|
1926年
監督:衣笠貞之助
原作・脚色:川端康成
製作:新感覚派映画連盟
出演:井上正夫、中川芳江、飯島綾子、根本弘、関操、南栄子、高勢実
★★★★+
第63回FIAF東京会議2007開催記念特別上映会にて、高橋悠治さんのピアノ演奏つきで鑑賞する。
この上映に先立って、FIAFの活動や映画保存・復元の今後について語り合う座談会が催された。
そこでの、この作品についての意見としては、
ドイツの表現主義やソビエトの構成主義の影響を受けていることが窺われるということや、
非常に音楽的な映画だということ、現代に観ても非常に新しいものであることなどが
挙げられていた。
○○主義というものについては詳しくないので分からないが、
この作品を観ていると、ムルナウの「吸血鬼ノスフェラトゥ」や
プドフキンの「母」(ソビエト)などを思い出すなーという感じがした。
激しい雨や狂人達の暴動、ラストの自動車の場面などは迫力があり、
主人公の小使が医師や狂人に追い詰められるところなんかは
ちょっとした恐怖感すら感じる画面だった。
非常にアヴァンギャルドな作品だ、というのが観終わった後の感想だ。
(日本の無声映画期を代表する前衛映画の名作、と説明にも書かれていたので当然でしょうが)
現実と妄想の世界がごちゃ混ぜになっているし、
その境界線が非常に曖昧になっているからだ。
だから、観ている我々は、観たままにストーリーを捉えるならば
きっと混乱を招くに違いない。
これはストーリーを追う作品ではなく、その幻想的な世界を味わえれば
それで良いのではないか、と感じる。
今回に限っては、音楽は良いが弁士は邪魔をしてしまうかもしれないと、これは私個人の意見。
曖昧な境界線を楽しみたいかな。
字幕が一切ないというのも、映像だけの世界にどっぷりと浸かる為なのでは、と思わせる。
だが、このアヴァンギャルドな感じも、製作の「新感覚派映画連盟」という
ところを見れば、なんとなく納得できる。
この連盟が一体なんなのかは知らないが、
原作が川端だから、この新感覚派は横光利一らを指しているのだろう、きっと。
私はこの原作に触れた事があるので、そちらの方から見てみたいと思うが、
この作品は衣笠貞之助が川端康成、横光利一、片岡鉄平、岸田国士などと話し合って企画をして、
最終的に川端康成が脚本を書いたというだけのことである。
だから厳密には原作は川端康成とは言えないのではないかなーとも思うが、
この作品はしっかり「川端康成全集」に収められている。
横光らの感覚と衣笠監督の求めているものがぴったり一致して
このようなアヴァンギャルドな作品ができあがったのでしょうね。
原作も、箇条書きの舞台説明のような感じで、小説とは違う。
冒頭だけをちょっと抜き出してみる。(現代仮名遣いに直します)
「○夜。脳病院の屋根。避雷針。豪雨。稲妻。
○花やかな舞台で花やかな踊子が踊っている。
舞台の前に鉄の立格子が現れる。牢格子。
花やかな舞台が次第に脳病院の病室に変って行く。
踊子の花やかな衣装も次第に狂人の着物に変って行く。
狂った踊子が踊り狂っている。」 (新潮社「川端康成全集第14巻」「狂った一頁」)
こんな風にずーっと続いていく。まさに映画の為に書かれたという感じだ。
これを読んでいなかったら分からなかっただろうなーと感じる展開がいくつかあったが、
前述した通りそんなものは分からなくても、まぁ良い。
作品が始まって、題名や監督や主演などの字幕が出るが、
これが本をめくっていくような形式になっていて、
左隅の方に手があり、題名→監督→原作→主演(順不同)と、次々にページをめくるのだ。
字体もなかなか凝っていて、これはきっと私好みの装丁だな、なんて思ってしまった。
そうして普通に話が始まっていくのだが、
「狂った一頁」というタイトルと、ページをめくっていくという手法が合っていて
いかにも、本日はこの本をお見せしましょう!みたいな感じで楽しかった。
こういう演出も凝っているな〜と思った。
前衛映画は好きなので、本作もとても楽しく観られました♪
|