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2016年06月26日(日)
北国街道歩き、余呉町東野地区を北上します
10時54分、
八幡神社
右手に東野山を見る
ネタ本の雑誌みーなでは、ここから東野山城跡への登山道が記載されてある。
といっても、詳細なルート地図はない。
左手に天満宮の鳥居。
本殿はここから西にある国安の草岡神社。
右手に集会所。
その北隣に
『佐味神社』余呉町今市
境内から片岡小学校を見る
現在は余呉小中学校に統合されて廃校になってます。
奥に向かうと墓地がある。
今市霊園の端に
『狐塚』
解説文によると、
「佐久間盛政の大岩山攻めに東野山牽制のために前進した柴田勝家の陣地跡…」
東野山砦の堀秀政が南下して大岩山、岩崎山へ向かうのを阻止するために柴田勝家が玄蕃尾城から前進してここに本陣を敷いて後方支援をした、というわけです。
約5〜7000ほどの兵だったそうです。
東野山砦の真下と言ってもいい場所ですわ。
大岩山を攻略した佐久間盛政と合流したら、約一万の大軍で東野山砦を攻略できたかもしれないが、
秀吉本軍が大垣から素早く引き返してきたため、結果的には目論見がはずれて、前田軍の離反もあり佐久間軍惨敗。
勝家は陣を撤収して北国街道を越前へ戻ることになりました。
北陸道、東野山方面を眺める
撤退する勝家、無念だったろうね…
国道365号線へ寄り道
西に向かうと全長寺があります。
勝家の身代わりとなった毛受(めんじゅ)兄弟の墓は、全長寺の北奥にあります。
国道沿いの石碑、
裏を見ると
毛受(めんじゅ)姓の人の名前ばかり。
子孫の一族の人が案内石碑を建てたようですね。
行市山登山道への案内板
真夏なので、山に登るつもりなかったので、ここで引き返したが、
今思うと悔しい。
実は全長寺は、別名あじさい寺。
満開のアジサイと本尊を見る絶好の機会だったのに、無知な我が輩は見逃しました。
ホントに残念無念。
今週末もまだアジサイが見頃だと思うので行きたいが別の予定あるし、難しい。
う〜ん悔しい!
この時はここで引き返して街道へ戻りました。
街道歩きは、その24に続く…
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
2017年10月09日(日)
JRハイキングに参加した
その帰りに全長寺に立ち寄った
『全長寺』
「本堂」
達磨大師像がある。
別名、ダルマ寺と呼ばれる 解説によると、
曹洞宗の寺として慶長2年に開創した。
県内の曹洞宗の寺としては大型の本堂として貴重である。
と、書いてある。
毛受兄弟の菩提寺です。
本堂のなかに入りたかったが閉まってました。
呼び鈴鳴らすも誰も出てこられない。
留守のようです。
あきらめて立ち去りました。
秋だったので、当然ながら紫陽花も見られず、ガックリ。
その代わりといってはなんですが、
生まれて初めてナツメを食べました。
民家の庭にあったのでじっと眺めてたら、好きなだけ食べていいよ!
と、住人が言ってくれたのです。
ナツメは夏に芽がでるから、ナツメと名づけられたそうです。
全長寺から北へ向かうと
森があり、
辞世の句のようなものあり
『毛受兄弟の墓』
兄は、茂左衛門、
弟は、勝助(家照、勝照)。
2人とも柴田勝家の小姓として仕えた。
佐久間軍が総崩れとなった知らせを聞き、柴田本軍は動揺し、逃走者続出。
兵は3000以下に減ったという。
それでも猛将の勝家は踏ん張ったが、
毛受勝助が、「途中で自害するよりも北ノ庄まで退き、城中で自害するほうが武名を後世に残せる」
と、諌めた。
そして、勝家の馬印を受け取った勝助は、300の兵とともに秀吉本軍と戦った。
それを聞いた兄の茂左衛門も駆けつけて参戦。
勝家の退却から約二時間奮戦。
しかし、多勢に無勢、
ついに勝家の身代わりとして兄弟は切腹して果てました。
秀吉はその忠誠心に感動し、亡骸をねんごろに葬り、僧に弔いを依頼したそうです。
勝助25歳でした。
合掌。
ちなみに、毛受家は
尾張国春日井郡稲葉村が本拠地。
毛受兄弟の子孫は尾張徳川家の家臣として存続しました。
次回は行市山登頂記をちょこっと紹介
大阪のサミットで、某首相が 『大坂城天守閣にエレベーターを設置したのは大きなミスでした』 と、述べた。 会場の笑いをとるための弁だったと思うが、 これは情けない。 彦根城や姫路城など現存天守にエレベーターを設置するのは確かにダメだ! しかし、大坂城はコンクリートによる近代建築なので、エレベーターあっても何も問題ない。 身体が悪い人でも利用できるようにするためにはエレベーター必須だと思う。 我が輩もエレベーターで上にあがろうとしたが、外人観光客の凄い行列圧倒されて、仕方なく階段を上った。 計画中の木造名古屋城もエレベーターなど、身体に不自由な人のための施設は必要だと思いますよ。 なんでも忠実に再現しようとする試みはわかるが、所詮偽物なのです。 馬《●▲●》助ヒヒーン♪ |

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こんにちは!
お疲れ様でした。
ナイスです。
(^-^)
2019/6/30(日) 午後 3:53
> あんぱんまんさん
コメントありがとうございます。
[ 馬秀のすけ ]
2019/6/30(日) 午後 3:57
勝家の本隊もずいぶん南下して来てたんですね。
良くも悪くも盛政に引っ張られる柴田勢、勝家が下山を決めて参戦するまでの時間が雌雄を決めたとすると、利家が盛政に後詰めせず退却したのが大きいですね。
安倍さんのエレベーターギャグはしっかり滑りましたね。
大阪城天守はエレベーターがあるお陰で、階段が空いてて助かります(^^
何世代もの長い時間を通して最適を考える学者ならまだしも、今現在だけが大事な市民派の政治家にはウケませんわね(^^;
[ pascal ]
2019/7/1(月) 午前 10:01
> pascalさん
コメントありがとうございます。
秀吉軍が東野山の下に二重の柵を設置した効果は大きかったですね。
勝家本体と佐久間軍の両面作戦は、いい策だったと思うが、内部に裏切り者がいるとダメですね。
首相の発言は、
弱者切り捨て御免!
という政策として他の国々の人に受け取られたかも?ですわ。
大阪城は、大阪人有志が協力してお金を出しあって建てた城。
豊臣太閤さんの城を再建したつもりだったが、実は徳川時代の天守を間違って再建してしまった。
と、言ったほうが、受けたかも?
馬《●▲●》助ヒヒーン♪
[ 馬秀のすけ ]
2019/7/1(月) 午後 4:33
毛受兄弟は有名ですねぇ〜
そう言えば一宮の方に毛受が地名になってる地域が有るんですけど、何か縁が有るのかな?
2019/7/1(月) 午後 10:41
> サービスエンジニアさん
毛受兄弟と関連あると思いますよ。
おそらく毛受氏の出身地なのでは?
馬《●▲●》助ヒヒーン♪
[ 馬秀のすけ ]
2019/7/2(火) 午前 7:15