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馬秀のすけのブログ
ひこにゃん市

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2016年10月30日(日)
椿坂トンネルを越えて滋賀県最北端の町に来ました
11時6分、国道から分かれて左手の旧道を行く。
 
『中河内』地区です。
この付近は切通の坂の続きでちょっと高台になってる
 
下り坂になる
石垣の上に家が並ぶ
 
あちこちで物音が聞こえる。
あと1ヶ月もすれば厳しい冬となり雪が降れば陸の孤島となる地域。
上天気の秋日和なので、みなさん冬に備えて家の補修をされてるようです。
補修中のおじさんが声かけてきた
『椿坂のトンネル、長かっただろ?どこまで行くの?』
 
「夕方までに今庄まで行くつもりです」
 
『そりゃ大変や!
なんとか夕方までには行けると思うが…』
 
そう言われると、なんか心配になってきたが、頑張って歩きます、
と答えて別れました。
『廣峯神社』
1249年創建。
本来は天台宗の山王宮だったそうです。
つまり神仏習合の寺社でした。
ケヤキの巨木。
 
鳥居が安芸の厳島神社を連想させますね。
控え柱が4本あるので四つ足鳥居、
両部鳥居と呼ばれる。
 
余談ですが、
以前紹介した余呉町大音地区にある『伊香具神社』の鳥居は控え柱がさらに4本あり、全部で8本。
極めて珍しい鳥居で、古代に伊香湖という湖があり湖中に鳥居があったので支えるために8本にしたとか?
 
こちらは雪深い地域なので雪対策としての四つ足柱なのかも?
 
本殿
無事に栃ノ木峠を越えられますようにお祈りしました。
 
高時川、
県境から流れてきてます
中河内地区は高時川が東へ湾曲する部分の少し開けた場所です。
 
中河内バス停
土日祝日は1日3本、
夕方の最終便は前日に要予約。
予約が無ければ、朝と昼の便でおしまい。
ということは、もし前回中河内まで来てたら、帰りはもう一度歩いて椿坂バス停まで戻らねばならなかったのです。
 
よく見ると自分が写ってる…
 
神社の反対側に「本陣」碑
隣に脇本陣もありました。
この付近が中河内地区の交差点で、東の山の中へ行く道が交わる
余談ですが、
江戸時代、参勤交代で北国街道を利用した大名は、
越前福井藩、越前鯖江藩、越前丸岡藩、越前勝山藩、若狭小浜藩でした。
伊部宿本陣肥田家の資料によると
 
福井藩の場合、今庄で宿泊し早朝出発、中河内で昼休み。
小谷城のある小谷宿で宿泊しました。
 
 
小浜藩の場合、三方で昼休み、国吉城のある佐柿で宿泊、翌朝出発し疋田で昼休み、柳ヶ瀬で宿泊した。
疋田経由なので刀根越えですな。
だから、椿坂も中河内も通らない
以前紹介した柴田氏庭園で小休止した後、南下し現在のJR新疋田駅付近で昼休み。
そして刀根越え、玄蕃尾城の倉坂峠を経由し柳ヶ瀬で宿泊した、
ということか?
我が輩も小浜藩のつもりで歩かねば…
 
11時21分、北上します。
これからずっと上り坂。
余呉高原スキー場まで3.7キロ。
県境まで約50分くらいかな?
登りになるので一時間かかりそうだ
中河内集会所
 
金沢藩士の記録によると、
「中河内宿は、蚊帳を使用する必要無し」と記載されてた。
中河内は、蚊も棲息しにくいほど厳しい環境だったのか?
夏でも涼しかったのか?
涼しくて人が少なかったからだろうね。
ちなみに
加賀藩の参勤交代は、北国街道越後信州経由でした。
親不知子不知の難所を通るが、距離と時間を計算すると安上がりだったからです。
前田利家の裏切りの後ろめたさで湖北を通りにくかったわけでない…
ただし、悪天候のため仕方なく湖北へ迂回することもあった。
なお、京大坂方面へは湖西の西近江路を通った。
近江今津付近に加賀藩の領地があったからです。
 
 
「秋葉神社」
経由
少し小高い山の上にある。
ズームして鳥居を見る
この時は知らなかったが、
後で調べたら、神社の裏は「中河内砦」。
櫓台、いくつかの郭跡などが明瞭に残されてるそうです。
いやぁ、またしても残念無念!
鳥居の所まで登ってたら遺構を確認できたかも?
これまた悔しい…
チコちゃんじゃないけど、ぼぉっと歩いていてはいけませんな。
 
隣に西光院。
 
さらに北上
 
高時川の出合橋
右手に廃虚となった施設
 
スキー場の駐車場
料金1000円
ゲレンデまで徒歩6分、
峠まであともう少しだ!
 
民家2件
こちらも廃屋かな?
 
スキー場が見えてきました
峠の祠かな?
 
12時19分
ヤップ余呉高原リゾート到着
中河内から約一時間でした。
ここで昼食にしました。
 
自販機、ちょっとお値段高め。
残念ながら稼働してなかった。
 
駐車場に車が一台停まってるので、
冬のシーズンに向けて準備作業をされてるのかも?
 
食事が終わり立ち上がった時に
あろうことか、自分の足でメガネを踏んでしまった。
食事中はメガネを外して服のポケットに入れてあったのが落ちたのだ。
フレーム壊れ、レンズも傷がついた
このメガネまだ新しかったのに…
とりあえず、予備の古いメガネを持参してたので、それをかけて午後の歩きスタート。
決死の峠越え、何かアクシデントありますわ
 
12時56分、『栃の木峠』
いくつも栃の木があったから、栃ノ木峠と呼ばれるようになった。
隣のスキー場の所に茶屋があり、秀吉からもらった釜があったそうです。
朝倉攻めをする時に秀吉がここに立ち寄って贈ったらしい。
建物は余呉湖畔に移転されたそうです。
秀吉からの拝領釜は木ノ芽峠にもあるとか?
朝倉攻めの時は刀根越えで越前に向かってるはずなので、栃ノ木峠を通ることは考えられない。
だから、木ノ芽峠の拝領釜のほうが真実味ありそうだが…
 
林道マップによると、
ここから木ノ芽峠、鉢伏山城塞群へ行けそうですね…
 
敦賀方面を見る。
上天気で素晴らしい眺望ですな。
 
これより麓までずっと下りになる。
体力的には助かる。
 
しばらく進んで肝心なものを見忘れてることに気づいた
慌てて戻る。
 
『淀川の源』碑
高時川からの水は琵琶湖に注ぎ、瀬田川、淀川を経て大阪湾に流れる。
福井・滋賀県境が水源なのです!
 
孫谷川の栃ノ木橋
この川は九頭竜川の支流、日本海へ流れます
 
福井県南越前町の看板
 
ふりかえって今は一本しか残ってない栃の木を撮影する。
 
滋賀県とお別れ、いよいよ越前国へ。
椿坂集落から栃ノ木峠まで上り坂約10キロ歩きました。
近江湖北編はここでゴール!
2015年7月に鳥居本宿をスタート、1年3か月かけてようやく滋賀県を脱出。
ここまで通算約55キロ、よく頑張りました
ま、寄り道多いので実際にはこの3倍以上歩いたと思うが…
 
次回から越前編になります
 
その29に続く
 
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
台風が心配なので家の梨、早めに収穫した。
わずか10個だが、久しぶりの豊作。
意外に甘くて美味しかった

馬《●▲●》助ヒヒーン♪

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    おはようございます。
    淀川の源流がここに記されているとは、
    意義がありますね。
    『淀川の源』碑のことについて、情報知りたいものです。

    [ おっさん ]

    2019/8/19(月) 午前 8:14

  • > おっさんさん
    福井県境から流れてるとは、凄いものがありますね。
    淀川水系、琵琶湖も川の一部にすぎない…

    [ 馬秀のすけ ]

    2019/8/19(月) 午前 9:28

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