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ほとんど更新しなくなって久しいこのブログに
それでも毎日数人の訪問者があることに恐縮しつつも
感謝しております。本当にありがとうございます。
昨年末の12月28日、谷六の“そば切り 蔦屋”で生涯最高といえるソバに出会いました。その後数軒のソバ屋さんを訪ねるも、その時の感動を上回る出会いはありませんでした。
未訪問の新店にも何軒か訪れました。
大阪西区靭本町の“masa”。
店の造りや雰囲気、接客もなかなかのものでした。
ソバも見た目には悪くないのですが
大阪中央区常盤町の“守破離”や大阪四天王寺の“はやうち”に共通する今一歩のもの足りなさを感じずにはいられませんでした。
好みといえばそれまでなのかもしれません。
しかし、今一歩(あくまで私見ですが)まで来ているのだから
何かのきっかけで一歩踏み出す事も十分にあり得ます。
私とすればそうなる事を願うばかりです。
神戸の北野坂に“八起”という蕎麦屋さんを偶然見つけました。
酒肴の種類が多く、蕎麦屋にも関わらず魚関係のメニューも多い店です。
『ソバ』までいただいて、近くの“哲粋”を連想し、そして同時にこれも近くの“みやもと”も頭をよぎりました。
いずれも手打ち蕎麦を提供する居酒屋/割烹店です。
それぞれ一度いったきりなのでこの連想はあまりあてにはなりませんが。
ところがつい最近、“八起”に再び行く機会があり、思い切って尋ねてみると“みやもと”で修行したとの事でした。
“八起”に蕎麦屋を期待してはならないということです。
あくまで締めで手打ち蕎麦を提供する居酒屋としてなら、それなりに愉しむ事もできそうです。
そして最後に一昨日、何回目かの“文目堂”。
すばらしい『粗挽きソバ』に出会う事ができたのです。
“そば切り 蔦屋”に“文目堂”。
“凡愚”の血統に何かがはじまったのでしょうか。
それとも単なる偶然でしょうか。
“天笑” “からに” “山親爺”、そしてもちろん“凡愚”の動静が気になるところです。
これだけのソバを提供された以上、ここ最近の“凡愚”の血統は注目に値すると思います。
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新-そば通信
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コメント(4)
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好きなそば屋の訪問には、最近、枕詞のように必ずといっていいくらい《久しぶりに》で始まる。
つくづく自分はそば好きではないなと思う。
本当にそば好きなら一年に5〜6回くらいしか行かなくて我慢が出来るはずもないだろうし、どうしても行くことができなければ、きっと自分でソバを打つに違いない。これではどう贔屓目(?)に見たってそば好きとは言えまい。
この傾向はここ2〜3年で顕著になった。それまでは、ひと月に1回くらいはそば屋を訪れていたように思う。それでも月一。
こうなった原因の一つに、心躍るような新しいそば屋との出会いがほとんどなくなったことが考えられる。
そば屋でソバ切りを含むそば料理を酒と一緒に愉しむことに無情の喜びを覚え、そば屋通いを始めた訳だが、本当にそれが可能となるそば屋が基本的に神戸から遠いところに点在することも大きな理由だ。
わざわざそのためにだけ足を運ぶほど(そんな時期もあるにはあった)、のめり込んでいる訳でもない。だから観光を兼ねたり、という副次的な理由を見つけて出かけていた訳だ。
さて、《久しぶりに》大阪は大正区の“凡愚”を訪れた。
いつものことではあるけれど、大阪に近づくにつれ、心が騒ぎ出す。そしていつものことではあるけれど、自問自答が始まる。
「初めての店ではないのにどうしてこんなに心が騒ぐのだろう。」過剰な期待感からか…
環状線に乗り換え大正駅が近づくにつれ、ますます心の高鳴りが激しくなる。
それは“凡愚”が視界に入り、暖簾をくぐる迄続く。
「よし!」と中に入ると、先客は無し。
間髪入れず、とはいかず少しの沈黙。
ここで私の緊張感は最高潮に達する。
明るい声の女性の二重唱で『いらっしゃいませ!』
と、今迄の心の騒ぎが嘘のように静まり返る。
暖かさに包まれたという安堵感。
これだ、これが“凡愚”だ。
私を皮切りにお客がぼつぼつと増えてくる。
初めてらしき客…。常連客…。
にもかかわらず、店の空気感になんの変化もない。
ここはそば屋ではなく居酒屋でもなく、
もちろん喫茶店やレストランでもない。
強いて言えば“凡愚” という暖かさに包まれた居心地があるだけだ。
この居心地感はここで修業した人達にもまだ受け継がれていない。
ひょっとしたら受け継げない、まさしく“凡愚”そのものなのかもしれない、と、そんな気がした。
冷酒【天野酒】におからの酒肴少々、
ちょっと苦手な『太切りそば』
こいつが目的『手挽き細切りそば』
調子にのって『細切りそば』
とたらふく頂いて退却した。
知らなかったけれどホームページがありました。
たいへん愉しいホームページです。
ホームページも暖かい。
是非
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今年も“玄”の初打ちに
本当は年越し蕎麦に行きたかったのですが、
年越し蕎麦はいろんなお店でいただくことができますが、
初詣を兼ね、正月三が日に京都や奈良で初打ちをやっているそば屋さんが他に見つからなかったのです。
昨年の12月28日に“蔦屋”で衝撃と言えるそば体験を経た上での“玄”ですから、大変愉しみでした。
“蔦屋”での体験は、改めて私にソバの味に対する一つの基準をもたらしてくれたと思うのですが、その基準に照らして“玄”のソバがどう感じられるのかが愉しみだったのです。
結果は、さらなる衝撃でした!
先ず、“玄”のソバは、『ソバ切り』という範疇のギリギリのところまで突き進み、あと半歩踏み出せば『ソバ切り』とは別の範疇の食べ物になるのではというところまできていて、なおかつ味わいは『ソバ切り』以外のなにものでもない、極めてスリリングな味わい体験をもたらしてくれたのです。
それはどこからくるのかというと『ソバ切り』の細さです。
究極といえる細さで、なおかつ見事に繋がっているのです。
『ソバ切り』としての味わいで言えば“蔦屋”の『ソバ切り』の太さくらいが適当なのではないかと思っていたのですが、あえて危険を冒して、そこから1歩踏み出す理由は何なのでしょうか。
厨房内のことに疎い私がいうのも口幅ったいことではありますが、ソバの香りを失わせる熱の洗礼からできるかぎりソバを守る、つまり茹で時間の短縮ということ以外には考えられません。(おそらく茹で時間は5秒前後、つまりアッという間なのではないでしょうか。)作る側のこの繊細にして大胆なチャレンジに食べる側としてどこまでついていけるのか。
もちろん満足の味わいだったことは言うまでもありませんが、改めて“玄”の凄さを思い知らされた初打ちでした。
このあと、元興寺と秋篠寺にお参りしましたが、こころ此処にあらず状態でした。
今回はなんとか店の外観と最初のセッティングは撮影できましたが、繊細なソバはとても撮影できる時間のゆとりはありませんでした。
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“終りよければすべてよし”と願わずにはいられない。
12月28日、マダムと大阪に出た折に本当に久しぶりで “蔦屋”に行った。
移転すると聞いていたので、下調べをするとどうやらうわさが先行していただけのようだ。 どう調べても以前の公園前の店しかでてこない。とすれば勝手知ったる “蔦屋”。 地下鉄谷町6丁目駅から徒歩約5分。時間は1時前。外から見る限り満席のようだが、覚悟の上だった。向かって右の出入口から2人のお客が出て来た。入れ替わりに店内に入ると、窓際の席が2席空いていた。2人の場合、一番落ち着ける席だ。 “蔦屋”には店内に平行して横に通路があり、そこが待合席となっている。そんなこともすっかり忘れていて、たまたま私たちが店に入ったとき、その待合席には誰もいなかったのだ。 当然私たちは空いているいい席に通され、奇跡のようなソバ体験がスタートした。 その直後からお客が続々と訪れ、待合席も一杯に。マダムと二人で運が良かったね、と頷き合い、今年の運を使い果たしたような実感。でも12/28で良かった。今年もあと4日。 落ち着いて店内を見回すと、といえるほど広い店ではないけれど、待合席も含め若者が目立つ。それも何となくヤンキー風が多い。声高に携帯電話をしている者もいる。 “凡愚”の遺伝子を受けつぎ、ソバ屋としては異質な店づくりだから、彼らがいて違和感は感じないものの、オヤジがちょっと落ち着いてソバ屋酒という雰囲気ではない。 のどの渇きを潤すため私はビール。マダムは【秋鹿】の燗を注文。酒肴はいつものごとく“豆皿三種”と“鯖寿司”。お通しも含めビールや酒にさりげなく寄り添う。その間もお客は入れ替わりながら常に満席状態。にもかかわらず外回りの若い女性の動きがいい。店の中の流れに沿って、と言うべきか、彼女の動きが店の流れをつくっていると言うべきか。私たちとは年代の違う客が多いにもかかわらず、居心地は悪くない。 そして最後の『盛りそば』登場。 一つ半とたっぷり盛られた『盛りそば』をみて、おや?、なにかが違う。と感じる。 記憶をたどるも以前の“蔦屋”のソバのイメージがどうしても浮かんでこない。私が訪れる名店といっていい何軒かの店のソバともどこか違う。 何も付けずに一すすり、二すすり、山葵をのせ二すすり この深い味わいは何だ! 今迄おいしいと思って頂いていたソバは紛れもなくおいしかった。しかし、心の片隅でほんのわずかだが味わいに対する不足感があった、それはきっと自分自身の嗅覚からくることなのだろうと、思い込んでいた。しかし12/28の“蔦屋”のソバは、そんな私の思い込みを覆してあまりある味わいが漲っていた。これは今迄頂いたソバのなかでも最高クラスのものだ、という実感が喜びとなってカラダを駆け巡った。今日、蔦屋に来られたしあわせを感じる。 神妙にいただいていたマダムも店を出た後で「今日のおソバ、本当に美味しかったね」とぽつり。 この共有感もまた嬉しい。 今回は写真はありません。最近、飲食店で写真が撮れなくなって来ているのです。 それは店側からそういわれたのではなく、私自身の問題として。 当たり前のことだけれど、食べ味わうということと、写真を撮るということとは別のことだから、食べるということに集中するということにも一理あるのかな、なんて思っています。 |
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大阪は谷町6丁目。“文目堂”に知人を招待する事にしました。
以前、塚口のそば屋さんで御馳走になったお返しのつもりでした。
本当は“たかま”にしたかったのですが、現在ある事情で夜の“たかま”はお休みです。
他に思い当たる店で酒の肴が充実しているところといえば、谷町9丁目“月山”くらいですが、久しく行っていないので、今回は無難に“文目堂”ということにしたのです。
さて私を含め合計3人で行くので当然予約という事になります。
ところが“文目堂”は予約が出来ません。
既に一杯だったというわけではなく予約自体を受け付けないのです。
確かに“かね井”もそうでした。
その事自体は店の方針なので私を含め、客がとやかくいえる筋合いの話ではないのですが、どうしてなのかなと考えざるを得ません。
乏しい想像力を駆使して思うに、理由の一番はキャンセルでしょうか。
それも無断キャンセル(こんな言葉があるのかどうか)。
確かにこれは店側としては大変困ります。
次に思いつくのは予約で満席の場合、わざわざ店まで足を運んでくれるお客を待たせたり、最悪断ったりすることになりかねません。
これも店側としては辛い選択でしょう。
他には?え〜っと他には…? 予約に縛られるのが嫌…
やはり乏しい想像力ですね。
他にこれといった理由が見つかりません。
とまあこんなことを考えながら、一人“文目堂”の前に開店の30分前から並んでいました。
人を招待しておきながら、満席で待たせることは出来ません。
幸いというか杞憂であったというか、実際は開店直後でも十分に席は確保できる状況ではありましたが…。
尤も狙っていた窓側の席に座れたかどうかは微妙でした。
(勿論30分前から、己の美学に反して妄想を道連れに並んでいたおかげ[?]で、その席は確保できましたが…)
夜の“文目堂”は初めてでしたが、外回りは感じの良い女性一人でしたが、ほぼ満席にも関わらず、バタツキのないゆったりとした接客で気持ちのよい時を過ごす事ができました。
お通し
焼き味噌
粗挽きそば
他にもいろいろ戴きましたが、招待中なので、写真は遠慮しました
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