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2004年(ルワンダ)
監督:エリック・カベラ
脚本アドバイザー:エバ・カロンド
音楽:アルバート・ブリオン
★★★★★
『ルワンダ虐殺の100日』のプロデューサーであるエリック・カベラが虐殺10年を契機に製作した
ドキュメンタリー。94年の虐殺の主な標的とされたツチの人々は、人口からすると依然として少数派で
あり、あれほどの大虐殺の後でも、自らの恐ろしい体験について語ることが時に憚られる困難な
状況の中で生きてきたという。自らも多くの家族を虐殺で失ったというエリック・カベラ監督が、全国の
声にならない声を丹念に拾い作り上げた歴史の証言集である。 (パンフレットより抜粋)
もうすぐ閉幕するが、今アップリンクXという渋谷の映画館で、
「シネマアフリカ2007 ルワンダの記憶」という映画祭をやっている。
このアップリンクXという映画館は、とても狭いのだが、
色々な形の椅子が並んでいる、非常に面白い空間のところだ。
私は色々ある映画館の中でも、空間として考えると、1番好きかもしれない。
雨のせいだろうか、平日のせいだろうか、本日はちらほらとお客さんがいるだけだ。
それでも狭い劇場なので、それなりに埋まって見える。
こういう映画祭には、沢山の人が来てくれると良いなー…と心底思う。
チケットを購入すると、ルワンダ珈琲を手渡された。
“ミビリッチ”というらしい。珈琲豆を挽いたものだ。どうやら映画を観に来た人に配っているらしい。
私が本日観たのは、52分の短いドキュメンタリー。
ルワンダ虐殺は、言うまでもないが、ツチ・フツの対立によって起こったジェノサイドです。
しかし、ツチ・フツの対立、で片付けてしまってはいけないことで、
そこには植民地化の過程から巧みに操作された対立構造があるわけだ。
ルワンダ虐殺を考える時に、古代から続く民族間の対立とする「原初主義」「本質主義」といった
偏った見方をすることが、先進国の人間が陥り易い誤ったイメージのようだ。
こういった争いは我々には関係のない根深いものなのだ、ではなく、
我々にも起こりうる、非常に巧みに操作された対立なのだと考えなければならない。
そういえば、最近「ホテル・ルワンダ」という作品がありましたね。
私は観ていないのでよく分かりませんが、
本日の作品は、ヒーローも感動的なドラマもないドキュメンタリーです。
生の声を聴けるのは、貴重です。
本作は、ルワンダ虐殺で家族や友人を失った人々、自身も重傷を負った人々、
そして加害者のインタビューで構成されている。
また虐殺の行われた場所(汚水溝、教会、村など)、骸骨の山、道路に転がっている死体の山
などの映像が流される。
虐殺方法は、本当に残酷です。人間のできることではない、と感じます。
悲し過ぎてここには書けません。
虐殺は方々で行われた為、今もなお、新たな虐殺場所が発見され遺体(骸骨)が埋葬される日々です。
生存者は皆、家族・親戚を全員殺されたり、数え切れないほどの友人・親類が殺されたりと傷は深い。
ある女性はこう語っていた。
家族・友人と共に家に閉じ込められ火をつけられた。友人も子供も夫も死んだが、
自分だけ生き残った。気が付くと、喉が渇いてたまらず、死んでいる家族の血を啜った…と。
だから自分は決して家族の事を忘れる事はできないのだと。
私が本作を観て、ハッとさせられたこと。
それは、全員がではないが、インタビューに答えている人の多くが、
憎しみを抱いていないのだ。
ある男性は、「殺した奴らは悪魔に操られていたんだ」と言い、
ある女性は、「神様がそうしたんだ」と言い、
ある女性は、殺害した人を許せないと涙ながらに叫びながらも
「刑務所にいれたからといってどうなるの?私はただ祈るしかないのよ」と崩れ込む。
しかし、憎しみを乗り越えて、静かな悲しみと切なる平和への願い、へと辿り着くまでには
どれほどの苦しみがあったことだろう。
憎しみの連鎖はもう嫌だ、ただただ平和が続くことだけを祈る、これが人々の思いなのだ。
“許す”というのは容易にできることではない。
実際、“許す”ことができている人は、多くないかもしれない。
だが、人々は必死で許そうとしている、そうしなければ生きていけないのだ。
ある女性がこう言っていた。
憎んではいません。ある場合には、向こうが被害者になっていたかもしれないし、
我々が加害者になっていたのかもしれないのですから。
こう思えるまでに、10年。きっと、10年経ったからこそ、ここまでいきついたのだろう。
だが、インタビューに答える人々は、全員、涙を堪えている。
心の底から笑えることはありません…(妻子を亡くして4年後に再婚した男性)
幸せになることはもうない、妻でもいれば別ですが…(妻子を亡くした老いた男性の言葉)
10年経った今(現在では13年経っています)でも、全く傷は癒えていない。
ドキッとさせられた言葉がある。
村人の殆どが虐殺された、ある村の老人。
「国連や大使が来ているみたいだが、この村には1度も来たことはないよ。
あんた、ジャーナリストだろ?取材して、後は知らん顔だろう、どうせ」
そう、我々は、ルワンダ虐殺の報道が連日のようになされている間は関心を持つが、
アフガニスタンの関心が高まればそちらへ、ソマリアの報道がなされればそちらへ、
非常に身勝手な関心の抱き方をしているのだ。
勿論、常に全世界のことを気にかける、というのは無理だ。
だが、メディアの波にのるのではなく、自分なりに“その後”にも目を向ける必要はあるだろうと思う。
本作を観て、強く感じたこと。
他人事ではない、ということ。私が日本に生まれたのは、偶然の出来事だ。
もしかしたら、ルワンダに生まれていたかもしれない。
そんな偶然の出来事によって、私は平和でいるのが当たり前で、
ルワンダの人達はそういう運命にあったのだ、と考える事はできない。
ルワンダに限らず、である。
ある女性がこんなことを言っていた。
「出自の違いによって、不幸になっても良いなんてことは、ないのよ…」
平和ボケをせずに、常に命と自然に感謝し、思い遣りの心で人に接することを忘れないでいたい。
自戒の意味も込めて、色々と考えさせられる作品でした。
こういう映画を観た時だけ考えても駄目だからな。
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