|
2019年02月17日(日)
東野山砦は、
北国街道歩きにとって堂木山砦とともにどうしても見逃せない砦。
熊は冬眠中だと思うので、ついに登城決行しました。
10時35分、
またまたまたまた…『余呉駅』
駅前にたくさんの人がいます。
後でわかったのだが、JRハイキングのジビエ料理を食べるツァーでした。
知ってたら参加したかも…
約40分歩いて
北国街道、「左衛門の辻」
前回歩いた時は草まみみれで近寄れなかったが、さすがにこの時期なのでスッキリしてます。
別名「首塚」と呼ばれる。
賤ヶ岳合戦で秀吉がここで首実検して埋めたらしい。
そして、堂木山砦との間に構築された土塁と堀跡付近、
馬防柵が二重に設置されたそうです。
堂木山砦を見る↓
この民家の裏の方から北陸自動車道に向かう。
北陸道の下のトンネルをくぐって山側に出た。
道がぬかるんでいて靴が泥々になった。
11時27分
山への入口を見つけた。
畑があったと思われる。
笹の間の道を進む。
↑たぶんこのルートだと思う
約5分ほど歩いたら道が消滅したので左手の斜面をよじ登った
土塁のように思える。
もしかして秀吉軍土塁の延長土塁かも?
ふと足元を見ると、
「東野山砦跡」の案内看板発見!
ネタ本の雑誌「みーな」に書いてあった登山道は、これかも?
古そうな看板なので、林道ができる前は皆さんここから登ってたのではないだろうか。
ともかく、やった!と思いました。
これで、もし遭難しても無謀な直登した、と後で笑われることもない。
堀底道と土塁の道が、右へ左へ折れ曲がって
十数回続いた。
自然の土砂の流路の結果、形成された登山道に違いないが、
自分的には、麓の馬防柵の延長として築かれた土塁と竪堀跡だと、
言い聞かせて登りました。
妄想しないと、こんな道なき道、一人で登れませんよ!
尾根の下端部に来た。
ここで堀底道消滅。
木に鹿対策のビニールテープが巻き付けられてます。
登ってから、後でもう一度降りて確認したら
このまま急な尾根を直登りすれば『西郭』に行ける、とわかった。
しかし、この時点では自分の位置がどこなのかさっぱりわからなかったので、
尾根の左手斜面の細い道を登ることにした。
そして、
12時03分、林道に出ました。
麓から約30分なので林道を歩くよりは早く登れた、と思う。
でも、やっぱりこのような道は登らないほうがいい、ですな。
素直に林道を登るべし!
林道には少し雪が残ってる。
すぐに城跡の看板が見えました。
縄張り図、↑北
こちらは長谷川氏の縄張り図。
看板の横に
北郭東土塁から伸びる竪土塁と竪堀。
林道は通行止めだが、なぜか車が停まってた。
ちなみに、この時は誰にも会ってない
北郭から竪土塁を見た。
傾斜が弱いので竪土塁というより普通の土塁にしか見えないのは気のせいですか?
というか、この竪土塁を林道が遮断してるのが残念。
林道の向こうには土塁無かったのか?
それともこの林道は本来、曲輪と曲輪との間の通路、あるいは堀切だったのか?
気になりますな。
『北郭』
北郭の東曲輪に
本陣跡の石碑あり
背後の土塁の上で昼食
パン食べた
↑雑誌みーなの復元図を借用して加筆
東野山(とうのやま)は、
別名、「実山」「左禰山」と呼ばれ、在地の豪族東野氏の居城だったと言われる。
賤ヶ岳の合戦では、羽柴秀吉方の陣城として堀秀政が布陣した。 いち早く堀秀政がここを押さえたのが秀吉軍勝利の最大の要因だったと言われ、
七本槍よりの活躍よりもその功は大と言わざるを得ない
佐久間信政が無理してでも大岩山砦を急襲することになった遠因ともいえるのでは?
その2に続く
Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
別に頼んだわけじゃないのですが…
介護保険被保険者証が届いた。
それにしても、介護保険料が高い!
住民税や健康保険料よりも高い…
使わないと損するが、
使いたくないよね…
ちなみに、
明日から我が輩は、安土城考古博物館に無料で常設展示を見られるようになります。
つまり、
年取ったというわけですわ…
馬《●▲●》助ヒヒーン♪
梅雨入り生まれ
|

>
- Yahoo!サービス
>
- Yahoo!ブログ
>
- ブログバトン








































































































































