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随分以前のことになるが、
テレビでビールの銘柄当てをやっていた。
グルメの誉れ高いタレントが数名でて
何種かのビールを飲み比べ、その銘柄を当てるという
極めてシンブルな内容だった。
結果は、ほとんどのタレントにとって悲惨なものであった。
しみじみ人の味覚とは当てにならないものだと実感した。
味の善し悪しがわかる表現として“舌が肥える”という言葉があるが、
果たして舌は肥えるものなのだろうか。
“舌は肥える”のではなく、単に経験を積み重ねるだけではないのか。
確かに、より多くの経験を積んだ人間の方が、
そうでない人間より、多くのことを知り得る可能性は高い。
でもそのことと、ものの味が分かるということとは同じではないはずだ。
年齢によっても経験とは別に、味覚や好みは違ってくるように思う。
いじわるな見方をすれば、
グルメとは、経験値の絶対量からくる自信、
平たく言えば
“場数を踏んだくそ度胸”で味についての蘊蓄を語る人間、
といえなくもない。
結婚式や正式な場所でのフレンチや懐石料理など、
緊張のあまり味が分からなかった、
という経験は誰しもあると思うのだが、
その逆の現象として“場数を踏んだくそ度胸”による自信が
あたかも研ぎすまされた味覚の持ち主であるかのように
他人はもとより、
自分自身をすら錯覚させているということもあるかもしれない。
【絶対音感】というものはあるが、
【絶対味覚】というものはあるのだろうか。
もしそんなものはないのだとしたら、
“場数を踏んだくそ度胸”の大声に勝るものはないだろう。
かくして世間では彼のことを、
舌が肥えている!
グルメだ! と賞賛する。
しかし、私は思う
“舌は肥えるのではなく、驕るだけ” なのではと。
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食について
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コメント(4)
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仕事の関係でコピーも書けば取材も行いますが |
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味の評価 |
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食の旨い不味いにリトマス試験紙のような客観的な判断基準はありません。 |







