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先頃、井伊家の古文書を読んでたら
次のような記述があった。 『江戸の大名小路で火災があった。 しかし、 井伊家の4屋敷は無事だった』 北西風が強くて大名小路のほとんどの建物が類焼したが、井伊家の屋敷は大丈夫だったという報告が江戸から彦根に届いたのです。 東京の地理には全く不案内の我が輩、位置関係がよくわからないが、 ともかく井伊家の屋敷は風上にあったようです。 で、その4屋敷をネットで調べたら、 上屋敷、 中屋敷、 下屋敷2つ この4つだったそうです。 下屋敷の1つは明治神宮付近。 残りの3つの屋敷は、桜田門の南のほう。 ざっくばらん、で申し訳ない。 全く検証してない… 位置はともかくとして、 上中下の3つ屋敷全部、 なんと、驚いたことに、 改易された加藤清正の屋敷だったそうです。 いやぁ、びっくりポンです! どういう繋がりでこの加藤屋敷を3つとも拝領することになったのか? そのいきさつが気になりますね。 さらに、加藤屋敷を拝領する前はどこに屋敷があったのか? ネットで調べたが、これは出てこない。 誰か調べてほしいものです。 それはともかくとして、 将来江戸城の百名城スタンプ押しに行くことがあれば、この4屋敷跡に行かねばなるまい。 馬《●▲●》助ヒヒーン♪ |

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江戸初期の大名屋敷の配置図がありませんから、井伊家の屋敷が何処にあったのか不明ですけど、上屋敷=国会議事堂横と中屋敷=ホテルニューオータニは加藤家の跡地ですね。
下屋敷は明治神宮+代々木公園の広大な敷地ではなかったですかね?
いずれにしても、大名小路の火事が延焼する様な場所ではありませんし、広い庭が火除け地になった事でしょう(^^;
[ pascal ]
2019/6/12(水) 午後 6:13
> pascalさん
コメントありがとうございます。
やっぱり初期の配置はわかりませんか?
仕方ないですね。
それにしても明治神宮のあの広大な敷地が下屋敷だったとは、びっくりです。
部隊を駐屯できますな。
幕府は、改易された大きな大名の屋敷跡を井伊家のような有力な大名に分け与えていったのかな?
江戸屋敷も色々と政治的な駆け引きがあったりして…
全く関係ないけど、加藤家改易後の後始末のために藤堂高虎が熊本まで行き、江戸屋敷を井伊家が受けとる、
なんか因縁を感じます…
[ 馬秀のすけ ]
2019/6/12(水) 午後 10:06