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馬秀のすけのブログ
ひこにゃん市

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2019年6月09日(日)
 
以前、敦賀港から丹後街道歩きをした時に、街道沿いの柴田氏庭園に立ち寄ったが、
残念ながら工事中で入れなかった。
 
しかし、その後
工事途中の説明会があるという情報を入手したので、参加した。
 
『敦賀駅』
なんと、駅に
「SL吉継号の顔出し看板」がありました。
敦賀市と言えば鉄道の町、大谷吉継の城下町でしたね。

先日テレビで映画「関ヶ原」放送してました。
吉継の死のシーンは涙が出ます…
 
駅から歩いて約50分
『名勝「甘棠園(かんとうえん)」』到着
柴田氏庭園の別名で、
小浜藩6代藩主の酒井忠存が、休憩した際に「詩経」の「甘棠の愛」の故事にちなんで命名した。
甘棠とは、りんご、やまなし、やまもも、やまぶどうの類といわれている←wikipediaより転載
 
中門を入る
 
小浜藩主酒井氏は、参勤交代の時に丹後街道を通り、敦賀に来ると柴田氏屋敷で休憩した。
 
柴田氏は、この荒れ地を開墾した豪農。
柴田勝家の子孫ではなくて、楠木正成の子孫だとか?
修復中の建物。
敦賀市教育委員会の中野氏が説明してくれました。
さわやかな人でした。
 
『書院式台』
お殿様専用の出入口で、お殿様が履き物を使用せずに移動できるように駕籠から足袋のまま部屋に上がれる仕組みになってます。
柴田家の人もここを利用することはできなかった。
 ↑唐破風の屋根に復元されてますが、

実は修復前↑は起(むくり)屋根でした。
 
しかし、江戸時代の絵図を見ると唐破風になってる。
おそらく明治以降に改造されたのだろう。
そこで、今回の修復で江戸時代本来の唐破風屋根に戻すことにしたそうです。

鮮やかな銅板葺き。
新しい材木を使って復元してますが、蟇股など一部分は江戸時代以来の物をそのまま残した。
 
書院横のトイレ、殿様専用。
式台の奥の「亀の間」
工事中なので、部屋に入るのはダメ。
完成したらまた説明会を開催するそうなので、その時までお預けですわ。
 
 
柴田家の居宅は昭和時代に改造されたが、昭和30年の豪雪で崩壊。
今回完全に取り壊し、↓廃材
間取りだけは踏襲して、母屋跡地に新しくコンクリート製の見学施設を建てる予定。
枠組みはできてますが、実は水道が通ってない。
なので、水屋・トイレなどへの配管設備などの工事、発掘調査もあるので見学施設の完成は2年後ぐらいになりそうだ、ということです。
 
柴田家の居宅の門。
 
説明会の後、
庭園への門、
庭園を見学した。
庭園、現在は水を抜いてます
枯山水ではない。
建物が復元されたら、殿様目線で部屋の中から見られるようにする予定。
 
庭園に繋がる水堀、背後は土塁。
どうしても館城という視点で見てしまう。
病気ですわ…
あくまでも庭園と屋敷を囲む堀です。
 
 
地元の嶺南ケーブルテレビが、取材に来てました。
NHKのようにたくさんのスタッフがいるわけではない。
 
撮影、インタビュー、すべてこの女性一人。
おそらく帰社後も一人で編集するのたろうね。
嶺南ケーブルテレビのホームページで確認したら
6月12日のニュース動画としてアップされてました。
一瞬ですが、我が輩もバッチリ写ってました。
テレビに出るのはこれが最初で最後か?
 
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
 
丹後街道歩き、前回敦賀港から美浜駅まで進んだので、
今回は、バスで美浜駅へ移動。
美浜駅から丹後街道を歩き、三方駅で打ち止めしました。
 
ほとんど寄り道してないので、このペースなら小浜駅には、この夏中に到着できそうです。
 
 
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
 
ところで、北陸本線の新疋田駅と敦賀駅の間がループになってるのですが、知ってますか?
 
今まで何回となく利用してるこの区間、全く気づかなかった。
知ったのは雑誌みーなの特集記事。
 
新疋田駅から敦賀駅へは斜面を下るだけなので真っ直ぐ。
逆に敦賀駅から新疋田駅へは急勾配を上らねばならない。
鉄道が進化してる今もなおこの勾配を克服できなくて、途中にある衣掛山の斜面を利用してぐるっと一周し、高さを稼ぎます。
ほとんどトンネルなので、我々は気づかないが、トンネルが途切れた北西の部分で車窓から敦賀市内を見ることができる。
山に向かってるはずなのに、なんで敦賀市内が見えるねん!
 
と、いぶかる人もあるのでは?
 
時刻表を調べると、
敦賀行きの所要時間が6分〜7分、
なのに対して、
逆に新疋田へは、9分〜10分かかるとわかった。
ループのせいですな。
 
いやぁ、びっくりポンですわ
 
馬《●▲●》助ヒヒーン♪

  • 顔アイコン

    敦賀は小浜藩領だったのですね。
    藩主が愛した豪農の屋敷庭園。 藩主が気楽に立ち寄れる農家…というのが、ほのぼのとした感じで良いですね(^^♪

    庭園の説明看板に『1688年小堀遠州作』とあるのでビックリしましたが、遠州の小堀政一(遠江守)は遠の昔に亡くなってるので、孫の政恒(和泉守)の時代ですね。

    小堀家は近江長浜の大名なので、小浜藩酒井家とも交流があったのでしょうね。
    柴田家で庭と焼き鯖寿司を肴に一杯やってたかな?(^^;

    [ pascal ]

    2019/6/19(水) 午後 7:56

  • > pascalさん
    コメントありがとうございます。
    小浜藩、参勤交代では三方宿や美浜の佐柿宿で宿泊休憩をしてるので、敦賀で休憩というのは、ちょっとびっくりでした。
    この先、険しい国境の峠越えとなるのでそのための小休止だったのかも?ですね。
    豪農の家に遠州の庭園があるということは、酒井家の敦賀統治に柴田家が関わってたのか?と、うがった見方をしてしまう。考えすぎかな…

    以前、何のツァーだったか忘れたが、小室藩の陣屋跡を訪れました。
    堀跡や石碑、墓などが残ってました。
    北国脇往還から、かなり離れた場所だが酒井家の参勤交代との繋がりもあるかも?
    それにしても幕府の要職まで勤めた小堀家が改易になったのは残念です。
    ま、遠州庭園としてあちこちに残ってるのが唯一の救いか?

    [ 馬秀のすけ ]

    2019/6/19(水) 午後 10:18

  • 顔アイコン

    おはようございます。
    柴田家の居宅案内図!見せていただきよくわかりました。
    以前 能登川の「川南城主」の居宅案内図を参照しました。…いい勉強になりました。

    [ おっさん ]

    2019/6/20(木) 午前 6:29

  • > おっさんさん
    コメントありがとうございます。
    修復の完成が待ち遠しいですね。

    そういや川南城のことすっかり忘れてた。
    最近、朝鮮人街道歩いてない…

    [ 馬秀のすけ ]

    2019/6/20(木) 午前 8:13

  • 顔アイコン

    TB!をも参考にしてください。

    [ おっさん ]

    2019/7/1(月) 午後 3:54

  • > おっさんさん
    ありがとうございます。

    [ 馬秀のすけ ]

    2019/7/1(月) 午後 4:12

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