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「ここの名前、さっきはじめて知りました。変な話ですけど・・・。
私このペンションに縁があるのかな?同じ名前だし。あなたは初恋の人にそっくりだし。
また来てもいいですか?今度はちゃんと予約して。」
聞こえなかったのか男子学生は黙っている。
「ちょっと寄りたい所があるんだけどいいですか?」
私は特に急ぎの用事もないのでかまわないと言った。
少し行った所で細い道へ入り民家が立ち並ぶ場所へ車を走らせると、男子学生は
「ちょっとここで降りてもらっていいですか?」
と言った。
そして男子学生は向かいにある古い3階建てのアパートの階段を上り始めた。
それは鉄製の緑色の螺旋階段だ。男子学生の後姿を追って最上階まで上り終えた所で私は確信した。
ここは<あの場所なのだ>と言うことを。
小さな小川の向こうには赤い屋根。それはさっきまでいたペンションの屋根だ。
どうして?あなたは誰?
もしあなたが彼だとしても若すぎる。彼だってもう32歳のはずなんだから。
でも、あなたが彼でないなんて考えられない。
私は男子学生の背中を見つめたまま声も出さずに泣いていた。
「もうペンションに来てはだめですよ。もう僕は死んでしまったんですから。」
彼である男子学生はそう言った。
振り返った彼の目にも涙が光っていた。
「僕は大学3年の春に病気で死んだんです。
あなたのPCに送られたメールは、生前僕が君に送れなかったメールです。
僕のPCを譲り受けた友人が、僕の残したものをそのままにしておいてくれたんだけど、
2年後に偶然開いた未送信メールを誤って君のPCへ送信してしまったんだ。
僕はずっと君にちゃんと会うべきだったと後悔していた。
そして気持ちを伝えるべきだったと。
君は僕の初恋だった。あの隣町の本屋で君を見かけたときどんなにドキドキしていたか。
僕の家庭は複雑で、僕はほぼ見捨てられた存在だった。
それでもなんとか自分の力で生きていこうとしたんだけど、まだ中学生の僕の力なんて大人の力で軽くねじ伏せられてしまった。僕は両方の親に捨てられ施設へ送られたんだ。
その後奨学金をもらって大学へ進んだ。このアパートは施設を出てアルバイトしながら借りた場所だった。あのペンションの名前に惹かれてこの場所を選んだんだ。今は売り物件になってしまったけど。」
私はきっと夢を見ているんだ。そうでなければ私は壊れてしまったんだ。そう思った。
彼は続けた。
「誤って送ってしまったメールで君を混乱させてしまって申し訳なく思っている。
そしてあの作品は、僕が果たせなかった夢の一部を君のPCへ送ったものだった。
そのことも申し訳なく思っている。
ただ、僕は君に伝えたいことがあったんだ。だからこの場所へ君を導いた。
君はもっと外へ出るべきだ。ずっと家の中でPCとばかり向き合っていてはだめだ。
外へ出て自分の目でいろんなものを見て知って感じて。恋もして。
僕たちは未完成のまま終わった恋だから、君も僕もこんなに惹かれあったのかもしれない。
僕はもう学校へ行くことも、作家になることも、恋することもない。
でも君は生きている。なんだってできる。それを伝えたかったんだ。」
彼はそう言うと私の頬の涙を指でぬぐった。
「本田君。私あなたのこと忘れない。ずっと忘れない。忘れないで生きていく。
そして約束する。あなたの分までちゃんと生きるって。外に出て恋もするって。
だから、最初で最後のお願い。」
そう言うと、どちらからとなくキスをした。
初恋の味がした。
「ふたりだけのヒミツ。」
彼はそう言うと小さくウィンクしてみせた。
あれから3年の年が過ぎ、私は35歳になった。
仕事以外のときはPCの電源をoffにして外へ出かけるし、身の回りのことも自分でする。
料理だってする。得意料理はカレー。
本田君との約束どおり、私はちゃんと生きている。
恋?それはただいま模索中かな?
そうそう、去年出した作品「天からの贈り物」がロングランヒットしている。
本田君のことは書いてない。もちろん。
だってあれは“ふたりだけのヒミツ”だから。
〜END〜
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