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2月9日 金曜日
日暮里サニーホール(ホテルラングウッド4階)にて
OM-2の「ハムレットマシーン」を観る。
ハイナー・ミュラーの「ハムレットマシーン」をテキストにしているようだが、
私はハイナー・ミュラーの名前を聞くのも初めて、
もちろん読んだ事もない。
どういった内容かも全く分からず、
ハムレットと付くからには、「ハムレット」の変形のようなものなのか…?
と勝手に予想をして行ってみた。
どうやら、テキストは飽くまでもきっかけのようなもので
自分達の世界を演じるようだ。
円形に並べられた客席。
真中に大きなスクリーン。
上演が始まるかと思いきやなかなか始まらない。
「まだ始まらないの?」みたいな感じでうろつく2,3人の人達。
いきなり上演終了の放送。
先程の2,3人の人が席を立って帰り始めた。
これは劇団員だな…と早い内から気付く(実際はどうだか知らないが)。
寺山修司の「ローラ」を髣髴とさせる。
映画と演劇の違いはあるものの。
この演出は何だろうか?
舞台上の人物と観客の間の垣根をなくして、
決して舞台上の出来事が非日常ではないことを表現しているのか?
それとも、このあまりにも長い「何も起こらない状況」を置くことで
我々観客に苛立ちを生じさせ、人間の中にある「怒り」を自覚させようとしているのか?
2人の男女がスクリーンを挟んでいる。
私は男性側の席にいる。スクリーンで遮られている為
女性側は一切見えない。
男性は携帯電話で女性とやり取りする。
男性「俺、ハムレットなんだよね」
女性「じゃあ私は…何だっけ?…そう、オフィーリア!!だね」
男性は自分の行動をひたすらカメラで撮影する。
最後に男性は素っ裸になり悶絶し始める。
女性は何をしているのか…非常に気になるところだ。
場面はかわる。
1人の男がテレビを見ながら菓子を食べているが、
突如暴力的になり破壊行為を行ったかと思うと、
赤いドレスに身を包み大きなビニールの中に入り、消火器で真っ白に染めながら
オフィーリアの台詞を叫ぶ。
まぁ、舞台はこのようなものだったが、
さてこれはどう解釈するか。
ハムレットは父の復讐の為に気狂いを演じ、間違え殺人まで犯す。
オフィーリアはハムレットに冷たくされた上に父親まで殺され、発狂して溺死する。
この2人にあるものは闇。
だがこの闇(病み)は人間ならば誰にでもあるもの。
その闇を照らし出すのが、この「ハムレットマシーン」なのだろう。
初めの男の悶絶も、次の男の破壊行為やビニールに閉じこもるという閉鎖的な行為も、
生の魚をむしゃむしゃと頬張る女の行為も、全て我々の中にある闇だ。
社会と自分の間にある違和感(ズレ)、何の理由もなしに湧き起こる苛立ち。
私達人間はそんなものを抱えながら生きている。
それはハムレットの時代も今も変わらないのだ。
この舞台にストーリーを読み取ろうとすると、思考停止になる。
これは病的な行為を、自らに反射させて、自分を見る舞台なのだ。
私はそういった意味で、寺山修司の演劇も好きだ(映画も詩も全て)。
私はアングラの中に自分を見出す。
異様な空間だったが、満足した。
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