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2017年10月09日(祝、月)
 JRハイキングに参加した。
11時00分、別所山砦から出発
頂上まで1000m
頂上まで800m
あと600m
そして、
11時36分、
行市山砦』に入りました。
長谷川氏の縄張り図によると、
一説に土豪の東野氏の城塞を起源とする、
小規模な陣城だが、行市山から別所山、さらに権現坂に至る山尾根に5ヵ所以上の関門や堀切が見られるので、全山要塞化されてた、
と、書いてある。
いかに強固な要塞でも味方に裏切られたら弱いものです。
全軍一致協力してここで踏ん張れば、秀吉軍がいかに大軍でも突破するのは難しかった、と思います。
ま、この戦は砦合戦とも呼ばれ、先に動いた方が不利。
高所に位置する柴田軍は動かずにひたすら砦に籠るべきだったのでは?
 
縄張り図のある場所は、折れ曲がりの虎口のようですが、さっぱりわかりません。

ガイドさんが、杖で示してくれてるのは、ここから権現坂へ行ける道があった。
佐久間盛政が通ったルート道です。
今は藪。
実は、数年前に草刈して権現坂までの道をたどれるようにした。
が、高齢化のためにその後誰も整備する人がなくなり、あっという間に藪化してしまった。
 再び整備して歩けるようにすれば観光の役にたつのだが、と嘆いてました。
柴田勝家を主人公とする大河ドラマをやれば、長浜市も本腰いれて整備してくれるかも?
笹の茂みの間の道を進む。
笹は冬になっても枯れないので真冬に来ても状況はほとんど変わらない。
要するに今のままだと行市山砦の遺構を確認するのは難しいです。
縄張り図によると城内の北の端に来たようです
↑土塁か?
土塁を降りた
土橋っぽい…
限りなく妄想です
 
そして、
11時39分
山頂に到着。
麓の登山口から一時間50分かかりました。
ここだけは手入れされてます。
標高659.7m
佐久間盛政の砦の標柱があります。
ただし、長谷川氏の縄張り図によれば、山頂は陣城跡の上の位置になる。
 
山頂なので見晴らしは抜群!
郭らしき遺構は見当たらないが、物見の場所として機能したのかもね。
 
ここで余呉湖方向を見ながら昼食。
拡大すると、
手前に横たわる山が国安地区の山。
ここには天神山砦、茶臼山砦がある。
秀吉軍が築いたが、行市山から丸見えなので不利と考えて撤退。
後方の堂木山砦、神明山砦を最前線とした。
 
天神山砦は遺構が残されてるそうです。
まだ未踏なので、いつか登ってみたい。
 
さらに拡大すると、余呉湖が見えます。
当時は賤ヶ岳も見えたと思います。
 
この方向は登ってきた入口。
藪の中に城跡の遺構があるはず。
 
こちらは、玄蕃尾城へ行ける軍道跡かな?
恨めしげに笹藪を見る…
昼食休憩の後、
12時20分、下山開始
 
別所山砦を経て
13時18分、林谷山砦への分岐に戻った。
登る時はスルーしたが、せっかくここまで来たのだから、寄り道したい!
と、ガイドさんにお願いしたら、
「何も遺構ないですよ」と言いつつ、
「帰りのバスの時間にまだ余裕あるので、わかりました」と、
しぶしぶ連れて行ってくれました
300mほど、尾根道を進む
南側に低い土塁が続いてる。
秀吉軍に対する備えの土塁ですな。
 
砦跡に来ました。
13時28分
林谷山 毛受勝助家照兄弟の砦』碑
遺構、何もないどころか、あるじゃないですか!
 
低い土塁
土塁に囲まれてます
来られて良かった。
麓は小谷(おおたに)集落なので、
街道を南下して、勝家に付き従ったのだろうね。
毛受兄弟に合掌!
そして、
 
13時49分、
毛受兄弟の墓の隣の登山口に戻りました
 
最後に賤ヶ岳合戦ルート図
佐久間軍、権現坂まで遠回りせずに茂山砦に、神明山砦・堂木山砦を先に攻め落としていれば、
柴田本軍と早く合流できたのでは?
前田利家が邪魔してる、
と邪推してみる…
 
以上おしまい。
 
1人では登りにくい山なので、
参加できて良かった。
行市山砦と玄蕃尾城を結ぶ軍道は整備されてるそうです。
今回のように下から登るよりも、敦賀側から先に玄蕃尾城に行き、その後、行市山へ向かうほうが楽かも?
ま、途中で迷ったら大変だし、熊の出没も考えられるので、なるべくグループで行くことをオススメします。
 
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
最近、湖西の高島市で熊の目撃情報が増えていて怪我人もでました。
夏は山に実が少ないのでどうしても麓に降りてくるそうです
 
西近江路歩き、いよいよ次回は高島市大溝へ突入するので
平地ばかりのルートだけど、用心しなくちゃ!
 
しかし、
志賀町北小松から白髭神社付近の国道161号線は歩道が無くて車飛ばしてるから、
こちらのほうが熊よりも危険かも?


馬《●▲●》助ヒヒーン♪
2017年10月09日(祝、月)
JRハイキングに参加した。
09時13分、木ノ本駅バス停、出発。
余呉バスは本数が少なくて、余呉駅発と木ノ本駅発の二種類あるので要注意。
余呉駅発はさらに本数が少ない。
09時36分、『今市』バス停到着。
毛受兄弟の墓の隣に
09時51分、『登山口』
行市山まで3350m、
山登りでこの距離は長いです
獣柵を越える
山登り開始!
参加者は20名ぐらいだったかな?
 
10時05分、橡谷山(くぬぎたにやま)砦分岐
分岐看板の所に
金森長近の砦跡がこの下にあったとか?
前田利家と同じく長近も離反組です。
案内地図付近に陣があったそうだが、遺構不明。
 
余談ですが、
守山市金森地区に金森御坊がありました。
今も寺内町、金森城跡の痕跡が残ってる。
金森御坊の一向宗は延暦寺と僧と合戦を繰り広げた。
さらに、延暦寺によって本願寺を焼かれた蓮如上人が入ります。
しかし、蓮如上人は金森の一向宗に遠慮して、数年後北国街道を経て越前・加賀国境の吉崎御坊へ逃れたのです。
我が輩は蓮如さんの道を追っかけて北国街道を歩いてるようなものですわ。
※ただし、行きは高島市経由の西近江路を通った、と言われる。

金森御坊善立寺の近くに↑看板あり。
美濃から移り住んだ大畑氏が地名をとって金森氏と称し、
金森長近が信長に仕えることになったのです。
詳細は、志那街道(しなかいどう)歩きをアップする時にまた述べます。
て、いつになるやら…
飛騨高山に行ったのは30数年前、大鍾乳洞を見た。
高山祭りを一度見てみたい。
それより、金森長近と言えば越前大野城。
しかし、熊が出たというニュースをよく聞く。
いつまでたっても行けない…

余談はこれくらいにして、
 
登山道を西へ向かいます。
頂上まで2700m
 
10時22分、
『中谷山368.36m』
背後に「中之谷山 原彦次郎長頼之砦」の標柱があります。
この原長頼は、美濃出身で柴田勝家に属したが、合戦で寝返りします。
この付近、裏切り者の陣ばかり。

遺構はよくわからないが、背後が土塁のように見えます
郭跡?
こちらが橡谷山砦とも言われる。
陣跡がごっちゃになってる。
裏切り者の陣跡だから、いい加減…

先へ進む
尾根を下る
余呉湖方向を見る
 
 
10時31分、
頂上まで2000m
先が長いぞ!
下草が無くなりました
斜面を登る
 
10時39分
登りきったら林道に出ました!
車でここまで来られるやん!
と、ガイドさんに言ったら、この林道の下の方はひどい状態で、現在は閉鎖、通行止め、だそうです。
う〜ん、残念ですね。
10分ほど休憩し、
気合いを入れて、さらに斜面をジグザグに登ります
 
10時51分、
空堀?
横堀と土塁です
平虎口を入ると
【別所山砦】標高444m
裏切り組の頭領とも言うべき前田利家陣跡です
解説を読むと、
鎌倉時代に天台宗の別所万福寺があった。
賤ヶ岳合戦では、七尾城主の前田利家と府中(武生)城主の前田利長父子が僅か二ヶ月余で砦を構築した。
柴田勝家の玄蕃尾城本陣より行市山頂を経て別所山→中谷山→大池山→林谷山の各陣地は
尾根を人馬で駆け抜けられるように道によって結ばれてた。
しかし、柴田方はこの強固な陣に依って使うことなく敗北した。
と、書いてある
長谷川氏の縄張り図
堀に囲まれた単郭で、単純な陣城です
横堀、人に背の高さより少し高い。
土塁と堀
 
11時00分、出発
山頂まであと少しです
後編に続く

Φ《#^ひ^♯》Φ
昨夜のNHK歴史秘話ヒストリア、
関ヶ原合戦図屏風、
築山とか塹壕とか、細かい所まで描写されている。

名古屋市の徳川美術館で展示公開されるそうです

見たいですね。


馬《●▲●》助ヒヒーン♪
2019年02月17日(日)
 
北郭の土塁の上で昼食休憩後、
午後の探索開始。
北郭は主郭では?
と推測されてるが、はっきりしないらしい。
北郭から背後を見る
広い傾斜地になっていて、
兵の駐屯地と推定される。
田上山砦など秀吉軍の縄張りの特徴と言えるのでは?
 
残雪の向こうを朝、登ってきたのだ
 
土塁と堀を見る
 
手前の下段までが北郭。
仕切り門があってその向こうが南郭。
南郭から堂木山砦を見る
左上に余呉湖が見える
その狭い区間を北国街道が通る。
すべてお見通しの重要な砦だとわかりますな。
 
南郭の枡形虎口
この先は竪堀として下る
林道が分断してる。
林道のさらに先に向かった
なんとか、竪堀に見える
 
堀切に出た
堀切、だと思う…
この向こうは崖。
なので、引き返しました
 
南郭から西郭へ向かう。
西郭は、傾斜地で斜面曲輪と言ってもよいのでは?
段々曲輪のようになって下る
西郭も含めてすべての曲輪が土塁と堀で囲まれてる。
防備がしっかりしてますね。
下部の先端まで来た。
左下に林道が見えたので、
ここから下山することにした。
降りる道を探したが無いので、
無理やり直下りして林道に降りた。
ちょっと危なかったです…
 
軽トラが1台やってきて偵察してました。
林道を約40分ほど歩いて無事下山口に戻りました。
林道には土砂崩れがあり道がかなり荒れてたが、
我が輩の下手な運転でもたぶん城跡遺構の所まで行けると、判断しました。
工事中のため、車両の進入はご遠慮ください、と書いてある。
見かけた軽トラは、工事関係者の車だと思う。
 
現在、たぶん通れると思うが、危ない箇所あるので、車で上る場合は運転に気をつけてください。
余呉小学校のグラウンド。
 
北国街道へ
 
 
以上、おしまい。
 
またいつか登ってみたいものです。
 
ちなみに、
岐阜駅の南の加納城跡のさらに南のほうに
『上茜部(かみあかなべ)城跡 堀秀政生誕之地』石碑がある。
248号線沿い、上茜部バス停の近くに石碑と解説板があるのみ。
城跡の遺構は皆無。
とはいえ、
堀秀政生誕の地なので立ち寄った。
築城した堀資重は近江出身と言われる。
ただし、近江のどこか不明だが、浅井郡の堀かも?ね。
鎌刃城の堀氏と関係あったりして…
 
なんでもかんでも近江と結び付けたがる我が輩です
 
 Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)
 
最近の週末は街道歩きに専念してる。
中山道の他に山陰街道、丹後街道、美濃路、
さらに西国街道にも踏み込んだ。
どれもこれも中途半端でなかなか先に進まない
困ったもんですわ。
帰りのお供は、
缶ビールとおつまみ。
最近の定番になってきた
歩き中毒とアルコール中毒
 
略して、アルアル中…
 
 

馬《●▲●》助ヒヒーン♪
2018年3月31日(土)
 
12時51分、
『神明山砦の主郭』
午後の探訪、これより賤ヶ岳を目指す。
主郭の土塁を降りて主郭の周りを一周して
西へ向かいます。
大きな堀切を越える
次は小さな堀切
振り返って、二重堀切を見る。
画像ではわかりにくいかな?
 
しばらく進むとまた小さな堀切
13時04分、
『西郭』
小さな郭です
 
また堀切がある。
ここまでが神明山砦の範囲。
 
次に茂山砦を目指す
 
前回歩いた東側は、ハイキングコース道が整備されてたが、
こちらは、標識もなにもない。
ひたすら、尾根の上を歩くのみ。
でも歩きやすい。
下草が無いので夏でも大丈夫だと思う…
 
 
13時16分、
電波の施設か何かあったのかな?
おそらくこの付近から『茂山砦』だと思う。
 
13時23分、
かなり開けた場所に出ました。
茂山砦の中心部かな?
広い傾斜地
 
城跡の遺構を探すが、さっぱりわからない。
縄張り図の看板も無いので、
遺構が残ってないのだろう。
 
秀吉軍、余呉湖の西側まで手が回らなかったのか?
その隙を狙って、というわけでもないが、柴田軍の前田利家・利長親子がここに陣取って神明山砦の秀吉軍と対陣した。
 
佐久間隊が退却する際に飯浦付近で死闘を繰り広げてる時、援護すべき前田隊は、なぜか突然、先に退却を始めた。
いわゆる裏切というやつです。
 
奥琵琶湖ボランティアの皆さんに言わせれば、
柴田軍敗因の元凶は前田利家!
こいつが一番の悪党!
加賀百万石欲しさに寝返った!
と、ボロクソに言います。
 
前田・金森・不破の3人衆は、鼻から秀吉に内応してたとか?
 
だから、茂山砦の防備は薄くした、と言えなくもない。
 
ただし、前田家の家臣で退却の際に殿(しんがり)をつとめた横山喜長隆は
羽柴軍に囲まれて自害してる。
 
本当に利家は内応してたのだろうか?
内応してたら、秀吉軍の攻撃受けないですよね。
砦の構築が磐石じゃないので、とてもここで秀吉軍を防ぐのは無理。
神明山砦と賤ヶ岳砦での両方から挟み撃ちにされて万事休すになるだけ。
だから一足早く別所山砦方面へ退却しただけなのでは?
と、思ったりする。
 
いやいや、退却する佐久間軍と合流して共に戦うのが本筋。
やっぱり利家は卑怯者?
 
さて、真相はいかに?
 
しばらく進むと、
砦の看板?
 
鏡岡中学卒業生の植樹記念でした
結局、茂山砦の表示看板すらなかった。
 
あきらめてさらに南へ進む
 
13時33分、
右手の下に林道あり!
この時はさっぱりわからなかったが、後で調べたら、
茂山砦の南の範囲がこの付近になり、
前田軍はこの林道を北上し文室方面へ退却したそうです。
堀に囲まれた虎口?
それとも単なる道の分岐?
この石仏の土塁がその名残だとか?
裏側は横堀?
塹壕の名残だと言われる、
 
下へ降りると堀切土橋?
さらに下れば麓の川並集落へ降りられるようだが、降りたらまた登らねばならないので、
引き返した。
そして、肝心の権現坂を探すため何度も周辺を歩き回ったが、
どうしても権現坂看板が見つからない。
 
14時00分、
ついにあきらめました。
悔しいが、賤ヶ岳目指して南下することにした。
 
しばらく進むうちに、
どこを歩いてるのかわからなくなってきた。
賤ヶ岳じゃなくて塩津のほうへ向かってるのではないか?
下の湖は余呉湖?琵琶湖?
方角も不明で、不安になる。
そんななか、
 
14時36分、
猪か何か、獣が通った痕跡発見!
藁をもすがる思いで、この一筋の痕跡道を頼りに歩くことにした。
 
そして、
14時50分、
飯ノ浦への看板
ハイキング道登場!
ここで、ほっと一安心
猪君のおかげや。
 
ちなみに、帰宅してからニュースで知ったが、
この日、京都市内を猪が暴れまわってたそうです。
京都まで出張してましたか!
 
ぶっひゃっひゃーΣ(゚∀゚)!ですわ。
 
15時04分、
堀切発見!
お地蔵さん。
『飯ノ浦の切通』
この付近から余呉湖畔にかけて佐久間軍と秀吉七本槍軍団との間で激闘が繰り広げられたのです。
実際のところ、七本槍の活躍は怪しいそうですが…
 
飯ノ浦は琵琶湖にあります。
ここから1キロなので、行けなくもないが、疲労困憊してたので今回はあきらめた。
これも後日の宿題となった。
上から切通を見る
ハイキンググループに遭遇。
 
どうやら飯ノ浦へ行くようです。
 
15時22分、
賤ヶ岳西側の堀切、土橋。
前回、東側にあった堀切よりこちらのほうが明瞭。
西側の防備を意識してた、ということか?
 
15時28分、
『西郭』
下から見上げるとかなり高いですね
西郭下の帯郭
 
主郭へ
今回は、5名ほど登山者いました。
 
あんなとこをぐるっと回ってきたのか!
我ながら驚く!
 
南側の犬走を歩いた
 
 
再びリフト乗り場、
この時の土砂崩れ以後、現在に至るまで、
いやこれから先も復旧することはないでしよう。
前回からわずか2週間だが、草が増えてきてる
 
 
16時21分、麓のリフト乗り場付近
ツクシが群生!
 
春ですね。
ツクシは花粉症対策にいいとか?
天ぷらにすると美味しいらしい。

ま、我が輩は原始人なので花粉症とは無縁ですわ
 
今回も木ノ本駅に戻りました。
 
以上、余呉湖一周、ヨゴイチ達成。
 
一周というより半周2回か…
 
この日は、26000歩、約16キロでした。
 
 
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
この前、NHKのブラタモリ、徳島で結願!
と、言ってました。
全国制覇というわけですが、
 
秋田県がまだや!
という不満が出てるそうです。
 
番組としては、十和田湖を訪れたので青森県と秋田県を制覇!
という考え。
いやぁ、これは耳が痛い。
 
実は我が輩も昔、十和田湖・奥入瀬を訪れた時に、これで本州四国九州すべての府県を制覇したと豪語してました。
 
でもこれは秋田県民に対して失礼ですよね。
十和田湖なんか、広大な秋田県にしてみればほんの一握りですわ。
 
その後、数年前に秋田城を訪れたので秋田県は制覇できた。
 
そして、考えを改めて、
県庁所在地を訪れなければ制覇したとは言えない、
というルールに変更した。
 
そうなると、
青森県・富山県・栃木県・鹿児島県は行ってるが、県庁所在地はまだ。
現在の未踏は、青森市・富山市・宇都宮市・鹿児島市、札幌市・那覇市。
 
札幌と那覇はほぼあきらめモード全開。
残りの4都市だけでも行かねば!
と、思ってます。
 
さて、全国制覇はいつになるやら?
 
 
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
殿様商売のつけが回ってきて青息吐息の我がひこにゃん市。
大花火大会中止、夏の総踊り廃止に加えて
今度は、ひこにゃんの活動も制限!
という非常事態になった。
 
さすがにこれはクレームが殺到し、
ひこにゃんの活動は従来通り、ということで決着したが、
 
それにしても、ネガティブな話ばかり!
 
彦根城、佐和山城、城下町、河原町伝建地区、ひこにゃんなどなど
観光素材がいっぱいあるのに有効にいかせない!
 
何度も言うが
殿様商売からいい加減脱却すべし!
 
井伊家は明智光秀と親戚で、幼少の頃、直政は明智家に預けられてた、
と吹聴して話題作りして来年の大河ドラマに便乗、
観光客を呼ぶ、という発想は出来ないのか?
 
困ったもんやわ!
 
いや、嘘はダメだけど…


馬《●▲●》助ヒヒーン♪
2018年3月31日(土)
 
10時39分
『余呉駅』
前回の右回りから2週間後、
再び余呉駅にやって来ました。
今回の左回りは距離が長いので3時間早くスタート。
前回はまだ冷え冷え感あったが、
3月末ということで、春の陽気になってます。
圃場整備された田んぼ道を北へ向かう。
山の先端部に堂木山砦跡があります
目の前に目指す山が見えてきた。
鉄塔のある所は切通か?大堀切か?
 
10時57分、
『堂木山・神明山砦登り口』
暖かくなってきたので、獣対策のために杖を取り出し、ズボンには泥除けを付けて虫対策し、
万全の装備で登城開始。
フェンス沿いの登山道を登る
獣柵を越えると
大堀切出現。
 
まずは右へ向かう。
尾根道を進む。
縄張り図登場。
 
解説文によると、
東野山砦とともに北国街道を挟む位置にある。
神明山砦と一体で柴田軍の南下を防ぐ役割があった。
長浜衆と呼ばれた山路正国、大金藤八郎が陣に入るが、山路正国が柴田軍に内応仁し、行市山へ脱出。
代わりに木下半右衛門が入った。
 
堂木山砦は秀吉軍にとって最前線の砦、ここに柴田勝豊配下の長浜衆を入れるなんて、秀吉は何を考えてたのか?
わけわからんわ!
いや、信じられないから最前線に配置したのだろうね。
 
縄張り図の隣に堀切あり。
右側だけのようです。
この画像は木が倒れた穴?
 
11時15分、
 
尾根がカーブを描いた付近から城内です。
三の丸と命名する
南側は土塁で囲まれてる
北側斜面は一般兵の隊屯地か?
 
さらに進むと
堀切と土塁。
二の丸との境になる
 
二の丸
二の丸は全面、土塁に囲まれて防備は完璧。
東側に普通の虎口、
 
東北部の盛り土は櫓台跡?
たぶん違うだろうな。
北側に食い違い虎口、
 
一番北側に本丸。
こちらも土塁で囲まれてる
東側面に横堀あり
 
本丸北側の下段、詰め丸
こちらにも兵がいて防備してたのかも?
この先を降りて行くと、向かい側の山に東野山砦に、
その間を埋めるための防御柵が2本、築かれ柴田軍の南下を阻止した。
尾根を下り、柵の痕跡を探そうかと思ったが、今日は先が長いので、後日の宿題にしました。
いつかまた冬の寒い時に、麓から直登りしてみたい。
またしても骨折り損になるかもね。
 
引き返しました。
 
前回の岩崎山、大岩山と違って堂木山砦はしっかりとした縄張りになってる。
やはり、最前線の砦としての緊迫感が伝わります。
 
11時58分
再び大堀切。
 
向かいの鉄塔へ。
この付近にも何か城跡の遺構があったのでは?と見つめたのだが…
 
行市山方向を見る
行市山は高いので、
秀吉の賤ケ岳の砦群の様子は丸見えだったはず。
 
花が咲いてます。
春らしくなりましたわ。
 
尾根の上を進む。
 
土塁が見えてきた。
 
『神明山砦』
東の郭に入った。
北側に土塁あり。
南側にはこの先の主郭も含めて土塁がない。
土塁のない南側から主郭に入った
 
主郭の中央に盛り土あり。
主郭の上段曲輪だ。
左から回り込む
こちらが、虎口なのかどうかはわからないが、
斜面を登った
主郭の上段です
西側に土塁あり。
ここが一番高い場所なので
12時40分
土塁の上でパン食べた
 
解説文によると、
蜂須賀彦右衛門(通称、小六)と木村子隼人が配置された、とある。
 
こちらは秀吉の信任厚い武将なので、
一説によると堂木山砦の長浜衆を監視する役目もあったとか?
 
西側と東側、両方からの敵を想定して本丸の中央に櫓台のような上段曲輪をつくったのかな?
と思いつつ両方をにらみながら昼休憩しました。
 
というか、実はこの土塁の上ならどこから獣が現れてもすぐに見つけられる、いち早く対処できる
という安全な場所だと判断したのです
 
続く
 
 
 
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
先々週の土曜日、滋賀県の探訪講座に参加した。
台が高すぎてインスタ映えしない信長像
 
安土城です。
年頭に某知事の天主復元報道があったせいか、
総勢100名の参加者となった。
登るのは6年ぶりかな?
おもてなし武将隊が迎えてくれました。
 
何度も登ってるので、目新しさはないが、ガイドさんが安土城の発掘担当者だったので、色々とレアな話を聞けた。
 
まっすぐのこの大手道、
溝の切り込み具合から、信長時代よりももう少し新しい時期の道のように思われる、とか?
 
天守台跡。
中央の礎石のない場所に心柱があった、と言われる。
一番下の地山まで掘り進めたが、結局何も発見されず、柱を抜き取った痕跡も無かった。
 
信長天主、どんな構造かさっぱりわからない。
我が輩、模型の安土城天守を40数万円かけて作ったが、あれはなんだったのだろうか…
 
                 焼けた痕跡の石↓
そんな解説の最中に、
なんと!
某滋賀県知事が登場。
坂本城以来や。
例の美人秘書さんもご一緒。
さすがに今回は山登りなのでスカートじゃなくてズボン姿。
 
午前中、琵琶湖開きイベントがあったので、その後に急いで駆けつけたようです。
 
 
ガイドさん、
『遺構を見て、みなさんそれぞれの見方で当時の歴史を感じていただきたい…』
 
おやおや、さっきまでの口調はどこへやら、
歯に衣をきせた、当たり障りのない言い方に変わりましたよ。
 
遠慮して言えないのなら、
我が輩が変わりに言いましょか?
 
名古屋城の天守復元は、精密な図面が残ってるのでいいが、
安土城の天主に関しては確かな資料が不明。
ローマで行方不明になってる絵図を探すのを優先すべし!
現在、三の丸は立ち入り禁止になってるが、こちらにも凄い高石垣が残されてるらしい。
先に周辺の遺構をもっと調査して整備すべきじゃないの?
 
何よりも安土山は、総見寺の私有地。
その上、こちらは名古屋城と違って国の特別史跡、いわゆる国宝の史跡だ。
両方の調整をしながら、天守再建?
ハードルは無茶苦茶高いのだ。
 
と、我が輩は思うのですが。
 
知事さん、
『今何時?』
と、秘書さんに聞いてる。
 
腕時計してないんかい!
時刻はスマホを見ればわかるぞ!
スマホ持ってないの?
 
我が輩も一度はそんな身分になってみたいものですわ。
知事さんは早めに下山されました。
 
忙しいようですな。
 
馬《●▲●》助ヒヒーン♪

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