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10月8日、俳優の池部良氏が亡くなった。 池部良で思い出すのは 東映やくざ映画、昭和残侠伝。 耐えに耐え、偲びに偲んだ花田秀次郎こと高倉健が 小雨降る中、敵の一家に単身斬り込みに向かう とそのとき、さっと差し出される番傘一本。 池辺良演じる風間重吉。 本来は敵の一家に身を置く立場 彼も止むに止まれぬ事情から秀次郎とともに斬り込みに その時の台詞 『あっしにも死に花を咲かせてやってください』 『ご一緒、願います』 と池袋文芸座では必ず声がかかった 『よっし!!』 『異議なし!!』 そして拍手 このあたりの経緯はきっとシリーズ全体から記憶している イメージなので何作目かの特定場面という訳ではない。 昭和残侠伝 (全9作のうち)5部一挙上映 オールナイト興行 当時は池袋に下宿していた。 文芸座までは歩いて10分くらいだったので よく通った。 池部良は斜陽化する映画(産業)界にあって 風間重吉を演じることで 映画俳優としての『死に花』は咲かせたように思う。 さてどこが『そば通信』なのか 池部良のもう一つの顔 文筆家としての池部良。 何かまとめて彼の著作を読んだことはないけれど たまに雑誌などで彼の文章を目にするたびに、 その文章の面白さにいつも引き込まれていた。 そんな文章の一つが 私にとってのバイブルとも言える “月刊太陽” 1998年12月号 特集 そばを極める の巻頭エッセイに掲載されている。 前振りが長くなったが 私には彼の文章を分断することは出来ないので 敬意を込めてその全文を(無断で)転載します。 タイトルは 『お蕎麦は顳顬(こめかみ)で』
「十日ぶりは、久しぶり」 僕が蕎麦屋さんで食べる蕎麦の真贋を知るようになったのは齢(よわい)15歳を過ぎた頃だったと思う。真贋と言っては、ちと大袈裟だが、今食べている蕎麦に本ものの蕎麦粉が入っているか、いないかを忽ちにして識別する方法を知ったのがその年頃だったと記憶している。 僕のおやじは東京の下町生まれで育ちだったから江戸っ子気質を、こよなく誇りにしていたし、事実江戸っ子に備わる長短の性格を多分に持っていた。どっちかと言えば短の方が勝っていた気がする。 短気で、せっかちで、思いこんだら命がけみたいなところがあった。絵描きだったから思いこんだら命がけの部分は、仕事の上でかなり役に立ったと思うが、日常の暮らしの中では無用の長物、傍迷惑の最たるものだった。 僕が軍隊に行ってしまうまでの24年間で思い出すことを、一つだけ挙げてみろと言われれば、十日に一度、家から歩いて120歩のところにある「亀や」(蕎麦屋の屋号)から出前させる天ぶら蕎麦二杯、もり蕎麦六枚が絵になって額の前に現われる。 「久しぶりだ。良たちも日曜だから家にいるだろう。畳めしは蕎麦にしよう」とおやじが朝食のトーストパンを口に嘲えたままで言う。 「あなた、久しぶりとおっしゃるけど、久しぶりつて十日目のことを言うんですか」 おふくろが前歯二本が突き出ている口で、おみおつけを吸いながら、ちらつとおやじを見る。 「ばかやろ、久しぶりは久しぶりだ。十日と限ったことじやねえだろ。つまんねえこと聞くな」と、おやじ。 「でも、十日前も久しぶりだからお蕎麦をとろうつて言ってましたわよ。その前の十日目も」と、おふくろ。 「そのくらいの日日(ひにち)が、おれにとっちゃ久しぶりなんだ。つべこべ言わず昼めしは、亀やからいつもの奴をとれ」 「いつものって天ぷら蕎麦ともり蕎麦ですか」 「たった十日ぐらい経っただけで、忘れちまうのか。昼めしは蕎麦に限るぜ。冷たい水をさっと切ったもり蕎麦に止めを刺すが、さくっと揚げた車海老を丁寧に乗せた、鰹節の利いた出し汁たっぷりな蕎麦も悪くねえもんだ。 世の中に、このくらい粋な食いものはねえぜ。だから、俺はこいつら(僕と弟のことらしい)にも、うまいが値段の高い天ぷら蕎麦を食わせてやりてえと思うが、可愛い子には旅をさせろってことがある。小さいときから賛沢をさせたら為にならねえから涙を呑んでもり蕎麦しか食わせないんだが、お父さんは、ああ言うけど、本当は吝(けち)だからなんて、こいつらに吹っかけるなよ」 「毎度、同じことを聞いてます。そんな馬鹿なこと言いませんよ。毎度、毎度、言ってるんですけど、あたし、生まれたときから、お蕎麦って好きじゃないのよ。 天丼とか天ぷらうどんじゃいけません? どうしてか、お蕎麦食べると瀬顧(こめかみ)が痛くなって気持ちが悪くなるんです」 「気持ち悪くなるって、今まで亀やの蕎麦、何百杯も食って来てんのに、そんなこと一度も問いてねえぞ」 「そう言われればそうだけど。我慢してたのです、きっと。でもお蕎麦じゃない方が」 「ばかやろ。亭主の好きな赤烏帽子(えぼし)って言うだろう。俺も、そんな馬鹿々々しいものは被らねえが、仮にだ、被ったとすりゃ、お前は俺の妻だ、一緒になって被るのが当たり前じゃねえか」 十日目、十日目の朝になると、おやじとおふくろの会話は双方の折りが合わないままで終わってしまうが、昼にはちゃんと亀やのお姉さんが桃割れに結った頭を左に傾けて、天ぷら蕎麦二杯、もり蕎麦六枚を乗せた朱塗りのお盆を紺餅の着物の肩に置いて「お待ちどう」と勝手口の引き戸を開けて土間に入る。 お姉さんはお盆を軽々と板の間に下ろしてから、これも何百回の同じ台詞だが「旦那さん、伸びてるの、伸びてないのなんて言わないでよ。出前、あたし一人でやってんだから」と言う。 「ああ、あたし死ぬ」 おやじとおふくろは見た目、取り立てて仲がいいとも思えなかったが、仲の悪い夫婦だとも見えなかった。 その証拠に、僕の中学校高学年になった頃、確(しっか)りと数えたわけじゃないが、大体二カ月に一度ぐらいは、おふくろを外に連れ出した。 「良、もう留守番ができるだろう。お母さんな、毎日、洗濯だ、おさんどんだって、草臥(くたび)れてるから、たまには気晴らしに、どっかに連れてってやろうと思う。明日辺り二人で出かけるから頼むぞ」と言う。 「いいけど、明日は学校があるから」と言ったら、「学校を一日や二日休んだって、お前の脳の出来じゃ、どうってこたあないだろ。杉田先生(医師)に診断書を書いてもらうから欠席届を出しておけ」と言われた。 毎回の留守番依頼が、これと同じではなかったが似たり寄ったりの言葉を吐かれて押し切られた。 おやじのおふくろ孝行に、おふくろが大感激した様子を見せなかったのは、京橋生まれの江戸っ子だったから照れているのかなと思っていた。大体、おふくろは表現が下手だったし口数の少ない人だから、感激しても表に出せなかったのかな、とも思ったことがある。 「行くぞ」と一声掛けたおやじは外国製の最上等の背広を着込み、ボルサリノの中折れ帽子を被って、どどっと先に出て行く。おふくろも季節に合わせた上等な着物を着て、一見いそいそとおやじの後を追いかける。 どこへ、何しに行ったのか分からなかったが、必ず昼下がりの三時頃には戻って来た。 「お帰りー」と門の外から野太い男の声が聞こえたので出てみると人力車二台が門の前に着いている。前の人力車からおやじが、どさっと飛び下りて、出迎えている伜には目もくれず「ばかやろ」を連発して家の中に駆けこむ。 二台目の人力車から車夫に抱えられたおふくろが茹で過ぎた葱みたいになって蹴込(けこ)みを下りる。前髪がほつれて鼻や頻にへばりつき土気色(つちけいろ)の顔をしている。着物の衿元も裾もはだけて見られた姿じゃない。 車夫さんと交替して、おふくろを横抱えにして居間に連れて行ったら、 「西洋料理を食べさせてやるって言ったくせに、神田くんだりに連れて行かれて、ここは有名で美味しい東京一の蕎麦屋だ。お前には日頃、家の中で何かと苦労かけているから、本ものの蕎麦を鱈腹食わせてやるって言うのよ。あたし、お蕎麦が嫌いだっての分かってるじやないの。お昼でお腹が空いてるから、しょうがなく食べたわよ。笊蕎麦三ロも食べないうちに顳顬(こめかみ)がすごく痛くなって、胸が悪くなって、お便所へ五回行って……。ああ、あたし死ぬ」と言い、ずるりと体を倒した。気息奄々、途切れ途切れの訴えだから確かには聞こえない。こんなこと言ってるんじゃなかと想像したわけだ。 シャツに着替えたおやじが乱暴に障子戸を開けて「折角、お前を楽しまさせてやろうと思って連れ出したのに、いつもこの様だ。腹は痛くなる。歩かせりゃ生まれたての赤ん坊よりひでえ。みっともねえったらありゃしねえ。ばかやろ」とどなり、画室へ入って行った。 後日、ものの本を読んだら蕎麦には、何とかという物質が含まれていて、人によってはひどい病的症状を起こす、とあった。 亀やの蕎麦では何でもないおふくろも、神田の有名蕎麦屋では顳顬(こめかみ)を痛めたとすると、亀やの蕎麦には本ものの蕎麦粉が入っていないことになる。 本ものの蕎麦と偽ものの蕎麦の見分けは、顳顬が痛むか痛まないかで決まると分かった。もっとも、僕はおふくろの血を引いているのに、そんな思いをしたことがないから、僕の蕎麦真贋発見説は当てにならないのかな、とは思っている。 ※ 一部数字を算用数字に替えました。
神田の有名蕎麦屋とは“かんだやぶそば”のことでしょうかね 池部良氏のご冥福を祈ります |
蕎麦あれこれ/文
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大学生となって淡路島から上京した阿久悠が、 |
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そばの誉め言葉 |



