|
そろそろ続きを書かなくては・・・! まずは、『安芸市立歴史民族資料館』さんのHPを元に、ざっくりと弥太郎さんをご紹介してみます。 ********** 天保5年(1834)、父弥次郎、母美和の長男として高知県安芸郡井ノ口村に生まれる。 14歳で十三代藩主:山内豊熙に漢詩を献じ、書を講じて褒美をもらう程の秀才。 安政元年(1854)、江戸の安積艮斉に入門。 しかし翌年、酒席の喧嘩がもとで父親が投獄されたのをきっかけに、帰省。 あまりに激しい免罪の訴えが奉行所の怒りを買い、やがては彼自身も獄中の人となり、安芸郡を追放される。 その後吉田東洋と出会い、東洋の後を受け継いだ後藤象二郎の下で才覚を発揮し、長崎に設立した土佐商会で腕をふるう。 明治6年(1873)三菱商会を設立。 長崎で坂本龍馬から得た示唆により海運業に着眼。 幕末から続く諸外国の汽船会社などとの激しい戦いを制し、"東洋の海上王"と異名をとるように。 明治18年、死去。 享年52歳。 三菱は『弟:弥之助』に受け継がれ、鉱山、造船、不動産、金融へと拡大し、世界に名だたる現在の三菱グループへと発展してゆきました。 ********** 岩崎弥太郎の生家で撮影した、あの有名な家紋です!! このマークを見たこと無い という人は居ないはず!! 土佐の山間から現れた、世界に誇る大物ですね。 さて、なぜ御祭神ではないのに、『岩崎弥太郎』を紹介しようと思ったのか・・・。 その理由はこちらです。↓ 中央に書かれております、『山内豊景』は、第16代土佐藩主山内豊範公(当神社の元となる、『招魂社を建立』)の長子であります。 そして今回注目して頂きたいのがその両側。 右側に『岩崎久彌(弥)』 左側に『岩崎彌(弥)之助』 と、書かれています。 そうです。 岩崎弥太郎の長男(三菱3代目総帥)と、弟(2代目総帥)です。 こちらは、当高知県護国神社が、明治41年に改築を行った際に作られた寄付芳名が書かれた板です。 当神社と岩崎家にもご縁があったのですね。 土佐の偉人達が改築のため、熱き心を傾けてくださったことを知り、また改めて当神社の尊さを実感致しました。 『龍馬伝』のスタートが待ち遠しいですね!! 【巫女】
|
土佐の男に恋をして・・・
[ リスト | 詳細 ]
|
平成22年、坂本龍馬の生涯を 『 岩崎弥太郎 』 の視点で描く大河ドラマ、 【 龍 馬 伝 】 が放送されるのは、もう皆さんご存知ですよね? 岩崎 弥太郎 (いわさき やたろう) とは、 天保5年12月11日年 高知県安芸市に生まれた、知る人ぞ知る【三菱財閥】の創業者です! 当神社の御祭神では無いのですが、高知の荒波が生んだ、いごっそうの一人として大変有名です。 先日、岩崎弥太郎の生家を見学してきました。 岩崎弥太郎については、いっぺんにお話しすることが難しいので、数回に分けてお話していきたいと思っています☆ もちろん、あの有名な『家紋』の写真も撮影してきましたよ。 また後日ご紹介しますので、お楽しみに♪ ちなみに高知では、電化製品などを中心として、やはり『三菱』の人気が強いらしいのです。 弥太郎さんパワーはすごい! 【巫女】
|
|
第1回目の『土佐恋』は、 【 坂 本 重 壽 氏 】 をご紹介します。 御祭神ではないのですが、高知県護国神社にとって非常に重要な役割を果たされた方なので、第1回目にご登場していただくことにしました。 今回は少し長い文になりますが、よろしくお付き合いくださいませ。 昭和21年2月、ポツダム勅令「宗教法人令」の改正により、神社は『宗教法人』として存続を認められる、ということになった。 高知県護国神社も、他の神社と同様に手続きを行ったのだが、護国神社という存在が「軍国主義的神社」と解されていたため、取りつぶしの危機にさらされ、祭祀存続が危ぶまれる状況に陥った。 この時、土佐の地でご尽力されたのが『坂本重壽』氏である。 護国神社の危機を救うため、坂本氏はこの不安定な状況下に高知県護国神社の崇敬者総代、責任役員、奉賛会長の重責に就任された。 奉賛会の結成時、坂本氏はその許可を得るため、占領軍のクラム博士の元に日毎通い、誠心誠意奉賛会結成の必要性を説いた。 『御国のために我々の身代わりとなって、倒れられた英霊のために尽くすことは、生き残った自分達の当然の責任である。 英霊は世界の平和を祈念して、倒れられた。 アメリカには立派な無名戦士の墓がある。 まして郷土の勲ある英霊に対して、我々は満腔の敬意を表すべきである』 さすが頑固な占領軍も、坂本氏の一歩も後に退かない強い信念とその温容に遂に冑を脱ぎ、念願の高知県護国神社奉賛会が結成されたのだ。 坂本氏は高知県護国神社の役員以外にも沢山の役職に就任されており、高知の発展のために力を尽くされた。 坂本氏の人柄を、多くの方がこのように語っているので少しご紹介する。 『先生はきわめて強靱かつ豪毅なところがある。 同時にまことに謙虚で威張るという姿勢の無い方である。』 『人格の高潔なこと、頭脳明晰で綿密周到なこと、温容であっても冷厳であること、公に奉ずる精神の持ち主であることなど、言い尽くせないが、【全く頭の下がる人】というのは先生のような方ではないだろうか。』 『いつも笑みをたたえられている顔、物静かな中に、鋼鉄の意志と燃えるような情愛を秘めておられる (略) 全く私心無く、功は人にゆずり、耐えず困難な仕事にあたり、心を尽くされている。』 しかし、ご病気により、昭和46年頃より入退院を繰り返されるようになる。 病床にありながらも坂本氏は見舞客に、 『僕の女房は、よう世話をしてくれる。両便からすっかり、何もかも。 まるで僕の看病を趣味のように世話してくれる。』と、にこにこ顔で話されたそうだ。 ご婦人に限らず当時担当だった看護士さんについても、よく感謝の言葉を述べられ、生涯を通じて人の長所を語り、その人を讃える姿に多くの人が敬意を表したという。 今回、坂本氏について調べさせていただいたが、とてもここでは語り尽くせない、数々のエピソードがあった。 十分にお伝えできなかったことが残念ですが、また次の機会とさせていただきます。 参考文献にさせていただいた 『坂本重寿先生の米寿を祝う会編 坂本重寿先生』には 約350ページにわたって坂本氏の功績やお人柄について書かれている。 長岡郡新改村に生まれる。 高知県立図書館長 高知印刷(株)代表取締役 高知県退職公務員連盟 理事 その他いくつかの小学・中学・高校の理事、校長など、 数々の役職につとめる。 叙勲五等 双光旭日章受賞(昭和40年) 享年87歳 (明治18年〜昭和47年) 現在の高知県護国神社、そして奉賛会が存続しているのは、坂本重壽氏の生涯を英霊に捧げた真心によるものである。 護国の忠魂鎮まる所 国危うくして 俗塵にまみる 坂本重壽先生 挺身聖域を守る 四隣感悟して 赤誠を捧ぐ 花は英霊に香り 人は紅葉に集う |
|
いえいえ、婚活の宣伝ではありませんよ? 新しい【書庫】の紹介です。 「タイトルにセンスが感じられない。」 な ん て 言 わ な い で く だ さ い ね 。 ちゃんと理由があるんです☆ みなさんご存知の通り高知県もとい土佐の國は、緑深く、どっしりとした四国山脈と、広く荒々しい太平洋に囲まれています。 山をめぐり、海にもまれて雄々しく育った土佐の男は土佐弁で『いごっそう』と呼ばれます。 高知県護国神社には、そんな土佐の男、『いごっそう』が41,742柱眠っています。 坂本龍馬命をはじめとし、明治維新から先の大戦まで、日本を護るために力を尽くした41,742柱。 そのお一人お一人に歴史があり、想いがあります。 ご遺族の方々から時折こぼれる御祭神とのエピソードに笑顔になったり、涙したり、時には勇気をもらうことも・・・。 御祭神のそばにいて、いつも心をよせているつもりでも、私たちはまだまだ知らないことが沢山あります。 お一人お一人についてもっと知りたい。 何というお名前? どこで生まれたの? どんな人? どんな活躍を? 御祭神の勇姿をみんなにも知って欲しいなぁ・・・。 そして、そんなやきもきする日々の中で気付いたのです。 ま る で 【 恋 】 み た い ・ ・ ・ 。 いや! むしろ【恋】かも! と。 こうして名付けられたタイトル、『土佐の男に恋をして』 というわけです。 淡い想いや熱い想い。 どんな恋模様になるのかわかりませんが、一途な想いを時折記していきたいと思います。 どんないごっそうが現れるのか、お楽しみに!! 【巫女】
|


