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新・そば通信
新・そば通信は蕎麦屋さん訪問の記事を中心に蕎麦についてのあれこれを紹介します。

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神戸市にある手打ち蕎麦店。
訪問した店の私なりの位置づけです。
訪問した時期にかなりの開きがあるので
あくまで記憶に頼った相関図という事になります。
また私の知っている限り、あと数軒は未訪問の店もあります。

一度しか訪ねたことのない店と
何度も訪ねた店を同じ土俵で論じることに
後ろめたさを感じない訳ではありませんが、
頻繁にいける立場にない以上、
蕎麦店と自分との距離感を確かめるために
とにかく自分なりに強引に作成してみました。

一度しか訪ねたことのない店と
何度も訪ねた店。
そのこと自体、評価のひとつではあるけれど、
諸事情で一回しか行けていないという店もあります。
(ともかく一回限りの店には❶印をつけていますので、
二度目の訪問で大きく位置が変わる可能性は大です。)

右にある店ほどお腹を満たす店とは違い
喫食的に蕎麦自体や酒肴が楽しめる店となっています
上にいくほど私個人の嗜好にあった店ということになります。
従って、現時点では右上にある“山親爺”が
神戸では最も意にかなった店ということです。

また神戸市内に『こんな手打ち蕎麦店があるよ』
といった情報も是非教えてください。
※日精が手打ちだったかどうかはちょっと自信がありません。
 調べておきます。

私たちの坐っている6人掛けの長テーブルの一つ置いた隣に、
30代半ばくらいのカップルが席につきました。
料理が運ばれてきてから、暫くして女将さんが別の料理を運び終えたその時です。

女性の方が女将さんに『これ○○やな』といったようなことを
いわゆるタメ口でいいました。
女将さんもタメ口ではありませんでしたが、
『○○なんよ』と今までの応対とは違う言葉使いです。
そのやりとりで二人は友達関係であることがわかりました。
そのあとも暫くそんな会話が続いていました。

ご主人が、お客の履き物を揃えている光景を目にした、
まさにその直後のことだったので、私自身何故だかひどく動揺しました。

何故なのか。
たとえば、お昼時に入ったラーメン屋でそんな光景を目にしたところで
なんの動揺もありません。
むしろごく日常的な光景かもしれません。

その相違に、そばを愉しむか、店を愉しむかの違いが
表現されているのかも知れないなと思いました。

“玄”での出来事は墨絵の中に、原色の油絵の具が混入したようなものです。

私自身は、墨絵として“玄”を愉しんでいたのですが、
女将さんの友達の女性は、
きっと友達のやっているちょっと有名なそば屋さんに
寄ってみただけ、といったノリだったんでしょうね。
じぶんが原色の油絵の具だなんて爪の先ほども思っていないに違いありません。

ということにしておきましょう。

2008年を振りかえって

2008年を振りかえって
何と言っても、あこがれの“宮本”に行けたことは
蕎麦的には2008年度の最大の出来事でした。
月刊太陽の特集《そばを極める》の表紙を飾った、
“宮本”のそばの写真との出会いがなければ、
大袈裟ではなく、
私の50代は今とは違った生き方に
なっていたことでしょう。
たかがそば(の写真)との出会いが、
こんな事態になるとは、
その時も、そして今も思っても見なかったことです。

そばは素晴らしい。

でも心の片隅に「たかがそば」というスタンスは保って
これからもつきあっていきたいと思います。

さて今から、今年の蕎麦の食べ収め、
“にこら”に向かいます。

2009年度の新・そば通信はその“にこら”から始まります。

みなさん良いお年を。

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groovy119484さんと元町“卓”へ。

京都の“なかじん”がそばアレルギーのせいで店じまいするらしいといううわさ話から

アレルギーの話になり、

俳優の池部良のお母さんのそばアレルギーの話までワイワイ。

出てきた『いなり寿司』の器が、

“卓”らしからぬ繊細ぎみの器だったのを

お互いにんまりと確認しあい、

ひょっとして、ブログで器のセンスの悪さをけなしていたのが

聞こえたかなと思ったり。

やはりそばを楽しむなら仲間や友人と、

そしてそばの味を極めるならひとり孤独に、

ということですね。

それにしても、いつ頃からか“卓”のそばは変わったという印象を

『もりそば』の《白》でも再確認しました。

以前はもっと繊細な味わいであったように思うのですが、

しっかりとした噛みごたえのあるそばになったように思います。

つなぎの問題でしょうか。

蕎麦は庶民の味方

“竹やぶ”“胡蝶庵”“玄”に対して“公楽”。

いずれも大好きな蕎麦屋さんですが、

両極端といえる蕎麦屋さんです。

蕎麦だけに限れば、900円と600円の違いです。

と書きながら、これは大した違いなのだろうか、と思ってしまいました。

生山葵と練り山葵。

う〜ん。大した違いじゃないといえそうだし、

この違いは大きいともいえそうです。

それでは他のこと、例えば[相席]のことや、[丼やうどん]の有無など

すべて、大した違いじゃないといえそうだし、

この違いは大きいともいえそうです。


じゃあ、なにが根本的に違うのかというと、私の意識の在り方が違うのだと言うことに気づきました。

つまり私にとって“竹やぶ”“胡蝶庵”“玄”はハレの蕎麦屋さんで

“公楽”はヶの蕎麦屋さんなのです。

ハレとは国語辞典的には『滅多にない機会であり、生涯において記念すべき事態』のことで

ケとは褻でふだんのこと、つまり日常レベルのことです。

まさに、それぞれの店に向かう際の私の気持ちを表しています。

そういう気持ちにさせられる理由は、各店の店づくり(コンセプト)から来るのでしょうが、

その差が価格設定で300円という金額だから

大した違いじゃないと思ってしまった訳で、

15,000円と10,000円となると結構大きな違いと思うのでしょう。

厳密に言えば、それぞれの店の蕎麦の量が同じではないので

もう少し差が開くかも知れませんが、いずれにしても、500円までの話です。

この500円の絶対値の差でピンからキリまで(味のことだけではありません)

味わうことが出来るのが蕎麦屋のいいところなのです。

例えば日本一の懐石料理の店に行こうとしたら、

5万円〜10万円くらいは用意する必要があるでしょうが

蕎麦屋ならいくら高くとも2000円を持っていけばお釣りがあるはずです。

それで日本最高レベルの味や雰囲気が楽しめるのです。

そう考えると蕎麦は紛れもなく庶民の味方です。

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