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大村城(玖島城)肥前国その3終わり 2013年4月30日(火)
海岸をうろうろした後、
再び大手口に戻った。
大手口に
『角館伊丹姉妹都市締結記念碑』
角館は秋田県仙北市。
重伝建地区に指定されていて人気の観光地ですな。
大村市のホムペによると
「1868年の戊辰の役で東北地方唯一の新政府側だった佐竹藩が孤立し、大村藩に援軍を求め、大村藩士326名からなる北伐隊が角館に進軍し、角館を守り抜いた。」
この時の大村藩の戦死者浜田謹吾少年(15歳)の碑。
太鼓を叩いて士気を鼓舞する姿なり。
兵庫県伊丹市は空港で有名。
弟が伊丹空港の隣のアパートに住んでたことがあり、引っ越しの手伝いで来たが、騒音がうるさかったです。
「約350年前大村家の第3代大村藩主大村純信公の妻として、伊丹城主の末えい(後の幕府勘定奉行)伊丹勝長公の長女を迎えたのに続き、勝長公の四男純長を第4代大村藩主として養子に迎えた。また、近年には、阪神地方の衛星都市であり、空港を有する都市としても、大村市と類似し…」
長崎空港が大村市に、大阪空港が伊丹にあり、大村氏と伊丹氏の血縁繋がりのようです。
ちなみに伊丹氏の伊丹城は後に荒木村重の有岡城となり、伊丹氏は伊丹から去ります。
大手口枡形を登り
二の丸へ
こちらは台所口門、
本丸虎口から本丸へ
現在は大村神社。
大村藩主はもちろんですが、藤原鎌足・藤原純友も祀ってます。
「大村純熈公像」
「すみひろ」と読む。
現代人も読みにくい名前が増えてきたが、昔の偉いさんも難しい漢字を名前にしますな。
大村藩、最後の藩主です。
討幕派として東北まで出兵したので讃えられたようです。
上空を飛行機が。
本丸内には藩主の居館があったのみ。
天守や重層建築は無かった
搦手口(当初はこちらが大手口)から外へ出ました。
こちらは枡形ではない。
ピンボケですが
『浜田弥兵衛の碑』
解説板によると、
江戸初期、朱印船貿易の船長。
台湾に渡ると、現地のオランダ長官に商品を押収され帰国の許可をもらえないという処置にあう。
そこで、長官を人質にとり反抗。
人質とオランダ船員と奪い返した荷物を持って帰国した。
人質は大村と島原の牢に拘留された。
これにより日本とオランダの貿易は一旦中断するが、その後捕虜交換し解決した。
この弥兵衛の活躍を称えて大正時代に碑が建てられた。
浜田家は大村藩に仕え、戦死した浜田謹吾少年もその子孫だとか?
9時15分、
電車の時間が迫ってきたので、慌てて駅へ向かう。
大村小学校
『五教館御成門』ごこうかんおなりもん
藩校があり、この門は黒門と呼ばれ藩主だけが通る通用門だった。
現在は大村小学校の入学式と卒業式だけ開かれて生徒が通るそうです。
羨ましいな!
『草場小路の五色塀』
色とりどりの海石を漆喰で固めた塀。
城下町、じっくり散策したいがもう時間ない。
雨降ってるけど傘ささずに駅へ猛ダッシュ!
大村桜のマンホール
09時40分『大村駅』到着。
ICOCA使えないので切符を買い
09時45分、佐世保行きに乗り百名城の平戸城へ向かいました
以上です。
Φ(*^ひ^*)Φ
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肥前長崎の史跡
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大村城(玖島城)肥前国その2 2013年4月30日(火)
『板敷櫓』
一番南に面する。
本丸に天守が無かったので海上から見れば一番目だったのではないか?
建物内に入りました。
係員のおじさんが一人いました。
1992年再建なので、綺麗です。
ちなみに「板敷」はこの付近が板敷浦という地名だった。
ありゃま!ですわ。
格子の隙間から船蔵跡が見えます
その船蔵へ向かう。
南堀に
「シントラ市長来訪記念植樹」がある。
1584年、九州のキリシタン大名がヨーロッパに使節を派遣した。
有名な天正遣欧少年使節です。
大村家では純忠の甥の千々石(ちぢわ)ミゲルが加わってる。
一行が到着したのが、ポルトガルのリスボン近郊の「シントラ」で、
大村市と姉妹都市になった。
新蔵波止
三の丸
『御船蔵跡』
柱跡が綺麗に残ってる。
船の大きさに合わせて大中小のドッグに分かれてる。
屋根でちゃんと覆われてたそうな。
『梶山御殿』
大村家の別邸。
現在は市の少年センターとして教育施設に利用されてる。
この後、大手口に戻り
いよいよ本丸へ。
その3に続く👍 Φ(*^ひ^*)Φ
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大村城(玖島城)肥前国その1 2013年4月30日(火)
西肥州への旅、初日は午前中に長崎軍艦島見学、午後は長崎市内をひたすら歩き回った
一日目は大村市に宿泊。
大村氏の最初の居城だった三城城(さんじょうじょう)に登るが、本丸跡に忠魂塔があるのみ。 大村氏は藤原純友の孫直澄が祖とか?(真偽不明)。
15世紀頃、有馬氏の配下となり
1564年、大村純忠の時、三城城を築き本拠とする。
3つの曲輪があるので三城と呼ばれる。
わずか7人の兵と女・子どもだけで籠城したと言われる堅固な平山城。 二日目はいよいよ本格的にお城巡り。
7時過ぎにホテルを出て歩いて海へ向かう。
『大村公園』
小雨が降ってた。
これより玖島城(大村城)。
その後、龍造寺に降伏するがうまく立ち回り
秀吉にも取り入り
朝鮮出兵の経験から
1599年、純忠の嫡男喜前が水城として玖島城を築いた。
公園をぐるっと回る
大村氏の桜田屋敷→藩校→大名庭園となった
4月末に花菖蒲が咲いてるなんて早いですね
東側のみ唯一陸と接してたため
『角堀』という広大な堀を造り、陸と切り離した
本来の大手は北側にあったが、
1614年の改修で二の丸南側を大手にした。
角堀もこの時につくられた
大手入口門
船の出入りを重要視したのかな?
二重馬場は荷物・騎兵用と歩行者ように分離された道
大手口の横の『穴門』は南側から見えないので隠門
我が輩は穴門から入った…。
一旦外に出て
有名な『二の丸板敷櫓』を眺めた
扇の勾配の石垣がいいですね。
角堀、穴門、板敷櫓など、これらはすべて
加藤清正の指導だそうな!
その2に続く👍
Φ(*^ひ^*)Φ
昨夜の2時過ぎに『大雨注意報』のメールが来た
メールに気づいたのは本日の午後。
深夜のメールは役に立たない…。
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【長崎市眼鏡橋~長崎駅へ】 2013年4月29日
眼鏡橋から駅へ戻る途中、
いくつか史跡をたどる
四角い眼鏡の形がしてますね
眼鏡屋さんが宣伝をかねてつくったそうです
今はもう廃業、橋だけが残った
別名裏めがね橋
長崎の上下水道を整備した日下義雄は初代長崎県知事で会津出身、
弟の石田和助は飯盛山で自刃した白虎隊士でした。
長崎駅
夕方の5時、
佐世保行きに乗り
ここで宿泊。
冬ならすでに真っ暗ですが、春は陽が長い
このままホテルに直行せず、
日没まで近くを徘徊
小高い丘の上に忠魂塔(暗くてピンボケ)
ここに「三城城」がありました
大村氏の本拠はこの三城城(さんじょうじょう)でした
本丸・二の郭・三の郭で構成されてたので三城と呼ばれたらしい
平山城で堅固な縄張りだったが
朝鮮出兵の経験で海城のほうがいいと考え、海岸に大村城を築いた
山の反対側に堀や土塁の痕跡が残されてるらしいが
もうこれ以上歩くのは無理、あきらめて
ホテルにチェックインした
結局、旅の初日は軍艦島と長崎市内を歩きまわっただけでした
なお、二日目は大村城と平戸城を探訪しました
この報告はまたいつか気が向いたら…です
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2013年4月29日
龍馬通りと別れて「寺町通り」を歩いた
由緒ある寺が並ぶ
その中で
『興福寺』を見学した
黄檗宗の寺、インゲン豆で有名な隠元禅師が開祖
門が赤いので「あか寺」と呼ばれる
上野彦馬は初めてここで写真撮影したとか?
この後、中島川の橋めぐり
どの橋も1800年頃に建てられた橋
『眼鏡橋』
1634年で、日本最古の石造アーチ橋
先に訪れた興福寺の二代目住職が建てた
中国出身の橋技術者でもあった
他の橋が洪水で壊れる中、この橋は大丈夫だった
有名な眼鏡橋、修学旅行で来たがほとんど記憶になく、
今回ようやく見られて満足した
この後、長崎駅へ向かいました
続く
Φ《#^ひ^♯》Φ
昨日の中山道柏原宿
紅葉も見ごろになってきました
雨がやんで、無事山城に登れてよかったです
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