぐる回るのが日課となり、その結果私はかなりスリムな方だが、コレステロールが倍、中性脂肪が三倍になっていると医者から言われ、びっくりしたものだ。

どうにかしなければと考えていた時、あるレストランを知った。そこは弁当だけしかなく、しかもお昼時だけしかやっていない。金額も六百円と安く、毎日が日替わりでいずれもカロリー計算をしているらしくほどほどの量で、充分に美味しいものが出る。後で知った話だが、都の経営で身障者が少しでも社会復帰できるようにと従業員として雇い、近くの病院や動けない老人たちに弁当の配達などもしているようだった。レストランの中に身障者が顔を出すことはなく、それと気が付かずにいたが良く見るとそれらしい人が働いている。私はこのレストランをもう三年近く使わせていただいていて、古い常連客の一人である。ここで取る食事だけが私にはまともに思え、お蔭様で命拾いができると、日々感謝している。(つづく)

このエッセイも以前書いたもので、初期にUPしたもののリベンジ編です。コメントをお願いします。

私は、ここ数年三度の食事は外食に頼っている。はじめの頃は外食が嫌で嫌でしょうがなく自分で作っていたけれど、これが意外と楽しいものだということが分かった。新聞の今日の献立だったか、そのとおりに作れば結構美味しい物が作れると自信が湧き、太刀魚の甘酢あん掛けなどと、普通料理屋さんでは食べられないようなものに挑戦してみたりした。これが娘にとても好評で、喜んでもらえれば作る側としたらこんなに嬉しいことは無く、しばらくはコックまがいの事をしていた。いつだったか娘が「お腹がすいたー」と言って帰ってきたので、得意のビーフシチュウを作ってあげようと7時頃から買い出しに行って作り始め、出来上がったのが10時を少し回ってしまった事があった。ビーフシチュウそのものは温かかったが最初に作った物はすでに冷めてしまっていたりしたが、それでも娘は「美味しいね」と言ってくれ二人でワインなどを飲んだりして、結構楽しい一時を過ごすことができたりもした。 (つづく)

予期せぬ出来事

このエッセイも以前書いたもので、初期にUPしたもののリベンジ編です。コメントをよろしく。

その日は肌寒い日で、いつも着ている好きなレンガ色のコートに身を包み、両手をポケットに突っ込んだまま渋谷の駅の階段をリズミカルに下りていた。その時、背中にリュックを背負った今風の若者が勢い良く階段を登ってきて、すれ違いざまに「シュッ」と音がした。私はハッとして立ち止まり、音のした右ポケットの方向を見てみるとコートが破れていた。きっとリュックにカギ状フックが付いていて、それに引っ掛けたんだなと思い若者を目で追ったが、もう遠くに走り去っていた。大好きなコートだったのにとウラメシク若者の消え去った方向に目を据えながら、予期せぬ事が起きるものだなとあれこれ状況を想像していて、さらにビックリさせられた。何とコートのボタンが引きちぎられ、附近の布地がそれに伴い破れてしまったのだという事に気が付いた。直径2センチもあるボタンが、すれ違い様に相手のリュックの2・3センチのフックか何かに、丁度ボタンを嵌めたかのようにして引っかかる事などあり得る事ではないが、まさにあり得ぬ事が起きた事件であった。

すると似たような事件が何日も日をおかずに続いて起きた。確認申請を出そうと朝早くから柏市まで向かう途中での話である。久しぶりに満員電車に乗った。悪い事に、その日は信号機の故障で電車が遅れていたようで寿司詰めのギューギューだった。車内では、降りたい駅に降りられない女子高生などがいて可哀相だった。私も日暮里で降りようと降りかけたが、持っていたカバンが乗客に引っ掛かり降りるのにてこずっていた。出口に近づこうと必死にもがいていると、何か動くたびに腰周りが引っ張られる。良く見ると私のズボンのベルトがはずれ、あろう事か前にいる男性の背広のボタン穴にベルトのフックが引っ掛っているではないか。出口に近づけば近付くほどベルトが抜き取られ、私は降りる事よりベルトを取られまいと、その男性から離れたくなかったが、今度は降りる人に押し流されてホームに出た時は、すっかり抜き取られベルトだけが車内に取り残されていた。普通ならばベルトを抜き取ると、ズボンが足元へずり落ちパンツ丸見えのマンガのような事態が想像されるが、幸いにも歳のせいか、あるいはその時履いていたズボンのせいか、ベルト無しでも何とか腰に引っ掛っていた。そうこうしていると、今度は常磐線からの乗客が乗り遅れまいとドッと流れ込み、あれよあれよと言うままに車内に押し戻され、ベルト近くに行く事ができ無事返してもらう事が出来た。その時ベルトを返してくれた男の顔が笑っていたが、その笑いの中に何故か気恥ずかしさが現れていて、私の恥ずかしさを代弁してくれているようだった。

視力

私は子供の頃から、大して勉強しなかったせいか視力は良い方だった。と言っても両目共1.5だったから普通だったかも知れない。高校生の頃、友人に剣道の初段を持っている奴が居て、ひょんな事から子供の頃のチャンバラの話になった。今の子供達はチャンバラなんてした事が無いであろうが、僕らの子供の頃は男の子は皆夢中になっていた。そこら辺に生えている背の高い草の幹を刀にしたり、竹や棒を刀の代わりにしたものだ。僕は強いほうで負けたことが無かった。と言うと少しオーバーで全く負けた事が無かった訳ではないが、強かった。私の父も剣道は有段者ではなかったが、3段の人と試合をして勝った等の話を聞かされた事があったので、そんな記憶からか、お前などに負けるわけが無いじゃないかと強がり、結局試合をすることになった。(後、父の話はオーバーで嘘だと分かったが・・・)

僕は剣道部ではないし、胴着を付けての試合では不利だと感じ竹刀だけで試合をする事にした。試合を始めてすぐに先制攻撃でチャンバラよろしく足を払って切った。剣道に無い型だったので不意を食らった友人は、足を切られた直後猛烈な勢いで「面!」と強かに僕の頭を打ち付けた。僕は「お前はもう両足を切られているんだよ。お前の負けだ」と言うと、足を切られても倒れる直前にお前の頭は真っ二つだと言い、負けを譲らない。それならばと私は方針を変えて、ジンジンする頭をかばいながら大上段に構えて相手の頭を狙った。隙を見つけ、一歩踏み込んで「面!」と打ち込むや否や、相手は「突き!」と突いてきた。その竹刀の剣先がのどを突かず、いきなり左目に飛び込んできた。丁度竹刀の大きさが目の玉の大きさである事をその時まで知らなかったが、目に刺さる分だけ後ろに反り返り真後ろに転倒した。今考えてみてもありえない事のような出来事だった。もう5ミリも目に入っていてたら目の玉が飛び出していたかも知れない。

以来、しばらくは左目が霞んでいたが、やがて気が付かないうちに霞は治り何年後かの検視の時には視力は0.1にまで落ち込んでおり、以後回復することは無かった。医者からは眼鏡を掛けることを薦められ、眼鏡を作っては見たものの片方の視力が1.5の為ふわふわした感じが抜けきらず、特に階段などは奥行きが分かりにくく、ついつい踏み外してしまう。車の免許では眼鏡使用となり掛けざるを得なかったが、他に図面を書いているとき意外は眼鏡を掛けたことは無い。そう言った事が原因で、女性等に特有な偏頭痛に悩まされる事になった。この偏頭痛とも思えば何十年の付き合いであったが、思いもかけぬ良い事もあるのである。年齢も40を過ぎた辺りから老眼が始まってくる。御存知の事だが徐々に視力が遠視になってくるので、本などを読む時にはぐっぐっと近づけるのでは無く、反対に離さなければ見えにくくなるのである。

だが、もともと近視の人は遠視になりにくいと言われる。その事が功を奏して僕の場合、左目が近視である為近くも遠くも見える事になり、未だに電車の中で文庫本を読む事が出来る。僕の年齢で眼鏡を掛けない者はほとんど居ない。1.5の右目は普通に老眼になっているが、左目の0.1がまだそのままのようなのだ。遠くを見るときは右の正常な目で見て、近くを見るときは近視の左目で見ると言う芸当が出来るようなのである。どうです、まるでちょっとしたスーパーマンのようでしょう(笑)。

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