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馬秀のすけのブログ
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2018年6月17日(日)
 
日曜日、電車で宇治へ向かった。
地震の前日です
 
京都駅で奈良線に乗換え。
車内は満員御礼、すし詰め状態で始発なのに座れない。
しかし、稲荷駅で乗客の3分の2が降りた。
イッキに車内はガラガラに。
外人さんの伏見稲荷大社人気恐るべしですわ。
 
休日の朝晩は、
京都⇔稲荷、シャトル電車運行すべきなのでは?
 
JR黄檗駅
宇治市のマンホール、
お茶の葉がいっぱいの図柄
 
こちらは
宇治橋とモミジ
 
『黄檗山万福寺』
南へ移動
 
『五ヶ庄』
小高い丘から槙島方面を見てます
 
元亀4年(1573)年、
室町幕府最後の将軍足利義昭が再挙兵したので、
織田信長は、この五ヶ庄の柳山に陣を敷いた。
宇治川を渡って進軍。
 
 
向こうに見えてきたのは
『槙島公園』
 
 
『槙島城記念碑』
足利将軍家の家臣真木島氏の城がここにあった。
川で囲まれた要害で、
織田信長に追われた足利義昭が真木島氏を頼ってこの城に入りました
織田軍は、
秀吉・光秀・勝家という後に喧嘩することになる面々が、川下から攻める
一方、稲葉一鉄は平等院方面から攻めた。
 
多勢に無勢、とてもとても持ちこたえられなくて
義昭は河内へ逃げ、毛利氏を頼ることになります。
 
この槙島合戦が、
事実上、室町幕府滅亡となった。
 
少し南へ向かい
団地の中の公園に
『槙島城跡』
団地の中の小さな公園、
城の痕跡はこの石碑のみ。
負け組の遺跡はこんなもんですわ。
石碑があるだけでもマシかな?
 
わかりにくい場所ですが、
すぐ近くに任天堂の工場があります
 
宇治市役所へ向かう
 
『宇治茶琵琶園跡』
宇治七名園の1つ
有名な上林家が開いたとか?
 
先日の地震ではこの付近、かなり揺れたそうです
 
『奥ノ山茶園』
足利義満は宇治七名園をつくった。
七名園の中で現存するのはここだけ。
 
そして、
 
『宇治橋』
外人邪魔やねん!
 
無頓着にもほどがあるわ!
平等院へ向かう参道はご覧の通り
 
上林家の店
将軍家御用達、
お茶壷道中はこの店から?
 
 
宇治平等院、
入るのに行列ができてます。
 
何度か来てるので今回はパス。
 
門前の店で
抹茶ソフトを食べる
 
ソフトクリームにその場で抹茶を振りかけてくれます。
 
美味しいですわ、暑かったし。
 
宇治川、橘橋を渡る
げ!
先陣の碑が見られない
 
『宇治神社』国重文
祭神
菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)
宇治という地名は、本来
『菟道』
この字でした。
 
読めないですよね。
 
『宇治上神社』
こちらは世界遺産
 
明治維新で宇治神社から分離された
宇治神社の本殿は鎌倉時代初期
宇治上神社の本殿は平安時代後期の建築で、
現存する神社本殿としては日本最古。
当然ながら国宝。
寝殿造の拝殿も国宝。
 
さらに北上
最後に
『三室戸寺』
こちらも凄い人
 
西国巡礼10番札所
本道の前の行列は御朱印のため、
 
本堂に近寄れない
 
なので、本堂を避けて
三重塔
 
宇賀神
髭を触れば健康長寿になる。
最近体調が悪い我が輩、藁をもすがる思いで触りました。
 
宇賀神は、老人と蛇が特徴で水の神様、弁才天と合体し、
琵琶湖に浮かぶ竹生島がその代表!
 
庭園へ
アジサイよりも多い人
数珠つなぎで前に進めない
庭園、一時間もかかりました
 
もう2度と梅雨には行くまい
 
と、思いましたよ。
 
 
お土産に宇治茶と茶だんごを買った。
 
帰宅して
母に見せると、
『宇治、どこ?名古屋の方?』
 
うーん…。
 
『名古屋の方で電車が動かなくなったそうやで』
 
いやそのニュースは、名古屋じゃなくて、
東北新幹線の仙台での故障のことや。
 
先が思いやられるわ…。
 
 
 
Φ(*^ひ^*)Φ
一日違いで大違いとはまさにこのこと。
 
地震が一日早ければ、
我が輩、電車の中に閉じ込められたかも?
 
北摂地震、
我が地方も久しぶりの大揺れでした。
震度4なので、大丈夫だったが
5以上なら我が家どうなってたか?
 
ブロック塀、今回は
とりあえず崩れなかったが…
 
余震が続いてますね。
 
大きな揺れが来ないことを祈るばかりです。
 



馬《●▲●》助ヒヒーン♪
2017年3月20日(月祝)

毎年春の恒例行事、MBSラジオウォークに参加しました。
今回は『奈良坂の道』を歩きます。
イメージ 1

奈良坂は、平城京と木津を結ぶ道。
松永久秀は木津に鹿背山城を築き北の護りとした。
本拠地は、奈良坂のそばにあり、興福寺東大寺を睨む『多聞城』。
多聞櫓という名前の由来になったと言われてますね。

鹿背山城に行ったら、多聞城にも行かねばならない。
そんなことを思ってる矢先のラジオウォーク。
グッドタイミング!
毎回、参加賞として石鹸をくれます。
身体も服も石鹸で洗う我が輩としては嬉しい限りです。

というわけで、奈良駅から
まず最初に『春日大社』
イメージ 5

毎回一万人以上が参加するラジオウォーク
世界遺産ということもあり、境内は無茶苦茶ごったがえしてます。

次に『若草山』

待テ!
待テ!
待ティ!
チョット待テ!

無茶苦茶ナノハお前ヤ!

おや?誰ですか?
人の邪魔するのは?
天の声?

オマエ、1週間前ニ膝ヲ傷メタナ!

はい、そうですが…

当然ナガラ、絶対安静ニシテル時期。
ソレナノニ、性懲リモナクウォーキングニ参加?

無茶シタラ今度コソ骨折ダゾ!
石鹸ト身体、ドッチガ大事ヤネン?

タワケガ!

オマエガ、動ケナクナッタラ、誰ガ親ノ面倒ヲ見ルンヤ?
オマエダケノ身体ヤナインダゾ!
ワシハ知ランゾ!

いやそれは、わかってますが、あなた誰?…

ソモソモ多聞城ハ、石碑ガアルノミ。
ワザワザ見ニ行ク価値ナイノニ困ッタ奴ヤ!

いいんです、それはわかってますって!
ちゃんと事前に調べてますよ
それでも行かねば収まらない我が気持ち、
あなたにはわからないでしょうけどね。

ДДДДДДДДДДД

そんなわけで、若草山に登りたかったが、とても無理。
イメージ 6
横目で見るのみ。

次は、『二月堂』
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お水取りで有名ですよね。

さらに、『般若寺』
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イメージ 9

こんな車が停まってましたよ。
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牧場で牛乳飲んでしばし足休め。
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長い間、牛乳飲んでなかったが、今は高血圧対策と骨の強化のために毎日飲むようにしました。

イメージ 2

西へ回り込むと
厳めしい塀が見えてきた。
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煉瓦塀に沿って歩くと
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ドイツのノイシュなんとか城出現?
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じゃなくて、
イメージ 3

『奈良少年刑務所』
明治時代から残る貴重な建物で国重文です。
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塀の通路は今日のイベントのために開放されたが、
さすがに門のなかには入れません。
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格子扉の隙間から撮影。

実は刑務所は3月末で閉鎖、この時点では、その後の予定は未定だったが、
報道によれば、観光ホテルに変身すると聞きました。

南へ向かうと、堀底のような道
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歩道橋を登る
ここのアップダウンはキツかった。
一段一段、膝に負担がかからないように上って下りました
イメージ 18

多聞城のある佐保山と隣の善称寺山(現在はグラウンド)との間の堀切で、
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横堀となって城の周囲を巡る空堀だったそうです。
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さらに進んで若草中学校の東側敷地内へ。
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校舎の横、本丸です。
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普段は勿論入れません。
このイベントのために一般開放してくれた。
だから、わざわざ膝が痛いのに来たのです。
こんな機会なかなか無いからね。
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校舎のなかには入れないけど、
この奥に四重櫓があり、多聞櫓の原型だとか言われていて
後に信長が安土城を築く模範になったとか?
戦前まで遺構があったが、昭和23年、学校建設で跡形も無く壊された…。


土手の横を下る
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上に本丸の櫓があったかも?

下のフェンスのある削平地は曲輪だったのでは?
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と、思ってのぞいてました。

土手横を回り込む
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8mぐらいの高さがあります
切岸には石垣があったとされる。 
本丸を巡る総石垣なら安土城の先駆、
堀切で囲まれた近世城郭の本家本元と言えるのでは?

切岸の下に曲輪、
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と、またまた妄想する

正門付近へ来ました。
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石碑です。
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石段は大手道でした。
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左右を曲輪に囲まれて
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ここは桝形虎口状だったようですね。

長屋門が雰囲気を出してます
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河内から侵出した松永久秀は、大和との境の信貴山城に入ったが、
さらに奈良中心部を見据える佐保山に多聞城を本城として大和の社寺を支配した。
しかし、信長が侵出すると軍門に降り、再び信貴山城に戻りました。

信長は、多聞城の城代として明智光秀、柴田勝家が入ったそうです。

その後、廃城。

石垣などは大和郡山城に運ばれたそうです。
 
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こちらの墓地は、発掘調査で出てきた石塔類を集めたものもの。
大和郡山城の石垣にも石塔が使われてますね。
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当時、墓石・石塔類はすでに加工されてるので、城の石材として貴重な必須のものだったようです。

東大寺大仏殿が見えます。
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東大寺や興福寺を睨む城です。

南東側へ
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佐保川が流れてます。
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外堀の機能を果たしてました。

左側の道が堀切。
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膝が良ければここから山の反対側をぐるっと回るのだが、
今回は無理。
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公園で再び足休めして
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城跡を見上げる…
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これにて多聞城とお別れ

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東大寺大仏殿、回廊工事中

梅?を見て
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イメージ 42

帰りました。

この日、28000歩。
びっくりポンですな。

これでは治るもの治らない。

後日、思いあまってついに医者に行き
湿布薬をもらい、
普通に歩けるようになったのは九月。

ホントに無茶したものです。
今は膝サポーターも付けずに山に登れるようになりました。

まずは、良かったです

以上、登城報告おしまい。

Φ(*^ひ^*)Φ
松永久秀ゆかりの城として、神戸の滝山城、大和の信貴山城など登りました。
近々、天理の龍王山城に登る予定。
この後、三好氏関連の城も攻めるつもり。
大和河内摂津、一連の登城報告はまたいつか…。

次回からブログは、再び北国街道歩きをアップします。
早くアップしないと忘れてしまうので…。

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ
日曜日、雪の一乗谷、悲惨な結果となったが、
実は成果もありました。

朝倉孝景公墓所。
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この裏にも登城口があります。
イメージ 45

最短で山頂まで行けます。
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が、足を踏み入れたら雪の中にズボッ!
靴の中びしょ濡れ
さすがに悪あがきはやめました。

観念して、墓所に戻ったら、
黒い犬を2匹連れた男性がいました。
犬と同じく精悍な風貌。

もしや、もしや、あの人?

我が輩、ずっと歯茎から血を出で口臭もひどい
血の匂いを嗅ぐと獣は襲ってくるとか?
恐い顔の犬に噛まれやしないかとビビりつつ

思いきって声かけた。

まさに、もしや、
ピンポーン!でした。

いつもブログで絡んでいただいてる人です。
いやぁ世の中、広いようで狭い
狭いようで広い、
いや、やっぱり狭い?

名刺をいただき、いろいろと山城に関してご教示いただいた。

地元の人なので
今後越前の山城で遭難したり、熊に襲われたら
即、援軍コール!
この人とこの犬なら、熊も逃げていくぞ!
まさに百人力や!
と、勝手にほくそえんだのであった…。

て、いい加減妄想と無茶はやめろ?


馬《●▲●》助ヒヒーン♪



2017年3月12日(日)

12時40分
Ⅲ郭へ。
構成はⅡ郭とほぼ同じです
イメージ 1
だが、西の防備のためいくつか仕掛けがある。

Ⅱ郭とⅢ郭の間にⅡ―5曲輪があり、
イメージ 2

これよりサブコース、時計回りにⅢ郭の外側を一周。
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堀の向こうに竪土塁
前回の芥川山城にもありましたね。

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竪堀に連なる

さらに行くと
畝状空堀群

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西の防備を強化してます。

尾根上はⅢ―2、3、4の段々曲輪。
イメージ 6
Ⅲー4

そして、
こちらも斜めに回り込む虎口を登る
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『Ⅲ―1郭』
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看板があるだけです

引き返し、主郭へ向かう。

大手の分岐8から登る
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土塁で囲まれた虎口
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【1―1郭】主郭虎口付近、桝形だとか?
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イメージ 12

櫓台。
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松永氏なので、多聞櫓があったかもね?

13時22分
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木津川方面を見ながらここで昼休憩、
パン食べました
遅い昼休みや。
イメージ 15

鹿背山城は山城国の南端にある。

山城国は、平城(奈良)山のうしろ(背中)に位置するので、大和との対比で山背国と呼ばれ山城国に。
しかし、平城山の丘陵は低い。
特別高い山がない。
JRも近鉄も京都⇔奈良、トンネルで峠越え、ということは無いですよね。
実質上の大和と山城の境は、木津川と言ってもよい。
東へ行けば信楽、伊賀、伊勢へ。

余談ですが、
伊賀・伊勢の由来に関しては諸説あるが、
伊は井が転じたのではないか?
井は、木津川のことで、井のすみか→伊賀
井の背中→伊勢


鹿背山城はこの木津川を天然の大堀として築かれたのです。
この鹿背(かせ)、
これは当て字で、本来は川の瀬(背)だったのでは?  


我が輩の妄想なので、信じないように。

戯言はいい加減にして、休憩終わり。

午後の部、再開します。

北側の水の手、
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井戸の大半が枯れ葉で埋まってます。

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土段を挟んで二重堀切
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戻って南の尾根曲輪へ。
こちらも1―4まであります。
イメージ 19
その先は
またまた畝状空堀群
イメージ 20

Ⅲ郭は西側、主郭は東側に連続空堀群。 
面白いですね。


イメージ 21
北へ回ると横堀が広がる
イメージ 22
ここは出撃用、武者溜りの広場かな?

さすがに主郭周りは厳重です

主郭西北の土橋
イメージ 23

イメージ 25

堀を挟んで楕円形の出曲輪土塁?
イメージ 24

先ほどの水の手と同じく正面と反対側に堀切があり二重堀切と呼ばれてる
イメージ 26

薮のためわかりにくが、
竪土塁とY字型の堀
イメージ 27

薮で足元見えないが竪土塁の先端まで下って
土橋を仰ぎ見た
イメージ 28
藪に埋まりそうになりちょっと恐くなったので
急いで這い上がる

大いに満足したのでそろそろ帰り支度、

サブコースを南下。
イメージ 29

再び1−Ⅳ郭下の
畝状空堀群

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イメージ 30
この竪堀の下は最初の大手道の池に繋がってます

凄いですね。

主郭周りは北から南まで防御が固い


登城開始してすでに四時間経過。
いつのまにやら時間忘れてました

サブコースを下山開始

で、何を思ったのか今以て不明だが、
この畝状竪堀を直接下った
イメージ 32

堀なので枯れ葉が積もってます

右足が枯れ葉でズズズズーと滑り
身体が右へ傾く

このままだと滑落間違いない

そこで、左足と杖で渾身こめて支えた

イタタター
イタタタ!

強烈な痛み発生!

左膝が捻れた。
もしかしたら関節折れたかも?

イメージ 33

この後、痛みのためどのように下山したのかよく覚えてないが
たぶん、サブコースを通って
西の池
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橋を渡り
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大手道との分岐に戻ったようです
イメージ 36

西念寺でしばし骨休め。
イメージ 37

この時、寺のご夫婦が車で帰ってこられた。
こんにちは、と明るく挨拶。

て、この時、冷水か湿布してもらってたら、後の経過はもっと違ったものになってたと思う。

後で知ったが、捻挫は直後の手当が一番肝心らしい。

というか、仲良しの夫婦を見ると
無意識に引いてしまう我が輩がいます。

この時、奥さんだけなら、迷わず助けを求めただろうな…。

15時40分、
イメージ 38

備え付けのノートに記帳して足引きずりながら、駅まで戻りました。

この時、もう2度と山城登りは無理、
今後は、平地の城や街道歩きに専念するしかない
と、意気消沈しました

でも、負傷というオマケがあったけど
素晴らしい城跡でした。

そして、定期的に保全されてる地元のみなさんに感謝感謝、
お礼を申し上げます。

またいつか、思い出の城跡として再登城したいと思います。

以上、報告おしまい。



Φ(*^ひ^*)Φ
日曜日、上天気で暑いなか
近江今津駅から小浜に向けて九里半街道を歩きました。
イメージ 39

ほとんど国道303号線。
平地では歩道があったが、
山間部に入るにつれて歩道が無くなり、車道を歩かねばならない。
国道なので、曲がりくねった坂をどの車もビュンビュン飛ばしてます。

非常に危険きわまりない。
イメージ 40


山城で転落や虫獣被害にあう確率と、
街道歩きで車に当てられて怪我する確率、
どちらが高確率なのか?

考えをめぐらしながら歩いてました。

山城登り、街道歩き、
どちらにせよ、
我が輩は、行き倒れたら名誉の負傷、本望や!

と、思うことにして、これからも両方続けるのです…。

Φ(*^ひ^*)ΦΦ(*^ひ^*)Φ

紀尾井坂

じゃなくて、

紀尾水坂?

びっくりポンや

馬《●▲●》助ヒヒーン♪

2017年3月12日(日)

山城国(木津川市)鹿背山城、
松永久秀ゆかりの城ですが、飯盛山城・芥川山城などと違って知名度は低い。
なので、続百名城にも指定されてない。

この城を知ったのは某NHK教育テレビのお城番組で奈良大学の千田教授が紹介されてたのが、その最初。

その後、奈良県河合町の某奇祭『砂かけ祭り(毎年2月11日)』を見に行く途中で、
電車の隣席の年配のオバチャンが鹿背山城の説明書を読んでるのを見て
ムラムラときました♂
一人で登りに行くのかな?
くそー!
これは我が輩も行かねばなるまいぞ!

で、前回の芥川山城から1か月後、
万難廃して鹿背山城探訪することにしました。
まさかこれが2017年最大の出来事になるとは思いもしないで…

10時11分、JR木津駅到着。
イメージ 1
近代的な駅です。
東口を出ました
綺麗に鋪装された道路が伸びる。
イメージ 2
天気も良くて気分よく歩いてたら城山台の看板が。
新興住宅地ですな。
さらに京大農場。
イメージ 3
上天気に浮かれて
調子に乗って歩きすぎてしまったようです。
引き返します
イメージ 4
向こうに見えるのは木津城かな?
地元の豪族木津氏が築き大和を支配した興福寺や三好氏、松永氏も関わったと言われてるので
帰りに寄るわ。
結局、寄るのは無理になってしまったが…

木津高校を目指す

11時14分
燈籠橋、
イメージ 5

すでに一時間経過、
毎度のことながら登城までのロスタイムが多い…。

小さな峠を越えて
イメージ 6
JRの関西本線鉄橋の下を越える

風情のある街並みの『井戸坂』を過ぎる。
 
イメージ 7

この近くの民家の小さな犬が吠えまくり、
さらに我が輩を追いかけてきた。

繋いでないのかい!

恐いけど無視して前進す。
この犬、我が輩の足元まで来たら吠えて立ち止まり、
間隔があくとまた追いかけてきて足元まで来たらまた立ち止まる。

これの繰り返し。 

我が輩、馬なので噛みついたら後ろ足蹴りにしてやろうと思ってたが
、いつのまにか犬は帰っていった。

威嚇しただけかい!

今思うに、
今日は厄日だから登るな、
という忠告だったりして…。


鹿背山分校に到着。
イメージ 8

大きなマップあり。
イメージ 9

道案内に従って向かう。

『左鹿背山城址』石碑
かせやま、と読みます。
イメージ 10

木津氏が築いたと言われてるが不明。
はっきりしてるのは大和を支配する興福寺が1479年に入城したという記録のみ。
その後、大和を支配下に置いた松永弾正久秀が、奈良市の多聞山城を本拠として、北の防衛として鹿背山城を改修強化。
現在の遺構はこの時のものだとか?
イメージ 11


11時30分、
『西念寺』到着。
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ここが登山口です。
駅から80分かかりました。
普通なら徒歩40分ほどで行けるのに…。

ここに解説板があります。
イメージ 13
木箱の中には紙の縄張図があるのでいただく。
 
もうこれだけでも百名城の資格あるのですが、史跡に指定されてないからダメなのかな?

イメージ 14

らくだのこぶのごとく、山が3つあります
西から、ピークごとに1郭(主郭)、Ⅱ郭、Ⅲ郭に分かれてます。

この前、雪の馬秀山城でらくだ山と解説したのは、ここをイメージしたのです…。

それぞれ3つの谷の一番奥には、それぞれ池があります。 
水堀の名残り?
それとも近代の農業用溜池?



神社ならお賽銭あげてから登山するが、寺なので横目でパス。
これがいけなかったのか?

『登城口』
イメージ 16



イメージ 15

大手道とサブコースの分岐あり。
帰りはこのサブコースを戻りました。

まずは右手の大手道の坂を進む。

しばらくして左手に池が。

         ↓竪堀
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池の向こうの竪堀。
イメージ 18

ここから滑り落ちたら、池にドボンです。
竪堀と池の組み合わせは聞いたことないので、やっぱり池は城と関係ないかな?


イメージ 19
さらに、大手道と1郭の尾根曲輪の分岐
イメージ 20

さらに主郭下の分岐です。
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我が輩は東のⅡ郭へ向かう
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切岸
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主郭東側の竪堀
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奥の犬走りを向かうと水の手に行けます
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『Ⅱ郭』
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折れ曲がって入る虎口になってます。
イメージ 31

尾根曲輪がⅡ―2、3、4と段々に並び
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竪堀を経て一段下の出郭に。


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Ⅱ−3曲輪
各曲輪ごとに表示があるので迷うことはない
後でみてもわかる
地元保存会の皆様の努力に感謝感謝です
イメージ 29
Ⅱ―4先の堀

戻って、Ⅲ郭へ向かう。
イメージ 32

長くなるので、

後編に、つ〜づ〜く〜う!

イメージ 33


Φ《#^ひ^♯》Φ
毎年恒例のGW遠征、
一昨年は障害、昨年は傷害のため断念した南九州行き。

今年こそは3度目の正直。
南九州に行くぞ!
計画書は2年前に作ってあるので、後は列車とホテルの予約して現地に行ってスタンプ押しまくるだけ。

だがしかし、
よからぬ噂を聞いた。

JR3月のダイヤ改正で南九州の路線の列車本数、
大幅に減便させるとか?

ヤバいぞ!

それでなくても宮崎鹿児島は本数少ないのに、まだ減らすの?
JR九州は、ななつ星で儲かってるやろ!

そういや、
神戸―宮崎フェリーは、運航会社が倒産して、今は別の業者が引き継いでるとか?
先行きの見通しが怪しい。

宮崎県を海と陸の孤島にする気か?

東国原元知事さん、なんとかしろ!

というか、計画練り直しせねば。

場合によっては、行き先変更も?

トホホや…。


β《#^ひ^#》でヒヒーン

2018年1月28日(日)
昨年の講座で、六角承禎の墓が一休寺にあると知ったので
いつ行こうかと思案。
JR西日本がキャンペーンを展開、特別展示もある、
と知り、
イメージ 1

ちょうど大雪のため街道歩きも山登りも無理な28日に決行した。

京田辺駅が最寄り駅だが、京都駅から遠回りになるので
JRには申し訳ないが近鉄線で向かった。

新田辺駅。
イメージ 2

バス乗り場がわからなくてバスを逃す。
※このモニュメントの先の芝生の向こう側でした…。

次のバス待つより歩いたほうが早いので歩く

数分でJR京田辺駅。
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アルプラザ発見!
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平和堂を見つけるとなんか異国に来た気がしない

マンホールの模様は、ヒラドツツジ
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そういや平戸城、唐津城、名護屋城跡の動画のアップがまだです。
いつできるやら…。

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普通なら近鉄新田辺駅から徒歩20分ほどですが、
我が輩は途中の神社に寄り道してるので40分くらいかかったかな…。

12時15分
『酬恩庵(しゅうおんあん)』到着。
イメージ 5

キャンペーンしてるけど、田舎の寺だし人は少ないと思ってたら
団体さん多い。
ボランティアガイドさん?もいる。

受付で拝観料500円玉出そうとしたら、

『千円です』

え〜〜!
聞いてないぞ。
JRのチラシでもホムペでも確認したが500円のはず。
一休さん、いつのまに詐欺師になったんや?
今さら帰るわけにはいかないので
渋々お札を渡す

引き換えに白い無地封筒をくれた。

この中身はなんですか?
と、半分キレながら声高に聞いた。

『祈祷札とぜんざい引換券が入ってます』

何?ぜんざいとな!

だから、千円なの?

そういう大事なことは先に言ってくれればいいのに。
で、よくみると
『一休善哉の日』と書いた看板が。
イメージ 6

実は、毎年1月の最終日曜日は、善哉を命名した一休さんにちなんで
一休善哉の日としてぜんざいをふるまってるそうです。
解説によると、
『一休さんは1月1日生まれ。
大徳寺の住職からお餅の入った小豆汁をごちそうになり「善哉此汁(よきかなこのしる)」とおっしゃったことから善哉となった』


我が輩、ぜんざい大好物だが、これは
知らなかった、知らなかったぞ!

偶然とは言え、いい日に来たものです。
風吹けばなんとやらで、
たまたま大雪のおかげで、この日になった。
まさにラッキー!

機嫌良くなった我が輩、
勇んで奥へ向かう。

『宗純王の墓』


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て、誰やねん?
と思ったそこのあなた!

一休さんのことです。
実は天皇の皇子。
頭が高いぞ、下がりおれ!
というわけで、ここだけ宮内庁管轄。
近寄ることかなわず。
格子戸の隙間からむりやり撮影

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お堂の中は大渋滞。
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約50人単位で祈祷をするため待たねばならないので渋滞する。
祈祷が始まると和尚さんが一人一人名前を読み上げてくれます
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聞き耳立てて注意して聞いてたら我が輩の名前もちゃんと読んでくれました。
読みにくいし言いにくいから、たいていの人は失敗するのですがね。

祈祷が終わると、プチ座禅。

我が輩、自慢じゃないが座禅したことない。
ちょっと不安…。

あぐら組んで右足を左の太ももの上に乗せろ、という。
普段横座り(女座り?)が定番の我が輩ですが、なんとかできました。

合掌して少し前屈みをする。
これが、肩を叩いてくれ、という合図。

板のようなものでもビシバシ叩かれて、
イタタタ〜〜!

というのを想像してたが、

ポンポンと二度、軽くなでなでするように叩いてくれました。

なんや、拍子抜けや。

わずか数分の座禅だが、
初めてなので、いい経験になりました。

祈祷と座禅とぜんざい付きなら千円安過ぎなのでは?

今日は儲けたぞ!

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本堂を囲むように庭園がある。
向こうに見える建物が先程のぞいた一休さんの墓

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方丈を出てさらに奥へ。

『本堂』
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1450年建立。国重文です

宝物殿では特別公開の品がありましたが、
なぜか撮影し忘れた。

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で、すっかり忘れてたが、

ここへ来て、本日の目的を思い出した!

祈祷と座禅しにきたわけでもぜんざい食べに来たわけでもない


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『このはしわたるな』

なので、真ん中を渡りましたよ

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そして、
六角承禎のお墓。
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合掌する。
隣の能楽師の墓がメインでこちらはオマケ、という気がする
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裏側に回って何か痕跡ないか探したが日付は無い。
ホントに六角氏の墓なの?
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左端の花が供えられてる新しそうな墓は大原家と書いてある。
佐々木氏長男なのに、母の身分が低いため近江長岡の大原庄という小さな領地しかもらえなかったあの大原氏なのか?


ちなみに、
米原市柏原にある佐々木京極氏の菩提所。
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鎌倉時代初代から当主の墓が残ってる
なので、墓域全部国史跡に指定されてます。

六角氏とえらい違いやね

それもこれも、
関ヶ原の戦いの時に、京極高次が大津城に籠城して
京極家が存続できたから。
もし、西軍のままだったら、六角氏と同じ運命になり名門近江佐々木家は途絶えただろうな…。


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鐘楼(国重文)の横を通り、

絵馬奉納所で、先程祈祷を受けた絵馬を奉納しました。
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顔出しパネルがあります。
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杖の先のドクロの本物は、宝物殿に展示されてました

そして、

いよいよ、待望のぜんざいです。

いつもならパンを持ってきてるが、
この日は現地でうどんでも食べるか、と思ってたので昼の用意をしてない。

なので、ぜんざいが昼食になります
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引換券渡すと

一休ぜんざい登場!

ようやくや。
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よく見ると、手前の皿に二粒の黒いものがある。

もしや、これが名物とされてる一休寺納豆か?

思い起こせば40数年前、
卒業旅行で井伊谷の龍潭寺に参拝した。
本堂に納豆が置いてある。
それまで、納豆といえば甘納豆しか知らなかった我が輩、
試食の納豆3粒つまんで、口にほおりこんだ

ぎぇー!
甘くない!

以後、1度も納豆は食しません。

あの納豆にそっくり。

余計なものを付けやがって!
ぜんざいといえば、塩昆布・梅干し、漬物と決まってるのに、
困ったもんやわ。

食べずに残すと、一休さんに笑われそう。
というか、じっとこちらを見てる配膳係の若い女性の視線が気になる。
残したら恥や。
しかたないのでぜんざいでごまかしながらつまんで口にほおりこんだ


うん?

おっ?

な、な、なんと!

なんと!

まいう〜〜!

これイケるじゃないですか!
奈良漬けみたいな味。
甘いぜんざいにピッタリや。

いやぁ、一休さん
ぜんざいと納豆、いいものをつくってくれたものですわ。

ぜんざいも本場京都の味で
美味しいどしたえ。  

焼き餅2つならもっと良かったけど、
これは贅沢か?

帰りに新田辺駅前の観光案内所で
お土産に一休寺納豆を購入しました。

『これ、いつまでもちますか?』
と聞いたら、

『無期限、冷蔵庫に入れずに常温で保存してください。 
いつまでも食べられますよ』

いやぁ、びっくりポンです!

これぞ、究極の非常食じゃないですか! 

大いに満足して意気揚々と帰宅しました。

家に帰ると、凄い匂い。
母が閉口してました

ということは、帰りの電車内も
ぷんぷん臭わせてたのだろうな。

ま、いいや、

我が輩は、知らぬが仏、

なんか言われたら

一休寺の納豆と善哉は、

一休品、

いや

一級品ですわ。

と、返してやるわい 


以上参拝報告終わり。


最後に、
六角氏も納豆も

食わず嫌いはやめましょう!


β《#^ひ^#》でヒヒーン

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